第219話 熟練度カンストの出発者2
ゆったりとリュカたちを待とうとも思ったが、思い出すと新大陸南方からこちらまで帰ってくるのに、あと数日掛かるではないかという結論に至った。
というのも、
「クラーケンどもは疲弊しているようだな」
羊皮紙の束を小脇に抱えつつ、ローザが言った。
彼女の後ろには、ラグナ教徒で育ちの良さそうな女性と、ザクサーン教徒で高貴な生まれっぽい男性、そして目端が利きそうなエルド教徒の少年がつき従っている。
どういう組み合わせだ。
「こやつらか? 各教団から派遣された特使よ。ユーマ、貴様が予見したこの世界の危機は、世界に生きる全ての者が力を合わせねば乗り越えられまい。存外に教主どもは協力的だぞ?」
ローザが担当しているのは、各国との折衝である。
うちの陣営でダントツの事務処理能力と、政務経験を持つ彼女にしか出来ない仕事だ。
ということで、ローザを連れ出すという選択肢は無い。
「なんだ。ヴァレーリアを連れて行くのか? 事務の才がある女だと思っていたが、ならばユーマよ。有能な助手を連れて行く代わりに、戻ってきたら一つ、私の頼みを聞け」
「なんだ、頼みって」
胸騒ぎがするぞ。
「うむ、簡単な話だ。貴様が戻ってきたら、私は一日休みを捻出する。その一日を、私だけと過ごすように」
「なにいっ」
だが、とんでもない仕事量を捌きつつ頑張っているローザである。
彼女のモチベーションのためにも、断るわけには行くまい。
「よし、分かった」
「そうか! ふふふ、これはやる気が湧いて来たぞ。行くぞ、特使どの! まだまだ仕事は山盛りだ」
テンションが上がったローザの掛け声を聞き、各宗教の特使たちは「ひええ」という顔になった。
既にこき使われているのだな。
そして、ローザは思い出したように口を開いた。
「そうだった。クラーケンは度重なる飛翔で疲弊している。そのため、空を飛んでこちらに来ることは出来ないそうだ。リュカが直接伝えてきたわ。故、彼女たちの帰還にはひと月近く掛かる事だろう」
「じゃあ、こっちはこっちで仕事をやっておかねばな」
「うむ。頼りにしているぞ、ユーマ」
ローザは淡く微笑むと、背伸びして俺の唇の端にキスをして来た。
俺、びっくりして硬直する。
俺の背後の、アリエル、竜胆、ヴァレーリアが仰天して言葉にならない声をあげる。
特使たちは目を見開いてこちらを凝視している。
「ふふふ、ではな」
行ってしまった。
「……たおやかな外見だというのに、相変わらず苛烈な嵐の如き御仁だ……」
ヴァレーリアが呆然としながら呟いた。
だが、執務から解放された彼女の口ぶりは、どこかホッとしているように聞こえたのである。
「では、パスを使って移動します。皆さん、ユーマさんから手を離さないでくださいね」
「う、うむ!」
「分かった。だが、これはどう見てもただの森じゃないか……うわっ!?」
一歩、パスとなった森に足を踏み入れた瞬間だ。
ヴァレーリアが慌てて俺の手を強く握ってきた。
足下が不確かなものになり、周囲の光景が捻じ曲がる。
光さえ曲がり、何が確かで、何がおかしくなっているのか分からなくなる。
これが、次元を曲げて繋ぐ、精霊的ワープ装置、パスだ。
今回は、西方から東方の果てである翡翠帝国まで、長距離を飛ぶことになる。
新大陸からの跳躍も同じくらいの距離だっただろうか。
初めてパスを使う、竜胆とヴァレーリアはさぞ不安であろう。
「ひええ!」
竜胆がしがみ付いてきた。
ヴァレーリアはそれをチラッと見て、流石に同じ事をするのははしたないと思ったのだろう。
じっと青い顔をして我慢しながら、俺の手を握るだけに留めている。
一歩進むごとに、周囲の風景が大きく変わる。
緑の色彩に、青と白い色彩が混じる。
多分、砂漠の辺りを通過した。
次に、茶色と赤の色彩が混じり、恐らく山を通過した。
そして、深い緑の色彩。
森に到達したようだ。
「出ます!」
アリエルの宣言と同時に、周囲の光景がパッと開けた。
そこは、一見すると入った時と似たような森。
だが、よくよく見れば植生が全く違う。
西方には無いタイプの木々が生い茂っているのだ。
竜胆もヴァレーリアもふらふらだったので、二人を支えつつ森を出た。
すると、目の前に翡翠帝国に属する村が広がる。
「おお……!」
初めて見るであろう、東洋風の建築に、ヴァレーリアが目を丸くした。
竜胆はホッとしたように、溜め息をつく。
「どこか、建物の作りが似ておると安心するのう」
この村は、パスの出口としてアリエルがよく出入りしているため、村人とも顔見知りである。
「おー、アリエルさんこんにちは。久しぶりだねえ」
「はい、ちょっと皇帝に会って船を借りるんです」
「へえー、皇帝陛下にねえ。あの人も変わり者だからねえ」
早速、村人Aとアリエルが立ち話を始めているではないか。
彼女の翡翠語は、もうネイティブに近いくらい流暢だ。
エルフは言語習得能力が高いのかもしれないな。
彼女は、あれよあれよという間に、村人たちと会話を進め、これから都へ向かうという荷馬車に同乗する約束まで取り付けてしまった。
「アリエルは凄いのう……」
「コミュニケーション能力が高いんだな……」
お姫様と騎士様が感心している。
「代価はパン一週間分でまとまりました。後で森の方から送らせますね」
「凄い、本当にやり手だ」
アリエルのヒエラルキーが俺たちの中でグッと上がった感満点である。
かくして、俺たちは村人が操作する荷馬車に揺られて都へと向かった。
道をことことと揺られる事半日。
大きな河がある村についた。
ここから、またアリエルの交渉が始まる。
翡翠は、各国から多くの人間がやってくる国で、外国人がうろうろしていてもあまり気にされない。
特に、ここは河沿いであり、船を使って多くの人間が行き来するのだとか。
……ということで、アリエルが船の乗船券を手に入れてきた。
有能である。
「お金はどうしたんだ?」
「この間皇帝さんが遊びに来た時に、お小遣いをもらったんです。どうせ森にいても使い道がないですからね」
翡翠の皇帝め、いつの間にアリエルに粉をかけていたのだ。
だが、結果的にちょっと助かった。
それで俺たちは、やって来た船をチャーターし、川を下っていく。
荷馬車よりも随分早いな。
これで、途中途中で休憩を入れながら丸一日。
ようやく都が見えてきた。
「随分近いんだな」
「ヴァレーリアの国は異常に広いからなあ。俺たちがいた村から、帝都まで歩きだと……」
「二十日以上かかる」
「ひえーっ、広いのじゃのう……! 蓬莱は妾の国から、都まで五日ほどか」
「俺と竜胆ちゃんで、寄り道しながら歩いてそれくらいだったかな」
「翡翠は、水運が発達していますから、そのお陰で旅路を短縮できたというのもあるみたいですけどね」
アリエルが船頭から聞いた話だった。
翡翠、瑪瑙、紅玉の三国は、この央原という地方で争う大国だが、央原は平野と山、森林などを有していて、あちこちに枝分かれした大河が流れているらしい。
そして、翡翠は特にこの中でも、河の運搬力を利用した交通機関、運搬機関を充実させているのだという。
都の入り口で、河の左右と中州に兵士が立っていた。
船を検問するのだという。
俺たちを担当したのは若い兵士で、アリエルと竜胆とヴァレーリアを見て、デレデレになった。
そうだよな、美女ばっかだもん。
で、俺を見て、チッと舌打ちするのだ。
羨ましかったらしい。
だが、俺もちょっとムカッと来たので、剣気をぶっぱした。
崩折れる兵士。
慌ててあちこちから飛んで来る兵士。
仁王立ちする俺。
あわや、俺vs検問所の兵士という大立ち回りが展開される寸前になった。
そこへ、見覚えのある男が駆けて来る。
「互いに争う者たちよ、鎮まれ! ここは旅人が新たな世界への門戸を叩く場。赤き血で豪奢なる都の顔を染めて良いはずが無い!」
漆黒のコートにパンツにブーツに穴あき手袋。厨二チック満載で、明らかに翡翠から浮いた服装の男である。
「あっ、クラウド!!」
「むっ、ユーマ! 生きていたのか」
クラウドであった。
大気圏から落下して、まあこいつは死なないだろうなと思ってはいたが、ピンピンしているとは。
クラウドの後ろには、中国っぽい服装の目が細い男と、中国の武人っぽい服装の東洋風美女が付き従っている。あと、何やら胡乱な雰囲気を感じる幼女がクラウドの背中にくっついていた。
「これが今の俺のパーティだ」
「そうか……。クラウド、一人ぼっちじゃなかったんだなあ」
「ええい、しみじみ言うな! 俺は皇帝から任を受け、こうしてここでお前を待っていたのだ。元は敵対していた身だが、世界の危機とあれば立ち上がらぬわけには行くまい。こうして翡翠に手を貸しにやって来ているというわけだ!」
「おうおう。クラウドはいつも元気だなあ」
俺とクラウドがやかましくやり取りしていると、兵士たちはそれを見て、
「なんだ、クラウド殿のお客か」
「それじゃ仕方ない」
「解散、解散」
と言って散っていく。
この男がどういう扱いをされているか、よく分かる光景であろう。
「この男……一見して大変間抜けだが、凄まじい使い手ではないか?」
「分かるかヴァレーリア! 妾は、ユーマとこの男と、宇宙と言うところに言ってだな。その腕前を見たのじゃ。ユーマほどではないが、恐るべき使い手じゃぞ」
「あー、この人ですかー……。話を聞いていると、明らかに複数回死んでてもおかしくない状況に遭ってるはずなのに生き残ってるらしいですよね。私、この人のノリ、苦手なんですよ」
アリエルが顔をしかめた。
そんなわけで、俺たちは案内人としてやって来たクラウドと共に、宮殿へと向かうのである。
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