閑話:レオナルド視点 俺の妹 2
靴屋が帰ってティナの用事が済むと、ティナは兎のぬいぐるみだけを抱いて帰った。
全ての荷物をあとで運ぼうと思っていたのだが、自分で抱いて帰るほど兎のぬいぐるみが気に入ったのだろうか。
言付けを頼んだバルトが荷物を受け取りに来たのでティナの様子を聞いてみると、ティナは館へ帰って早々に兎のぬいぐるみを自室として使っている屋根裏部屋へと運び込んだらしい。
……やっぱり気に入ってるんじゃないか。
手ざわりが良いようなことを言っていたが、やはり兎のぬいぐるみが可愛かったのだろう。
素直に可愛いと言わなかったのは、いつもの遠慮かもしれない。
「ぬいぐるみか……」
「間違っても巨大な兎のぬいぐるみとか買うなよ」
「巨大……それもいいな」
アルフからの実に有用な
……うん、俺の妹は可愛い。
「買うな、と私は言ったぞ。検討するなよ。ティナにもおまえがぬいぐるみを買うとか言い出さないよう釘を刺しておいてくれ、って頼まれたからな」
「そうか。ティナは俺がぬいぐるみを買いそうだと思っていたのか」
ならば、その期待に応えないわけにはいくまい。
まずは兎のぬいぐるみを贈った騎士を見つけ出し、店の名前を聞き出さなければ。
あのぬいぐるみは良い手触りをしていた。
是非ともあのモフモフの兎を色違いで数体並べてみたい。
……いや、手入れが大変そうだ、とティナが心配していたな。
普段からティナが抱き運ぶと思えば、少しぐらい汚しても洗えるよう毛皮は諦め、布製のぬいぐるみにした方が良いかもしれない。
となると、兎は諦めて別の動物の方が良いだろうか。
「……あの子はあの喋り方のせいで幼く見えるが、頭のいい子だ。ぬいぐるみなんて喜ばないんじゃないか?」
どこか呆れを含んだ声音でアルフが言う。
ティナは頭が良くて聞き分けも良い利発な子だが、子どもは子どもだ。
「あのぐらいの普通の女の子だったら、ぬいぐるみで喜ばないはずが無いだろう」
「普通の女の子はオレリアと二人だけで生活なんてできないし、オレリアが気に入るわけもない」
妙な説得力があった。
気難しがり屋で人間嫌いでも有名なオレリアが、ティナに対しては杖を振り回して追い掛け回すような真似をしていない。
俺の仕事には雑だと文句を言ったが、ティナの失敗パンケーキは文句を言わずに食べている。
それどころか、ティナのためにスコーンを焼くような優しさも見せていた。
「……一度、オレリアがティナを欲しがったんだが」
「良いことじゃないか。ティナをオレリアの元に戻そう」
オレリアを谷に一人きりで住まわせるのは、以前から問題があると考えられていた。
子どもとはいえ、誰かをオレリアの側に置けるのなら、オレリアの薬を必要とする人間は僅かでも安心することができる。
大人を側に付けるのが、一番安心ではあるのだが。
「ティナは俺の妹だ」
名付け親から預かった、大切な妹だ。
一生をワイヤック谷に閉じ込めるようなことはしたくない。
「孤児だろう。血の繋がりはない」
正論すぎる反論だった。
「……嫌なことを言う奴だな」
「事実だ。そもそも、親戚を探すようなことを言っていなかったか?」
ティナ本人にも指摘されている。
親戚が見つかれば手放す予定なのだから、あまり甘やかせるな。
ムダになることも考えて、物を買い与え過ぎるな、と。
「親戚か……探すだけなら簡単なはずだ。サロモン様は騎士だったからな」
「騎士ってことは……その年代の名簿を探せば一発だな」
グルノール砦だけでも騎士の数は相当いるが、兵士の数と比べればその数は十分の一以下と少ない。
選び抜かれた精鋭だけが騎士になれるのだ。
数が限られているので、名簿から探すことも不可能ではない。
「グルノール砦内だけならともかく、今年は夏の闘技大会に三砦の副団長を招かない方がいいからな。その旨を王都に報告する時にでも名簿の写しを取り寄せたらいい」
今年は砦内で伝染病が発生したので、他の砦から騎士を招かない方が良い。
夏の闘技大会は年に一度行われる黒騎士たちの腕試しのような行事だが、ここ数年は俺が団長となっている他三つの砦から、副団長となった者がグルノール砦まで俺に挑みに来ていた。
少しだけ申し訳ない気がするが、負ける気はないし、今年は病という止むにやまれぬ事情がある。
三砦の副団長たちには、堪えてもらうしかない。
「……サロモン様の鎧は、白かった」
子どもの頃、人買いに運ばれているところを騎士に助けられた。
その話を
だが、その時にサロモンが纏っていた鎧の色までは、ティナには聞かせていない。
黒い鎧の黒騎士は、平民の中から選ばれる。
白い鎧の白騎士は、貴族の子息がなるものだ。
つまり、当時白い鎧を纏っていた白騎士のサロモンは、貴族の息子だったいうことになる。
そしてサロモンの娘であるティナもまた、貴族の娘ということになる。
「それは……さらに探すのが楽になったな」
何が言いたいかを悟ったアルフは、どこか遠くを見つめるような目をして溜息をはく。
兵士の数に比べれば黒騎士の数は少ないが、黒騎士の数と比べれば白騎士の数はもっと少ない。
名簿などわざわざ調べなくとも、懇意にしている貴族にサロモンの名を出して訊ねるだけでことは片付く。
「正直、探したくない。もう完全に俺の妹だと思ってるからな」
「探す、は絶対だ。貴族の娘と承知で黙っていたのがばれた方が面倒に……いや、早めに『探していました』という体裁は整えた方がいい」
「ジャン=ジャックが指輪さえ持ち出さなければな……」
親戚の貴族がどんな人間なのかを確認したあとで、ティナにはすべて話すつもりだった。
そのあとでティナが貴族になりたいというのなら、あの指輪を掘り出して親戚の元へと連れて行く予定だったのだ。
それを、ジャン=ジャックがサロモンの指輪を持ち出してしまったせいで、ティナがサロモンの娘だと証明することは難しくなってしまった。
それだけならば俺の元で育てれば良いだけだが、サロモンの指輪が意図せず親戚の手に渡ってしまった場合、サロモンに用があれば向こうから探しに来る可能性がある。
その場合、ティナを渡しても良い人間かどうかの調査をする時間がない。
「サロモン様が事前に話して聞かせなかった親戚だ。ティナを預けて良いのか自信がない」
ティナの言うことには、祖父についての情報は『自分と同じ髪の色をしている』ということぐらいしかサロモンから聞いていないようだ。
貴族の子息が駆け落ちをし、メイユ村のような貧しい村に隠れていた方が幸せだと思えるような実家だったのだろう。
そんな家に、ティナを戻すことをサロモンが望むとは思えない。
「どちらにせよ、選ぶのはティナだ」
そうアルフに結論付けられても、反論することはできなかった。
おまえは貴族の娘である、といつかはティナに話さなければならない。
それは解っているのだが、話したくない。
館を出る時は正門まで見送ってくれて、帰宅すれば「おかりなさい」と出迎えてくれる妹がいる生活を気に入っている。
……しかし、いつかは本当に話さなければ、な。
腹の底にとぐろを巻く感情を抱えながら、帰宅のために引継ぎ作業を済ませる。
なんらかの変事があれば裏門を使って館へと伝令の騎士が来るが、砦の主でなくとも判断できることはアルフなど砦に残っている者へ割り振られるようになっていた。
そのための引継ぎ作業である。
引継ぎ作業が終わり、帰りがてら見回りを兼ねて西棟を歩く。
昼間ティナが大歓迎を受けたという西棟の廊下は、何時間も前の話だというのに、いまだにティナの話題が漏れ聞こえてきた。
その中の一つを耳が拾い、足を止める。
曰く――
「見たか? 帰りがけのティナちゃん! 俺のやったぬいぐるみをこう……ぎゅーっと抱きしめてて可愛かったなぁ」
「ティナちゃんが自分で持ち帰ったのは、俺のやったぬいぐるみだけっ!」
「俺のやったぬいぐるみが一番嬉しかったんだろうなぁ……」
などと、どうやら兎のぬいぐるみの贈り主が贈り物を持ち帰られなかった他の騎士に自慢話をしているようだった。
自分の贈ったものが一番喜ばれた、と。
イラッとしなかったと言えば嘘になる。
が、さすがにティナにより喜ばれる贈り物をしたから、とそんな理由で腹を立てていては兄として情けなさすぎるので、内心の苛立ちは腹の底へと押し込めた。
無言でぬいぐるみの贈り主の背後に立つと、延々自慢話を聞かされていたらしい騎士の顔が青ざめる。
その表情に気が付いた贈り主が振り返り、俺と目が合った。
ザっと音を立てて贈り主の顔から表情が消える。
……うむ、少しスッとしたな。
ぬいぐるみの贈り主から聞き出した店に
多少値が張ったが、おかげで先ほどまで燻っていた感情が少し晴れた気がする。
……たまには散財するのも良いかもしれない。
子どもの頃に街を守る黒騎士に憧れ、幸いなことにその憧れの騎士になることができた。
サロモンのように誰かの助けになれる騎士になりたい、とただひたすらに己を磨き、剣を振るい、気が付いたら砦を預かるまでになっていた。
いつの間にか稼ぎはそれなりにある身分になっていたが、趣味らしい趣味もなく、仕事、仕事でそれを使うことはほとんどなかったのだ。
ティナを引き取ってから、ようやく少し金を使うことを覚えはじめた気がする。
正面玄関のノッカーを叩くと、バルトが中から扉を開く。
主に対して普段は何も言わないバルトが、俺の腕の中にある物を見て少し目を丸くして驚いた。
「おかえりなさいませ、レオナルド様。お荷物をお預かりいたしましょう」
「いや、いい。それよりも、ティナに扉を開けさせてくれ」
「かしこまりました」
短いやり取りだが、俺がしたいことは理解できたらしい。
バルトが扉を閉めるのと、ティナの声が聞こえてきたのは同時だった。
玄関扉の奥で、ティナの幼い声とバルトの声が聞こえる。
――え? わたしが開けりゅんれすか?
――はい。今日は嬢様が一番にレオナルド様をお出迎えして差し上げてください。
――わかりましら。
バルトに誘導されるまま、素直にティナが扉を開く。
「おかえりにゃさい、レオ……おおおおおおぉおお!?」
少し低い位置からティナの声が聞こえたと思ったら、戸惑いを多分に含んだ声をあげて勢いよく扉が閉ざされる。
ティナを驚かせようとは思っていたが、まさかこれほどまでに驚かれるとは思いもしなかった。
「……ティナ? 俺だ、レオナルドだ」
閉ざされた扉をノックし、扉の向こうにいるティナに呼びかけてみる。
返事はない。
扉に耳を付けて中の様子を探ってみるのだが、何か言っているの声は聞こえるが、内容までは聞き取れなかった。
――ソウキタカー。アル程度予想ハシテタケド、ソウ来ルカー。
ティナの声だということは判るのだが、小さなつぶやきすぎて本当に聞き取れない。
ただ、なんとなく額に手を当てて呆れていそうな雰囲気は伝わってきた。
「……おかえりにゃさい、レオにゃルドさん」
時間にして一分も待ってはいなかったと思う。
気を取り直したらしいティナが、ようやく扉を開けてくれた。
一度は奇妙な悲鳴をあげて扉を閉めたティナだったが、今は平静そのものだ。
ただ、俺と視線を合わせてくれない。
じっと俺の手にした物を見つめ、全身から戸惑いが滲み出ていた。
「ほら、ティナ。プレゼントだ」
「あ、ありがとうございましゅ……」
買ったばかりのぬいぐるみをティナに差し出すと、ティナは戸惑いながら手を伸ばし、すぐに下ろした。
ぬいぐるみの右へ周り、左へ周りと、ぬいぐるみごと俺の周囲をグルグルと回る。
……これは、無言で喜んでいるのだろうか? 無言で喜びを噛み締めながら、でも体は元気に興奮状態、というところだろうか。
しばらく待ってみたが、ティナはぬいぐるみを受け取ろうとしない。
もう一度差し出してやると、意を決したようにティナはぬいぐるみの脇へと両手を差し込んだ。
そのままぬいぐるみを抱こうとして、ぽてっとティナは尻餅を付く。
アルフの忠告を受けて兎をやめ、熊のぬいぐるみにしたので、ティナが熊に襲われているようにも見えた。
「……大きすぎますっ!」
熊のぬいぐるみの下から這い出てきたティナが、怒りを込めて俺の足を踏んでくる。
幸いなことに、つま先の強化された靴ではないため、たいして痛くもない。
それが判っているので、ティナも力いっぱい怒っているのだろう。
ティナと一緒に倒れたぬいぐるみを起こすと、その頭は俺の顎辺りにある。
四肢に仕掛けがあり、腕を伸ばしたり、足を曲げて座らせたりとできるぬいぐるみは、足を伸ばせば俺の身長など軽く超す大きさをしていた。
ティナが大きすぎる、というのも無理はない。
「これぐらい大きい方が存在感あるだろう」
「大きすぎれ持てましぇんっ!」
ぷりぷりとティナは怒っているのだが、怒り方まで可愛いので申し訳ないが先日の男児の気持ちが解ってしまう。
可愛い子ほど苛めたい、泣かせたいという
当然のことながらティナには持ち運べないので、俺がティナの部屋までぬいぐるみを運ぶ。
ティナお気に入りの屋根裏部屋へと運んでやろうとしたら、止められた。
狭くて気に入っている屋根裏部屋に、俺の身長より高いぬいぐるみなど邪魔にしかならない、との理由である。
結局巨大な熊のぬいぐるみは、ティナがほとんど使っていない三階の自室へと運び込まれることとなった。
これまたほとんど使われていないベッドの上に、枕代わりに使えるように置かれる。
後日バルトが聞かせてくれたのだが、俺の帰りの遅い日などはティナが熊のぬいぐるみを背もたれ代わりに座っていたり、足を枕に三階の自室で眠ることがあるようになったらしい。
購入当日は大きすぎると怒らせてしまったが、案外気に入っているようで何よりである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます