vol.3 そうだっけ?

 朝10時。台所に立つ敏子としこ

 恵美えみ、タオルを頭に巻いて登場。



敏子  お湯抜いてくれたー?


恵美  洗顔。


敏子  は?


恵美  洗顔。


敏子  うん。


恵美  うんじゃなくて。


敏子  え、何よ。洗顔が何。


恵美  なんで私のゾーンに置くの。


敏子  ゾーンって何よ。


恵美  下の段がお母さんで上の段が私。


敏子  お風呂の棚のこと?


恵美  棚っていうかラック。


敏子  はっはは。一緒でしょ。


恵美  違うよ棚とラックは…てかそこじゃなくて。お風呂のそれのお母さんの段。シャンプーもコンディショナーもボディソープも、


敏子  石鹸だけど。


恵美  んんん。じゃあ石鹸も、


敏子  ていうかあれリンスじゃなかった?あんたが言ってきたんでしょ。コンディショナーじゃなくてリンスだよって。


恵美  じゃあリンス! いいの今それはどっちでも。


敏子  だってあんた細かいんだもん。言い方ひとつですーぐ、


恵美  お母さんが忘れっぽいからでしょ。で、洗顔の場所。


敏子  なんだっけ。


恵美  決めたじゃん。お母さんは下。私は上。で、お母さんの洗顔置いてあるのは上の段。つまり私の場所!


敏子  決めたっけそんなの。


恵美  決めた。忘れたの。


敏子  置いてたっけ。上の段?


恵美  置いてた。置いてる。今まさに。


敏子  無意識だわー。


恵美  嘘。わざとでしょ。


敏子  ええ?


恵美  私最近ずっとお母さんの洗顔、下の段に移動してるもん。


敏子  はあ。で。


恵美  なのにお母さん入った後いつも上の段に戻してある。


敏子  洗顔?


恵美  絶対分かってやってるでしょ。


敏子  はっはは。


恵美  え、何。


敏子  あんたお風呂入る度に私の洗顔移動してんの。


恵美  だったら何。


敏子  上から下、上から下って? くくく。マメだねえー。


恵美  だってお母さんがちゃんと、


敏子  気にしなきゃいいでしょ。別に他に誰もいないんだから。


恵美  良くないよ。上の段だけ狭くなるの。お母さんの洗顔無駄にでかくて邪魔で、


敏子  安いんだよあれ。大豆のなんか、成分入ってるやつ。イソジン?


恵美  イソフラボン。


敏子  それそれ。あんだけ入ってて500円だよ安いよねえ。あれがいいよね。あの、ほらなんだっけ。コストポー、


恵美  パフォーマンス。


敏子  それそれ。コストパフォーマンス。舌噛みそうだわ。


恵美  この話前もしたよ。


敏子  え? そうだっけ。


恵美  すぐ忘れる。コスパって略すんだよって話したでしょ。


敏子  ああそう? コスパね。いいでしょ。あれで500円だよ。ほらこんなお肌つるつるになって、


恵美  なんでもいいけどさ。ちゃんと自分のゾーンに置いてよ。こっちのゾーン入って来られるのまじで嫌。


敏子  ゾーン。


恵美  場所って意味。


敏子  いや分かるけど。


恵美  何。何笑ってんの。


敏子  だって。そんなこと言ったらこの家私のゾーンですけど。


恵美  (!となる)


敏子  あんたが勝手に入ってきたんだもん。私のゾーンに。


恵美  でも実家じゃん私の。


敏子  でも家賃も食費も入れてないじゃんあんた。


恵美  それは仕方ないでしょ。まだ仕事見つかってないだけでこれから、


敏子  そのくせ朝帰りとかしちゃうんだー。


恵美  うるさいな。別にいいじゃん子どもじゃないんだから。


敏子  先月もあったよね。


恵美  先月もって。そんなしょっちゅうじゃないでしょ。いいでしょ時々は。


敏子  じゃあ、いいでしょ時々は。洗顔。


恵美  時々じゃないから言ってるんだって。


敏子  あーはいはい。はいはいはい。はーいはいはい。


恵美  ちょっと。直す気ないでしょ。


敏子  あるある。はいはい。はい、と。



 はいはいで変なリズムを取る敏子。

 いつの間にか食卓には朝食が並んでいる。

 敏子、炊飯器の蓋を開け、



敏子  どれくらい。


恵美  八分目。


敏子  はいはい。はーいはい、と。


恵美  あ、やっぱいい。自分でやる。


敏子  あ、そ?


恵美  お母さん無駄に入れすぎるから。


敏子  ご飯あるだけ感謝してほしいわ。


恵美  してる。してます。感謝。いただきます。


敏子  あ。この煮物全部食べちゃってね。


恵美  えー。


敏子  えーって何。感謝してるんでしょ。


恵美  してるけど…


敏子  ならちゃんと消費してください。


恵美  ねえ別につるつるじゃないと思うよ。


敏子  え、何。


恵美  肌。


敏子  は? 何の話。


恵美  洗顔。


敏子  まだ言うの。


恵美  イソフラボン。500円の。


敏子  お得でしょ。


恵美  でも、つるつるではないよ。


敏子  何つるつるって。


恵美  言ってたじゃんさっき。(真似して)こーんなお肌つるつるになってえって。


敏子  言ってないよ。


恵美  言ってたよ。また忘れたの。


敏子  こーんなって、そんな馬鹿っぽい言い方してないでしょ。


恵美  いいんだよそんなディテールは。


敏子  何。D?


恵美  ディテール。いい、いい。覚えなくて。どうせまた忘れる。


敏子  あ、ディスってんの?



 盛大せいだいにむせる恵美。胸をトントンやる。



敏子  すぐ忘れるって。記憶力ないって。


恵美  (むせている)


敏子  横文字苦手って言いたいんでしょ。


恵美  言って(ない、と言いたいがむせてる)


敏子  あれ。何。どうしたの。



 敏子、恵美にお茶をやる。

 お茶を飲む恵美。



敏子  何。詰まった?


恵美  (飲み干して)どこで覚えたのそんな言葉。


敏子  ええ?


恵美  「ディスってる」って。


敏子  ああ。はっはは。それでむせたの?


恵美  なんでそんな言葉だけ知ってんの。


敏子  だけって何。失礼な。


恵美  いや、だってこんな今どきの横文字、


敏子  あんたが教えてくれたんでしょ。


恵美  え?


敏子  いつだったかな。ついこないだ。あ、ほら二人でドラマ見ててさ。出てる俳優の演技がまあーひどくて、


恵美  え、え。そうだっけ。私?


敏子  うん。忘れたの?


恵美  ……


敏子  忘れたんだー。


恵美  それほんとに私?


敏子  他にいないでしょこの家。


恵美  まあ…ふーん。



 恵美、不満げに食事を再開する。



敏子  すぐ忘れるよねー。


恵美  うるさいな。


敏子  記憶力。


恵美  お母さんよりはあります。たまたまです今日は。


敏子  はっはは。誰に似たんだか。


恵美  ……他にいないでしょ。


敏子  ん? ふふ。



 恵美、煮物を全部食べ切って。



恵美  てか。お母さんのそれはあれだからね。加齢もあるから。


敏子  ん? カレー?


恵美  ……わざとでしょ。



 敏子、けらけらと笑う。




そうだっけ? 終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る