第67話 神王祭とカリーサの帰還

「暖炉にぺたん、っと……」


 カリーサが掃除した暖炉へと薄く灰をまき、その上に両手で手形をつける。

 昨年もグルノールの館でやった、神王祭のおまじないだ。


「街の中にいないと、あんまりお祭りって気がしませんね」


 灰のついた手を拭きながら、街とオレリアの家との違いを考える。

 考えるまでもなく判ることといえば、街はお祭りムードで神王祭が近づくと徐々に飾り付けがされていくが、オレリアの家では特になにもしないということだ。


 自分たちの食事にすら頓着のない三人は、神王祭だろうが春華祭だろうが、いつもと変わらず薬術の勉強にせいを出す。

 薬術の恩恵を受ける一般人としては頭の下がる思いがするが、今を生きる人間としてはどうかと思う。

 毎日勉強ばかりでは、人生に楽しみというものがないだろう。


 そんなことを心配していたら、カリーサが今夜はご馳走ですよ、と豊かな胸を張る。

 自覚があるのだが、これは私の癖が移った。

 以前は言葉が不自由なぶんをボディーランゲージで補おうとしていたため、私の感情表現はどうしても少々大げさである。

 それが一年一緒にいるうちに、カリーサにもしっかり移ってしまったようだ。


 ……まあ、胸のサイズは真似しようもないんだけどね。


 カリーサの胸は同性であっても目が行くほどに大きく、子どもである私の胸はまったいらだ。

 将来的に育つ可能性はあるが、それでもカリーサほどには育たないと確信している。


「レオナルドさんも、メール城砦でご馳走ですかね?」


「……砦では、神王祭とは別に軍神ヘルケイレスの祭祀もありますから、終わったらご馳走」


「あれ? カリーサは砦の祭祀がどんなか、知ってるんですか?」


 マンデーズの館で育ったカリーサは、黒騎士たちの祭祀にも詳しかった。

 メイユ村にいた頃の私は騎士に白と黒があることも知らなかったが、カリーサにとって黒騎士は身近な存在だ。

 一般的にはあまり知られていない砦内での祭祀にも、触れる機会があったのだろう。


 砦で行われる祭祀は、新しい一年も力に驕ることなく己を律し、民を守るためにのみ剣を振るう、と軍神ヘルケイレスに宣誓する儀式だった。

 戦禍や戦渦も象徴する軍神に、人間の俺たちも頑張って己を律するから、神である貴方もあまり短慮を起こしてくれるな、と自戒を願うものでもある。


 この世界には神王という存在があるのだから、神も実在するのかもしれないが、少なくとも神話として語られる軍神ヘルケイレスは恐ろしく短慮だ。

 日差しがまぶしくて暑いと言っては太陽を海へ沈め、形が気に入らぬと言っては山を蹴り崩す。

 はっきりいって軍神らしい才を発揮する場面など、妹神のイツラテルに手綱を握られている時ぐらいだ。

 ほとんど悪神と言ってしまってもいいぐらいに、軍神ヘルケイレスは奔放で暴れ者な神である。


 ……そりゃ、おとなしくしていてください、ってお祈りもしたくなるよね。


 宣誓のほかにも、剣舞の奉納や力比べ、飲み比べなども行なわれるのだ、とカリーサが教えてくれた。

 後半はただ遊んでいるだけに思えるのだが、これも立派な祭祀なのだとか。


 ……レオナルドさんの剣舞は、少し見たいです。


 剣と剣で打ち合う闘技大会は怖くて見ていられなかったが、舞と考えれば落ち着いてみていられる気がする。

 部外者は見学できないのだろうか、と聞いたところ、奔放な軍神ヘルケイレスの性質上、騎士以外の女性が祭祀へと近づくことは禁じられているのだと教えてくれた。


 ……そういえば、水浴び中の人間の女性を気に入って無理矢理妊娠させた、って神話もあったね、ヘルケイレス。


 下半身まで奔放な神の祭祀だ。

 それはたしかに、女性は近づけない方がいい。


「ところで、お嬢様。『イツラテルの四つの祝福』を作る予定なのですが、お手伝いいただけますか?」


「よろこんでー!」


 今夜はご馳走です、と言ったカリーサの言葉に偽りはなかった。

 刃物を使わない範囲でなら手伝わせてもらえたので、私も頑張る。

 マンデーズとグルノールでは少し形が違うのか、昨年はパイかタルトか区別ができなかった『イツラテルの四つの祝福』は、カリーサが作ると完全にタルトだった。

 やはり中に陶器の人形を入れるところは変わらないらしく、今年の私のタルトからは王冠の形をした陶器がでてきた。


 ……アルフさんは一番運がいい、って教えてくれたけど。


 王冠という形のせいで、どうにも元気すぎる王族の顔が思いだされて嫌な予感しかしない。

 昨年のアルフも、今の私と同じような顔をしていたはずだ。


 五等分に切るのは難しい、ということで六等分に切り分けられたタルトは、最後の一つを手形のついた暖炉の中へミルクと一緒に置いた。

 神王祭の日のうちに食べ切れない『イツラテルの四つの祝福』は、精霊の取り分として暖炉に供えると、祝福が呪いに変わることもないのだと。


 昨年は外へと出かけて精霊に攫われることになったので、今年は室内でジッとして過ごした。

 念のための獣の仮装は、冬のはじめからずっとしている。

 その日の気分で猫耳だったり、犬耳だったりと変化はしているのだが、寝る時以外では取らないようにしていた。







 無事に神王祭の期間をオレリアの家で過ごした数日後、レオナルドがカリーサを迎えにやって来た。

 カリーサはレオナルドの移動にあわせてマンデーズの街へと帰る予定なので、これでお別れだ。


「……どうした、ティナ? 一緒に行くか?」


 じっとレオナルドを見つめていたら、視線に気がついたレオナルドが私と目線を合わせてこう言った。

 私としてはレオナルドに話があってタイミングを計っていたつもりなのだが、レオナルドには里心がついたように見えたのかもしれない。

 冬の間中ワイヤック谷に滞在する予定だったが、やはり一緒に行きたくなったのではないか、と気を遣われている。


 予定通り冬の間はワイヤック谷に滞在する、と断ってから、背筋を伸ばしてレオナルドの黒い目を真っ直ぐに見つめた。

 それだけで、改まった話があるとレオナルドも判ったのだろう。

 一緒に行くことを断られて少ししょげた顔をしていたのだが、すぐに顔が引き締まった。


「……レオナルドさんにお話ししなきゃいけないことがあるので、冬の旅行が終わったらお話しします」


「今じゃダメなのか?」


「怒られるお話なので、レオナルドさんのお仕事が一息ついてからがいいです」


「そうか」


 グルノールに帰ったら聞かせてくれ、と言いながら、レオナルドの大きな手が私の頭を撫でる。

 なにかを察することができたのか、慰めるような手つきだ。

 少しだけ乱暴でもある。


「……カリーサともお別れですね」


「はい、お嬢様」


 少ない荷物を鞄に詰めたカリーサは、いつものメイド服ではなく、乗馬用のズボン姿だ。

 この護身術も料理も完璧にできる子守女中ナースメイドは、乗馬まで嗜んでいるようだった。


 ……そして、馬車は完全に私用の装備だった、ってことだね。


 カリーサが同行するだけならば、冬の移動でも馬だけで行けるらしい。

 馬車に小型の薪ストーブを載せてのんびりと旅行をするのは、私が一緒にいる場合だけの過保護仕様だった。


「マンデーズの街から出たのは、この一年が初めてでした。良い経験ができたと思います」


 新しいことも学べました、とカリーサが笑うのは、ボビンレースのことだろう。

 頭と勘のいいカリーサは私を置いてどんどん難しい模様へと挑戦し、コツは完全に掴んでしまっていた。

 あとは何度となくレースを織り、慣れて自分の物にするだけだ。

 カリーサに伝われば、ボビンレースは少なくともマンデーズの三姉妹には広がるだろう。

 もしかしたら、イリダルも覚えるかもしれない。

 そうなれば、商品として市場に流通するのはまだ遠い未来だとしても、オレリアのボビンレースがオレリアの代だけで消えてしまうことはなくなるはずだ。


 ……いつかは、職人さんとかが生まれるといいね。


 私が覚えるのにはまだ少し時間がかかりそうだが。

 カリーサがマンデーズの街へと持ち帰るのだから、私一人が覚えるよりは広がる可能性があるだろう。







 カリーサがマンデーズの街へと帰ってしまうと、ワイヤック谷では生活能力のない四人だけの暮らしとなった。

 オレリアの料理は異世界の味がするし、弟子二人の料理も壊滅的だとこのほど判明したので、カリーサのいない谷の台所は完全に私の物となる。

 カリーサやタビサのように料理上手というわけではないが、ほかの三人に比べれば食べられるものが作れるだけマシだ。

 その代わり、洗濯や風呂の支度はパウラとバルバラに任せることにした。

 というよりも、本来は料理も含めて彼女たちの仕事である。


 料理をしている以外の時間は、ほとんどボビンレースに注ぎ込んだ。

 コロン、コロンと糸巻ボビンを転がしながら、オレリアととりとめのない話しをしたりする。

 カリーサが帰ってしまったのは寂しいが、おかげでオレリアと二人きりの時間が増えて英語以外でも話しができる。


「……グルノールの街で、一緒に暮らしませんか?」


 糸巻を転がす手を止めずに、そうオレリアを誘ってみた。

 もちろんレオナルドの許可も取れている、と説明することも忘れない。

 あくまで私の保護者はレオナルドなので、一緒に暮らそうと言ってもレオナルドの了解がなければどうにもならないのだ。


「……少し、考えておこうかね」


 ほかにどう説得をしようか、いろいろ考えていたのだが、オレリアは意外にもあっさりとこの申し出を受け入れてくれた。

 頭ごなしに拒絶されなかっただけでも、関係者が聞けば拍手喝采ものだろう。


 あまりにも意外だったので、糸巻を転がす手が止まってしまった。

 ぽかんっと口を開けてオレリアを見つめると、私のマヌケ面が面白かったのか、オレリアが声を出して笑う。


 なんとなく、いい返事がもらえるのだと確信した。

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