第38話 手紙を出したい

 怪我らしい怪我はしていないのだが、包帯を巻いた生活というのは案外不便だ。

 手首や指を曲げるのにも包帯が邪魔になるし、動きも遅くなる。

 食事時にパンをちぎるのも難しく、少し力を込めただけでズキリと痛んだ。


 ……穴は開いてないし、血も出ていなかったんだけどね。


 仔犬とはいえ、人間とは比べ物にもならない力で噛まれたのだから、打撲のようなものだろうか。

 ズキズキとした痛みは二日ほど引かなかった。


 コクまろの落ち込みは、翌日には少し回復したらしい。

 朝は私から距離をとって座っていたのだが、相変わらず私の移動に合わせてどこへでも付いてきていた。

 昼、夜と時間が経つにつれて私との距離が縮まっていたので、包帯が取れる頃にはもとの距離に来てくれるだろう。


 コクまろがまた私の足元で丸くなって眠るようになると、手の痛みは完全に引いた。

 これならば大丈夫だろう、と包帯を外してみたのだが、包帯の下から出てきた肌には小さな瘡蓋かさぶたが二つできていた。

 血が出ていなかったので安心していたのだが、やはり怪我はしていたようだ。

 念のため、と消毒をしてもらって正解だった。


 ……さて、どうしようかな?


 実のところ、外出禁止は私にとってなんの意味もない。

 もともと寒くて外出を控えていたのだ。

 せいぜい私が外で怪我をして帰ってくることはない、というレオナルドの安心に繋がるぐらいだろう。


 包帯は取れましたよ、と自主的謹慎中のヘルミーネに手を見せにいくと、ようやく部屋の扉が開かれた。

 ヘルミーネは私の手を検分するとすぐに瘡蓋を見つけたが、とくに何も言わない。

 お籠り中に何度となく部屋の扉をノックしたので、そろそろ閉じこもってばかりもいられなくなったのだろう。

 レオナルドが過保護を爆発させているように、幼女である私の庇護欲をそそりまくる容姿はやばい。

 自分で言うのもなんだが、可愛い幼女にこれだけ慕われて顔を出してと言われたら、拒絶し続けられる大人はいないだろう。

 私がヘルミーネの立場だったらすぐに扉を開けるし、レオナルドだったら家から出したくなくなるのも解る。


 ……レオナルドさんはちょっと行き過ぎ感あるけどね。


 可愛く生んでくれてありがとう、と父母に感謝して、ヘルミーネを部屋から引っ張り出すことに成功した。

 とくに、今回のことではヘルミーネは何も悪くないと思っているので、いつまでも謹慎されていては私の居心地も悪い。

 早く元の生活に戻ってほしいのだ。







 包帯がとれて元の生活が戻ってくると、ふと思いつくことがあった。


 ……ジャスパーが写本してる内容って、オレリアさんに伝えられないかな?


 塗板こくばんに書いた文字を眺めているうちに、客間で行われているジャスパーの写本作業を思いだしたのだ。

 うっかりしたことをしないように、と普段は客間を避けているので、簡単なことだというのに今まで思いつきもしなかった。


 ……あれ? でも、ジャスパーってセドヴァラ教会の人だったよね。


 ジャスパーがセドヴァラ教会の人間なのだから、写本が終わって日本語の解読ができればオレリアのところまで情報として送られる可能性は高い。

 むしろ必ず送られるだろう。

 オレリアの薬術の技術は、聖人ユウタ・ヒラガの技術をそのまま口伝で受け継いできたものだ。

 口伝で失われたものであっても、オレリアの技術と写本があれば復活できるかもしれない。


 ……だめだ。セドヴァラ教会が日本語を解読する前に、オレリアさんが老衰で他界する気しかしない。


 日本語研究の第一人者と呼ばれていたらしい人物の書いた日本語本が誤字だらけだったのだ。

 精度はあまり期待できない。


 ……私が読んだら、オレリアさんが復活させてくれるかな。


 少なくとも、不確かな日本語解読を待つよりは早いはずだ。

 研究資料の原本を覗いたのはあの一回きりだが、悪筆ではあったが私に読めないものではなかった。

 実験の工程や所感、細かな注意点なども記載されていたので、あれが読めればオレリア並みに細かな仕事ができる者なら、誰にでも同じ薬が作れるだろう。


 ……問題は私が日本人の転生者だって、ばれちゃうことだけどね。


 一つを除いていろいろなことが上手く行くとは思うのだが、その一つが私にはどうしても譲れないことなので仕方がない。

 誰だって、自分の身が一番可愛いのだ。

 まして、満足に自分の身も守れない子どもであれば、なおさら自分にできる限りの保身に走るのも致し方がないことだと思う。


 ……なにかいい方法がないかな。せめてワーズ病の治療薬を何種類かは伝えた方がいいと思うんだけど。


 ワーズ病の治療薬ならば、一回だけ手伝った写本作業で見ている。

 作業回数だけを数えるのなら私が手伝ったのはあの一度だけだったが、何時間とにらめっこをしていた文字だ。

 嫌でも内容は覚えてしまった。


 ……レオナルドさんに、それとなく聞いてみようかな?


 オレリアと連絡をとる手段がないだろうか。

 オレリアと連絡が取れれば、少なくとも先日読み取れた処方箋レシピは伝えることができる。


 まずはレオナルドに話してみよう、と夕食時を待って話を振ってみた。


「オレリアさんに会いたいれす!」


 駆け引きなどできない性格であることは自覚があるので、ストレートに要求おねだりしてみる。

 私の直球すぎる要求に、レオナルドは軽くこめかみを押さえた。


「……ティナは今、外出禁止だろう」


「覚えていましゅよ。わたしが言いたいにょは、レオさんが留守にすりゅっていう冬の間、オレリアさんのところに行けないかにゃ、ってことれす」


 今夜は意図的におねだりをしている身なので、意識して『レオさん』と呼んでみる。

 『レオナルドさん』と呼ぶよりは、『レオさん』と呼んだ方がレオナルドは喜ぶ。

 愛称で呼ばれる方がより親しまれている気がするらしい。


 ……私なんて、出会った時からずっと愛称だけどね。


 むしろ愛称を本当の名前だと思い込んでいたので、仕方がない。

 これ以上略されては、おティーになってしまう。


「俺の留守中の保護者には、ハルトマン女史がいるだろう。なにもわざわざオレリアの家まで行かなくても……。それにオレリアはセドヴァラ教会に管理されている人間だ。逢おうと思って簡単に逢える相手じゃないぞ」


「ダメれすか?」


「ダメです」


 むうっと頬を膨らませる私に、レオナルドは苦笑いを浮かべる。

 こればかりは、どれだけ私がおねだりをしても聞くわけにはいかないのだ、と。


「……オレリアさん腰を痛めてたし、その後全然お話聞かにゃいし、元気なのかにゃ? って気になりましゅ」


 なんとか連絡を取りたいのが本音だが、これも本当だ。

 離れる直前にぎっくり腰をしていたので、完治したのかが気になる。

 あの頃は薬作りが忙しくて、オレリアは自分の身など後回しにしていたのだ。


「オレリアの近況が気になる、というのは一応留意しておくが、オレリアに逢いに行くのは難しいぞ。手紙を送るにしても、やっぱり難しいと思う。そもそも、オレリアは字が読めるかも怪しいからな」


 ……そっちはあんまり心配してなかったや。ちゃんとここの言葉話せたし、文字だって読めるんじゃないかなぁ?


 子どもの頃にセドヴァラ教会へ売られたと言っていたから、少なくとも薬術の口伝を全て覚えるまでは街の中で暮らしていたはずである。

 そうなると、メンヒシュミ教会で基礎知識として読み書きを身に付けている可能性はあった。


 ……でも、そうか。オレリアさん見張られてるんだっけ。


 不用意に秘術を外へ漏らさないよう、オレリアは常に管理という言葉で見張られている。

 たとえ手紙を送ることが許されたとしても、検閲が入ると考えた方が良いだろう。


 ……こっそりオレリアさんに相談するのは無理っぽいね。


 オレリアに相談、もしくは写本の内容を伝えるのは良い案だと思ったのだが。

 どうやら実現は難しそうだ。

 むむっと眉を寄せて何か良い方法はないかと考え始めると、向かいの席に座っていたレオナルドが腕を伸ばして私の頭を撫でた。


「そんなにオレリアの様子が気になるんなら、黒騎士に様子を見て来させるぐらいならできるぞ」


 ワイヤック谷の見張りを務めるレストハム騎士団は、レオナルドが団長だ。

 団長として、レストハム騎士団からの報告という形でなら、オレリアの近況を知ることぐらいはできる。


「……それやったら、オレリアさんの様子を見に行く騎士が杖で追い回されたりする気がしましゅ」


「俺もそう思う」


 オレリアに追い回されることになる騎士には悪いが、近況が気になるのも本当なので、レオナルドにお願いすることにした。

 本当は手紙でも送れたら一番良いのだが、あまりしつこくして怪しまれても困るので、ほどほどで引くしかない。







「……谷の賢女に手紙を送りたい?」


 レオナルドに却下されたことを客間のジャスパーに相談してみたところ、何故私がオレリアのことを気にかけるのか、と当然の質問を返された。

 なので、かいつまんでメイユ村を出てからしばらく世話になり、祖母のように慕っている、と少しだけ話を盛って答える。

 そうすると、ジャスパーは僅かな時間だけ考えるように目を閉じ、次に目を開いた時には「紙とペンを持って来い」と言い始めた。


「紙もペンも、この客間へやにありましゅよ?」


「客間の紙とペンは写本用の紙とペンだから、私用の手紙には使えないだろう。いいから取って来い。セドヴァラ教会には一筆書いてやるから、手紙を出す許可はおまえが砦の主から取れ」


「オレリアさんにお手紙をする許可れすか?」


「俺が外へ手紙を出す許可、だ」


「ジャスパーの許可?」


 意味が解らず首を傾げると、いいから取って来い、と客間から追い出されてしまった。

 仕方がないので言われるままに紙とペンを持って客間へ戻ると、ジャスパーの机の横にジークヴァルトが立っていた。


「……あれ? ジャスパー、ジーク様に怒られてりゅ?」


「違う。騎士殿には俺が外へ手紙を出すことになるので、その内容の確認のために立ち会っていただいている」


 いいから紙を寄越せ、と出されたジャスパーの手に紙とペンを載せると、ジャスパーはすぐに手紙を書き始めた。

 内容としては、今しがた話したばかりの私とオレリアの関係と、私がオレリアの健康を心配しているというのが出だしだ。

 中盤はまだ習っていない単語が増えてきて、正確には読み取れない。

 拾える単語からなんとなく読み解くのなら、私にオレリアを説得させる、と書いてある気がする。

 後半は特例として手紙のやりとりを許可してはどうか、と結ばれていた。


「……このお手紙、セドヴァラ教会に出したりゃ、オレリアさんにお手紙できましゅか?」


「それは手紙を出してみないことにはわからん」


 書き終わった手紙を折って封筒に入れると、ジャスパーは封筒をジークヴァルトへと手渡す。

 てっきり私が持っていくものだと思っていたのだが、私の目の前でジークヴァルトは手紙を開いて読み始めた。


「なんれジーク様がお手紙読んでるんれすか?」


「普通に考えたら手紙自体認められないから、だろ。今の俺が外に連絡なんてありえないからな」


 国宝級に貴重な聖人ユウタ・ヒラガの研究資料原本の写本作業をしているジャスパーである。

 写本を作ることを認められてはいるが、その情報をみだりに拡散するわけにはいかない。

 そのために客間へと詰め、行動を制限しての写本作業をさせている。

 客間から出る情報は、どんなものであれ、白銀の騎士や砦の主の確認と承認が必要になるのだ。

 言ってしまえば、私がジャスパーに書かせた手紙は見張りとして立つ白銀の騎士の仕事を台無しにするものでしかない。


「なんていうにょか……ご面倒をおかけいたしましゅ」


 内容確認のため、回覧板のように白銀の騎士全員に回される手紙を追って、別の人間の手に渡るたびに頭を下げる。

 単純な思いつきだけの行動だったのだが、予期せず白銀の騎士の手を煩わせてしまった。

 そしてこの回覧が終われば、手紙はレオナルドの手も煩わせて、承認が下りればセドヴァラ教会へと送られることになる。


 ……なんか、この間から思いつきの行動で他人ひとに迷惑ばっかかけてる気がする。


 白銀の騎士の間での確認作業が終わり、手紙は無事に客間から出ることを許された。

 客間を出た手紙は白銀の騎士の手によってレオナルドの元へと運ばれ、ここでまた確認作業が行なわれる。

 最後にレオナルドが封筒に封と確認印を押して、ようやく手紙はバルトの手へと渡った。

 あとはバルトがセドヴァラ教会へと手紙を届けることになる。


「ごめんなしゃい。オレリアさんにお手紙したいってだけれしたのに、いっぱいの人のお仕事増やしましら」


 寒い中、コートを着て出かけていくバルトを見送り、手間をかけてしまった騎士やジャスパーにもう一度頭を下げて回る。

 最後にレオナルドにももう一度謝ると、膝の上に乗せられて頭を撫でられた。


「……まあ、あの手紙に効果があれば、晴れて手紙も出せるようになるだろう」


 大勢に迷惑をかけてしまった、と落ち込んだ一週間後。

 アルフがセドヴァラ教会からの手紙を持って館へとやって来た。

 すでにアルフもどういった内容の手紙が出されたかは知っている様子で、返事が気になるようだ。


「レオにゃルドさんが読んでくらしゃい」


 封を開けるまでは自分でやったが、開いてみた手紙はまだ完璧に字が読めないのもあるが、達筆すぎるという意味でも私には読むことができなかった。

 渡された手紙に素早く視線を走らせるレオナルドを、横からアルフが覗き込むのが少しずるい。

 私は一番に手紙を開けても、読むことができなかったのだ。


「……簡単に説明すると、オレリアへの手紙を出しても良い、と書かれている」


「ホントれすか!?」


 わっと喜び、思わずアルフとハグをする。

 レオナルドが眉を顰めたが、レオナルドは椅子に座っていたため、ハグを咄嗟にすることはできない。

 拗ねるようならあとで改めてたっぷりハグをしておこう、と頭の片隅に予定として置き、続きを促した。


「ただし、ティナからの手紙も、オレリアからの手紙も一度セドヴァラ教会で開封し、検閲を行なうのが条件だ」


「そう……れすか」


 ……それじゃあ、やっぱり内緒のお手紙はできそうにないね。


 とはいえ、オレリアの健康状態を知ることができるだけでも嬉しい。

 あまり欲張らずに、そこだけを素直に喜ぶことにした。


「それと、これはセドヴァラ教会からの依頼でもあるんだが」


「依頼れすか?」


 なんだろう、と少し考えてみたが、セドヴァラ教会が私にするような用件が思い浮かばない。

 しかし、たしかジャスパーの書いた手紙にはオレリアを説得するようなことが書いてあった気がする。


 ……オレリアさんを、私が説得するの? オレリアさんになにを、どう?


 湧いた疑問の答えは、すぐにレオナルドが教えてくれた。


「オレリアが老齢であることはセドヴァラ教会も心配していた。そのため、いつまでも谷に籠もっているのではなく、街へ移り住んでくれないものか、とティナにオレリアを説得してほしいそうだ」


 案だけ聞けば素晴らしい物だったが、セドヴァラ教会からの依頼はなんとも難しいものだった。

 私はポカンと口を開き、オレリア絶対擁護派のアルフはキラキラとした目で私を振り返った。


 ……そんな目で見ても、難しいと思いますよ!

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