第69話 独房とアルフの提案

「ごめんなさい。ジャスパーが写本してる本の内容を、こっそりオレリアさんに教えようとしましたっ!」


 王都から来た白銀の騎士が何人も警備に当たっている聖人ユウタ・ヒラガの研究資料。

 その内容をオレリアへと洩らした。


 正直にそう伝え、ぎゅっと目を閉じて尻への衝撃を待つ。

 どう考えても子どもの悪戯ではすまない事態なのだが、しばらく待ってもお尻へとレオナルドの制裁が加えられることはなかった。


 ……あれ?


 変だな、と思って恐るおそる目を開く。

 そのままレオナルドを見上げると、レオナルドは奇妙な表情をしていた。

 怒ってはいないが、無表情ではなく、困惑しているような、泣き出す寸前のような、実に複雑な表情だ。


「……レオ? えっと……」


 大丈夫? と首を傾げつつ、体を起こしてレオナルドの肩を揺する。

 視界が揺れることで、レオナルドは再起動したようだった。

 何度か瞬くと、おもいきり不可解そうに眉を寄せる。


「すまないが、ティナ。もう一度言ってくれるか? よく理解ができなかった」


「城主の館で知り得た情報を、オレリアさんに洩らしました」


 レオナルドに理解しやすいシンプルな言葉に直しつつ、これは情報漏えいの犯罪だと、オレリア自身に指摘を受けたことも付け加えた。

 そのままを話したら、レオナルドが理解できずに固まってしまったのだ。

 余計な装飾は取って、事実だけを伝えた方が理解しやすいかもしれない。


「……情報漏えい、か」


 反芻するように呟いたレオナルドに、改めて膝の上へと寝転がって制裁の時を持つ。

 レオナルドの脳がゆっくりと事態を理解すれば、今度こそ尻叩きというお仕置きが実行されるだろう。


 そう思ってジッと待っていたのだが、お尻へとレオナルドの平手が落ちてくることはなく、無言で膝の上から下ろされた。


「あれ? お尻ぺんぺんは無しですか?」


 絶対に怒られることだと思っていたので、少し肩透かしをくらった気がする。

 戸惑いながらも立ち上がるレオナルドを見上げると、手を差し出されたのでこちらも手を伸ばす。

 いつものように手を繋ぐのかと思ったら、今夜は手首を掴まれた。


「……これは尻叩きで済む話ではない、ってのは解るな?」


「はい」


 オレリアに指摘されるまでは、犯罪だとも思ってはいなかったが。

 悪いことだということは自覚していた。

 だからこそ、誰にも知られずにオレリアへ伝えることはできないものか、と試行錯誤をしていたのだ。


「とりあえず牢屋だ」


「はい」


 悪いことをしたのだから、牢屋に入るのは当然かもしれない。

 牢屋へ行くぞ、と言われれば、私は素直に従う。


 コートも着ずに出る館の外は、さすがに寒かった。

 冬はもう終わりに差し掛かっていたが、春先だって十分に寒い。

 それが夜ともなれば、なおさらだろう。


 私の腕を掴んで歩くレオナルドに、サリーサとバルトが何事かと驚く。

 が、館の主のしていることと、私が素直に従って歩いていることから、自分たちが仲裁に入るべきことではないのだと理解したようだ。

 サリーサはなにも言わずにどこかへと消えたと思ったら、裏門から砦へと抜ける前には私とレオナルドのコートを持ってきてくれた。


 案内された牢屋は、グルノール砦の本館にある独房だった。

 いつかジャン=ジャックが寝かされていた地下牢とは違う場所だったが、設備はほとんど変わらない。

 ベッドとトイレがあるだけの、プライバシーを守る壁のない空間だった。


 鉄格子の嵌った明り取りの窓はあったが、夜という時間もあって牢屋の中は暗い。

 自分が悪いのだから、と牢屋に入る覚悟はできていたが、真っ暗な牢屋に置き去りにされると考えると、やはり少し怖かった。


 ……サリーサの優しさが身に染みます。


 サリーサの持ってきてくれたコートが暖かい。

 牢屋にストーブなどあるはずもなく、今夜からここの住民になるのかと思えば、サリーサの持たせてくれたコートは有難すぎる差し入れだった。


「おじゃましまーす」


 なんとなくそう声をかけて、鉄格子をくぐる。

 振り返ればそのまま鍵をかけられる音がするのだろうと思っていたのだが、なぜか鉄格子のこちら側へとレオナルドまで入ってきていた。


「……あれ? レオナルドさんも入るんですか?」


「ティナ一人で牢屋は怖いだろ?」


「暗いのも、牢屋も怖いですけど、わたしが悪い子だったから、いいんですよ」


 罰はちゃんと受けます、と強がると、レオナルドの大きな手が私の頭に添えられる。


「俺はその悪い子の保護者だからな。妹が悪いことをしたのなら、兄である俺の責任でもある」


 一緒に罰を受けよう、と言うレオナルドに、不覚にも涙がでてきた。

 私の考えのなさすぎた行いのせいで、レオナルドまで犯罪者にしてしまった、と。


「……ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 もう少しよくものを考えればよかった。

 悪いことだという自覚はあったのだから、そこから先も考えなければならなかったのだ。

 これは立派な犯罪になる、と。

 ちゃんと考えれば判ったはずだ。

 騎士が守っている研究資料の内容を、外へと洩らせばどうなるか、などと。

 深く考えれば、判らなかったはずがない。







 ベッドへ座るレオナルドに、その隣へと座らされたが、なんだか申し訳なさ過ぎて石畳の床へと滑りおりる。

 でも離れるのも嫌だったので、レオナルドの足に抱きついて太ももに顎を乗せた。

 行動がまるで赤ん坊だな、とは自分でも思うが、そんな気分なのだから仕方がない。

 時々思いだしたかのように鼻を鳴らすと、そのたびにレオナルドの大きな手が私の頭を撫でる。

 慰められているという実感に、鼻の奥がまたツンと痛んだ。


 ……足音?


 遠くで扉の開かれる音が聞こえたと思ったら、誰かの足音がこちらへと近づいてくる。

 いったい誰だろう? と顔をあげると、鉄格子のむこうからジャン=ジャックが顔を見せた。


「おー、マジでティナっこだ。なんだよ、おまえ。悪戯でもして団長に怒られてンのか?」


「……そんなトコです。わたしが悪いコトしたから、牢屋にいるんですよ」


 騒がしい男が来たな、と足音の主は判ったので、レオナルドの太ももに顎を戻す。

 ぴったりとくっついていると、それなりに温かいのだ。


「なんだよ、可愛げがねーな。せっかくいーモン持ってきてやったってのによー」


「罰を受けてる身ですからね。いーモンなんて、いりませんよ」


 顔を向ける気にもならなくてレオナルドの太ももに顎を乗せたまま答えると、レオナルドはジャン=ジャックの言う「いーモン」に反応をした。


「……どこから持ってきたんだ」


「ティナっこが牢屋にいるってんで、外の連中が用意してたんっスよ」


 ……外の人が用意したものを、なんでジャン=ジャックが持ってくるの?


 内心でそう突っ込んでいると、レオナルドが立ち上がって牢の入り口へと歩く。

 急に立ち上がられたため、それまで触れていた腕と顎が寒い。

 じっと待っている気にもなれなくて、レオナルドに続いてジャン=ジャックのいる入り口へ移動した。


「……いーモンって、ストーブ?」


「ここの牢屋は寒いだろ? 毛布やらなにやら抱えた奴らが、外にうじゃうじゃいるぞ」


 ほれ、と携帯用の小さな薪ストーブを差し出され、反射的にレオナルドの背中へと隠れる。

 暖を取るには最高のお土産だったが、罰を受けているはずの身で牢内にストーブを持ち込んで快適に過ごすというのもどうかと思う。

 受け取りたくとも、受け取ってはいけない、と伸ばしたくなる手でレオナルドの服を握り締めた。


「悪い子が罰を受けているので、ストーブなんて素敵なものはいりま……くしっ!」


 最後まで言い終わる前に、くしゃみが出た。

 レオナルドも一応はストーブを断ろうとしていたようだったのだが、私のくしゃみに考えをあっさりと変える。


「……外の連中とやらを追い払いついでに、アルフを呼んできてくれ。……相談がある」


「ういっス」


 レオナルドからの指示に、ジャン=ジャックは携帯ストーブを置いて去っていく。

 扉の開閉音が聞こえたかと思うと、言葉どおり近くで差し入れを持って待機している黒騎士を散らしているのか、ちょっとした騒ぎになっているのが聞こえた。


「ティナはストーブの近くにおいで」


「悪い子なので、いいです。レオナルドさんがあたってください」


 なんとなく自分を罰しなくてはいけない気がして、ストーブの近くへと行くことが躊躇われる。

 暖を取るという意味では、先ほどまでレオナルドにくっついていたので今さらではあるが、レオナルドは所詮人肌程度の温もりしかない。

 部屋の空気まで温められるストーブとでは、性能が違いすぎた。


 じりじりと壁際に移動すると、呆れたようにため息を吐いたレオナルドがストーブを持って近づいてくる。

 どこへでも持ち込める携帯用ストーブはすごい、とも思ったが、今は少し恨めしい。

 離れれば離れただけレオナルドがストーブを持って近づいてくるため、どうしても私の体が温まってしまう。


「レオナルドさんはいじわるです」


「意地悪じゃないぞ。俺は妹に風邪を引かせたくないだけだ」


 おいで、と手招かれて覚悟を決める。

 狭い独房内ではどこへ逃げてもすぐに追いつかれるし、逃げ回っていても疲れるだけだ。


 ストーブから離れることを諦めて、レオナルドに近づく。

 私がもう逃げないと判ると、レオナルドはストーブを床へ置いてベッドへと腰掛けた。

 膝をポンポンと叩いて呼んでいるので、その隣へと腰を下す。

 こうすれば、レオナルドが壁となって少しだけストーブから遠い。







「……なにがどうなったら、砦の主とその妹が投獄されるんだ?」


 それも自分の砦で、とジャン=ジャックに呼ばれて来たアルフは少し呆れた声を出す。

 ジャン=ジャックはというと、アルフの指示で外の明り取りの窓付近へと立っているらしい。

 私が砦内にいるとどうしても集まってくる黒騎士に対する、盗み聞き防止措置だそうだ。


「とりあえず、オレリアが急に街へ来てもいい、と言い出した理由はわかった」


「今の話のどこからわかるんですか?」


 レオナルドが順序立てて牢屋へと入ることになった経緯いきさつをアルフに語ると、話の終わりにアルフは納得顔で頷いた。

 私が城主の館内で知った話を、オレリアへ洩らそうとした、という情報漏えいの話をしていたと思うのだが、それがどうしてオレリアが街へと来る理由になるのだろうか。

 頭の中が疑問符でいっぱいになる私に、今度はアルフが順序立てて話してくれた。


「情報漏えいはたしかに犯罪だが、谷に籠ったオレリアを街へと引っ張りだせれば、それはティナの功績になる」


 つまりは私の犯してしまった罪を、オレリアを街へと引っ張り出した功績で相殺できるだろう、ということらしい。


「情報漏えいは立派な犯罪だ、ってオレリアさんが言っていましたよ?」


 犯罪を、オレリアが街へ来るというだけで、なかったことにしてしまってもいいのだろうか。

 アルフの判断に戸惑うのはレオナルドも同じようで、そもそもは自分の監督不行き届きだ、と言い始める。

 私が情報を持ち出すことに、自分が気づけなかったのだ、と。


「……ひとつ、疑問があるんだが」


 片手を挙げてレオナルドを制したアルフが、私へと向き直る。

 なにを聞かれても正直に答えようと思っていたので、アルフの視線を真っ直ぐに受け止めた。


「ティナはなんで、写本している研究資料の内容をオレリアに伝えようと思ったんだ?」


「ワーズ病のお薬みたいだったから、復活したらみんなが喜ぶかな? って思いました」


「違う。そうじゃない」


 そこではない、と言葉を遮られ、アルフが知りたかったことについてを追加される。

 アルフが聞きたかったのは、日本語で書かれた研究資料など、そのまま写してもオレリアは日本語を読めない、ということだった。

 内容については問題にしていない。

 わざわざ危険を冒して情報を洩らしたところで、オレリアが日本語を読めるわけがないのだ。

 情報などいくら洩らしたところで、相手に伝わらなければ意味がない。

 情報漏えいという行いはたしかに誉められたことではないし、間違いなく犯罪行為ではあったのだが、オレリア相手に日本語の写しを送ったところで、情報の漏洩としては行為が成立するわけがなかった。


「……うん?」


「ティナはなんでワーズ病の薬だってわかったんだ?」


 私の言葉の意味に気がついたのは、二人同時だ。

 二人の視線が同時に私へと下りてきて、レオナルドの顔には困惑が、アルフの顔には確信めいたものが浮かんでいる。


「……読めたからですよ。研究資料にはグリニッジ疱瘡ほうそうって書いてありましたけど、ワーズ病の別名でしたよね?」


 ほかにも読み取れた情報として、薬の処方箋レシピが書かれていた、と伝える。

 初期に効くもの、中期から後期になっても効果が望めるもの、と何種類もの処方箋が綴られていた。


 実は日本語が読めます、と言外にサラッと暴露してみたところ、レオナルドの顔は凍りつき、アルフはこめかみを押さえる。


 ……あ、アルフさんのこの顔知ってる。アルフレッド様がいる時によくする顔。


 ということは、今私が投げた爆弾は、アルフにとってはアルフレッド並の難題だと言うことかもしれない。

 少し心配になってアルフの顔色をうかがうと、目が合ったアルフは苦笑いを浮かべた。


「オレリア以上に話が簡単になったな。ティナの情報漏えいは、簡単に揉み消せる」


「俺の妹といえど、不正は認めん」


 妹の仕出かした犯罪である。

 兄である自分も罪をかぶる覚悟はできているので、罪を揉み消す必要はない、と言い切るレオナルドに、アルフは肩を竦めた。

 その仕草を見て、なんとなくアルフの勝利を確信する。

 私の罪は揉み消され、レオナルドもこれまでと変わらず砦の主として君臨することになるのだろう、と。


「おまえの妹の犯罪は、たしかに兄であるおまえの責任でもある。妹の犯した罪を認め、公正に裁こうとする姿勢は評価しよう」


 だが、よく考えろ、とアルフは言う。


「ティナに研究資料を見せたのは誰だ?」


「え? えっと……アルフレッド様?」


 アルフに問われて、思いだす。

 ジャスパーの行なっている写本作業を覗きにいったのは私だが、ちゃんと研究資料を見ていいかとは確認をしている。

 その場で監督をしていたアルフレッドに、だ。

 私が読み込んだ資料を見せてくれたのはジャスパーだが、その場にはやはりアルフレッドがいた。

 アルフレッドも承知で、私は写本作業を手伝っている。


 ……あれ? ってことはつまり?


「ティナの犯罪を表へ出せば、まず兄であるおまえが罪に問われ、グルノール砦を含む四つの砦が主を失うことになる」


 研究資料の警護のために館へと詰めている白銀の騎士たちも当然罪に問われ、私に研究資料を見せたアルフレッドも罪を免れない。

 オレリアへと手紙を送れるように一筆したためてくれたジャスパーも、犯罪に加担したと数えられる可能性がある。

 そこまで繋がれば、あとはオレリアへの手紙を許可したセドヴァラ教会の誰かまで巻き込まれる可能性が出てくるだろう。


 どんどん広がっていく責任問題に、血の気がひく思いがする。

 私の考え無しの行動が、まさかそこまで被害を及ばすとは思いもしなかった。


「最終的に、行為はあったが成功していない情報漏えいの罪でティナを裁くより、全部揉み消した方が早いし被害が少ない」


「しかし……っ!」


「揉み消しを不正と感じるのなら、王都へ報せを送ればいい。事情を上に説明して、判断を仰げ」


 どうせ似たような裁決が下る、とアルフは言う。

 レオナルドがすべてを正直に伝えれば、被害を最小限に抑えるために、上の人間も子どもが犯した罪など揉み消すことを選ぶだろう、と。


「だいたい、ティナの失敗を揉み消すことなんて、おまえにしてみたら朝飯前だろ」


 すでに『情報漏えい』という言葉が『失敗』といった軽いものに変わっている。

 アルフはこのまま印象を操作して、本当に私の犯罪を揉み消すつもりなのだろう。


「ティナが話したことなんて、おまえが口を噤めば上には届かない。誰かの口から上に届いたとしても、ティナはオレリアの後見があるから大概のことは握りつぶせる」


 自分の母も味方をするし、砦の副団長としてアルフもまた私の味方をする、と宣言してくれた。

 本当に、成立していない犯罪などその後の被害の広がりを考えれば、握りつぶすのは簡単なのだ、と。


「……おまえはもう少し融通が利くようになってくれ」


 身内が罪を犯しても毅然と対応することはたしかに正しいが、正しいだけではダメなのだ。

 正しさだけでは、いつか誰かに足元を掬われる、とアルフは続けた。

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