第32話 セドヴァラ教会への報酬

「……それで、メイユ村の転生者は死んでいたと報告にあったが、手元に置いて育てているというのはどういうことだ、レオナルド?」


 突然こんなことを言い出したアルフレッドに、思わず食事の手を止めてしまう。

 まさか夕食の席でいきなり『転生者』だなんて単語が出てくるとは思わなかった。

 しかも、断定口調である。

 レオナルドが手元に置いているメイユ村の転生者といえば、間違いなく私の話だ。


 ……え? 何? どこでばれたの? ってか、なんでそんな話になってるの!?


 内心では大混乱であったが、それを表へ出さずにレオナルドへと視線を向ける。

 アルフレッドに「転生者を手元に置いている」と指摘されたレオナルドは、何のことかと瞬いていた。

 それはそうだろう。

 私は自分が転生者であるなどという話は、レオナルドにはしていない。

 他人から「おまえの妹は転生者だ」などと突然指摘されても、レオナルドの顔色が変わるわけがなかった。


「……メイユ村の転生者は死んでいるはずだ」


 たっぷりと間を置いて、レオナルドはそう答える。

 レオナルドにはこれ以外の答えはない。

 これに対してアルフレッドは、「ティナは転生者だろう」と真顔で返した。


 ……え? なんでそんなに自信満々で断定できるの? 私なにかした?


 わけが解らずアルフレッドへ視線を移すと、アルフレッドはレオナルドにも解るようにと指を折って指摘しはじめた。


「私が知らない盤上遊戯ボードゲーム、知らない料理、九歳にしては分別のある態度、そのわりに舌っ足らずというのも特徴だな。全滅した村でただ一人の生き残った、というのも転生者にはあり得ることだ」


 指摘されれば、確かに納得できる内容ばかりだった。

 間違ってもいないし、事実でもある。

 しかしアルフレッドからの指摘に、私は逆に安心して食事を再開することができた。

 それらの指摘なら、全部レオナルドが否定してくれるだろう。


「ティナはメイユ村に住んでいた頃、二十年前の転生者の家族と交流があったそうです。リバーシはその家族から教えられた、と聞きました」


 当時は石に色を付けて遊んでいたらしい、という説明をレオナルドがアルフレッドにしてくれた。

 紙で作ったリバーシのコマで遊んでいた頃にレオナルドとアルフへした辻褄合わせの嘘が、今度はレオナルドの口からアルフレッドへと語られる。

 私が語ればまるっきりの嘘になるのだが、レオナルドから語られればそれは嘘にはならない。

 レオナルドはそれが真実だと思って語っているのだから。


「アルフレッド様が知らない料理、と言うのは?」


「レオにゃルドさんにも味見してもらおうって思ってたんれすけど、アルフレッド様が目を離した隙に全部たべちゃいましら」


 おそらくは竜田揚げのことを指摘されたと思うので、こちらも正直に答える。

 特別なことは何もしていないので、これはきっと開き直っても大丈夫だ。

 ナパジという国から輸入できる調味料を使っただけの料理なので、私が転生者だなどという証拠にはならない。

 私が料理をするというのは、レオナルドなら知っていることだ。

 ちょこちょことレシピに改良を入れるのも、レオナルドは知っている。

 特別なことでもなんでもない。

 そう私は安心しただけだったのだが、アルフとレオナルドの反応は違った。


「一国の王子が出されたものをホイホイ食べないでください」


「毒殺を警戒すべき身で何をやっているんだ。体質に合わない食材だったらどうするつもりだ」


 騎士であるレオナルドとアルフは、着眼点が私と違った。

 私としては竜田揚げを独り占めしてしまったアルフレッドの所業を言いつけてやったつもりなのだが、騎士から見てアルフレッドの行動は王子としてありえないものだったらしい。


 ……毒殺なんて、私がするわけないのにね?


 レオナルドもそんなことは考えていないだろうが、それでも警戒しなければならないのが王族という一族なのだろう。

 食って掛かるレオナルドとアルフに、アルフレッドは「一応毒見はしたぞ」と弁解をはじめた。


 ……ああ、あれって毒見だったのか。


 アルフと勘違いして竜田揚げを差し出した際、アルフレッドは少し戸惑っていた。

 そして、その横からティモンが自分にも貰えるか、と味見を名乗りでたのだ。

 気づかないうちにアルフレッドの護衛は、護衛としての役割を果たしていたらしい。


「材料も確認したし、手順も確認したぞ。ナパジ産の醤油をベースにしたタレに漬け込んで揚げた鶏肉ニキッツだった」


「……ナパジの調味料を使った料理だったのなら、ティナ考案じゃないな」


 ナパジ出身の店主がいる三羽烏さんばがらす亭は、私のお気に入りということになっている。

 ナパジ料理が気に入って、輸入品である調味料をいくつか取り寄せてもあるので、三羽烏亭に影響された料理といってしまえば説得力もあるだろう。


「こんな感じかにゃ? って作ったのれ、味見が必要だったんれすよ」


 これで一応辻褄はあったはずだ。

 あとの舌っ足らずだとか、全滅した村で生き残った理由などはレオナルドにも話したことがあるので、任せておけばいい。

 私は自分があまり器用な性質ではないという自覚がある。

 嘘をついてもすぐに顔にでそうなので、私にとって嘘にあたる部分は、それを真実だと思っているレオナルドに話してもらった方が良い。


 ……それにしても?


 アルフレッドにはあまり近づかない方が良さそうだ。

 否定できなくはなかったが、私が転生者であるとたった数時間で見破られている。

 長く一緒にいたら、否定できないレベルでなにか証拠を突きつけられかねない。







 アルフレッドの滞在中は、可能な限り避けて過ごそう。

 そう心に決めたのだが、何故かアルフレッドの方から近づいてくる。

 迷惑この上ない王子様だ。


「リバーシの再戦だ」


「アルフさんとやってくらさい。わたしはもう疲れましら」


 食後、早々に退室しようとしたのだが、アルフレッドに捕まってしまった。

 それも物理的に。

 体の小さな私は、成人男性にしてみれば猫か犬の子みたいなものだ。

 目の前にいたからひょいっと抱き上げて膝に乗せる、ということができる。


「……お膝に乗ってたりゃ、リバーシできましぇんよ」


「いやいや、おまえを確保しておけばアルフが私から逃げずに熱い視線を向けてくれるからな。対戦者はアルフだ」


 ……理解しました。私と再戦じゃなくて、アルフさんと再戦するための私なんですね。


 いい迷惑この上ない。

 アルフと同じ顔をして、アルフレッドが朗らかに笑う。

 そうするとアルフが朗らかに笑っているようで、少し違和感があった。

 本物のアルフはと言うと、アルフレッドと顔を合わせてからというもの、ずっと頭の痛そうな顔をしている。


「子どもはもう寝る時間です。ティナは解放してくれませんか、アルフレッド様」


 レオナルドがそうフォローしてくれたのだが、アルフレッドは子どものように唇を尖らせた。


「そんなつれないこと言うと、私も王都へ帰ってしまうぞ」


 顔はアルフなのに中身は子どもだな、とアルフレッドを見ていると国の将来が心配になってくる。

 これは本当に、上に二人いるはずの兄王子に期待するしかない。


「……アルフレッド様は、何をしに来たんれすか?」


 若干迷惑な人だが、アルフレッドに帰られるのはレオナルドが困るらしい。

 本人が納得するまで解放はされそうにないので、とりあえず場の空気を換えようと話題を振ってみた。


「私はレオナルドの要請で聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を王都から運んできたのだ」


「聖人ユウタ・ヒラガにょ、けんきゅうしりょう?」


 聖人ユウタ・ヒラガといえば、あれだ。

 薬術の神セドヴァラを崇めるセドヴァラ教会で聖人と讃えられ、数々の薬を生み出してこの世界に広めたという日本人の転生者だ。

 彼の研究資料があるから、とこの国では日本人の転生者が求められていると以前レオナルドが言っていた。


 ……なんでそんな物を持ち運んでるんですか?


 もしかしなくとも、かなりのお宝だろう。

 それこそ値が付けられないレベルの貴重な資料のはずだ。


「ワーズ病の収束には、セドヴァラ教会から多くの協力を得たからな。その礼が必要だ、と王都に相談したところ、研究資料の写本を許すということになった」


「しゃほん?」


「本を写し取ることだ。聖人ユウタ・ヒラガの研究資料は全て日本語で書かれていて我々には読むことができないが、文字を見たままに写すことはできる」


 写しとった内容から日本語の研究をしても良いし、失われた薬術の復活に繋がれば良いともレオナルドは思っているそうだ。

 ただし、聖人ユウタ・ヒラガの残した研究資料は国宝となっているため、写本作業はすべて城主の館で行われることになるし、その間写本をするセドヴァラ教会の人間は外へ出ることを許されない。

 盗難も警戒し、見張りも付けられる。

 作業道具はすべて国が用意したものを使うので、余分に写本を作ることもさせない。


 ……ガチガチの体勢で写本するんだね。あんまり『お礼』って気がしないや。


 私の感覚としてはこうだったのだが、セドヴァラ教会の人間にはこれだけ厳しく行動を制限されても歓喜ものの『お礼』だったらしい。

 写本作業希望者の間で水面下の争いがあったそうなのだが、最終的には館へ滞在するということを考慮して、ジャスパーが送られて来ることになった。

 以前に老医師が私を怒鳴りつけたことを、レオナルドがまだ覚えていたのだ。

 ジャスパーを選んだのは、隔離区画でも私の面倒をみていたジャスパーならば、館に滞在しても私が嫌な気分になることはないだろう、との判断もあった。







 ジャスパーが館の二階に滞在するようになると、聞いていたように警備の人間が増えた。

 客間の中にはアルフレッドとその護衛の騎士がいて、扉の外にはグルノール砦から派遣されてきた黒騎士が立つ。

 門番の数も増やされて、普段は人の立っていないタビサたちが使う通用口にも人が立つようになった。

 ついでに言うと、出入りの際に簡単な身体検査まで行われている。


 ……厳重だね。


 館の住人である私までポケットの中などを調べられるので、本当に厳重だ。

 ついでに言うと、調べられた時には何も入っていなかったポケットにいつの間にか飴玉が追加されているのも、不思議といえば不思議かもしれない。

 順調に門番から餌付けされている。


 見張りはいるし、厳重な警備だとは思うのだが、基本的に黒騎士は私に甘い。

 好奇心に負けて写本をしている客間を覗きに行くと、黒騎士が見張る入り口は突破できる。

 ただし、中にいるアーロンは真面目に護衛の仕事をしている人間なので、突破はできない。

 アルフを連れている場合に限り、アルフレッドが大歓迎で開けてくれるので客間へ入ることができた。


「ジャスパー、お疲れ様れす」


 声を潜めて話しかけたら、机とにらめっこをしているように見えたジャスパーにギロリと睨まれてしまう。

 仕事中のジャスパーに、やはり突撃したら不味かったらしい。

 当たり前といえば当たり前のことだ。


 一応アルフとアルフレッドに確認をとって、ジャスパーの作業を覗いてみる。

 机に広げられているのは、真新しい紙とインク、何十枚もの紙が束になったメモ書きだった。


 ……ホントに日本語だ。


 古ぼけた紙へと綴られた日本語に、奇妙な感動を覚える。

 真剣な眼差しでメモ書きと写し取っている紙とを見比べているジャスパーに、邪魔にならないよう息を潜めた。


 ……少しくせが強いね。ひらがなが多いかも?


 達筆といえば聞こえが良いが、悪筆と言えなくもない崩れ具合の日本語だ。

 なんとか読めるが、ところどころ引っかかる。

 書いている最中に咄嗟に漢字がわからなかったのか、開かれた字も多いし、間違えた箇所は容赦なく黒く塗りつぶした毛虫がいたりもした。

 ご丁寧なことに、毛虫には目まで書かれている。


 ……この毛虫って、女の子がやるものだとばかり思ってたんだけど……?


 名前から男性だと思っていたヒラガユウタは、実は女性だったのかもしれない。

 そんな他愛のないことを考えながら、ジャスパーの写本し終えた紙へと視線を落とした。


 ……薬術の研究資料って言ってたけど、ほとんど日記じゃない?


 研究メモが主ではあるのだが、そこかしこに書かれたメモが日記のような独り言だ。

 近所の誰と誰が恋仲でいちゃつく声が聞こえてきて煩いだとか、今日の夕ご飯は美味しかっただとか、そういうことが書いてある。

 聖人と聞いていたので、なんとなく凄い人なのだろうと思い込んでいたのだが、書いてある内容をみるに普通の日本人だ。


 ……でも、自分に出来ることをしたんだね、平賀ひらが裕太ゆうたさん。


 メモの束に表紙として付けられた色紙いろがみに『平賀裕太』という名前を見つけ、ユウタ・ヒラガの漢字を知る。

 表紙だからか、中のメモ書きに比べて多少丁寧に文字が綴られていた。


 ……私には、何ができるんだろう?


 ふと、そんなことを考えた。

 この世界に生まれて父母を失い、レオナルドに引き取られた。

 この国で活かせる取り得といえば日本語が読めることぐらいだが、これは一生隠しておく予定なので、取り得とは数えられない。

 ようやく読み書きの勉強を始めたところで、特に得意なことも、将来なりたい職業もなかった。


 ……あれ? 成人までレオナルドさんが養ってくれるって話だけど、このままだとニートまっしぐら?


 出来そうな仕事も、やりたい仕事もすぐには思いつかない。

 メンヒシュミ教会のニルスとルシオなど、十二歳でもう家を出て働いているというのに、だ。


 ……私、少しのん気すぎ?


 漠然とした不安に包まれて呆然としていると、アルフレッドに肩を叩かれた。


「何か面白いことが書いてあったか?」


 ……そこまでお馬鹿じゃないです。引っかかりませんよ?


 メモを読んでみはしたが、何が書かれていたかを話すほどマヌケな真似はしない。

 日本人の転生者でもないかぎり、この世界では日本語など読めるわけがないのだから。


「写本、大変そうれすね。本を写すって言うかりゃ、内容を書き写すのかと思っていたんれすけど、文字を書くっていうより絵を真似るって感じれすね」


 なにしろ、どこから何処までが一文字なのか判らず、崩れた癖のある文字なので同じ文字であっても必ずしも同じ形をしていない。

 漢字になれば間違っていたり、略字になっていたりと種類も豊富になった。

 さらに研究資料というだけあって、思いついたことや気がついたことが追記として小さな文字で綴られてもいる。

 これを文字と認識できる人間が写本するのならまだしも、文字と認識できない人間が写すのは大変だろう。

 他人の筆跡を真似ながら、紙全体の広さを把握して、元と同じ範囲に同じ大きさで文字とも思えない線を延々と写しとっていくのだ。

 ひたすら根気のいる作業だった。


 ……これ、私が横で読みながらジャスパーが紙に書きとめたら、あっという間に終わりそうだね。


 少なくとも、今のように一日に一ページも進まないペースではなくなる。


 ……なんとか出来ないかな。私と知られずに日本語の翻訳ができればいいんだけど?


 有用な情報が詰まっているのは、少し読んだだけでも判る。

 しかし日本人の転生者である、ということは知られたくないので、私がこの場で読むわけにはいかない。


 ……何か、方法がないかな。


 横で読みあげることはできないが、少しでも作業が楽になる方法などないだろうか。

 文字ではなく、絵を写すと思えば。


「ジャスパーが写した方の紙、触ってもいいれすか?」


「部屋から持ち出さないのなら、いいぞ」


「お借りしましゅ」


 写し終えた一枚と新しい紙を手にとり、窓辺へと近づく。

 紙を二枚重ねて太陽にかざせば、下の文字がなんとなく見えた。


「……こうやって写したらろうでしょう?」


「子どもらしい良い案だとは思うが……原本が光で劣化する。却下だ」


「ダメれすか……」


 少しでもジャスパーが楽を出来れば、と思ったのだが、王子さまが自ら護衛しつつ運ぶようなお宝本に太陽の光は不味いらしい。

 さすがに子どもの私に原本は触らせられない、と見ることしかできないが、見るからに紙の材質も違う。

 陽に透かしてみたところで、透けるかどうかも怪しい気がする。


 借りた紙を丁寧に元の場所へ戻すと、ジャスパーが名刺サイズの小さな紙を差し出してきた。

 日本語で何かの材料と思われる名前と必要な量が、殴り書きのような字で書かれている。


「手伝う気があるなら、これでも写せ」


 見たまま、まったく同じように書き写すのだ、と同じサイズの新しい紙も一緒にくれた。

 なんとなく罪悪感のようなものがあったので、言われるままに写本を手伝ってみる。

 他人の筆跡を真似て文字を絵として写し取る作業は、想像以上に根気のいる仕事だった。

 つい自分の筆跡で普通に写しとってしまいそうになるのが危険な作業でもある。


 ……でも、この本の内容って、次に備えてオレリアさんにでも伝えた方がよくない?


 作業工程を写していて気がついたのだが、これはオレリアが作っていた材料の作り方と同じだ。

 合間に自分が手伝った作業と同じ物が入っているので、たぶん間違いない。


 これがワーズ病の――メモにはグリニッジ疱瘡ほうそうと書かれている――の治療薬だ。

 初期だけに効くもの、中期から後期になっても効果の望めるもの、と何種類かの処方箋レシピが目の前にあった。


 ……研究資料これと私がいたら、慰霊祭の蝋燭の数は減らせたかもね。


 見ず知らずの他人よりも自分の身の安全を、と見殺しにするのを決めたのは自分だ。

 今さら後悔するのは間違っている。

 そう思っているのだが。

 それでもつい考えてしまうのだ。

 私に出来ることは、本当に何もなかったのだろうか、と。

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