閑話:レオナルド視点 慙愧祭とその顛末 1
ティナが夜祭から一人で帰ってきた、と報告を受けたのは、俺が砦に戻ってからだった。
門番からの報告の他に、警備のため通りの要所に立っていた騎士からも同じ報告が上がってきている。
最初こそ驚きはしたが、無事に戻ったという報告が先にきていたため、それほど取り乱すことはなかった。
……なんで一人で帰ってきたんだ?
何がどうなってそのような状況になったのかは判らないが、事実であればティナを叱らなければならないし、無事の確認もしたい。
今日ばかりは公私を曲げ、予定外の時間ではあったが館へと足を向けた。
……家庭教師が生徒を夜の街に放り出して宴会に参加って、おかしいだろう。どう考えても!?
妹は可愛いが、保護者として叱るべき時には叱らなければならない。
ティナに嫌われる覚悟で夜道を一人で帰ってきたことについて叱ったら、逆にティナから怒られた。
今までにない怒り方だった。
用件を告げた直後は落ち着いていたのだが、深く息を吐いたあと、ティナは椅子を移動させて俺の横へとやってきた。
そして椅子の上に立ちあがったと思ったら、力いっぱいクッションを振り回し始めたのだ。
可愛らしい腕力でクッションを振り回しながら「レオにゃルドさんのアホーっ!!」とティナは力いっぱい叫んだ。
正直なところ、クッションで叩かれたこと自体はまるで痛くなかったのだが、ティナの言葉は痛かった。
全身全霊で俺への怒りをぶつけてきたのだ。
これまで多少どころではなく放置しすぎだ、と思うような扱いであっても文句一つ言わなかったティナが、泣きこそしなかったが大声をあげて、両手両足を振り回して怒ったのだ。
……余程腹に
悪いのは自分ではなく、俺がお目付け役として付けたカーヤである、とティナは主張した。
そして、ティナの視点で語られたカーヤの言動をかえりみるに、それは正しい。
ティナ自身、子どもが夜道を一人で歩くことは、危険な行為であるとちゃんと理解していた。
理解していたが、俺の付けた子守が仕事を放棄したせいで、そうせざるを得ない状況に陥ってしまったのだ。
……よく無事に戻った、と褒めてやるべきだったのかもしれない。
ひとしきり暴れたティナはすっきりしたのか、いつの間にか腕の中で眠っていた。
そのまま三階の自室へ運んでやると、一度目を覚ましたティナはベッドにあがって熊のぬいぐるみの足に抱きつく。
ティナが『ジンベー』と名付けた熊のぬいぐるみは、最近のティナのお気に入りだ。
ジンベーの足を抱きこんでそのまま眠りに落ちたティナを見れば、自分よりもジンベーの方がティナに頼られているのがわかる。
少々面白くはないが、ティナの言うことをろくに聞いていなかったのだから、物を言わないぬいぐるみ以下の信頼度なのは仕方がないのかもしれなかった。
二階の自室へ戻ると、バルトとタビサを呼ぶ。
普通使用人は主の耳に入るような場所で他人の噂話などしないものだが、今回は報告として最近の館の様子を聞く必要がある。
ティナの言葉は、もう疑ってはいない。
普段から聞き分けが良く、俺の手を煩わせない子どもが、あれだけ全身全霊で自分の無実を訴えたのだ。
疑うべきは、カーヤの言葉である。
「……どんなに小さなことでもいい。俺が雇い入れた家庭教師が来るようになってからの館の様子を話せ」
椅子に座ってそう声をかけると、先に口を開いたのはタビサだった。
館内の仕事はタビサとバルトがその時々で手分けをしてこなしているが、タビサは女性ということでティナの世話をすることも多い。
そうなると、自然にバルトよりカーヤの実態を見ているということになる。
「家庭教師が予定通り二日に一度来ていたのは最初の一週間だけでした。そのあとは三日に一度、四日に一度となり、近頃では週に一度しかティナ嬢様のもとへ顔を出しておりませんでした。こんな様子ですので、授業らしい授業も行われてはおりません」
ティナの訴えとほとんど変わらない。
ただ同じ使用人として意図して記憶していたのか、タビサの報告の方が少し詳しいぐらいだ。
「私は授業内容も見守らせていただきましたが、あのような無作法を身に付けさせては、ティナ嬢様のためになりません」
俺の前では評判どおり非の打ちどころのない姿勢や振る舞いをしていたが、俺の見えない場所では違ったようだ。
タビサの語る授業内容は、とてもではないがティナの身に付けさせるわけにはいかない。
ティナが家庭教師の教えどおりの人間に育ってしまえば、サロモンに申し訳がたたないなんてものではないだろう。
貴族の娘としてティナを親族へ返すことになった時、ティナが困らないよう幼いうちから礼儀作法や所作を身に付けさせようと思ったのだが、カーヤを教師として付けていては真逆の効果が出てしまいそうだ。
頭を抱えたくなる家庭教師の実態に、今度はバルトが自分の視点から見た話を聞かせてくれた。
「二日に一度姿を見せたというところまではタビサと私も同じですが、私は逆に授業のない日にもカーヤを見かけました。直前に裏門へと向かう嬢様を見ておりましたので、間違いありません。門番にもご確認ください」
タビサが館中を歩き回り、髪飾りを探していたのは、授業のない日にカーヤを見かけた翌日だと言う。
長く館に仕える使用人ということで、二人とも実に良く館のことを把握していた。
……もっと早く実態を報告してほしかった、というのは俺の怠慢だな。
使用人は主人に忠実だが、そのために分を越えて主人に進言するようなことはしない。
聞けば聞かれたこととして答えるが、聞かない限りは使用人の醜聞など主人の耳へは入れないのだ。
そのようなことをすれば、問題のある使用人を雇った主人の失敗である、と使用人の側から指摘することになってしまう。
バルトからの報告に今度こそ本当に頭を抱え、二人を下がらせる。
せっかくの祭りなのだから、とティナに夜祭を見せてやろうと思ったのだが、ティナにとって良い思い出にならなかったのは間違いなかった。
ティナも大事だが、心置きなくティナにかまけるためには、先に仕事を片付けなければならない。
三階で眠るティナを気にしつつ砦へ戻ると、執務室にはアルフが来ていた。
我が物顔で執務机に備え付けられた椅子に座っていたアルフは、人の顔を見るなり「いい男になったな」と笑う。
「……なんのことだ?」
「気づいていなかったのか?」
苦笑いを浮かべながら、アルフが引き出しから鏡を取り出す。
差し出された鏡を受け取りながら椅子に座ると、微妙に温かいのが嬉しくない。
しかし、そんなことよりもと鏡を覗き、眉を寄せた。
指摘されるまでまったく気づかなかったのだが、顔中に小さな引っかき傷がついていた。
赤く
「案外仲良くなっていたんだな。そんな傷を付けられるなんて」
「俺とティナは最初から仲がいいぞ?」
「そう思っているのはおまえだけだ」
目を
「普通の子どもは、家族相手に『です』とか『ます』なんて口の利き方はしないからな」
そうアルフに指摘されて、初めて気が付いた。
ティナは基本的に『です』『ます』と丁寧な言葉を使おうとしている。
誰に対してもそうだったので、そういう性格なのだろうと思っていたのだが、思い返せば実父のサロモンに対してはもう少し子どもらしい喋り方をしていた気がする。
それに『誰に対しても』と言っても、ティナにとって周りの大人はまだ出会って二、三ヵ月の他人ばかりだ。
くだけた喋り方ができなかったとしても、不思議はない。
「……俺はまったくティナに信頼されていなったのか」
初めて知る事実である。
軽くショックだ。
「さすがに『まったく』ってことはないと思うが……まあ、暴力に訴えてくるぐらいには気を許してくれたんじゃないか?」
まったく信頼されていなければ、暴力にすら訴えない。
この人はこういう人間なのだ、と諦められて、ただ唯々諾々とやり過ごされるだけだ。
手段はともかくとして、反応を返してくれるだけまだ見込みはある。
「単純に、ティナが耐えるに耐えられなくなっただけかもしれないが」
「……励ましてくれる気があるんなら、最後まで励ませよ」
「ティナの味方はするが、おまえを甘やかすつもりはない」
おまえの女運の悪さは直らないな、とアルフは紙の束を丸めて俺の頭を軽く小突いた。
女運が悪いと言われれば、否定のしようもない。
王都にいた頃も、今回のカーヤも、ある意味では自分で撒いた種だ。
「それで、あの子がおまえの顔に引っ掻き傷を残すほど怒った理由は?」
「……少し前に家庭教師を雇ったと話しただろ? それでちょっとな」
「ああ、カーヤとかいう家庭教師か。……は? 今さらアレがおかしいって気が付いたのか?」
さすがに鈍すぎるだろう、と今度はアルフが頭を抱えた。
「おまえが頭を抱えるってことは、気が付いていたのか?」
「ティナに相談されてすぐに調べた」
そう言って、アルフは丸めたばかりの紙の束を伸ばす。
ヒラヒラと紙の束を
「……おかしいと思ってたんなら、教えろよ」
「私より先にティナが相談をした、と言っていたのに、まともに取り合わなかったおまえに言われたくはないな」
本来は他人であるアルフより、保護者である俺が真っ先に対処すべきことだった。
ティナもその辺は弁えていたので、何度となく俺にカーヤの素行について話している。
ただ俺が、まさか家庭教師という人を導く職についている者が、約束の日時も守れない、それどころか職場に来ることすら連絡もなしに放棄する無責任な真似をするとは思いもしなかったのだ。
結果としてティナの発言を軽く流し、彼女を傷つけることになってしまった。
「おまえがまともに対処しなかったから、ティナはティナなりに自衛をしたみたいだぞ」
アルフが差し出してきた紙の束へと目を落とす。
そこには騎士や兵士の視点から見た、昨日のティナの行動が報告として並んでいた。
ティナは街角に立つ騎士や兵士に声をかけ、
一般人が相手でも効果があるが、警備をする騎士に話しかけるという行為は防犯面で案外効果がある。
一度でも言葉を交わせば意識に残り、無意識下で意識され、見守られるのだ。
ましてティナは小さな子どもである。
子どもが一人で歩いていれば、自主的に送るまでの行動は起さなくとも、姿が見えなくなるまで見守る大人だって周囲にはいただろう。
「通りに立つ騎士に声をかけたなら、そこで黒騎士を頼るのが正解だろう」
「頼るべき
アルフの言葉が胸に突き刺さる。
思い当たることがありすぎた。
「ティナの帰り道に関する報告のついでに、祭祀前のティナがどこにいたのかも報告があるぞ」
「……聞きたくないが、聞かせてくれ」
ティナやタビサの語るカーヤという女の人物像を思いだせば、ろくな報告が聞けないことはもう判る。
しかし、聞かないわけにはいかない。
愚かな自分が家庭教師という看板を信じ、カーヤにティナを預けたのだから。
「カーヤはティナを連れて露店を覗いたあと、祭祀の時間まで酒場にいたようだな」
「……子連れだぞ?」
「諦めろ。元々まともな女じゃない。常識的かつ良識的な行動を期待する方が間違っている」
その後も耳を塞ぎたくなる報告が続いた。
あろうことかカーヤはティナを酒場へ連れ込み、そこでティナを放置して自分は知人と酒盛りを始めたらしい。
見かねた店主がティナを匿い、酔っ払いから守っていたそうだ。
酒場にいる間にカーヤがティナに話しかけたのは店に入った時と、出る時のたった二回のみ。
本当に連れまわしただけで、世話も何もしていない。
「カーヤ自身についての調べも終わっているが……?」
「手回しが良すぎないか?」
追加で差し出された報告書へと目を通し、眉間を押える。
アルフの調べたカーヤの情報は、ティナから聞いていたものが可愛らしく感じられるほどの物だった。
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