第3話 お味噌汁が食べたい

 結局『てりやきニキッツサンド』は本当に照り焼きだった。

 醤油と味醂みりんがこの国でなんと呼ばれているのかが判らなかったため、確認するのに時間がかかったが、店主に聞いてみたところ配合比は秘密だと言いながら教えてくれた。


 ……醤油は『しょうゆ』なのに、みりんは『ニリム』か。


 サンドイッチがサンドイッチであったり、醤油は『しょうゆ』であったりと、意外なことに日本と同じ名前の物が混ざっている。

 そのくせ味醂ニリムのように突然違う呼び方も出てくるので油断はできない。


 海を越えた三羽烏さんばがらす亭の店主は、店名そのままの人だった。

 海の向こうにあるナパジという国から、駆け落ちをしてこのイヴィジア王国までやって来たのだとか。

 そのためナパジの調味料に明るく、この国では高級食材に含まれるナパジの調味料を扱った店を開いたとのことだった。


 ……味噌は『オシミ』。よし、覚えた。


 レオナルドに聞いた『オシミ』も三羽烏亭で見せてもらったのだが、やはり味噌だった。

 輸入品であることと、高級調味料であることから、商店街では手に入り難いらしい。

 三羽烏亭の店主も、わざわざナパジから取り寄せているのだと教えてくれた。







味噌オシミのお料理が食べたいれすっ!」


 レオナルドの抱っこで帰宅して早々、洗濯室ランドリー・ルームでレオナルドのシャツにアイロンをかけていたタビサに突撃する。

 ちなみにこの国のアイロンは、当然電気仕掛けの三角の物体ではなく、底の平らな鍋のような入れ物に炭や焼いた石を入れて使うタイプだ。

 まだ使ったことはないのだが、使いこなすためにはなかなかコツがいるらしい。


「味噌ですか? 味噌でしたら、以前レオナルド様が試してみたいと取り寄せた物があったと思いますが……どこにしまったかしら? 捨ててはいないはずなので、食料庫の何処かにはあると思いますが……」


「しょくりょう庫……地下室にょ? 入っていいれすか? 探してきましゅ」


 さすがにアイロンを持って仕事中と判るタビサに、今すぐ探せとは言えない。

 味噌に用があるのは私だけなのだ。


「ティナ嬢様はおひとりで食料庫に入ってはいけません。バルトに声をかけるか、アイロンが終わるまで待っていてください」


「じゃあ、バルトさんを探してきましゅ」


 そうタビサに背を向け、バルトの姿を探して一階中を走り回る。

 メンヒシュミ教会を出る時には疲れ果てていたが、美味しい照り焼きのお陰で家の中を走り回るぐらいの元気は回復していた。


 館の中にバルトの姿が見つからず、庭か使用人用の離れにいるのだろうか、と外へ出ると、砦へと通じる裏門とはまた別の通用口からバルトが入って来るのを見つけた。

 どうやら今日はバルトが市場へ仕入れに行っていたらしい。


「おかえりなしゃい、バルトさん」


「ただいま戻りました。こちらの扉は使用人が使うものですので、嬢様はお使いにはなられませんように」


「お外に行くんらありませんよ。バルトさんを探していらんれす」


「私をですか? はて? どのような御用でしょうか」


「しょくりょう庫で味噌お探したいのれ、いっしょに来てくらさい」


 レオナルドから聞いた味噌についてと、タビサの覚えていた味噌の現在の所在についてをかいつまんで説明し、バルトの同行を求める。

 私が食料庫に一人で入ってはいけない理由としては、主人であるレオナルドの妹分であることもあるが、小さな子どもだからだ。

 地上より少し温度の低い地下室は、その名の通り食料がしまってある。

 何キロもある小麦粉の袋が詰まれていたり、産地別に巨大なチーズが並べられたりしていて、何かの拍子にそれらが倒れて下敷きにでもなったら危険だ。

 だから普段は入ることを禁止されているし、私も近づかないようにしていた。

 けれど、今日は別だ。

 食料庫の中に味噌があるというのなら、危険はもちろん避けるつもりだが、自ら食料庫の中に飛び込んで行きたい。


 案の定バルトには外で待っているように言われたのだが、そこをなんとか押し切って食料庫へと足を踏み入れる。

 明り取りと通気のための窓があるぐらいの地下室は、薄暗くてひんやりとしていた。

 入り口近くにある物はすぐに使う野菜ばかりで、奥に進むほど温度管理が必要な物であったり、使用頻度が低かったりする物になる。

 あまり奥までついて行っては邪魔にしかならないと判っているので、私自身は入り口付近で味噌を探すことにした。

 パッと見たままに、入り口付近には使用頻度の高い野菜しかない。


「……ああ、あった。この箱だ」


 一角に積み上げられた箱の中からバルトが一つを抜き出し、私を手招く。

 思ったよりも簡単に見つかったな、と近づいていくと、バルトに払い落とされた埃が舞い上がりくしゃみが出た。


 ……食べ物が埃被ってるって、大丈夫?


 そんな心配をして開けた箱の中身は、残念ながら綺麗にカビていた。


「ありゃー。これはもうダメですね。一面びっしりカビが生えてます」


「……中も変な色」


 カビた部分を避ければまだ食べられるか、と味噌の表面を匙で削ってみたのだが、まず匙の齧る感触からして味噌ではない。

 そのうちカビの下から味噌だと思う部分が出てきたが、赤味噌というにも無理のある色が出てきた。

 おそらく、無事な部分はどれだけ掘っても出てこないだろう。


「……がっかりれす」


 発掘した箱を持って食料庫を出る。

 とりあえず見つかったことは見つかったので、と報告のため居間にいるレオナルドの元へと味噌だったものを運んだ。

 箱の中身を見せられたレオナルドはなんとも言えない顔をしたあと、私に続いて居間へやって来たバルトへと箱を渡す。

 味噌であったものの詰まった箱を受け取ったバルトは、無言のまま居間から出て行った。


「オ味噌汁、食ベタカッタ……」


 肩を落として長椅子に座っているレオナルドの横へと座ると、大きな手で頭を撫でられた。

 どうやら慰めてくれるらしい。


「そんなに興味があるんなら、また取り寄せるか? 俺はあまり美味いとは思わなかったが、ティナはいろんな味に興味があるみたいだしな」


 ただし味噌を使った料理を作るのは、自分が帰宅しない日にすること、と追加してレオナルドは笑う。

 とはいえ、家主であるレオナルドがそこまで苦手だと思っているのなら、無理にねだることはできない。


「味噌はゆにゅう品だから高いって、レオにゃルドさんが言ってましら」


 高いうえにレオナルドが苦手なら、諦めるしかない。

 値段を理由に遠慮したら、むにっと頬を抓られた。


「……妹が興味をもった食べ物を買ってやるぐらいの稼ぎはあるぞ。遠慮なくこの兄におねだりするといい」


 どーんと任せておけと胸を張る兄に、かくして青魚の味噌煮が我が家の夕食へと上ったのは、ほんの数日後だった。

 取り寄せるとは言っても、輸入品を取り扱っている店から取り寄せるだけなので、本当に数日待っただけだ。

 店で聞いたというレシピを元にタビサが作った味噌煮は、ツンと味噌の強い香りがする。


 ……美味しくない。


 はっきり言ってしまえば、不味い。

 何故こんなに不味いのだろう。

 魚臭くて、味噌臭い。

 さらに言えば、ハーブが入っているせいか草の香りで口の中がいっぱいだ。

 見た目は懐かしい味噌煮そのままなのだが、ただ味噌100%に魚と謎のハーブを入れて煮ただけ、という調理法しか想像できなかった。


 私が楽しみにしているようだから、と自分の帰宅しない日に味噌を使うようにと言っていたレオナルドも同じ物を食べている。

 そっと様子を窺い見れば、なんとも言えない顔をしたレオナルドと目があった。


 ……あ、やっぱりレオナルドさんも不味いんだ。これ。


 わざわざ高い味噌を買ってもらっての結果がこれである。

 少々どころではなく申し訳ない。


「タビサしゃん、これ、お店のひろが教えれくれたレシピ……なんれすよね?」


「はい。レシピどおりに作りました」


 店で教わったというレシピを聞いても、どこからこんな破壊的な味になるのかが判らない。

 何が原因なのだろうか。

 それともオシミは味噌と香りも見た目もそっくりだが、実はまったく違う味の物だったのだろうか。


 ……でも、味噌の味はしてるから、オシミが味噌じゃないってことはないと思うんだよねぇ……?


 首を捻りながらも、二口目を口へと運ぶ。

 おねだりして買ってもらった高級な味噌だ。

 口に合わなかったからといって、残すのは嫌だった。


「……俺はやはり苦手だな」


 そう言いながらレオナルドは眉を顰め、しかし味噌煮を残すことはなかった。

 ただ、いつもより食の進みが悪かったので、やはり苦手なのは間違いなさそうだ。


 その後、レオナルドによって味噌の再封印が決定されたのは、しかたがないことかもしれない。


「……封印すりゅなら、わたしの好きに使っていいれすか?」


「ティナのために買ったものだから、それは構わないが……不味くても味噌は食べ物だ。食べ物を玩具にしたらダメだぞ」


「そんにゃことしませんよ」


 失礼な、と頬を膨らませて抗議する。

 料理を失敗することはオレリアの家で何度もあったが、食べ物を玩具にしたことなど一度もなかったはずだ。


「おいしく食べりゃれる方法を探しましゅ」







 高価な味噌ではあったが。

 私の好きに使ってよい、という言質げんちをレオナルドから貰ったので、遠慮なく使わせてもらうことにする。

 この世界のレシピでは味噌煮のような悲劇的な料理が完成してしまったが、前世の記憶を頼りに作る分には、少なくとも私の口には合うものができるはずだ。


 朝食の食器を洗っているタビサの横で、籠に入れられた野菜を漁る。

 まず目指すものは、一番簡単だと思われる味噌汁だ。

 味噌汁なら、前世で何度も作ったのでレシピなど必要はない。

 豆腐とワカメの味噌汁が大好きだったが、この際、具はなんでもいい。

 味噌汁なんてそんなものだ。

 味噌汁の材料といえば、いくつかの具と、水と――


 ……出汁だし入り味噌っ!! 出汁入ってないよっ! 絶対この味噌、出汁入ってないっ!!


 オレリアの家で市販のルーを恋しがった悲劇を思いだす。

 あの時も、ホワイトソースはなんとなく作れたのだが、味がいまいちのシチューしか作れていない。


 ……出汁をとるトコから味噌汁を作ったのなんて、家庭科の授業でだけだったよ。


 細部は覚えていないが、大まかには思いだせる。

 味噌汁の出汁は――


 ……昆布も鰹節もないっ! 終了っ!!


 味噌や醤油があるのだから、もしかしたら昆布と鰹節も輸入品であるのかもしれないが、今の私に手が出せないものであることに違いは無い。


 ……でも、待って。お味噌汁って、何も昆布と鰹節だけが出汁じゃなかったよね。


 魚のアラから出汁を取ったり、貝や肉からも出汁は取れたはずだ。

 今の私に無理なく手に入れることができ、出汁になりそうな物といえば、豚肉だろうか。

 魚は市場へ行かなければ手に入らない。


「タビサさん、豚肉を少しくだしゃい」


 豚肉で作れる味噌汁といえば、豚汁だ。

 具材は地方によって違うらしいので、なんでもいい。

 野菜籠にあるもので大根と人参を取り出す。


 ……こんにゃくとかジャガイモが入ってる場合もあるんだっけ?


 うろ覚えな前世の記憶なので絶対に入っていたという自信はないが、籠の中に芋も見つけたので失敬する。

 これだけあれば、なんとか豚汁が作れそうな気がした。


「豚肉はどこをどのぐらい必要ですか?」


「え? どうだろう?」


 スーパーで買うパックの豚肉なら細切れだとか、ロース肉だとかを必要なだけ買えるが。

 豚肉の塊を持ってこられて、どこをどれだけ必要か、と聞かれたらなんと答えたらいいかわからない。


「えっと……おいしく食べりゃれるように研究するのれ、とりあえず一人分れすか?」


 美味しくできればレオナルドと食べてもいいが、逆はまずい。

 美味しくなかった場合に、自分ひとりで責任をもって食べきるためには、あまり大量に作らない方がいい。


「一人分ですね。では、どのように使うおつもりですか?」


「野菜といっしょに煮れ、味噌をとかす予定れす」


「入れる野菜はティナ嬢様が選んだものを、ですね。これはどのぐらいに切りましょうか」


「ひとくちサイズで、火がとおりゅように、同じぐりゃいの大きされ」


 タビサが私に包丁を握らせるつもりなどなかったことが良く判る。

 質問へ答える度に、その通りの形へとタビサが野菜と肉を切ってくれた。

 私は横であれこれと注文しているだけだ。


「……昨日の味噌煮よりはいけりゅ気がしましゅ」


 勘で作った豚汁が完成し、スープ皿によそってさっそく一口飲んでみる。

 見た目はちゃんと豚汁なのだが、お椀ではなくスープ皿に入っているところがなんだかシュールだ。


 ……でも、オレリアさんの家で作ったシチューみたい。一応豚汁にはなっているんだけど、決定打にかける感じ?


 なんとなく物足りない味がした。

 これは改良の必要がある。


「確かに、昨夜の煮物よりは味噌の香りが優しいですが……少し味がサッパリしすぎている気がします」


 バターでも入れてみましょう、とタビサは豚汁に迷うことなくバターを投入した。

 元・日本人としては味噌汁にバターなど抵抗があるのだが、タビサにそんな固定観念はない。

 思ったままの、これまでの調理経験から出てきた改善案がバターだったのだろう。


 ……うわぁ、バターで油ギトギトになっちゃった。もともと豚肉の油も浮いてたのに。


 バターの投入された豚汁を改めて口に運び、タビサは満足そうに頷いていた。

 私も一応食べてみたが、やはり味噌汁にバターはどうかと思う。







「……少し物足りない気がするが、昨日の煮物よりはいけるな」


 一応食べられる味にはなったと思うので、早速帰宅したレオナルドに出してみた。

 私としてはこんなものかと思える味なのだが、やはりレオナルドにも物足りないらしい。


「タビサさんが、バターをいれるとおいしいって言っれましら」


 バターを入れてみますか、と先に用意しておいたバターを差し出す。

 私とバターとを見比べたあと、レオナルドは恐るおそるバターを豚汁に投入した。


「……お、美味うまい!」


 パッとレオナルドの顔が輝く。

 今までは苦手そうな顔をしていたのだが、バターを入れた途端本当に美味しく感じられるようになったらしい。


 ……これはもう、完全に好みの違いかな?


 レオナルドを含む、この館の人間はコッテリ味がお好みらしい。

 ただ、街には照り焼きだとか和食らしきものがあるので、サッパリ味が好みの人間も探せばいるのかもしれない。


 ……とりあえず、私のお皿だけはバターなしで。

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