第9話 賢女の弟子
今日も今日とて、押し込むように朝食を飲み込み、レオナルドとオレリアは背負い籠を持って出かけていく。
私はというと、昨日と同じだ。
家事と薬研を使って麻袋の中身を粉にする仕事を任された。
少しだけ違うことがあるとすれば、昨夜オレリアが網に並べていた葉の世話が追加されたことぐらいだろうか。
網ごと葉を陽に干して、昼になったら一度裏返せ、と言われている。
……昨日の失敗を踏まえて、今日は作業をする前に夕飯のこと考えておこう。
どうせ野菜スープは覆らないのだから、シチューモドキの味を改善する方向に努力しようと思う。
前回は塩味が足りない気がして、レオナルドもチーズを足してみたらどうかと言っていた。
……じゃあ、今日はチーズでも足してみようかな。チーズだけでなんとかなる気もしないけど。
前世では特に何も感じずに食べていたのだが、市販のルーで作られたシチューが懐かしい。
味はなんとなく思いだせるのだが、狙った味に調理をするような技術は私にはない。
失敗を繰り返して味を近づけていくしかないだろう。
……生パスタはそこそこ問題がないものが作れるってわかったから……形を変えよう。フォークの背だったか柄で形を作る簡単そうなパスタがあったよね。名前は覚えてないけど。
スープを絡めるための形をしたパスタがあったことを思いだし、それに挑戦することにした。
麺状のパスタをシチューに入れるよりかは、『これはシチューパスタではなく、スープパスタだ』という自分への言い訳に筋が通る気がする。
……幼女の腕力だと、一番時間がかかるのはパスタ作りなんだよね。生地だけ先に作っておけばいいかな?
パスタを作るには意外にも力がいる。
幼女の腕力で三人分のパスタを道具も使わずに作るとなれば、なおさらだ。
生地だけ作っておけば、あとは野菜スープを作りながらでも出来るだろう。
貯蔵庫から野菜スープに使う分だけの野菜を取り出し、台所の籠へと入れておく。
体重を使ってパスタ生地を捏ね上げ終わる頃には、午前中のほとんどが終わっていた。
そろそろ葉を裏返した方が良いのだろうか、それともまだ早いか? と悩んでいると、玄関のドアがノックされる。
……なんでノック? ここ自分のうちなのに。
いつもより早いが、オレリアたちが帰ってきたのだろう。
そう何の疑いもなくドアを開くと、そこには見知らぬ大男が立っていた。
「お? ホントに子どもがいるな。おまえが団長の妹って子どもか?」
無遠慮にずいっと顔を近づけられ、反射的に体を半分扉の影に隠す。
それだけで怯えられていると悟ってくれたのか、男は一瞬悲しげな顔をしてから体を引いた。
……あ、いい人っぽい。
少し距離ができたので、改めて大男を観察する。
つんつんと立った短い黒髪に、背丈は大きく筋骨隆々だ。
無精ひげが顎に残り、お洒落か理由があるのか黒い眼帯で右目を隠していた。
歳は三十台後半といったところだろうか。
いかつい顔をした大男だ。
……や、でも日本人と顔が違うから、私の見立てどおりの年齢って可能性は低いけどね。
男の顔をじっと見てから、視線を下げる。
モスグリーンのマントの下に、黒い鎧が見えた。
「……黒騎士さん、ですか?」
黒い鎧の騎士は平民出身の黒騎士だと教わったばかりだ。
顔は怖いが、恐れる必要のない相手だと判った。
「俺はレストハム騎士団副団長ユルゲン・ポーレだ。お嬢ちゃんが団長の妹か?」
「団長さんは、レオにゃルドさん? レオにゃルドさんなら、わたし、妹ぶん、です」
妹というのは父のこじ付けなので、一応訂正を入れておく。
血の繋がった妹でも、義理の妹でもないのだ。
正確な関係をのべるのなら、養子や妹分と言った方が近い。
それから、どこからレオナルドの妹などという情報が流れたのか、と考えて思いだす。
谷に入る前に出会った黒騎士に、レオナルドが私のことを妹と紹介していたはずだ。
あの黒騎士の口から、ユルゲンと名乗る大男の耳へと入ったのだろう。
「うちの団長が谷に篭ってるって聞いたんだが……お嬢ちゃんの兄貴はどこだ?」
「兄貴分のレオにゃルドさん、ですね。レオにゃルドさん、オレリアさんと、おでかけ。夕方まで、帰らない、です」
「ワイヤック谷の魔女と一緒か。それでは場所がわかったとしても追いかけるわけにはいかんな……」
……魔女?
そういえば、レオナルドもオレリアのことを魔女と呼んでいた。すぐにアルフに訂正されていたが。
魔女という言葉にあまり良いイメージはない。
中世では薬草などを作る賢女を『魔女』と呼んで迫害した、という歴史があったが、この国ではどうなのだろうか。
言葉も忘れるほど長い時間を谷に篭っているというオレリアは、もしかしたら迫害から逃れるために谷へ閉じ込められているのかもしれない。
そう考えると、谷の入り口に見張りと思われる騎士がいたことも納得ができる気がした。
「レオにゃルドさんから、黒騎士さんが来たら、渡しなさい、お手紙、預かってる、ます」
手紙を渡す相手はあなたで間違いないですか? と昨日預かった手紙を差し出す。
ユルゲンは受け取った手紙の宛名を確認すると、おもむろに封を開けて手紙を読み始める。
……え? ここで読むの? 持ち帰って読むんじゃないの? なんのための手紙!?
ざっと手紙に目を通すと、ユルゲンは手紙を封筒に戻し、懐へとしまった。
呆然と見守っていると、ユルゲンにちょいちょいと手招きされる。
なんだろう? と招かれるまま外に出ると、家の外には荷車があった。
「この荷物はパンと団長とあのババァが何か作るとは思えねェが小麦粉とバターやら塩やら、あといつものケチャップと塩漬け肉に、野菜……ようはお嬢ちゃんたちの飯だな」
他にはレオナルドと私の着替えがある、と言ってユルゲンは包みを一つ放ってよこす。
中を確認すると、女児用のワンピースが数着入っていた。
「しっかし……もう少し追加が必要そうだな」
手紙に何が書いてあったのかは判らないが、おそらくは滞在期間の目安でも書かれていたのだろう。
荷車の荷では足りないと判断して、ユルゲンは何事か考え始めた。
その足元の影は短い。
「そろそろお昼?」
「ん? ああ、そうだな。昼だ」
一応自分の感覚を疑って他人の意見を聞いてみたのだが、間違いなく昼らしい。
影の短さを見れば、正午に近いはずだ。
「お昼になった、葉っぱ、ひっくりかえす」
オレリアの指示を思いだし、陽に干してある葉をひっくり返す。
網と網に挟んで干してあるので、わざわざひっくり返さなくとも乾燥は早そうだ。
「……お嬢ちゃんは魔女の弟子にでもなるつもりか?」
「弟子?」
魔女がオレリアを指すことは判ったが、弟子とはなんのことだろうか。
そういえば、何ヶ月か前に弟子を送りこんだとかなんとか、最初にレオナルドが言っていた気がする。
私がレオナルドと寝起きしている脇屋も、もとはといえば弟子のために用意された建物だとも聞いた。
が、肝心の弟子本人の姿はまだ見てはいない。
「魔女の仕事を手伝ってんだから、弟子になるんじゃないのか?」
「わたし、お留守番。葉っぱ返す、ただのお手伝い」
留守番として家に残るのが自分だから、オレリアは仕事を任せただけだろう。
その仕事というのも、ただ干した葉を昼になったらひっくり返すというだけの物だ。
とても弟子などとご大層な呼ばれ方をする者の仕事ではない。
「あの気難しがり屋のババァが、薬の材料を他人に触らせるってこと自体が珍しいんだ。孤児だってんなら、都合がいいだろ。魔女の弟子になったらどうだ?」
……私が孤児って、どこで知ったの? あ、レオナルドさんの手紙?
もし情報源がそこだとしたら、懐にしまわれたあの手紙からは個人情報が駄々漏れである。
とはいえ、この国での個人情報の取り扱われ方など判らないので文句の言いようも無い。
「魔女と気が合うってんなら、ここはお勧めの職場だぞ。魔女の技術は貴重だからな。大事にされる」
そろそろ歳だから弟子をとってほしいのだが、なかなか続かない……と続く愚痴を聞きながら、気が付いた。
気が付いてしまった。
……大事にされる、って見張りをつけて閉じ込めるってことじゃない?
何故オレリアが魔女と呼ばれるのかは知らない。
魔女と呼ばれるオレリアが谷に隠れ住み、騎士が見張り小屋に住み込んで守っているのだと、なんとなく思ったのだが、たぶん少し違う。
ユルゲンの言動に、そう気が付いた。
この国の言葉を忘れたとレオナルドは言っていたが、オレリアは私には時折この国の言葉で話しかけてくる。
それも、レオナルドが近くにいない時に、だ。
……オレリアさん、騎士と話したくないから、言葉を忘れたフリをしてるんだ。
夕方になって帰宅したレオナルドに、ユルゲンという騎士が来て手紙を渡したことを伝える。
レオナルドは副団長という肩書きを持つユルゲンが来たことに驚いていたが、それだけだった。
一週間後にまた来るようなことを言っていたと伝えると、荷車の荷物を貯蔵庫へと移し始める。
荷運びを手伝ってからホワイトソースを作ったら、今日はダマが出来てしまった。
一昨日はビギナーズラックだったのだろうか。
いや、ビギナーズラックはまた別の意味だったはずだが。
多少失敗はしてしまったが、これもまた愛嬌というやつだ。
チーズで塩分が足されたおかげか、前回よりはシチューらしい味になっている気がした。
……や、これはスープパスタ。シチューパスタじゃないよ。違うよ。
自分で自分を騙しながら匙で掬ってパスタを口へと運ぶ。
悪くはないが、何か足りない。
そんな味だ。
「……わたし、オレリアさんの弟子、なったらいい?」
ふと昼間ユルゲンに言われたことを思いだし、レオナルドに聞いてみる。
問われたレオナルドは驚いたのか、少し目を見開いた。
「なんでそんなことを言い始めた?」
……あれ? 声のトーンが低くなった。
表情は変わらないのだが、少し声に険がある気がする。
ポイントは判らないのだが、レオナルドを怒らせてしまったようだ。
「ティナ、魔女の弟子なんて言葉、どこで……」
初めて見るレオナルドの怒りに驚いて固まっていると、レオナルドは私に『魔女の弟子』という言葉を教えた人間に目星がついたらしい。
というよりも、考えなくとも判るだろう。
現在私たちは谷に篭っており、外からの情報は遮断されているようなものだ。
そんな状況で、私に新しい知識を吹き込める人間など限られている。
「ユルゲンか。あのオッサン、余計なことを……」
「……孤児、ちょうどいい、みたいなこと、言った。おすすめ、お仕事」
「孤児は孤児だけど、ティナにはもう
一瞬だけ見えたレオナルドの怒りがユルゲンへと向かい、私に対しては困惑した目をして手を伸ばしてきた。
少しだけ乱暴な仕草で頭を撫でてきたので、レオナルドが自分の中の苛立ちを誤魔化しているのがわかる。
「……孤児の世話、みないでいい。レオにゃルドさん、楽になる」
「
乱暴に撫でるだけでは苛立ちが収まらなくなったのか、レオナルドの指が私の頬を摘む。
ムニムニと摘まれているだけなのだが、地味に痛い。
……レオナルドさんの中で、お父さんの言葉って絶対なんだね。
妹という単語をなんの躊躇いもなく口にするレオナルドに困惑する。
私なら、恩人の遺児であっても、
ましてや、成人まで養育をする覚悟などできるわけもない。
孤児というのは、やっぱり他人だ。
けれど、私なら戸惑う『孤児』という単語が、レオナルドの中ではすでに『妹』に固定されて『他人』への上書きができない状態になっているらしい。
もしかしたら『妹』に遠慮される『兄』として、頼りなく思われていると憤慨しているのかもしれなかった。
「ティナが成人してからオレリアに弟子入りをしたい、って言うんなら止めないが、今はまだ駄目だ」
やっと開放された頬を、レオナルドから守るように両手で包んで揉み解す。
頬は痛いが、奇妙にむず痒い気分だった。
夕食の片付けが終わると、今日の作業分をオレリアが検分する。
薬研で粉にしたものを移した入れ物を渡すと、オレリアは箱をくるくると回して中身を見ていた。
「外干した葉っぱ、しまった。カラカラ、乾いてる」
取り入れて台の上に積み上げた網を示すと、オレリアは無言で頷き、検分の終了したらしい粉を昨夜と同じ入れ物へと移し変え始める。
……何も言わないってことは、問題なかったのかな?
オレリアは粉を入れた箱を棚に戻すと、今夜は薬研を使って石を粉に変えているレオナルドへと近づく。
オレリアの後についてレオナルドの手元を覗き込むと、投入時は小石サイズあったものが砂粒のように細かく砕かれていた。
「どうだ、オレリア。粉々になったぞ!」
薬研を見せてドヤ顔をするレオナルドに、オレリアは無言で杖を振り下ろした。
「……全然ダメ、だって」
これはさすがに言葉がなくとも判る。
オレリアはレオナルドの作業にダメだしをしているのだ、と。
オレリアは粒々が入った薬研を私に渡す(これを改めて粉にしろ、ということだろう)と、麻袋を持ってレオナルドの耳を引っ張りながらどこかへと消えた。
しばらくして戻ってきたオレリアは一人で、麻袋に今日拾ってきた小石を入れる。
そして木槌でガンガンと砕き始めた。
レオナルドがどこへ連れて行かれたのかは翌朝聞けたのだが、貯蔵庫には
それを使って麻袋の砂粒を粉に変えさせられていたのだとか。
……石臼なんてあったんだ。それじゃ、幼女の私には使えないもんね。レオナルドさんに任せるしかないや。
作った粉を何に使うのかは判らないが、効率が上がったことだけは確かであろう。
オレリアがある程度小さく砕き、それを私とレオナルドが粉にする。
谷での生活は、家事以外の時間はほとんど薬研と共に過ごすことになった。
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