第23話 レオナルドとテオの約束

 今回の騒ぎで唯一の怪我人であるテオをセドヴァラ教会へ運ぼう、ということになったのだが、テオ本人が嫌がった。

 理由としては単純だ。

 治療に払えるお金がない、と。


「一応助けられたし……」


「おまえなんて助けてないからなっ! ミルシェを助けたんだっ!!」


「……はいはい。それはもういいれすから」


 二言目にはミルシェを助けたのであって、私を助けたのではない、といった趣旨の主張を繰り返すテオを適当に宥めつつ、話を進める。

 まさか本当に血まみれのテオをそのまま家に帰すわけにはいかない。

 この世界にもあるのかは判らないが、犬に噛まれたのなら、狂犬病だって怖いのだ。


「治療費にゃら、たぶんレオにゃルドさんが出してくれましゅよ。ミルシェちゃんのついでれしたけど、わたしも助かりましらし」


「誰だよ、レオにゃルドさんって」


「レオにゃルドさんはレオにゃルドさんれすよ。テオも一回会ってるはずれす」


 夏に一度メンヒシュミ教会へ見学に行った時、テオはレオナルドに会っている。

 テオの行動を『男児あるある』として擁護したレオナルドに、妹ではなく『自分の娘にされたら』と考えてみろと煽った結果、前髪を上げたら普通の顔でも怖いレオナルドに睨まれるという恐怖体験を味わっているはずだ。


 そんなこんなで嫌がるテオをローレンツが背負い、セドヴァラ教会へと移動する。

 メンヒシュミ教会の帰りとしては遅い時間になってしまったので、ペトロナとエルケとは途中で別れた。

 ルシオとニルスはまだ私の護衛として一緒に行動している。

 テオの付き添いになるミルシェも一緒だ。


 セドヴァラ教会に到着すると、ここでも少し口論になった。

 テオの服装から貧民と判断され、治療費は払えないだろうと治療を拒否されたのだ。


 ……先に支払い能力があるって証明しないと治療もしてもらえないとか、世知辛いね。


 日本では治療費は後払いが普通であったが、外国では違うと聞いたことがある。

 父親が倒れた時に子どもが救急車を呼んだのだが、あろうことか支払い能力を疑われてすぐには救急車を出してもらえなかったのだそうだ。


 支払いについてローレンツとセドヴァラ教会の医師が言い合っていると、奥から久しぶりに見る顔が出てきた。


「……ん? ティナじゃないか。久しぶりだな」


「あ、ジャスパー」


 そういえばジャスパーはセドヴァラ教会の学者だったな、と今さらながら思いだす。

 隔離区画に通っている間は毎日顔を合わせていたが、夏になってからはほとんど会っていない。

 最後に会ったのは、ジャン=ジャックと買い物へ出かけた日に熱をだした時だろうか。


「何を騒いでいるんだ?」


「お金を払えないだりょうから、テオの治療はしたくないって医師が言うんれす」


「子どもに支払い能力なんて求める方が無駄だろ。おまえが連れてきたってことは、おまえの関係者か?」


「テオがわたしを助けてくれたんれすよ」


 私を助けようとして犬に噛まれたのだ、と説明している横で、やっぱりテオが「ミルシェを助けたのであって、おまえを助けたんじゃない」と主張する。

 その怪我のわりに元気なテオの口へと、ジャスパーがタオルを突っ込んだ。


「何ごとれすか!?」


「いいから、黙っていろ」


「むごーっ!!」


 暴れるテオの頭を押さえつけて、ジャスパーが医師に向き直る。

 何か擁護でもしてくれるのかと思ったら、ジャスパーは私を指差した。


「怪我人に支払い能力がなくても、こいつの保護者が治療費ぐらい払ってくれるだろう。気にせず治療をはじめていい」


「そのお嬢さんの保護者がって言っても……相手は貧民の子だろ? 確かにお嬢さんは良い服を着ているが、金持ちだってんならなおさら貧民の子どもになんて金は払わんだろう」


「こいつの保護者は砦の主だぞ? 妹を助けた子どもが怪我したってんなら、気前良く治療費ぐらい払うさ」


 そうだろう? と肩を竦めたジャスパーに同意を求められ、少しだけ考える。

 確かに、レオナルドならば私のために負った傷の治療費ぐらい、一瞬の迷いもなく支払いを決めそうだ。

 人が良いから、私を助けたうんぬんがなくとも子どもの怪我の治療費ぐらい出しそうな気もする。


「レオにゃルドさんが信用れきないって言うんでしたら、ローレンツさんに立て替えてもりゃいましょう。いいれすか、ローレンツさん?」


 黒い犬を追っていった騎士からの報告を聞いていたローレンツの同意が得られると、ようやく医師も納得してテオの治療が始まった。

 痛み止めの薬を飲まされつつ、傷口の洗浄が行われ、消毒、縫合と治療が続く。

 治療台には近づけないので、心配そうにウロウロと動くミルシェを抱きしめた。

 針の太い注射器に一瞬テオが青ざめたが、ミルシェの視線があると思いだしたのか泣き出すことも逃げ出すこともない。


 ……注射器もあるんだね、この世界。さすがに針が太いや。


 何を注射しているのかは、私には判らない。

 日本なら狂犬病対策の薬だと思うのだが、治療を受けている本人でもないし、テオの保護者でもないので、特に説明らしい説明は聞けなかった。


「……そう言えば、おまえ。レオナルド殿から何か聞いていないか? 王都から客がくるとかなんとか」


「お客様れすか? なにも聞いていましぇんね」


 テオの治療を遠目に見守っていると、ジャスパーにこんなことを聞かれた。

 レオナルドから聞いていないか、ということは、仕事に関わることなのかもしれない。

 それもジャスパーが気にかけるということは、日本語についてか、ワーズ病に関わることなのだろう。

 そう当たりをつけて記憶を探すが、やはりなにも思い当たることはなかった。


「お仕事の話れしたら、レオにゃルドさんはわたしには漏らしましぇんよ」


 私に対しては砂糖菓子よりも甘いレオナルドだったが、あれでも公私はちゃんと分けている。

 仕事上の情報を不用意に私へと漏らすようなことはしないと思う。


「仕事の話というわけじゃないが……そうか、何も聞いていないのか」


「気になりゅことがあるんなら、レオにゃルドさんに直接聞いたらどうれすか?」


 黒騎士が連絡をしてくれているはずなので、そのうちレオナルドが私を迎えにセドヴァラ教会へと来るはずだ。

 直接レオナルドが来るのなら、私から聞きださなくとも用は済む。


 両手を包帯だらけにしたテオが治療台から下される頃、マント姿のレオナルドがやって来た。

 今日はいつかのように一度館へ寄ってマントを外してから来る、という余裕もなかったようだ。

 私の顔を見るなり抱き上げて、体のあちこちを点検し始めた。


「ティナが犬に襲われたと聞いたが、どこも怪我はないのか? 痛いところとか、噛まれたところとか……」


「わたしは大丈夫れすよ」


 どうも正確な話は伝わっていないようだ。

 犬に襲われたのは確かだが、噛まれて怪我をしたのはテオだけだった。

 私に関してなら、レオナルドが心配をする必要はない。


「犬に噛まれて怪我をしたのはテオれす」


 丁度足元までテオが戻って来たので、レオナルドにテオを紹介する。

 レオナルドをじっと見上げるテオは、口をポカンと開けていた。

 気のせいでなければ、頬がほのかに赤い。


「きみが噂のテオか。……言われてみれば、夏に見かけた子だな」


「う、噂……?」


 レオナルドに見下ろされたテオは口をパクパクと開き、やっと出てきた言葉がこれだった。

 今日はそれほど怖い顔はしていないと思うのだが、テオは何を緊張しているのだろうか。

 そんなことを考えつつ、まず真っ先に取らなければならない了解をレオナルドから取っておく。


「テオがミルシェを助けるついでにわたしも助けてくれましら。でも、そのせいでテオが犬に噛まれたんれす」


 治療費を出してくれるか、と確認したところ、やはりレオナルドは一瞬も迷うことなく快諾してくれた。

 理由としては、私を助けたからではなく、妹のために犬に挑んだ勇気に免じて、だそうだ。


「ティナを助けてくれてありがとう、テオ」


 こんなことを言いながらレオナルドがテオの頭を撫でると、テオはむず痒そうに笑う。

 もしかしたら、褒められ慣れていないのかもしれない。

 レオナルドに頭を撫でられているテオは、教室での暴れん坊っぷりが嘘のようにおとなしかった。


 ……テオもちゃんとおとなしくできるんだね。


 いつも騒がしい印象があったので、レオナルドを前にしたテオのしおらしさが意外だ。

 普段と違いすぎて、ちょっと不気味だと思ってしまうのは仕方がないと思う。


「おれ、大人になったら黒騎士になりたいんだ。だから、誰かを助けるのは当たり前だぞ」


 ……レオナルドさんには否定しないんだね。『私はついでで、ミルシェを助けただけだ』って。


 どうもレオナルドの前ではテオのツンデレは消えるらしい。

 素直な男児らしさが前面に出ているテオに、レオナルドは私を床に下しながら片膝をついて目線を合わせた。


「黒騎士になるには、勉強もできないとダメだぞ」


「えっ!? ……やっぱ、勉強できないとダメなのか?」


 何故か勉強の大切さを説くレオナルドに、テオはショックを受けた顔をしている。

 腕力だけで騎士になれるとでも思っていたのだろうか。


 ……そんなにショックを受けることかな? 基本文字が解らなきゃ書類とか読み書きできないし、軍人だって考えると騎士は兵法の本とかも読めなきゃだめだよね?


 そんな当たり前のことにも気づかずに、テオはメンヒシュミ教会の教室で授業妨害をしていたのだろうか。

 それに、もしかしなくともメンヒシュミ教会でテオを知った人間のいる職場では、将来的に雇ってもらえないだろう。

 教室内での態度では、接客業や他者ひとの下につく仕事なんて出来るわけがない。


「丈夫な体があれば兵士にはなれるが、騎士になるためにはメンヒシュミ教会が授けてくれる学以上のものが求められる。教会に最低一年通って学を修め、ようやくヴィループ砦への道が開かれることになるんだ」


「……おれ、教会には一年行ってるぞ!」


 パッと顔を輝かせたテオに、レオナルドは苦笑いを浮かべる。

 メンヒシュミ教会で教えてくれる基礎知識は季節一つぶんで学べるが、その基礎知識は本当にさわりの部分だけで、区分として基礎知識2と3が存在している。

 私が今メンヒシュミ教会で教わっているのは、基礎知識1の部分だ。


「メンヒシュミ教会に通う一年は、時間のことじゃない。季節一つごとに修められる基礎知識1、2、3、すべてが身に付いたことを確認する応用・復習を終えた者、という意味だ。テオはまだ基礎知識1も終えてはいないだろう?」


 基礎知識を身に付けるどころか、テオは他の子の勉強の邪魔までしている。

 何年メンヒシュミ教会に通っていようとも、これでは騎士になどなれるわけがない。


「ヴィループ砦へ行くことが許されても、あそこではメンヒシュミ教会以上の教養と英語という別の言葉を実用レベルで身に付けるまで学ぶことになる。騎士になれば王族や貴族とも会談することになるので礼儀作法も身に付けなければならない」


 さらに剣術や馬術といった武術に加え、用兵術などの戦術まで叩き込まれてようやく騎士として認められるらしい。


 ……ずっと勉強だらけだね、騎士って。大変そうだ。


 私には絶対になれない職業だと思う。

 基礎知識ぐらいは身に付けたいと思うが、そこから先の知識を積極的に求めてはいない。

 私は普通に暮らしていくぶんに必要なだけの知識を求めているのだ。


 ……あと、レオナルドさん。すごい人だった。いや、すごい人なのは知ってたけど、思ってた以上にすごい人だった。


 今聞いたのは黒騎士になる方法なので、昔レオナルドが所属していたという白銀の騎士になるためには更に様々なことを学ぶ必要があるのかもしれない。


 ……あのジャン=ジャックも黒騎士だったんだから、レオナルドさんが今言ったの全部身に付けてる、ってことだよね?


 漠然と考えていた以上に黒騎士というのは平民の中でエリート集団だ。

 テオも現役の黒騎士から直接話を聞かされて、驚いたのだろう。

 あんぐりと口を開けたまま瞬いている。


「……騎士になるためには勉強が必要だ、と理解できたか?」


 静かな声で諭されて、テオはこくりと頷いた。

 それから、犬に噛まれても泣かなかったテオの瞳がみるみる涙で潤みはじめる。


「お、おれ……教室には、来ちゃダメだって……教会追放に、なって……」


 メンヒシュミ教会で習う基礎知識の習得が騎士を目指す絶対条件なら、テオは絶対に騎士になれないということになる。

 教室で騒いだり暴れたりしたテオは、メンヒシュミ教会を追放されており、学ぶことができないのだ。

 テオは希望する未来への道が閉ざされてしまった、と気づいたのだろう。


「そうだな。テオが聞いているように教室で騒いだりして他の子が勉強をする邪魔をするようなら、教会には行かせることができない」


 ただ、と言葉を区切り、レオナルドはテオの黒髪をぐりぐりと撫でた。


「もう他の子の邪魔をしないと、俺と約束ができるのなら、もう一度教会へ通えるよう俺が導師アンナにお願いしてやることもできる」


 俺と約束ができるか? と聞いたレオナルドに、テオは大きく頷いた。







 テオとミルシェを送っていった家は、薄汚れた集合住宅だった。

 ノックの音に扉を開けたミルシェの母親は、レオナルドの服装を見て頬を引き攣らせる。

 それから足元にいたテオの肩を掴んで引き寄せると、頭を押さえつけてレオナルドに頭を下げさせた。


「すみませんっ! うちの馬鹿息子が、黒騎士様に何か粗相を……っ!?」


「いてて、いてぇーよ、母ちゃんっ!」


「お黙りっ! アンタって子は、教会を追放になったかと思えば、今度は黒騎士様に何を……っ!?」


 ミルシェの母親は息子の両手に巻かれた包帯や、頭を覆う包帯には気がつかないらしい。

 必死の形相でレオナルドに頭を下げ、息子テオの頭を押さえつけ続ける。

 母親の必死さに戸惑ったレオナルドは、黒騎士からの報告を説明することになった。


「……つまり、またテオが馬鹿をやったってことじゃなくて、お嬢様とミルシェを犬から助けようとして怪我をした、と言うことですか?」


「そうだ。別に悪さをして捕まったわけではないので、そう息子の頭を押さえつける必要はない」


 テオに非はない、という言葉を聞いた瞬間、母親から媚の色が消える。

 ホッと胸を撫で下ろすのかと思えば、低姿勢が一転して胸を反らしはじめた。


 ……あ、な予感。


 眉を吊り上げた母親に、チリッとした嫌な予感がする。

 テオの母親は、レオナルドの財布を丸ごと渡された時のカーヤと同じ顔をしていた。

 

「感染予防の薬を注射したが、ひと月後と半年後にまた薬を受けにセドヴァラ教会へ行くように。代金はすでに払ってあるので、気にすることはない」


 必ずセドヴァラ教会へ行って薬を受けるように、と念を押すレオナルドに、母親は聞き流していると判る適当な返事をしてテオの頭を撫ではじめる。

 帰宅早々の剣幕が嘘のようだった。


「テオ、アンタ『お嬢様を』お助けしたのね?」


 ……あ、ピンと来た。


 優越感を噛み締めるような響きをもった母親の声に、彼女が何を考え付いたのかがわかった。

 お金も地位もあるレオナルドから、わたしを助けて怪我をしたと恩に着せてお金でも無心むしんする気なのだろう。

 いやらしい人間だ、と思いはしたのだが、母親の目論見はテオが見事に粉砕する。


「違うぞ! おれはミルシェを助けたんだっ! そいつのためじゃないっ!!」


 きっぱりとそう言い放つテオに、母親がガッカリと肩を落とすのがわかった。

 ここで私のために怪我をした、とテオが言えばレオナルドにたかれたかもしれないが、こうもはっきりと私のためではなかった、とレオナルドの目の前で宣言されてはそれもできなくなったのだろう。

 テオは妹を守れる良い兄だな、とレオナルドがテオの頭を撫でる。

 得意げに笑うテオは、ミルシェの手をしっかりと握って部屋の中へと入っていった。







「……疲れましら」


 いつものように抱き上げられていたため、ぐてーっとレオナルドの胸へと体重を預ける。

 空を見上げると夕方なんて時間はとっくにすぎていて、夜空に月が浮かんでいた。

 普段であれば夕食を食べ終わって、レオナルドか宿直とのいの騎士を捕まえてリバーシで遊んでいる時間だ。

 くしゅんっと小さくくしゃみをしたら、レオナルドのマントに包まれた。

 そろそろ夜は冷えてくる季節なので、温かいマントはありがたい。


「それにしても、変な犬れしたね」


「変? ティナが追いかけられた黒い犬が、か?」


「はいれす。ニルスが黒騎士を呼びに行ってくれたんれすけど、走ってくニルスを追いかけないれ、ずっとわたしのことを睨んでいましら」


「……それは確かに、おかしな犬だな」


 普通の犬は、走るものを追いかける習性がある。

 あの場から離れるために走るのは普通の犬相手には失敗だったが、今日の黒い犬に対しては正解だった。

 黒騎士を呼ぶのが間に合って、テオは怪我をしたが生きている。


 他にも変なことがあった気がするのだが、温かいマントのぬくもりと、心地よい震動に瞼が重くなってきた。

 犬に追いかけられて、走って逃げて、と今日は本当に疲れたのだ。


 館についたら起してください、と言ったつもりなのだが、結局そのまま朝まで爆睡ばくすいしてしまった。

 今日はいろいろありすぎて、本当に疲れたのだからしかたがない。

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