第66話 レース織り
……うう、失敗しちゃった。オレリアさん怒らせちゃったよ。
レオナルドに自分が日本人の転生者である、と話した方がいいかと相談もしたかったのだが、そんな雰囲気ではなくなってしまった。
今の私にできることは、なにがオレリアの逆鱗に触れる内容だったのか、と己の行動を振り返ることぐらいだ。
……早く寝なさいって言うのに、お話しをやめなかったから?
それが理由だとしたら、少しおかしい気もする。
滞在期間はまだあるのだから、急いで話しをする必要はない、とオレリアは言っていたのだ。
聞き分けなかったことが理由ではない。
『戻った、です』
寝室の扉をノックして開くと、オレリアはランプに灯した火に手をかざしている。
ポッとオレリアの手元から火の手が上がり、火に手をかざしていたのではなく、紙を燃やしていたのだと解った。
……あれ? 今燃やしたのって、私が書いた手紙?
以前レオナルドがサプライズ的にここへと連れて来てくれた時に、研究資料の内容を伝えようと慌てて書いた手紙だ。
英語が十分にかけなかったので、この国の言葉と、勉強中の英語とが混ざった、とにかく必死の思いで書いた手紙である。
オレリアも、読めないながらも嬉しそうに手紙を受け取ってくれたはずだ。
『手紙、燃やす、なぜ?』
しかも手から直接紙へと火をつけるなんて、火傷をしたら危ない。
どういうつもりかとオレリアを見上げれば、オレリアは私ではなくカリーサを見つめていた。
『子どもの躾けは子守女中の仕事だ。この悪戯娘に罰を与えなさい』
『お仕置き、私、なぜ?』
どうやら本格的に怒っているようだとは判るのだが、理由がわからなくて困惑する。
オレリアに子守女中として働け、と呼び出されたカリーサを見ると、カリーサも戸惑っているようだった。
『ティナお嬢様が、どのような悪戯をなされたのでしょう?』
『正確には悪戯なんて可愛らしいものではなく、情報漏えいという立派な罪を犯している』
善意であるとは理解できるが、私のしたことは情報漏えいである、とオレリアに指摘される。
城主の館の中で知りえた情報だとは思うが、外へ洩らしてはならない話を自分に漏らした、と。
指摘されてみれば、たしかにその通りなのでポカンと口をあける。
ワーズ病に効く薬の
それが唯一、聖人ユウタ・ヒラガの薬術を再現できると、技術を受け継ぎ続けてきたオレリアが相手であったとしても。
……オレリアさんが手紙を燃やしたのは、あれが洩らしたらダメな情報だって解ったから、か。
『自覚をしなさい。善意からの行動なのは判るが、おまえがしたことは犯罪であり、多くの人間を巻き込むことだ』
私が罪を犯した場合に、まずその責を問われる人間が誰かわかるか、と問われるまで、そんなことは考えたこともなかったと気づく。
自分が犯罪と呼ばれるような
研究資料の内容をオレリアへと伝えることは、次のワーズ病に備えて必要なことだとは思ったが、騎士が数人で守る情報を外へと持ち出すことについてはなにも考えていなかった。
ジャスパーがただセドヴァラ教会へと手紙を出すだけでも、白銀の騎士やレオナルドの確認と承諾が必要だったぐらいだ。
偶然知りえたこととはいえ、私がオレリアに伝えていい内容でないということは、考えてみれば判った。
『おまえが罪を犯した場合、まず保護者であるレオナルドが二重に罪を問われる』
なぜか判るか、と問われて考える。
私の保護者であるレオナルドが二重に罪に問われるというのなら、まずは被保護者である私の罪がそのままレオナルドの罪として問われるのだろう。
それはすぐに判る。
では、もう一つの罪はなんだろうと考えるのだが、思い浮かばなかった。
助けを求めてカリーサへと視線を向けると、カリーサには理解できているようだ。
私の罪を被るのとは別に、レオナルドは犯罪を未然に防げなかった管理責任を問われるだろう、と教えてくれた。
カリーサは私がなにを洩らしたかを聞いてはいないので管理責任と言ったが、正確には警備責任だろう。
そしてこの場合、罪に問われるのはレオナルドだけではない。
研究資料の警備は、白銀の騎士が数人がかりで行っていた。
彼等も同時に責任を問われることになるはずだ。
「……そこまで考えてませんでした」
ただ単純にオレリアへ薬の処方箋を届けなければ、と思った。
私が情報を洩らしたことで、何人もの人間に迷惑がかかるだなんて、考えてもみなかったのだ。
「カリーサ、お尻を叩いてください。わたしは悪いことをしました」
「はい、お嬢様」
椅子に座ったカリーサの膝へと寝転び、尻を叩かれる。
レオナルドほどの力はないカリーサなので、私への手加減など必要はない。
もしかしなくとも、レオナルドに叩かれるよりも痛かった。
私がしでかしてしまったことについては、しっかりとレオナルドに報告することになった。
黙っていればわからない、とも少しだけ考えてしまったが、黙っていて良いことではないとも理解している。
私は本当に、洒落にならないほどのことを仕出かしてしまったのだ。
……失敗しました。完全に失敗です。
ずるい考えはたしかに浮かぶのだが、ずるいと承知でそのずるい手を使えるほど私は利口ではない。
レオナルドには特大の迷惑をかけることになるが、黙っている方がまずいだろう。
……絶対、レオナルドさんは馬鹿正直に罪を被るよ。ほかの人も巻き添えだよ。
実害はなかったのだから、と犯罪を胸に秘めるようなレオナルドではない。
白銀の騎士への罪が波及することは避ける努力をしてくれるだろうが、私とレオナルドへの罰は絶対に科すだろう。
レオナルドの正直さが、今は少しだけ恨めしい。
翌朝目が覚めると、オレリアはなにも言わなかった。
今さら私を叱ったところで、仕出かしてしまったことは変わらない。
これ以上の説教は無駄だ、と判断しているのかもしれなかった。
朝食の後片付けが終わると、オレリアに寝室へと呼ばれる。
寝るには早すぎる時間だと思いながら寝室に行くと、机の上に円柱状の枕のようなものが置いてあった。
その周囲には何本もの木の棒が用意されている。
『これ、なに?』
『レース編みを習いに来たのだろう?』
ということは、この枕に見えるものはレースを編むための道具なのだろう。
近づいてよく見ると、枕の上には幾何学模様の図面が置いてあり、木の棒だと思っていた物には糸が巻いてあった。
『模様にあわせてピンを刺す』
そう説明しながら、オレリアはピンと呼んだ待ち針のような物を枕へと突き刺す。
針を刺す枕と考えれば、大きな針山と考えた方がいいかもしれない。
レース編みを教えてほしい、と今回滞在をする流れになったと思うのだが、少し聞いただけではレース『編み』というよりはレース『織り』だ。
通称ボビンレースという技法らしい。
ボビンレースは機織り機で布を織るように、手作業でレースを織る。
ほんの少し説明されただけでも解る、途方もない労力がかかる作業だった。
英語によるオレリアの説明につまずくと、横で聞いていたカリーサが通訳してくれる。
本当に簡単な模様でレクチャーしてくれるのだが、教えられたとおりに糸を動かしているつもりなのだが、途中で頭が混乱してくる。
ただ、オレリアが道具の用意として、さまざまな色の粗末な糸、と指定してきた理由はわかった。
初心者の私に判りやすく、かつ練習用ということで、色のついた粗末な糸を指定されたのだ。
番号を振っても何番の糸かが判らなくなってしまうが、色ならばどの色の糸かは見分けることができる。
本当の初心者のために、判りやすい教材を指定してくれたのだろう。
……そのかわり、仕上がりはめちゃくちゃな色合いだけどね。
最初にオレリアが編んだ一つの模様と、続いて自分が編んだ模様とを見比べて、ため息を洩らす。
初心者が作ったと思えばこんなものなのかもしれないが、あまりにも落差があった。
『おまえにいきなり模様は無理だったね。基礎中の基礎から始めるか』
そう言って、オレリアは円柱状の枕をもう一つどこかからか持ってきた。
今度は下に図案がない。
まずは指を慣らすところから、と少し太い糸で単純な面を織ることからはじめることになった。
コト、コロロ、コロン、と糸巻を動かすたびに軽い音がする。
何事もまず基本が大事だということは解っているので、単純な作業だとは思ったがいつの間にか集中していた。
どれぐらいの時間集中していたのかはわからないが、気が付けば横から規則的な糸巻の音が響いている。
オレリアは基礎だけ教えると薬術の弟子のもとへと行ってしまったのだが、戻ってきて幾何学模様の続きを作っているのだろうか。
そう思って顔をあげると、無心で糸巻を転がすカリーサの姿があった。
私への説明をカリーサが通訳してくれていたので、カリーサもボビンレースのやり方を理解しているはずだ。
新しい技法の手芸として、好奇心が湧いたのだろう。
コロン、コロンと気持ちのいい音を響かせて、無心に幾何学模様を織っていた。
『……まあ、初心者ならこんなものかね』
夕方になって、できたレースをオレリアに見せる。
私の作ったものはレースというよりは格子編みの平たく長いだけのリボンだ。
手間と時間はかかったが、本当に手習いでしかない。
とはいえ、午前に織った部分と、午後に織った部分では明らかにできが違うので、練習としての効果はあったようだ。
もうしばらく続ければ、綺麗に織れるようになる気がした。
『初心者、同じ。上手、カリーサ』
『ああ、初めてにしては綺麗にできてる。これならもう少し複雑な模様も作れるんじゃないか?』
初心者という条件でなら私とカリーサに差はないはずなのだが、明らかにできが違う。
オレリアが作った部分、私が作った部分、そしてカリーサの作った部分と続く幾何学模様のリボンは、三人の手が入っていることもあるが、私が作った部分だけ凸凹としていてみすぼらしい。
『……わたし、向いてない?』
『ボビンレースが一朝一夕にできるようになるもんか。そんなにすぐ諦めるぐらいなら、最初から手なんて出すんじゃないよ』
糸と時間の無駄だ、と言って、オレリアは私の頬を摘まんだ。
折角オレリアが教えてくれる、という気まぐれを起してくれたので、すぐに投げ出すわけにもいかない。
カリーサが特別上手なだけで、私はまだ普通レベルかもしれないのだ。
諦めるには早すぎる。
それから数日ほど、ひたすら糸巻を転がした。
やっと指が慣れてきたのか、私の転がす糸巻からも心地よい音が出るようになる。
カリーサと二人でレースを織っていると、オレリアも刺激されたようだ。
時間を見つけては寝室へと来て、レースを織りはじめた。
「……オレリアさんの音、気持ちいい」
コロン、コロンと規則正しく鳴り響く糸巻の音に、自分の作業の手を止めて聞き入る。
少しは綺麗に織れるようになってきたが、まだ他所事をしながらではすぐに面が歪んでしまう。
じっとオレリアの手元を観察しつつ、糸巻が転がる音に耳を澄ませた。
『慣れればおまえの音だって、こんな音になるよ』
「何年後ですか。なるといいですね」
コロン、コロンっと響く糸巻の音に、隣で無心に糸巻を転がしているカリーサの手元を覗く。
初日からある程度オレリアに認められていたカリーサは、今はもうほとんど面が歪むことなく幾何学模様を織れるようになっていたが、オレリアに言わせればまだ売り物にはできないレベルらしい。
……ボビンレースって綺麗ですごく繊細だけど、これは広めようとしても難しそうだなぁ。
市場に出て商品として流通するようになれば、おかしな商人に付き纏われることもなくなると思ったのだが。
数日やってみて、嫌という程に理解した。
これはできる人間が少ない。
売り物になるレベルに作れるようになるためには、カリーサのように性に合っている人間以外では年単位で修行が必要になってくるだろう。
商品として流通するようになるのは、さらに数年後だ。
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