レオナルド視点 ティナのいない春華祭

 ……贈り物のない春華祭が、これほど味気なくなるとは。


 ティナを引き取る前は『なくて当たり前』で、春華祭の贈り物など貰えたことの方が少ないはずなのだが、たった数年貰っていたものが途絶えただけで、心がこんなにも寒い。

 ここ数年で黒騎士の家の子どもが砦への贈り物を運ぶことが恒例となり、俺宛の贈り物があることはあるのだが、それらは顔と名前の一致しない女性たにんからの贈り物だ。

 家族からの贈り物ではない。

 この一点だけで少しも心に響かないのだから、ティナ曰くシスコンという俺の病気は重症だ。

 鬱陶しいまでのティナへの愛情を花束に変えて、ティナの部屋を花で満たす。


 ――こんなにいっぱいいりません! 邪魔ですっ!!


 ぷくっと頬を膨らませて怒るティナを想像すると、無意識に頬が緩んだ。

 それから、即座に怒る妹を想像してほっこり和んだ自分の精神状態の不味さに戦慄を覚える。

 いくらなんでも、ここには居ない妹を妄想して和むのは不味い。

 兄として以前に、人として踏み入ってはいけない領域に片足を突っ込んでしまっている気がした。

 妹が大事なのは嘘偽りのない本心だったが、これはさすがに人としてどうかと思う。


 ……少し冷静になろう。そもそも、怒った顔を想像して和む方がおかしい。


 どうせ想像するのなら、ティナの喜んだ顔だろうか、と考えると冷静になれた。

 鬱陶しい愛情のままに部屋を花で満たしたが、ティナは絶対にこれを喜ばない。

 表面上は冷静に礼を言ってくれるとは思うのだが、手元に残すのは鉢植えの花一輪だけで、あとは愛嬌を振りまきつつ黒騎士たちへでも贈り物として花を処分したことだろう。

 そして黒騎士からお返しと称した菓子を貢がれて、ヨタヨタとよろけながら帰ってくるのだ。

 花を減らしに行ったのに、逆に増えた。解せぬ、という顔をして。


 ……うん。ティナなら、こっちだな。


 王都では精霊のように神秘的な美少女という評判を聞いたことがあったが、ティナに神秘的だなんて単語は似合わない。

 近頃は淑女らしい振る舞いができるようになってきていたが、存外お転婆でしたたかだ。

 じっと椅子に座って人形のように微笑んでいるような少女ではない。


 春華祭が終わると、いつもどおりの日常が戻ってくる。

 レストハム騎士団から届けられる報告をアーロンが纏め、従卒のアルノルトがそれを報告書として書き記す。

 その間に春華祭で起こった事件や事故の報告書へと目を通し、必要な書類へはサインをして判を押した。


「団長、館から遣いが来ておりますが……」


「遣い?」


 変だな、と思いつつも報告にきた黒騎士へと合図を送り、執務室へと遣いを通させると、やって来たのはミルシェだ。

 黒柴コクまろも四六時中看護が必要な状態を脱したとはいえ、ミルシェが遣いとして砦へと送り込まれてくるのは珍しい。

 館で何かあったのか、と促すと、なんとも対応に困る来客だと言う。


「事前に報せもなく、ベルトラン殿が訪ねて来た?」


 話を聞いてみれば、確かに対応に困る客だった。

 ティナ不在の今、突然来られると本当に困る。

 ただの不在なら問題ないが、ティナは現在何者かに連れ攫われ、行方不明中だ。

 これは非常にまずい。

 帰宅するまでお茶でも飲んで待っていてください、だなどとはあしらえそうにない相手だ。


「本日は、どのようなご用向きでしょうか?」


 砦の仕事はアルフに任せ、ミルシェを伴って館へと帰る。

 バルトの案内で応接間へ入ると、長椅子の横へと大きな箱を積んだベルトランが座っていた。


「クリスティーナはどうした? 今日はおまえの顔を見に来たわけではないぞ」


 クリスティーナを呼びに行ったのではないのか、と移動するベルトランの視線からミルシェを隠す。

 ミルシェはバルトの指示で砦へと遣いに来たのだ。

 ベルトランに責められるいわれはない。


「ティナに何か御用ですか、ベルトラン殿」


「祖父が孫娘の顔を見に来るのに、何か用事がなければいかんということはあるまい」


「……ティナとベルトラン殿でしたら、用事がなければティナは出てこないと思いますが」


「ぬぅ……」


 ミルシェを下がらせてベルトランの対面にある椅子へ腰を下ろすと、サリーサが俺の分のお茶を用意する。

 内心ではそんな余裕などないのだが、香りを楽しむふりをしてカップを口へと運んだ。


 ……箱の中身は帽子か?


 丸い大きな箱には見覚えがある。

 つばを潰さないようにと、女性の帽子はこういった大きな丸い箱へと収められていることが多い。

 そしてベルトランにグルノールでの用事があるとしたら、それはティナに関わるものと考えてほぼ間違いないだろう。


 ……となると、ベルトラン殿がティナに帽子を持って来た、ということか?


 春華祭は過ぎてしまったが、遠方の地に住んでいる家族からの贈り物が春華祭当日に届かなかった、ということは珍しくはない。

 春華祭当日にどうしても間に合わせたい者は早めに贈り物を用意し、そうでない者は少し遅れて相手へと贈り物が届くことになるだけだ。


「ソフィヤ殿がクリスティーナにと、春華祭の刺繍を用意したようでな」


 自分が届けに来た、と言いながらベルトランが示したのは、やはり丸い大きな箱だ。

 ティナはソフィヤから以前帽子を貰ったことがあったので、今年も用意してくれていたのだろう。


 ……さて、なんと説明したものか。


 ベルトラン一人であれば、ティナが部屋から出てこない可能性はある。

 近頃は少し仲を改善しようとはしていたようだが、ベルトランに会いたくない、とティナがベルトランを追い払ったとしてもそれほど不思議はないだろう。

 しかし、伯母が自分のために用意した春華祭の贈り物があるとなれば、ティナはしぶしぶながら絶対に部屋から出てくるはずだ。

 ベルトランを警戒しつつも、伯母のソフィヤを無下に扱うティナではない。


「……ティナなら、今はいない」


 どう説明したものか、と散々悩んで、結局正直に話すことにした。

 ティナはまだ素直には認められないようなのだが、ベルトランはティナの祖父だ。

 孫娘が誘拐されたとあっては、何も聞かせないわけにはいかない。


「出かけておるのか? それならば、しばらく待ってもいいが」


 なんだったら二・三週間は宿を取って街に滞在してもいい、と言い始めたベルトランの顔を、まっすぐに見つめる。

 話すと決めた以上は、ティナの祖父から目を逸らして語ることではない。


「ティナなら、グルノールの街にはいない」


 何者かにセドヴァラ教会から連れ出され、攫われた、とすべて言い終わるより早くベルトランの拳がやってくる。

 それを構えることも、避けることもなく頬で受け止めて、ジッとベルトランの紫の目を見つめた。

 ティナの父親である、サロモンと同じ色の目だ。

 ベルトランに話しているというよりは、サロモンへと己の失態を詫びているような気がした。


「……フンッ。可愛げのない。せめて壁まで吹き飛べば可愛げがあるものを」


「今は倒れている場合ではありませんから」


 口の中に血の味が広がる。

 予備動作なく力いっぱい殴られたとは思うのだが、骨や歯が折れたということはないようだ。

 あとで腫れてくるとは思うが、それだけだった。

 これでは確かに、可愛げもなにもないだろう。


「犯人は判っておるのか? 捜索はどうなっておる?」


「ティナと一緒に子守女中ナースメイドと白騎士が消えました。それから、セドヴァラ教会の薬師が一人、行方不明になっています」


 このうちカリーサは遺体で見つかり、ティナが身に付けていた金のペンダントはメール城砦方面にあるブロワの町で発見されている。

 消えた人間の中に犯人がいるとすれば、薬師のジャスパーだろう。

 ジゼルは、実に白騎士らしい白騎士だ。

 何か後ろ暗い企みを持ってことを起こすとしても、ここまで見事に成せるはずがない。

 必ず途中でボロを出し、今頃ティナは無事に俺の元へと戻ってきているはずだ。

 国境を越えられている時点で、ジゼルが怪しいとは疑っていない。


「カリーサの残してくれた手掛かりから、どうやらズーガリー帝国のとある地域の関係者が犯人であるようなのですが……」


 西向きのアドルトルの紋章については判ったこともあるのだが、すべてではない。

 亡国の紋章であること、その王国があったおおよその地域、現在では表立って使っている家はいないということが判っている。

 広大な帝国領土を思えば、ある程度捜索の範囲が狭まったと喜べるものだが、それでも決定打に欠けていた。

 ティナを捕らえられているであろう屋敷から連れ出すためには、忍び込む屋敷を間違うわけにはいかないのだ。

 もし間違った屋敷へと忍び込み、西向きのアドルトルの紋章を隠し持つ家同士にそれが情報として共有されてしまえば、ティナを攫った本当の犯人は警戒を強めるはずである。

 ティナをできるだけ安全かつ確実に取り戻すためには、一度の失敗が致命傷になる可能性もあるのだ。

 アルフレッドの言うことではないが、慎重すぎるほど慎重にことを進めた方がいい。


「行方がもう少し絞れたら、俺が直接乗り込む予定です」


 そのための下準備である、と伸びてきた襟足の髪を引っ張る。

 ズーガリー帝国に俺の顔を知っている人間がいないとは言えないため、帝国へ秘密裏に乗り込むためには簡易ながらも変装が必要だった。

 いざとなればカツラを用意するか、逆に短く刈るという方法もあるが、今はとりあえず顔を隠す方向で髪を伸ばしている。


「……フンッ。ならば、私が先にクリスティーナを見つけ出し、家へ連れ帰るとしよう」


 一通りの捜索状況を聞かせると、ベルトランは鼻を鳴らして腕を組む。

 なにやら考える素振りを見せたかと思ったら、不穏なことを言い始めた。


「ベルトラン殿は、俺以上に帝国で身動きが取りづらいはずでは?」


「私が現役で戦に出ておったのは、随分と前だからな。国境とはいえ、門番を任されるような新兵で私の顔を知っている者はおらん。……あちらには知人もおるからな。旅行と称して乗り込んでやるわ」


 そう考えると、ティナを正式に引き取っていなかったのは僥倖ぎょうこうだったかもしれない、とベルトランは片眉を上げる。

 祖父と孫であると知られていないため、ただ入国するだけならそれほど警戒はされないだろう、と。


 ……たしかに、ティナの兄である俺が乗り込むよりは、犯人にも警戒されないだろうな。


 そうは思うのだが、ベルトランが乗り込むというのはどうなのだろうか。

 慎重にことを進めようとしているのだが、すべてを台無しにされかねない不安がある。


「紋章を使っていた亡国の話だが、古い国のことならば神王領クエビアで調べられるだろう。あの国は神話の時代から続く最古の国だ。他のどの国よりも歴史が残っている」


「クエビアは歴史も影響力もある国ですが、基本的にはどの国へも不干渉の姿勢を貫いています。誘拐された妹の奪還が目的とはいえ、他国の情報を教えてくれるかどうかは……」


 その手があったか、とは思うが、上手くいくかは謎だ。

 どの国へも中立の立場を取るクエビアが、イヴィジア王国の黒騎士おれが亡国の情報を求めて問い合わせたところで、動いてくれるとは考え難い。


 ……いや、いたな。クエビアで働ける知人が。







 王都から戻ったばかりのアルフレッドを捕まえて、ベルトランについて報告しておく。

 ベルトランの行動に対して俺では抑止力にもならないが、王子であるアルフレッドの発言であれば別だ。

 少し情けない気もするのだが、ベルトランに早まった真似をしないよう釘を刺すためにはアルフレッドから一言発せられた方が効果はある。

 ついでに言えば、ティナの捜索についてはアルフレッド王子が総指揮ということになっていた。


「……ベルトラン殿からは神王領クエビアでなら調べられるだろう、と言われたんだが」


「クエビアか。丁度よかったじゃないか。おまえのためなら何でもする、使いようによっては良い手駒が先んじているし、私も人を向わせる予定があった」


 俺が一筆したためればすぐにでも動いてくれるだろう、とアルフレッドが太鼓判を押すのは、王女の身分を失った元・第八王女クローディーヌだ。

 たしかにクローディーヌであれば、俺のために何でもしてくれるだろう。

 そういった意味では心強い人間がクエビアにいてくれたものだ、と自分の幸運に感謝するところだが、これまで散々逃げ回っておいて、必要な時だけ頼るというのはなんともきまりが悪い。

 クローディーヌは俺になら便利に使われている、と気分を害することはないだろうが、それが解かっているからこそ頼みづらい相手でもある。

 あちらの好意に甘えるばかりで、その好意に応えるつもりは欠片もないのだ。


 ……都合がよすぎる、とは思うが、頭を下げにくい相手だとか言っている場合じゃないな。


 なにより、俺が頼めば必ず成果を挙げてくれると確信の持てる相手なのだ。

 ティナのために下げる頭と思えば、多少の罪悪感ぐらいは甘んじて受け入れるべきだろう。

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