2022年7月の参院選を前に思ふ

2022年7月の参院選。どこを選ぶべきなのか。

昨今、ニュースで各党の主張を耳にするが、聞いていて本当に腹立たしい思いをすることが多い。ニュースを見ていて感じる憤りを、はなはだ感情的で恐縮ながらこの場で吐露したいと思う。

この文章を目にする人には申し訳ないが、実際のところ本稿はPVもそれほど多くはない。たまたまこの文章に興味を持っていただいた方に、筆者のまさに愚かな愚痴にお付き合いいただくことをご容赦願いたい。


まずは、自民党。筆者のこれまでのエッセイを御覧いただいた方には言うまでもないが、今の日本の苦境を作ってきたのは自民党だ、というのが筆者の主張だ。いろいろ迷うとしても、自民党員の候補者に入れるか否かに関しては一切迷わない。自民党議員は、自民党であるというその一点だけで無能であると評価できる。

現在の岸田首相は聞く耳を持った首相なのだそうだ。はっきり言えば大嘘である。

岸田は(もはや敬称をつける気もしない)、いわゆる『分配』を第一に掲げていたのではなかったか。所得倍増ではなかったのか。これは経済活動の結果得られた富を経済の末端に至るまできちんと行き届くようにすることを意味する。ところが、だ。岸田はこともあろうに、つい最近「資産所得倍増」と言い出した。「資産」とついただけで、個人の所得を増やそう、という方向性は変わってないじゃん、と思った方は岸田に騙されているので目を覚ましていただきたい。

所得とは給与などの収入のことである(厳密には収入から経費を引いたモノ)。所得倍増とは、給料を増やそうという政策のことだ。ところが「資産所得」とはこれとは大きく異なる。「個人が持っている資産から得られる所得のことであり、利子、配当、賃貸料収入など」これが資産所得である。重要なのは「個人が持っていう資産」をもとにして得られる収入のこと、という点である。つまり、もともとお金がなく「資産」なるものを持っていない人には何の恩恵もない政策のことだ。なにせ「資産」を「倍増する」政策なのだ。資産がゼロなら何倍したってゼロだ。ニュースでも一時期限定的に取り上げられていたが、ちゃんとその仕組みを理解するなら、この政策が経済格差をますます大きくする政策であることは明白だ。岸田が就任当時に口にしていたのは「所得倍増」だ。貧しい人たちがより多くの収入を得られる政治だ。全く逆の方向をむいた政策をしれっと打ち出したというわけだ。二枚舌とはまさにこのことである。

「資産所得倍増」とは、平たく言えば、個人の預貯金を株に投資して増やしましょう。という政策だ。かつて、同じことをやった首相がいる。安倍だ。まだ耳に新しい「アベノミクス」がまさにこの政策だった。そして菅はこれを継承した。岸田、お前もか、である。企業や株に金をつぎ込んで、企業の業績が上がれば雇用されている末端の社員の給料も上がる、という理屈だ。安倍は連続在任日数では2822日という歴代最長記録を打ち立てた。にもかかわらず、安倍の在任期間中、アベノミクスでは末端の庶民の給料は物価上昇分ほども上がらなかった。アベノミクスは完全に失敗したのだ。なのに、早くも岸田はこの愚策の二の轍を自ら踏みに行こうとしているのだ。

まあ、そりゃそうだろう。自民党はアベノミクスの失敗を認めることもなく、まして反省をすることももちろんなく、何を血迷ったか、レジェンドであるかのように安倍を崇めているわけなのだから。岸田が持っている聞く耳は国民の方を向いているわけではなく、自民党の権力者の方しか向いていないってことを証明して見せたわけだ。

こんな無能を、首相に選出してそれを恥じない自民党議員はそれぞれが立場上どんな詭弁を弄したとしても評価するに値しない。クズだと言ってもよい。早々に政治の舞台から退場いただきたいものだ。筆者が自民党議員を、自民党だ、というだけで無能と評価する所以ゆえんである。

最近の世論調査では岸田政権に対する支持率は高いそうだ。そりゃそうだろう。ロシアが庶民の倫理的な感情に対して、絶対悪とも言える行動をとっている。これに対して国民の理解を得やすい対応をとるのは決して難しいことではない。岸田は、そうしようと思ったとしても、失政を犯すのが難しい状況にあるってだけのことだ。決して岸田が有能だ、とういことではないのだ、ということに気が付いていただきたい。


公明党。そもそも宗教団体が政治に関与することが間違っているわけだが、票田を武器にして自民党に影響力を及ぼし、政権政党として我が物顔をしている政党だ。その成り立ちからして正当性がない。この時点で論外と考えるべきであろう。

自民党と連立政権を組んでからは、その甘い汁に溺れてしまって支持母体となっている宗教団体の支持者の意向にすら従っているかどうか怪しいものである。そのいい加減な舌先がなにを口にしようと信じるに値しないと言わざるを得ない。立場が怪しくなれば選挙で何を主張したかなんて忘れて簡単にその立場を変えることだろう。


国民民主党。今や、自民党のポチに成り下がってしまった可哀そうな人たちである。自身に確たるポリシー(政策信条)があればこういうことにはならなかったであろうが、悪い意味での愚衆政治に陥ったのがこの政党だ。確たるポリシーを持ち合わせていないがゆえに、野党は反対をするための反対をしている、という自民党のアジテーションに乗せられて自民党が提案する愚かな施策に賛成票を投じるという失態を演じている。自民党は、ことごとくまともな政策を提案していないわけなのだから、ことごとく反対を主張することになるのは、まともな思考力をもっていれば当然のことであり、致し方のないことであると言える。この政党はもはや、国民の顔色をうかがって、その時に最も多数を占める意見に自らのポリシーを左右され、自身の確たる価値観をもって物事を判断する力を失った烏合の衆である、と評するのは決して行き過ぎた評価ではないだろう。


日本維新の会も国民民主とは根本的に異なりはするがあまり好感度は高くない。国民民主党よりは自らのポリシーというものを意識しており、民衆の単なる人気投票的な意見に左右されないところは評価する。しかしながら、その実態は、極右であり、究極のタカ派であると筆者はみる。「改革」という言葉を口にするからぱっと聞いた感じの印象は悪くないが、武力の強化により対外的な圧力に対抗しようという姿勢は強く、その観点からは決して無条件に賛成できる政策を打ち出してはいない。大阪都構想でもみられたように、自分たちの政策を押し通すためには強引な手法をとることも厭わない姿勢もみられ、反発する人たちも決して少なくないと思われる。

完全に意見の一致をみる一部の人たちからは評価が高いだろうけれども、異なる意見を持つ人たちに対しては非常に強権的、かつ、独裁的な姿勢をとっているような印象があり民主国家における政党としては主流に据えたくない印象がある。


立憲民主党は頼りない政党になってしまった。野党がだらしない、と言われる所以ゆえんである。しかしながら、その「だらしない野党」は自民党にゴマをする大手マスコミのプロパガンダによって、変節を強いられた結果であるように思われる。かつて、民主党時代に政権を奪取した際、あらゆる新しい試みを行ってきた。これらは、的を射た手法もあれば、やや強引に改革を進めようとするあまり無理のある手法もあったことは事実だ。マスコミはこの悪い部分だけを事さらに強調し「政権担当能力がない政党」なるイメージを作り上げてしまった。冷静に考えれば、いかに日本の大手マスコミとはいえ、「政権担当能力」という究極的な国を治める力の有無を評価できるようなノウハウも、確たる知識も、激しく移り変わる社会状況へどう対応するべきかを的確に判断する能力も持ち合わせているわけがない。ところが、彼らはあたかも自分たちがそれを持っているかのように、民主党政権の政党として能力を批判して見せたのである。

改革政党としては、こうして作りあげられた誤った世論に対抗する力を持っていてほしかった、という思いもあれど、それは望みすぎだったかもしれない。あるいは、そのマスコミ批判に対抗しきれなかったのは民主党政権の力不足だったと考えるべきなのかもしれない。

いずれにせよ、当時の自民党と比べてもはるかに国民のことをマジメに考えていたということは間違いないだろう。そのころの自民党は、すでに政治をゲームとしかとらえていない2世のボンボン議員が幅をきかせる政党だったのだ。

さて、少々話がそれた。

政権交代をした民主党時代の主たる議員がほぼ姿を消して、はなはだ迫力のない政党になってしまったのはテレビ等で報道されている通りだと筆者も思う。政党としての確たるポリシーが薄れつつあることも否定しない。

それでも、現在の政党の中からどれかを選べ、というのであれば選択の候補になりえるだろう。ただし、それはアンチ自民党、としての選択肢でしかないことは否定できない。それでも、我々はどれか一つを選ばなければならないのだ。それが民主主義の基本なのだ。


共産党。党名でかなりの損をしているが、主張している内容は全政党を比べても最もまともに見える。ただ、彼らがいきなり政権政党になることは何がどう間違ってもない。そこを見込んだうえで、単なる理想論だけを振り回しているのではないか、と言われれば、これに反論することはできない。

逆に言えば理想論としては、きわめて真っ当なことを言っていることは間違いない。一度、彼らがぐんと飛躍的に議席を伸ばすのは、今の政治に携わっているそのほかの政党にとっては良い意味での刺激を与えるのではないだろうか。


社民党は論外。もはや何の力もなく、主張そのものも力ない。NHK党と同レベルの政党になってしまった。NHK党のほうがやりたいことが明確な分、好感が持てる。

とはいえ、NHK党はやりたいことがあまりにも偏っていて、国政を任せる気にならないのも事実なのである。だから、これ以外の政策に対しては、まったくポリシーが見えず品がない。

筆者はNHKがなくなればよいとは思っていないが、NHKが持っている既得権益をはく奪してほしいとは思っている。テレビを買ったら、問答無用でNHKの受信料を払わなくてはならないなんて、ヤクザのみかじめ料と何も変わらない。国に守られたヤクザ組織、というがNHKに対する筆者の公式見解である。またまた、話がそれた。泡沫政党に対する悪口はこの辺にしておくべきであろう。


参院選のニュースを見て、憤りが抑えきれず、勢いだけで書きなぐってしまった点を最後にお詫びする。不快に思った方がいたらご容赦願いたい。本稿を目にしてくれた方には、どの政党に投票するかは別にして必ず投票にいってほしい、と切に願って乱文を切り上げようと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あまのじゃくが見ている風景 竹中凡太 @bontake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ