普通の学校生活 その一

「はい。多分私たちと同じくらいの歳の男子だと思うんですけど、銀竜神社ぎんりゅうじんじゃ大鳥居おおとりいのところで迷子になってて。ガスマスクとかかぶってて」

「ガスマスク?!」

 校長先生のまん丸の目が、もっとまん丸になった。

 そりゃそうだよね。ガスマスク着けてる人なんて、この辺どころか日本中でもそうそういないんじゃない? 本物のガスマスクとか、私もさっき初めて見たもん。

「そうなんです。それで、ここはどこだとか、今は何年何月何日ですか……とか、変なことも聞いてくるんです。私が遅刻するって言ったら、学校に連れってって言い出すし」

「まあ……!」

 校長先生はそう言って一瞬フリーズした。

 やっぱり、みんな思考停止するしかないくらい変な人だよね。

「そ、それで。その人は? たつ姫さん、連れてきたの?」

「いいえ。勝手についてこいって言って、自転車で全速力で置き去ってきました」

 校長先生の目が、今度は点になった。

「ま、まあ。そうだったのね。とにかくたつ姫さん、知らせてくれてありがとう。怖い目に合いましたね。怪我や、嫌な思いはしませんでしたか?」

「大丈夫です」

 まあ、急に手首つかまれてイラッとしたけど、別にけがはしてないし、変態行為をされてもない……と思う。うん大丈夫。

「それはよかった。先生、念のためその人を探して確認してきますね。たつ姫さんは教室に入ってて」

「はい」

 そう言うと、校長先生は私と一緒に歩き出した。

「その、変な子がいたのは、銀竜神社の大鳥居のところだったのね?」

「はい。最後に振り向いたときは、サイクリングロードに上がってきてたので、こっちに向かって歩いてきてるかもしれません」

「まあまあ。ありがとう。じゃあ先生、行ってくるわね」

 私が駐輪場に停めると、校長先生は一番奥に停めてある、電動アシスト付きの自転車にまたがった。校長先生愛用の自転車だ。

「はい、わかりました……でも校長先生一人で大丈夫ですか? 変な人だったし……」

 私が心配すると、校長先生はにっこり笑った。

「大丈夫よ。校長先生だって、先生だもの」

 校長先生がそう言い残して校門を出ていった直後、校内アナウンスが校庭に響いた。

「まもなく朝読書の時間です。生徒は教室に戻って、本の準備をしましょう」

 放送委員の生徒の声だ。アナウンスの次に、クラシック音楽が流れ始める。

 私は玄関に向かって全速力で走り出した。

 玄関には、のんびりと靴をはきかえている子たちの姿がちらほら見える。

 うちの学校は、いろんな子がいる。マイペースでも怒られない。

 私や頼希みたいに、自分なりのルーティンがあって、それを崩したくないから遅刻したくないって子もいれば、遅刻なんか気にせずのんびりする子もいる。中には、教室には行きたくないので図書室にいる子なんかもいる。

 生徒の人数が少ないからこそ、許されることがたくさんある。そういう学校だ。

 ま、都会の大人数の学校みたいに、おしゃれで最先端のきれいな校舎じゃないし、やりたい部活動なんてほぼないし……デメリットもたくさんあるけどね。

 

 教室に駆け込むと、早速仲良しの松乃まつのちゃんが私を見つけて席を立った。

「おはよう、たつ姫ちゃん! 遅かったね」

 トレードマークのツインテールをぴょんぴょんゆらしてこっちへ走ってくると、くりくりの大きな目で心配そうに私の顔を覗き込んできた。

頼希らいき君が、たつ姫ちゃん、湖に下りてったって言うから、何か落としたのかなって心配してたの」

「おはよう松乃ちゃん。心配してくれてありがとう。大丈夫だよ! ちょっと変な人には会ったけど、無事」

「えっ? 変な人?」

 松乃ちゃんと私の会話に、みんながこっちを見た。

 私のクラス……というか、学年は、全員で十七人。教室は広々と四人ずつ四列で、私の席だけ窓際の一番後ろで、一人だけはみ出してる感じの配置になっている。

 松乃ちゃんは私の席までついてきたけど、みんな自分の席から体をひねってこっちを見てる。

 読書の時間なんだけど、先生が見張ってるわけじゃないから、結構ゆるい。

「なになに? 大丈夫?」

「おい、どういうことだよ」

 心配そうにオロオロしながら聞いてきた松乃ちゃんの背中の向こう、廊下側の一番前の席から、頼希までが声をかけてきた。

「いや、だから、ちょっと湖を見てみようと思っておりてったら、皐月姫像さつきひめぞうのとこに男の子がいて」

「男の子だあ?」

 なんで頼希がそんな怒ったような声を出すの。

「うちらと同い年くらいだと思うんだけど、なんか迷子になってたみたいで」

「迷子?」

「学校いかないのかな?」

 みんながそれぞれざわざわと話し始める。私は鞄を開けて、中身を机の中に片付けていく。

 ふと、松乃ちゃんがマンガの単行本を持っていることに気付いた。


 松乃ちゃんは、マンガやアニメやゲームが大好きで、コスプレにもすごく興味があるらしい。手芸も得意なので、コスプレ衣装を全部一人で作ることを目標にしていて、そのために学校に手芸部を新設したほどの根性の持ち主だ。かわいらしい見た目からは想像できないくらい、パワフルで行動的なのだ。


 その松乃ちゃんの手元のマンガの表紙を見て、私はびっくりした。

「あっ! 松乃ちゃん、それ……」

「あ、これ? 昨日発売だったんだけど、すっごく面白かったから、たつ姫ちゃんにも布教しようと思って持ってきちゃった!」

 教室中から、そんなことより「変な人」の話をしろという圧力を感じつつ、松乃ちゃんからマンガを受け取る。

「これ……この人の格好してた」

「えっ?」

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