第68話 滞在中の成果報告と

 ……今日もオレリアさんにレース織りを教わった。楽しかったです、と。


 カリーサがマンデーズの街へと帰ってしまい、私に英語を教えてくれる人がいなくなった。

 そのため、ヘルミーネからの宿題である英語で書く日記の内容は、簡単な単語を使った単調な文章のみで構成されている。

 オレリアやバルバラに教えてもらう、という方法もあるのだが、バルバラは薬術の勉強で忙しそうにしているし、オレリアに自分の日記を見せるというのはなんとなく気恥ずかしい。

 その結果、グルノールの街へ帰ったらヘルミーネから怒られそうな日記が綴られていた。


 ……オレリアさんとお話しできる時間は増えたんだけどね。


 二人きりの時間が増えたため、今はオレリアと話し放題だ。

 ボビンレースを転がしている時でも、眠りにつくまでのちょっとした時間でも、話しをすることができている。

 以前少し考えたことについても、オレリアに相談してみた。

 自分が日本人の転生者であると、レオナルドに話すべきだろうか、と。


 日本人の転生者は、それほど悪い扱いはされないだろう、と説明されている。

 それならば、いっそ話してしまった方が役に立てるのではないだろうか、と思ったのだ。

 先日怒られてしまった研究資料についても、正式に読んでオレリアへと伝えることができるかもしれない。


 思いつく限りのメリットとデメリットを並べると、最後まで話を聞いてくれたオレリアは少し呆れていた。

 それだけ考えているのなら、気持ちは決まっているのだろう、と。


 ……信頼は裏切られることもある、か。


 オレリアが私にくれた助言は、短い言葉だ。

 オレリアは自身が転生者だという自覚もないうちに家族に売られ、セドヴァラ教会へとやってきた。

 幼児期にもっとも信頼しているはずの親に売られたのだ。

 信頼した人間が自分を裏切ることもある、という言葉は実に実感の込められた一言だった。


 よく考えてから自分で決めなさい、とオレリアは言う。

 私の気持ちは、オレリアにも指摘されたように半分以上は決まっていた。







 冬の終わりになると、ワイヤック谷へとレオナルドが私を迎えに来た。

 カリーサと入れ替わりで一年間子守女中ナースメイドとして働いてくれるサリーサも一緒だ。

 一年ぶりに見るサリーサは、やはりカリーサと同じ顔をしていた。

 ただ、性格の違いは表情に出ている。

 人見知りをするカリーサは少し気弱そうな顔をしているのだが、社交的なサリーサはほんわかとした微笑みを浮かべていた。

 カリーサと同じ顔のせいか、サリーサのもつ雰囲気のせいか、一年ぶりに会うというのにあまり身近ではない大人を相手にする時の嫌な緊張もない。


「お久しぶりです、ティナお嬢様。これから一年間、心を込めてお仕えさせていただきます」


 腰を落として私と視線を合わせてくれるサリーサに、いよいよグルノールの街へと帰るのだ、と実感する。

 最初から冬の間だけボビンレースを習いに、という約束だったのだが、離れがたくてオレリアの腰へとしがみ付いた。


「オレリアさんも、一緒に街へ帰りましょーう」


「ティナ、十歳の淑女の行動じゃないぞ」


 むむっと眉を寄せながらオレリアにしがみ付いていると、苦笑いの混ざったレオナルドの声が聞こえる。

 館では一応十歳の淑女を意識した言動を心がけてはいるが、谷底でまで淑女という名の猫など被りたくはない。


「谷底に淑女なんていませんよ。お屋敷のお嬢様じゃないんですから、ここでは甘えん坊の子どもでいいんです」


 軽い力で肩を引くレオナルドに、無駄な抵抗と知りつつも逆らう。

 まだもう少しオレリアの元にいたいのだが、私の同行と送り迎えでレオナルドの旅程が大幅に増えていることも知っていた。

 レオナルドがグルノールの街を離れている間は、アルフが砦の主の仕事を代行しているのだ。

 ぐずって我儘を言いたい気分ではあるが、私のせいでレオナルドとその周辺に迷惑をかけるわけにはいかない。


「……うー、オレリアさん、本当に街へ住みませんか」


 ぐずりながらも私が帰る気になったと、レオナルドにも解ったらしい。

 レオナルドが指示を出し、サリーサが私の荷物を取りに寝室へと入っていった。

 滞在期間は決まっていたので、オレリアの部屋を侵食しないようにと荷物は普段から纏めてある。

 サリーサも私の荷物をすぐに見つけたようだ。

 両手に荷物の入った鞄と、裁縫箱を持って戻ってきた。


『……次は私が街へ行くから、居心地のいい部屋でも用意して待っていな』


「ほ!?」


 皺だらけの手で頭を撫でられて、聞こえてきた言葉に耳を疑う。

 なんだか素晴らしい言葉が聞こえた気がしたが、英語はまだまだ勉強中だ。

 間違った理解をしていたら、ぬか喜びで悲しすぎる。


「レオナルドさん! 今、オレリアさん、なんて!? 街に来てくれる、って言った気がするんだけど……っ!?」


 言い逃げなどさせないとでも言うように、しっかりとオレリアの服を掴む。

 そしてそのままレオナルドの顔を見上げると、レオナルドの黒い目は驚愕に見開かれていた。


「訳してくださいっ! ぼけっとしてないで、オレリアさんなんて言ったんですか!?」


 ゴツンっと特注靴で脛を蹴ると、レオナルドの顔が痛みに歪む。

 一瞬だけ顔をしかめたレオナルドは、それでも私が望むようにオレリアの言葉を訳してくれた。


 次は自分が街へ行く、と。

 居心地のいい部屋を用意しておくように、とも。


「……帰りますっ!」


 嬉しくなって、むぎゅっと力いっぱいオレリアに抱きつく。

 そのまま胸いっぱいにオレリアの香りを吸い込むと、今度はすぐに離れた。

 せっかくオレリアが街に来てもいいか、という気持ちになったのだ。

 オレリアの気が変わらないうちに、谷から出て行かなければならない。

 やっぱりやめた、などとオレリアが言い出す前に、だ。


 オレリアから離れてサリーサの持つ裁縫箱を受け取ると、空いたサリーサの手を取ってグイグイと馬車へ引っ張った。

 私の荷物を持ったサリーサを馬車の中へと押し込むと、今度はレオナルドの手を引っ張る。


「ほら、レオナルドさん! 早く帰りますよ! オレリアさんのお部屋を用意しましょうっ!」


 早く早く、と力いっぱい引っ張ると、レオナルドはなんとも複雑そうな顔をした。

 帰りたくないとぐずっていた姿から一転、早く帰ろうと腕を引っ張られれば、それはたしかに困惑するかもしれない。

 私に出せる力いっぱいでレオナルドの腕を引っ張り続けたら、根負けしたらしいレオナルドに久しぶりに脇へと両手を差し込まれてしまった。

 あとはそのまま持ち上げられて、ぷらんっと足が宙に浮く。


「ティナはちゃんとオレリアとお別れできただろうが、俺はまだなにも話してないぞ」


 ちゃんとお別れをするまで少し馬車で待っていなさい、と逆に私が馬車の中へと押し込まれてしまった。







「オレリアさんと、どんなお話をしたんですか?」


 レオナルドが乗り込むと、馬車は早速グルノールの街へと動き始める。

 サリーサが薪ストーブでミルクを温めてくれた。

 それを美味しく頂いている間に、谷を包む霧の森を抜ける。

 馬車の小さな窓から覗ける視界には、谷に来る時に見た完全に葉の落ちた木々はない。

 どの木にも、小さな新緑の芽が見て取れた。


「オレリアの部屋を整えるにあたって、好きな色とか、家具の好みを……」


 ……レオナルドさんにそういった方面の気の遣い方ができるとは思いませんでした。


 意外だ。

 すごく意外だ、と思っていることが全部顔に出ていたのだろう。

 レオナルドは少しだけばつが悪そうな顔をした。


 ……あれ? でも、私が館に来た時も、好きな色で部屋を整えてくれようとはしてたっけ?


 親戚に引き取られるかもしれないし、手に余って孤児院に入れるかもしれないから無駄である、と私が模様替えを断った気がする。

 模様替えを断ったのはそんな理由からだったが、あの全体的にチョコミント色の部屋は嫌いではない。

 わざわざ壁紙を変えなくてよかった、とも思っていた。


「……そうだ。オレリアの部屋は、ティナが整えるか? ハルトマン女史に教わりながら」


「え? それはいいですけど……ヘルミーネ先生に教わるようなことなんですか? 模様替えって」


 なんとなく部屋中を掃除する程度に考えていたのだが、レオナルドの考える『部屋を整える』ということは、大掃除とは違うらしい。

 家庭教師に習いながらすることのようだ。


「館の模様替えは、女主人の腕とセンスの見せどころと言うぞ? ティナの部屋は結局整えなかったからな。オレリアの部屋で、練習させてもらおう」


 もちろん、自分の部屋の模様替えもしたかったらしていい、とレオナルドは付け加える。

 館に来た当初は断ったが、やはり模様替えをしたくなったかもしれない、と。


「わたしの今のお部屋に不満はありませんよ。……でもわかりました。オレリアさんのお部屋は、ヘルミーネ先生にも相談して、わたしが整えます」


 任せてください、と薄い胸を張って請け負う。

 サリーサが少し笑ったのは、マンデーズへ帰ったカリーサが同じ仕草をしてみせたのかもしれない。


「……そういえば、ティナの話はなんだったんだ?」


「わたしの話、ですか?」


 はて、なんのことだろう? と首を傾げる。

 私がすぐに思いだせずにいると、神王祭のあとで、カリーサを迎えに来た時に「話がある」と私が言っていたと教えてくれた。


 ……そうでした。悪さをしました、ってレオナルドさんに謝らなきゃいけないんでした。


「怒られる話だ、と言っていたな?」


「……はい」


 思いだしたからには、自然と背筋が伸びてしまう。

 オレリアに指摘されるまでは考えもしなかったのだが、私がしたことは立派な犯罪だ。

 保護者であるレオナルドにだって、当然のように迷惑がかかる。


「館に帰ってから、二人だけの時にこっそりお話しします」


 本当はすぐにでも話して謝り、怒られるべきだとは思うのだが、今は同じ馬車の中にサリーサがいる。

 馬車の外には御者をしている黒騎士がいる。

 あまり他者ひとには知られない方がいい話だということは、さすがに判っていた。

 他者に聞かせるとしたら、アルフに知恵を借りる時だろう。

 私はもう言い訳もできないぐらい真っ黒な犯罪者だが、レオナルドはその保護者というだけだ。

 なにか罰せられることがあったとしても、レオナルドまで罰せられることがないようにアルフの知恵を借りるかもしれない。


 急に背筋を伸ばした私にレオナルドは不思議そうな顔をしていたが、他人に聞かれたくない話であるということは理解してくれたようだった。

 レオナルドがそれ以上この話題に触れてくることはなく、馬車は順調にグルノールの街への帰路を進んだ。







 馬車がグルノールの館に着くと、私がステップから降りる頃にはアルフが出迎えてくれた。

 オレリアの近況が聞きたいのだな、とはすぐに判ったので、特大のお土産を投げつける。


「オレリアさんを口説き落としましたっ!!」


 移住するとの確約はないが、少なくとも一度街へ来ることにはなった、と。

 誉めてください、と胸を張ると、アルフは全力で私を誉めてくれた。

 いつもは冷静なアルフが、私の髪がぐちゃぐちゃになるまで撫でてくれる。

 そのせいで、少し猫耳が歪んだ。


「すごいぞ、ティナ! 今まで誰にもできなかった偉業だっ!」


「ヘルミーネ先生に相談して、私がオレリアさんのお部屋を整えるんですよ!」


 偉業の報告とともにひとしきりアルフと騒ぐ。

 その声を聞きつけて一階へと下りてきたヘルミーネには、淑女は玄関先で騒ぐものではない、と叱られてしまった。

 教育的指導を素直に受け入れて、淑女の仮面を被って帰還の挨拶をする。

 オレリアの家では谷底に淑女などいない、とお転婆をしていたのだから、館へと戻ったからには淑女らしい振る舞いをしなければならない。


 旅の埃を落として夕食を済ませると、ぽっかりと時間が空く。

 いつもなら寛ぎの時間だ。

 居間で食後のお茶を飲むレオナルドの横に張り付いて刺繍をしたり、リバーシで遊んでもらったりとしている時間でもある。


「レオナルドさん、お話があります」


「……場所をかえるか?」


 事前にほかの人間には聞かれたくない、と言ったのをレオナルドは覚えてくれていたらしい。

 お茶の用意をしたサリーサが入ってくることのある居間ではなく、レオナルドの部屋へと場所を移した。


「さて、ティナの話を聞こうか」


 言いながらレオナルドが椅子を用意してくれたが、私はそこへは座らない。

 まずはレオナナルドが座ってください、とレオナルドを椅子へと促し、その膝の上へと寝転んだ。


「……ティナ?」


 さすがに戸惑っていると判るレオナルドの声が頭上から聞こえる。

 が、私はこの姿勢をやめるつもりはない。

 どうせ怒られるのだ。

 最初から尻叩きに備えた姿勢でいても無駄にはならないだろう。


「怒られる準備は万端です!」


 どんと来い、と半分開き直ってみる。

 当然だが、なにがどうして尻叩きの準備をされているのかも、開き直られる覚えもないレオナルドは困惑し続けていた。


「えーっと、ティナ? ティナはなにをしたんだ? 最初から怒られることが前提っていうのは、さすがにおかしいだろう」


「怒られます。絶対に怒られます。むしろ、これで怒らなかったらレオナルドさんは砦の主失格です」


 そう言って、深呼吸をする。

 レオナルドの怒りがどれほどのものになるのかが想像できなくて、少々どころではなく怖い。

 が、逃げるわけにも、黙っているわけにもいかない。


「ごめんなさい。ジャスパーが写本してる本の内容を、こっそりオレリアさんに教えようとしましたっ!」

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