15話

「お誕生日おめでとうございます、小秋さん」


 一夜明けた十一月二日。

 夕方に屋敷へ訪問した成葉は、客間に通されていた。少々の世間話を経た後、津吹から預かっていたプレゼントを小秋に渡して祝福した。紙袋に包まれたそれは、感触からして一冊の本だった。

 小秋は、調整中の本義足はつけず、予備の仮義足を装着してソファに座っている。彼女は贈り物を受け取ると、暖かい春のような微笑を見せた。吸血鬼の鋭い犬歯が覗ける特徴的な表情。それを眺めた成葉の心中では、とある情景が突風となってかすめる。彼女の母親が幸せそうに笑う姿だった。


「まあ、ありがとうございます。成葉様」

「お礼でしたら是非、支社長へ。私はあの方から代理でお渡ししたに過ぎません」

「そんなことはありませんわ。これも立派なお仕事ですよ。もし貴方がいらっしゃらなかったら、今年は頂けなかったかもしれませんもの」

「……ご実家の使用人の方に渡されたと思いますが?」

「それはないかと思いますよ。お父様は、あまり家には近寄らないのです」


 それはどういうことだろうか、と成葉が質問する前に、小秋は大事そうに紙袋を両手で抱きしめた。


「贈り物はたしかに受け取りましたわ。今日もリハビリがあるのですよね?そろそろ施設に向かいませんか」

「あ、そうでしたね。では車を表に回してきますのでお待ちください」


 それから二人は車で移動した。ブランデル社と提携するいつもの医療施設だ。

 今日も医師たちの監督の元、本義足の膝の挙動を司るマイコンに、小秋の歩行の癖や速度を学習させるプログラムだった。

 今日も無事に終わり、暗い帰路に着く。

 夜中の街の光を浴びながら、帰宅中の車でごった返しとなっている主要道路を抜けて、町外れの方向へ進む。社用車の上部をつつく雨。雨音さえ車の騒音で掻き消されそうな、しっとりとした小糠雨こぬかあめが降っていた。

 行きと帰りの三十分ほどの時間は、仮義足の頃から変わらず、車内は談笑に包まれる。互いに義足のこと、共通の趣味である読書のことや、それぞれ職場や学校で話題になっている事などを話して過ごすのである。

 この日、必然的に話に上がったのは、誕生日プレゼントの件だ。


「お父様が毎年贈ってくださる本は、その年にわたくしの身の回りで起こった出来事に関わりが深いものが多いのです」


 小秋は持ってきていた紙袋を撫でるように触った。まだ中身を開けるつもりはないらしい。本が入った袋を胸に引き寄せるようにして持つ彼女は、赤ん坊を抱えている、かの聖母マリア像と似ていた。


「今年の本……何か心当たりとかはあるんですか?」

「きっと、吸血鬼の本ですわ」


 小秋はくすりと笑った。

 運転席から成葉は、軽い苦笑いを返す。


「本当にそうかもしれないですね。私が頂いた物も吸血鬼の……短編の古典文学を集めた希覯書きこうしょでしたから」


 成葉はもらった本を思い出す。それはかなり古くに日本の出版社が出した書籍だった。ヨーロッパ由来の吸血鬼作品を日本語訳してまとめた代物──今となっては不謹慎極まりない本だが、瘴雨以前の物だ。これまで吸血鬼関連の表現規制による出版物の排斥運動を免れ、運良く古本屋に眠っていたのだろう。


「そちらはもう読まれたのでしょうか?」

「すごく楽しませていただきました」

「良かったですね。ちなみに、その本にはブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』って収録されていました?」

「いいえ……その作品はありませんでしたが」


 ドラキュラ伯爵はくしゃくのことか──。


 日本語訳者による序文で、ヨーロッパにおける吸血鬼伝説の成り立ちについて簡単に解説されていたので名前だけは知っていたが、その作品の本文は記載されていなかった。だから成葉は『吸血鬼ドラキュラ』を直接読んではいなかった。


「小秋さんは読まれたことがあるのですか?」


 前を走る車との距離を気にしながらも、渋滞の列が速度を落としたタイミングで、成葉は助手席の方へ視線をやった。小秋が嬉しそうにこくりと頷いていた。


「昔、何度も読みました。名作ですわ」


 細かな水滴が這うサイドガラスから様々な色のネオンの光が走り、微かに朱を含んだ白い小秋の横頬と、仕立ての良いロングドレスを照らしていた。

 瘴雨患者、もとい吸血鬼は直射日光が苦手だ。その対策として、肌を充分に隠しながらも、ファッション性を犠牲にしない、こういった古風な洋服が吸血鬼の女性の間では当たり前のものとなっている。ドレス姿の小秋は、まるで西洋の絵画から出てきたような美しい貴婦人だった。つい見とれそうになり、成葉はぎこちなく少女から目を逸らす。


「成葉様はお読みになられていないのですね……。それでしたら『吸血鬼ドラキュラ』と天気にまつわるお話はご存知でしょうか?」

「ドラキュラと天候?」

「そうですわ」

「……知らないですね。良かったら私に教えていただけますか」


 瘴雨を疎ましく思う傘士にとって、関係のありそうな話題。それに成葉が食いつくと、小秋は満足そうに頷く。


「もちろん構いませんわ。吸血鬼と天気は根深い関係と言いますか、因縁があるそうです。例えば、創作において吸血鬼は太陽光が苦手だと昔から言われておりますけれど……実は、吸血鬼文学を代表するドラキュラ伯爵ご自身は、太陽光を浴びても平気なのです。現に作品の中でも、二回ほど昼間の街の広間に登場していますもの」

「へぇ、初耳ですね。てっきり吸血鬼って夜のイメージがありますけど」

「わたくしもなんとなくそう考えておりました。ですが調べてみると……太陽光線が生死に関わるというのは、『吸血鬼ドラキュラ』を元にしたドイツの吸血鬼映画の設定で、あくまでも後年になって流行したものに過ぎないそうですよ」


 試しに、成葉は古典文学の吸血鬼作品の描写をひとつずつ思い返してみた。

 なるほど、墓場や夜中に登場する吸血鬼キャラクターは豊富だし、太陽光線をなんとなしに嫌う者も多いが、直接死滅した者は誰一人としていなかった。大体の死因は心臓に杭を打たれることだった。


「言われてみると……そうかもしれません。小秋さん、それすごく面白い話じゃないですか」


 素直に感心した成葉は、声を高めた。

 古今東西の書物や歴史に精通し、教養溢れる小秋に何かを教えてもらい、成葉の方でも自分が過去に見聞きしたものから発見をすることは、二人で話をしているとよくあることだった。

 その時ばかりは、普段からの謙虚な姿勢を完全に崩しはしないものの、小秋も少しばかり年相応に誇らしげな笑みを浮かべるのが常だ。

 しかし、今の小秋は俯いて足元を見ていた。

 どこか具合でも悪いのか、それとも、まさか血液不足なのか──。心配した成葉が声をかけようとすると、小秋はぽつりと呟き始める。


「それなのに、どうして現実の吸血鬼は……お日様の光を浴びてはいけないのでしょうか」


 少女は低く、今にも泣きそうな声色だった。


「……そうですね、何ででしょう」


 曖昧に返事するしかなかった。

 そう言ったきり黙ると、小秋は自分の人工の左足を摩り、次第にその手をドレスのすそへとやった。


「この足もそうですわ。虚弱な身体も……。物語に出てくる吸血鬼は、誰も彼も人間を超越した強靭な存在であるはずですのに。なぜだか、わたくしは弱いままです」


 しゅんと眉を下げる小秋を見て、成葉は胸が痛んだ。雨鬱あまうつだ、と彼は瞬間的に思った。

 吸血鬼の客は、そのほとんどが身体欠陥を抱えている。また、天候に関係なく気軽に外出できず、定期的に人間の血液を飲まないといけないので生活習慣は格段に変わってしまう。対人関係も一変する。その結果として内向的になり、抑鬱的になりやすい傾向にあるそうだ。

 成葉はハンドルを握り直して、空咳をする。


「“事実は小説よりも奇なり”とバイロン卿も言っております」


 そう言い切ると、やや遅れて小秋が顔を上げた。古典文学や偉人の話を出すと彼女が興味を示してくれる。短くも義足を介して深く接していたここ二ヶ月で成葉が知り得た、客の性格だった。

 昔から本を読むよう勧めてくれた津吹夫婦に感謝しつつ、言葉を繋ぐ。


「小秋さんは瘴雨に打たれてから半年も経っていません。私も傘士ですから、あなたが落ち込む気持ちも分かります……でも、そう暗い感情を募らせても仕方ありませんよ」

「わたくしも、自分では分かっているつもりですれけど……。どうしても気分が塞がってしまう時がありますの」

「気晴らしが必要でしたら、いつでも私にご連絡ください。私で良ければお話のお相手になれますし、施設への送迎ついでなら、どこかご希望のお店や場所にもお連れできます」

「本当ですの?」


 小秋は多少ではあるが笑顔を取り戻した。


「私は小秋さんの傘士ですよ。どうか、ご自由にお使いください」

「……どうしてなのです?そうお優しいのは」

「あなたが我が社のお客様だからです」


 成葉は真面目くさった顔のまま、冗談混じりの様子で言った。

 その姿を目にした小秋は、口元を片手で隠して、くすくすと笑う。皮肉や侮蔑の類は一切含まない、純粋で透き通る笑い声だった。


「あら。ふふふ、酷い人ですこと──。それなら成葉様、お客様であるわたくしからのお願いをひとつ聞いてくださいます?」

「なんなりと」

「せっかくの誕生日ですから……わたくし、甘いものが食べたいですわ」

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