第5話:目標、登録者100人

 息を抜くように、私は電脳世界から現実世界への離脱を行う。

 頭のVR機器を取り外し、充電器に刺せば、ログアウトの事後処理は完了だ。

 クーラーの効いた部屋は少し肌寒けれど、こうでもしないと夏場は灼熱に身を焦がしてしまう。VRゲーム中の熱中症が頻発する事態を知ってしまえば、おのずと冷房を付けるのは鉄板になってくる。


「ふぅ……」


 机の上に置かれた水滴だらけのコップを一瞥する。

 そういえばまだ麦茶入ってたっけ、飲んじゃえ。喉を鳴らして、温くなってしまった麦茶を流し込む。

 乾いていた喉が潤いを取り戻した。

 コップを再度机に置き、身体をベッドの上に放り投げる。


「アステ、かぁ」


 先ほどまで会話していた私の知らない弟子を思い浮かべる。

 いろいろ思うことはあるけれど、まず最初に思うことは1つ。


「おっぱいおっきかったなぁ」


 アバターとリアルの身体は全く同じではないのが常であるが、それでもあの形のいいDカップ相当の胸は私にとって羨ましさの化身であった。

 私のアバターもそれなりに大きい。というかEぐらいに設定していたはずだ。

 だけどそれはあくまでもネット弁慶としての私。

 実際は……。いや、多くは語るまい。


 あれは天然ものだろうか。

 一応アバターの選択は自分で選べるカスタムとリアルの身体から引っ張ってくるインポートと言うものが存在する。

 もし、万が一。アステがインポートだったとしたら……。


「私はこの手でアステを殺めなければならない、か……」


 というかあの子スタイルいいよ。身長だって私よりも大きいし。

 いや、それは重要なことじゃない。話はそこからが問題なのだから。


「いきなり配信者って、あの子大丈夫なの」


 スマートフォンでマジクラに簡易ログインし、チャットのログを目に入れていく。

 内容はと言えば、先ほどフレンドになったアステと一緒に配信をするという話だ。

 確かに他の配信者は普通にコラボとかするし、元々複数人での活動が主だったりすることもある。

 だが私1人で32人だ。アステが加わったところで、そこまで変わるとは思えなかった。

 予定の日時は3日後。内容は雑談。それから背景は……。って背景まで決めるの? 別にどこでもいいのでは。


「アステ楽しそう」


 下手したら私よりも。

 のんびりやれればそれでいいとは思っていたけれど、アステがマネージメントもしてくれるのであれば、彼女と知り合っただけでも重畳と言えよう。


「でも百合営業ってなに」


 先ほど言われた謎の単語。百合営業。

 百合って花の名前だったよね、白いやつ。

 それに営業と言う言葉が加わると、ふむふむ。つまりお花の販売? いかがですかー、みたいなの?

 分からない。調べようと思ったけれど、アステには調べるなと釘を刺されていたし、八方ふさがりもいいところだった。


「えーっと、『百合営業って、お花の販売するの?』っと」


 チャット送ってから少し後悔する。

 これ、的外れなことを言っていたら師匠としての尊厳がなくなってしまうのでは。

 尊厳が失われるということはアステからの信頼を失うわけで。

 あの師匠師匠と言ってくれた純粋な彼女からの信頼を失う。


 別にいい気がしてきた。

 迷惑がっているわけではないけれど、友達か弟子かと質問で尋ねられたらおおよそ6割ぐらいの確率でペットの犬って答えると思う。

 元気なところとか、しっぽをぶんぶん振ってるところとか。実際にしっぽは見えないけど、そういう幻覚が見える。

 なら、頭撫でてあげたら喜ぶだろうか。あとは顎下とか、背中とか。

 想像して、クスリと笑う。多分喜んでくれそうだ。お手、とか言ったらちゃんとお手してくれそうだし。

 そして帰ってきたチャットを見る。知らなくていいことだと言う話だ。

 言われれば言われるほど気になるんだけどな。

 まぁ調べるなと言われたから調べないけれど。


「3日後か。どうなるんだろう」


 不安と緊張。これはいつも変わらない。

 だけどその中には確実に期待が込められていた。

 楽しみなんだ、私。まだ見ぬ未来、誰かと話すこと自体が。


「小学生かと」


 遠足へ行くときワクワク1年生ではあるまいし。

 目を閉じても期待が目から飛び出そうなぐらいぱっちりしている。

 不安もちゃんとある。ドキドキが収まらないのはそれが理由だろう。


「あ、そうだ。カンナにも知らせとこ」


 マジクラではノイヤーと名乗っている私の幼馴染にチャットを1通。

 一応登録者の1人らしいけれど、配信上のコメントでは見たことがない。きっとアーカイブを見ているものだと勝手に納得しておく。


 感情というものは基本表裏一体。不安があれば期待だってある。

 だからこそ、今のこの状況を例えるならば、うーん。楽しみってことにしておこう。

 夜の風物詩であるスズムシの鳴き声を聞きながら、私はそのまま目を閉じるのであった。

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