第20話 メンヒシュミ教会の悪童

 後ろの席へルシオが座るようになってからのメンヒシュミ教会は、快適な場所になった。

 解らないところは隣のニルスが教えてくれて、退屈な計算の時間は逆隣に座ったミルシェへと指を貸す。

 テオは一番後ろの席に座らされたため、私に何かしようと席を立ってもすぐに気づかれ、周囲の大人や教師に阻まれることとなった。

 実に平和である。


 ……宗教の授業が神様こぼれ話集的なものだとは思わなかった。


 宇宙や海や大地を神様が創りました、で始まった宗教の授業は、大地などの舞台を作りあげたあとの神々の話に移ると面白い。

 大神アバッシトルはギリシャ神話でいうところのゼウスポジションだ。

 女好きで、好みの美女を見つければ女神も人間の人妻も、雌鹿も白鳥も構わず攫って犯す。

 そして孕ませる。

 さらには美少年も犯す。

 何故か孕む。

 技巧の神ユピンスの作った椅子とも交わったという逸話には、いっそ尊敬の念すら抱いた。

 ツッコミが追いつかないという意味で。


 ……それ、もう大神というより、性欲の神って呼んだ方が良くないですか?


 そうは思うのだが、性欲系の神は他に何人か別にいるのでややこしい。


 ……でもこれ、覚える必要あるのかな。神様の名前全員覚えろとか、ちょっと無理な気がする。


 大神とその嫁神の下に十二柱の神がいて、ここまでなら覚えられるのだが、その眷属神、さらにその眷属、精霊、妖精にまでわかれられると、もう誰が誰だか判らない。

 でも授業で教わることなのだから覚える必要があるのだろう、と思っていると、どうも教えられているのは神様がどうしたこうしたという話ではなく、道徳の授業といった感じだ。

 寓話の登場人物が、仔山羊や豚で表現されるのと同じだろうか。

 登場人物が神様であるというだけの道徳的教育だと思う。


 ……や、大神アバッシトルは子どもの教育に良くないと思いますけどね。


 特に女性がらみのエピソードは子ども向けにぼかされてはいるが、一番後ろの席にいる男性たちの喜びようが酷い。

 いくつになっても男児は男児だ。


 初日にお預けをくらった歴史の授業は、近代から遡って授業を進めていくらしい。

 初回の授業は大まかな流れを時代順に説明しただけらしいので、ニルスが教えてくれたこととほとんど同じだ。

 地域密着型の授業で生徒たちの興味を引くスタイルなのか、グルノールの街の興りに始まり、現在の砦と黒騎士の話も聞けた。


「グルノール砦の現在の主はレオナルドという黒騎士です」


 ……お?


 教師の口から突然レオナルドの名前が出て、ちょっと驚く。

 近代から歴史を教えていくのなら、レオナルドの名前が出ることぐらいあるのかもしれないが、それでも本当に出てくるとびっくりだ。


「彼については逸話も多く、史上最年少で騎士となり、白銀の騎士団への入隊を許された少年騎士として、当時は王都でもはやされました」


 ……白銀の騎士団ってのは聞いたことあるけど、最年少で騎士になった、ってのは初耳だね。


 何歳から騎士になれるのだろうか、とニルスに聞いてみると、十二歳から受けられる入団試験に受かってヴィループ砦で三年間の修行を積み、十分な力をつけたと認められれば正式な黒騎士になれるらしい。

 白銀の騎士になるためには、ヴィループ砦にいるうちから実力と才能を発揮し、十二ある全ての騎士団の団長の推薦と白銀の騎士団団長・副団長からの承認も得なければならないそうだ。


 ……つまり、レオナルドさんには体育会系の暑苦しい先輩がいっぱいいて、愛されまくってるってこと?


 想像するだけでも暑苦しい。


「五年前のエピナント平原の戦いでは軍神ヘルケイレスの化身とも、英雄ベルトランの再来とも謳われるほどの強さを発揮し、サエナード王国の王子コンラッドを退けた功績により、生まれ故郷であるこのグルノールへとやって来ました」


 ……王都からグルノールに、って左遷扱いじゃなかったっけ?


 そんな話を聞いた気がする。

 左遷されてきた白銀の騎士にデカイ顔はさせない、と当時の闘技大会でグルノール騎士団の団長がレオナルドに挑み、レオナルドが勝利した、と。


 ……あれ? でもこれだと前の団長さんは白銀の騎士だったレオナルドさんを歓迎しなかったってこと? 白銀の騎士に、って推薦してるのに?


 なにか変だな、と首を傾げている間に歴史の授業は終わった。


 授業が終わってメンヒシュミ教会の建物を出ると、正門近くに迎えのバルトの姿を見つける。

 私の世話がバルトへと引き継がれると、ニルスとルシオの仕事は終わりだ。

 ミルシェに手を振って別れの挨拶をし、帰路につくため正門へと体を向けると、テオが前方に立ち塞がった。

 立ち塞がったのだが、バルトの顔を見た途端に背筋を伸ばし、くるりと体の向きを変えて逃げ出す。

 以前、バルトに拳骨で殴られたことを覚えていたらしい。


 ……やっぱ、力でねじ伏せるのが一番効果的じゃない?


 穏やかな笑みを浮かべているバルトにそう相談すると、それは自分たちの役目なので、嬢様はお嬢様らしくおとなしくしていてください、と言われてしまった。







 こんな感じで、比較的平和にメンヒシュミ教会での授業が続いた。

 ニルスとルシオに守られ、時にはミルシェの追撃もあってそれほど酷い被害は受けていないが、テオは相変わらず私に絡んでくる。

 ミルシェが教えてくれたのだが、私に対して『卑怯者』と言うのは、闘技大会で私が一般列に並ぶことなく通用門を使ったことに対してらしい。

 それが理由で『卑怯者』と呼ばれるのなら、本当はいけないことだったのだろうか、と周囲に聞いてみたのだが、黒騎士の家族が優先的に入れるのは以前からのことで、私だけが特別ではない、と答えられた。

 そしてこれは、この街の人間であれば誰でも知っていることなのだそうだ。


 このことをレオナルドに報告しつつ、闘技大会の日のことを確認したのだが、懲罰房の中でテオは私が黒騎士の家族枠であることを説明されているらしい。

 私が通用門を使うのはズルでも卑怯でもないのだ、と。


 ……なのに、なんでまだ絡んでくるんだろうね?


 自分が間違えた、ただの勘違いで髪を引っ張ったのだと解ったのなら、謝罪するなり、勘違いを恥じて二度と被害者わたしに近づかないなりしてほしい。

 ニルスやルシオが少し目を離した隙を狙い、しつこく髪を引っ張りに来るのはなんなのだろうか。


 ……男の子って、わかんない。


 そして、鬱陶しい。

 妹のミルシェは素直で可愛いのだが、テオは何故あそこまで問題児なのだろうか。


 ……やり返してやろうとすると、ニルスが止めるから、テオが全然懲りないし。


 隙をついて手を出してきたテオに対して、メンヒシュミ教会で一番偉い導師からやり返して良いという許可をもぎ取り済みの私は全戦全勝している。

 毎回泣かせているのだが、途中でニルスが制止に入るので、トドメはさせていない。


 ……トドメをさせば静かになると思うんだけどね?


 やり返してはいるが、トドメがさせない。

 これはなかなかストレスが溜まる。

 そんなこんなで、ついこんな愚痴を零してみた。


「メンヒシュミ教会っれ、街に一つしかないんれすか?」


 夕食後のまったりとした時間、いつものようにリバーシ盤を挟んで座るレオナルドへと聞いてみる。

 何がどうしてこんな言葉になったのか、を説明しなくても察してもらえるぐらいには、最近の私の愚痴は多い。

 私の最後通告に近い質問に、レオナルドは困ったように眉を寄せた。


「男の子は可愛い女の子を苛めたくなるものだから、仕方が――」


「それは前に聞きましら。可愛いから、気になるからって苛めていい理由にはにゃらない、ってのも言ったはずれす」


 初恋にまつわる男児の浪漫ロマンなど、私には関係がない。

 いじめっ子はただのいじめっ子だ。


 ニルスとルシオに庇われて最近は平和だと思えるが、テオが煩わしくないわけではない。

 こちらとしては出来るだけ視界に入れないよう、またテオの視界に入らないよう気を使って、日をずらしたり、午前の部に参加してみたりといろいろ工夫をしているのだ。

 それなのに、何故か偶数日と奇数日、午前と午後の全四回ある授業のどこを狙ってもテオに遭遇するのだからイライラも増すばかりである。

 ミルシェに聞いてみたのだが、テオはメンヒシュミ教会を完全に遊び場と勘違いしていた。

 毎日、それも一日中メンヒシュミ教会の授業に参加しては、授業を妨害しているのだ。

 導師アンナも手を焼くはずである。


「……ティナがそんなに嫌なら、教会には行かなくていい。ただ、家庭教師はもう少し待ってくれ。今度はちゃんと人となりを見て探しているから」


「わかりましら」


 レオナルドが交渉して、しばらくはメンヒシュミ教会からニルスが教師役として来てくれることになった。

 私が受けていた授業は基礎知識なので、ニルスでも問題なく教師役を務められるだろう、と導師アンナからのお墨付きだ。

 可愛いミルシェに会えなくなるのは残念だが、私に絡んでくるテオの引き起こす騒動で周囲に迷惑をかけることを思えば我慢できる。


 ……なんとかテオをおとなしくできたらいいんだけどね?

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