レオナルド視点 グーモンスの『精霊の座』
「それで、おまえがクエビアへ人を送る用事というのは?」
マンデーズ館で作らせているものと関係があるのか、と問うと、アルフレッドはわずかに目を見開く。
こっそりと用意しているものについて、まさか俺に気付かれるとは思っていなかったのだろう。
……いや、気付くぐらいは判っていたはずだな。
マンデーズ館の主は俺だ。
そこで行われている作業については、イリダルが俺へと報告をする。
完全に秘密裏にことを進めようと思えば、イリダルへ王子として命を出しておくか、マンデーズ館を使うべきではなかったのだ。
アルフレッドが驚いたのは、俺がボビンレースの行方についてを気にかけたからだろう。
普段の俺ならば、ティナを飾るためのレース以外にはそれほど関心がない。
「おまえがオレリアンレースの行方についてを気にするとは、珍しいこともあるものだ」
気にも留めないと思っていたのだが、とアルフレッドは言葉を区切る。
やはり俺がボビンレースについて気にかけたこと自体に驚いていたようだ。
「……現在、我が国で作ることのできる最高のオレリアンレースを、神王領クエビアの仮王へ贈ろうと考えている。仮王が身につければ各地の教会を通じて、あっという間にオレリアンレースが知られることになるからな」
「ボビンレースを使うとは聞いていたが……、仮王まで使う気だとは思いもしなかった」
ティナではないが、本気かとアルフレッドの正気を疑いたくなる。
神王領クエビアの仮王といえば、現代の神王も同然の方だ。
神話の終わりに神王が姿を隠してしまったため世代交代は行われていないのだが、仮とはいえ神王も同然の、他国の王をボビンレースの宣伝に利用しようだなどと、怖いもの知らずにも程がある。
……いや、今の仮王はレミヒオ様か。
レミヒオとティナは面識があった。
恐れ多い企みではあるのだが、あの人のよさそうな青年であれば、ティナのためにボビンレースを身に纏うぐらいの協力はしてくれるかもしれない。
実現の可能性も、試してみる価値も、十分にあるだろう。
「イリダルは夏の初めには完成すると言っていたが」
「夏の初めなら、コーディに運ばせるのもよさそうだな」
ティナの求めたラローシュの花粉を手に入れるため、コーディには神王領クエビアへと遣いを頼んだことがある。
その時にレミヒオがわざわざ国境にある砦まで出向いて便宜を図ってくれた、とコーディからは聞いていた。
意外に身軽な動きをみせる仮王レミヒオと、正直者のコーディは馬が合うようだ。
用事が済んだので、とコーディがお墨付きを返しに行った時も、わざわざレミヒオが出てきて話をしたらしい。
その時に、今度はコーディ宛に改めてお墨付きを用意してくれたのだとか。
話を聞いただけでは、コーディは完全にレミヒオから気に入られていると思う。
コーディ自身は、仮王直々に渡されたお墨付きに恐縮するばかりで、そんなことには気が付く余裕がないようであったが。
「……もう、ほとんど『ただの旅の商人』じゃないな」
仮王への贈り物を運ばされたり、隣国を探らされたりと、本業とは違うところでコーディには役に立ってもらっている。
ティナのためにコーディが失った顧客からの信頼を取り戻すまでの補填ができれば、とコーディには間者の真似事をさせてみたのだが、意外にお役立ちな存在になっていた。
なによりも、神秘の国神王領クエビアの奥へと自由に出入りできるというのは大きい。
「クエビアでの商売が許された商人は他にもいるが、仮王自ら迎えに出てくる商人など、コーディぐらいだろう」
末永く利用させていただきたい、というアルフレッドが悪い顔をしている。
ティナには見せられない顔だったが、アルフレッドがこういった顔を表へ出すようになってきたのは最近のことだ。
目の上の瘤となっていた第二王子の失脚が、アルフレッドの心を軽くしているのだろう。
「サエナード王国内の移動についても、コートに手を回してもらえそうだ。早馬のような速度はでないが、商人の荷馬車としては最速で移動できる」
「……クリスティーナの人脈もおかしいが、おまえの人脈も大概おかしいな。コンラッドといえば、戦をしたばかりの敵国の王子だろう」
「ベルトラン殿もかつて戦をした帝国に知人がいるそうだぞ」
元・敵国とはいえ、隣国だ。
知人の一人や二人いても不思議はない、と答えておく。
殺し合いをした相手ではあるが、ある意味ではお互いの腹の内はわかりやすい。
そういう意味では、意外に付き合いやすい相手でもあるのだ。
ベルトランと知人というのも、そんな感じなのだろう。
「それよりも、王都の様子はどうだった?」
何か変わりなどなかっただろうか、と王都の様子を聞いてみる。
ティナにあわせてしばらく王都にいたが、基本的にはグルノールの街が俺の拠点だ。
どうしても王都の様子には疎くなってしまう、と戻ったばかりのアルフレッドから王都の様子を聞いてみたのだが、アルフレッドの答えは簡単なものだった。
「フェリシア姉上の婚礼で、街が賑わっていたな」
狙い通りボビンレースには注目が集まったらしい。
あの精緻なレースはなんだ、と貴族や富豪が王都中の仕立屋へと問い合わせをしているのだとか。
アルフレッドから事前にボビンレースの実物と指南書を預けられていたフェリシアお気に入りの仕立屋などは、今回顧客を大幅に増やしたそうだ。
婚約者が懇意にしている仕立屋へも指南書を預けているあたり、アルフレッドは本当に抜け目がない。
「指南書は王都のメンヒシュミ教会へ届き次第、すぐに販売が開始されるように手配しておいた。国中へ広めるためには、ゴドウィンも手を貸すと言ってきたが……これもクリスティーナの作った人脈だな」
ティナの行方不明については一応伏せられているのだが、調べられる伝手をもった者には知られているようだ。
ベルトランが知らなかったのは、現役を退いていることと、ベルトラン自体が噂を集めるという行為に対して積極的ではないからだろう。
付け加えるのなら、
誰かが手綱を握らなければ、ベルトランは犯人を追って飛び出していくはずだ。
アルフレッドが止めてくれなければ、ろくに情報もない状態で飛び出していったのは自分も同じである、と改めてアルフレッドに感謝する。
「そういえば、グーモンスで新たな『精霊の座』が発見されたらしい。フェリシア姉上から聞いた話だが、早速破壊を試みて、傷一つ付けられなかったそうだ」
「ティナは簡単に壊したと聞いたが……」
「私もクリスティーナは踏み潰したとだけ聞いている。その場にいた父上たちも、特に特別なことはしていなかったとおっしゃられていたが……」
「踏み潰すって、ティナはそんなに重くないぞ」
抱き上げた時に軽すぎて、むしろもう少し重たくなってほしいぐらいだ。
一度ティナ本人にそう言って、私を豚にするつもりですか、と怒られていた。
「クリスティーナにしか壊せないのではないか、とフェリシア姉上は考えたようだ。しかし、クリスティーナの代で破壊できなければ子孫に、というのが神王の意思らしいからな」
「ティナの子どもでもいいのなら、ティナにしか壊せない、ということはないだろう」
なにかコツでもあるのだろうか、と考えてみる。
誰が『精霊の座』の破壊に挑んだのかはわからないが、少なくとも大人ではあっただろう。
子どものティナに壊せて、大人に壊せないとは考え難い。
他に何かティナと他者との違いはないか、と考えて真っ先に浮かぶのは、ティナが精霊の寵児であることだ。
これからは精霊の助けを期待できないとティナは言っていた気がするが、精霊の寵児であることに精霊の加護は関係がない。
ティナの説明によれば、精霊の寵児とは転生者の受ける恩恵のようなものだ。
異世界の記憶を持つ転生者と、精霊に守られた神王と考えれば、ティナに『精霊の座』を壊せた理由はやはりそこにあるような気がした。
「……グーモンスへ、ニルスを派遣してみるか」
ニルスはメンヒシュミ教会で神話の真実を研究しているとティナから聞いたことがある。
グルノールの街からグーモンスへは距離があるが、神話の神王にまつわることならば協力が得られるかもしれない。
グーモンスへの旅費や護衛をすべて用意してやれれば、ニルスも動きやすいだろう。
物は試し、と早速ニルスを呼び出して概要を伝えてみる。
グーモンスで自分に求められる『精霊の座』の破壊という役割については戸惑っていたようなのだが、ニルスは好奇心に負けたようだ。
自分にできるかどうかは判らないが、行くだけ行ってみると言ってくれたので、エセルバートへの紹介状を書き、護衛に黒騎士も付けた。
黒騎士はこの状況で砦を離れるなど、と戸惑っていたが、これはティナがやりかけていた仕事である、というアルフの説明に迷いは晴れたようだ。
朝早く旅立つ一行を見送り、かすかな罪悪感に後ろめたいものがある。
……神王の依頼を達成すれば、精霊がまたティナを助けてくれるんじゃないか……なんて都合のいいことを思いつつ、それを
ティナの兄として情けなさ過ぎる。
行方を捜す情報集めも
では、その間に兄である俺は何をしているのかといえば、通常通りに砦を動かしているだけだ。
その砦の主としての仕事も、いざ帝国へと乗り込む際の身代わりとして、俺を演じることになるランヴァルドへと仕事を教えているために半減していた。
何もしていないわけではないのだが、何もできていない気しかしない。
春も終わりに近づくと、また俺の誕生日がやって来る。
ティナがせっせと俺の誕生日を祝ってくれていたため、春華祭同様に寂しい誕生日だった。
いよいよ夏が近づいてくると、コーディがグルノールの街へとやって来る。
予定より遅い到着だと思ったのだが、どうやらルグミラマ砦でボビンレースの指南書を受け取っていたらしい。
まずはイヴィジア王国中へと広める必要があったため、指南書を売りながらの旅程で到着が遅れたようだ。
「レオナルド様からおおよその地域は聞いていましたので、その地域で少し長く商売をしてきました」
こんな前置きで、コーディからの報告が始まる。
やはり帝国領内で、今でも西向きのアドルトルを紋章として掲げている家はなかったそうだ。
なにしろ攻め滅ぼされた国の紋章であったため、帝国へと吸収された時にいくつかの貴族家は残されたのだが、同じ紋章をそのまま掲げることは許されなかったらしい。
長く血を繋いでいく貴族家でも掲げることを許されなかった紋章が、増えたり減ったりを繰り返す平民の間で知識として残るはずもなく、旅の商人が商売をしながら少し調べた程度で見つかるものでもなかった。
「三十年ぐらいなら誰か覚えている人間もいたかもしれませんが、二百年も前に滅びた王国となると……同じ土地に住んでいても、もう別の国の話でしかありませんからね。貴族の家やソプデジャニア教会になら少しぐらい記録が残っているかもしれませんが……」
そんな記録があったとしても、旅の商人でしかないコーディに調べることなどできるはずもなかった。
……ズーガリー帝国のソプデジャニア教会については、ベルトラン殿の知人に期待した方がよさそうだな。
他国出身の商人であるコーディには開示されない書類も、同じ帝国に居を構える人間、それもベルトランと知り合うような元・軍人であれば、話は別だろう。
もしくは、神王領クエビアにいるはずの知人を頼るほかない。
ベルトランが言っていたように、神王領クエビアは古い国だ。
神域にあるメンヒシュミ神殿へと向かえば、有史以来のさまざまな出来事が記録として残されているはずである。
「あとは貴族家へ呼ばれてその歴史を聞き出していく、という方法もありますが……」
恐ろしく時間がかかる上に、そもそも旅の商人だなどという怪しげな人間を館へと招く貴族などいない。
たまにそういった奇特な趣味を持った貴族もいるが、そんなに都合よく奇特な人間が見つかるとは考え難かった。
……それでボビンレースの指南書か。
指南書を印刷して商品にすればいい、と言い出したのはニルスとコーディだったが、主導を握ってまず国内へと広めたのはアルフレッドだ。
あの時点でこういった使い方をすることまで考えていたのだとしたら、頼もしすぎる相棒である。
「ボビンレースの指南書を餌に、
「イヴィジア王国内だけの流行では弱いからな。ルグミラマ砦へ指南書を幾つか送っておいたから、それを持って今度はサエナード王国へもオレリアンレースを広げてきてくれ」
マンデーズ館から届いたボビンレースを確認し、綺麗に箱へと詰めた物を持ってアルフレッドがやって来る。
サエナード王国へ行け、というアルフレッドに、コーディは不思議そうな顔をして瞬いていた。
「……帝国で滞在するために使うのではなくて、ですか?」
「噂は聞こえてくるのに、自分の国へは入ってこない。喉から手が出るほどそれが欲しい、という状況を作りたい」
「ですが……サエナード王国へ広げても、帝国へはあまり影響がないと思いますが?」
サエナード王国とズーガリー帝国は、一応国境を接する隣国ではあるのだが、大陸中央にあるエラース大山脈のせいで直接の国交はほとんどない。
そのため、隣国ではあってもお互いの情報はそう簡単にはやりとりできない関係にあるのだ。
サエナード王国でボビンレースが広がったとしても、帝国へとその情報が届くまでにはかなりの時間差がある。
「サエナード王国で指南書を広げたら、コーディにはそのまま神王領クエビアでも指南書を売ってきてもらいたい」
大陸で自分たちの国にだけ指南書がやって来ない、という状況になれば、嫌でも興味を持つだろう、というのはアルフレッドの考えらしい。
そんな状況の中で指南書を商品として載せたコーディが帝国へと現れれば、卑しい旅の商人が運ぶ商品なんて、と避けてはいられないはずだ。
「クエビアではついでにお遣いを頼まれてくれるか?」
「はい。どこへ行きましょう」
微笑みを浮かべたアルフレッドに、コーディは笑顔で即座に答えた。
人のよいコーディは、まだアルフレッドの言葉には多少警戒をする必要がある、ということを学んではいないようだ。
「コーディも何度か会ったことのある方への届け物だから、行きやすいはずだと思う」
「そうですか。行きやすい……それはよかった。クリスティーナお嬢様の仕事を引き受けて以来、ルグミラマ砦で砦の主に呼び出されたり、クエビアで仮王さまに待ち伏せされたり、なんだか分不相応な偉い方々にばかりお会いすることになったので、行きやすい方なら喜んでお遣いにいかせていただきます」
……気付け、コーディ。アルフレッドの言う『クエビアにいる、会ったこともある行きやすい方』が誰なのか。
ついでに言えば、旅の商人であるコーディにとっては、本来アルフレッドも分不相応で直接対面などするはずのない偉い方に入るはずだ。
ついこれまでどおりに接してしまっているのだが、アルフレッドはこの国の王子である。
もう少し以前のアルフレッド王子にしていたように、多少の距離を置いて敬うべきだとは思っていた。
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