楽屋裏

 雛ちゃんはかわいそうです、と彼女は言った。


「見ているといつも辛くなります。ずっと、辛くてたまらないんです」

 じゃあ辞めるかい、と身軽く言って、伯父役の男は煙管をふうと吐く。

外はさらさらと雨が降る。庭に面した広い座敷はよく光と風を通し、梅雨時にもかかわらず爽やかな風情を見せていた。手入れの行き届いた紫陽花が大きな鞠のように咲いている。

「辞めてもいいが、勧めはしない。中途で足抜けした者が大抵逃げきれないのは最初に言ったとおりだ。何が起こるか私たちにもわからない。それよりは終わるのを待った方が、君にとっても賢くはないかい?」

「……辞めたいんじゃあ、ないんです。ただ、あの子がかわいそうで。あんなふうにずっと閉じ込められて――」

 語尾は頼りなく消えていく。うまく言葉をまとめきれない様子で、もどかしげな表情を浮かべていたが、ゆっくりと顔を伏せてしまった。

 男は彼女の名前を呼んだ。彼女は顔を上げなかった。

「かわいそうだというのは雛子のことかい。それともお役目の娘のことかい」

 彼女は顔を伏せたまま、雛ちゃんです、と蚊の鳴くような声でつぶやく。男はふと眉を顰めた。灰落としにカンと煙管を打ち付け、そのまま煙草盆に置く。

「お役目の娘は確かに哀れだ。危険はある。少なくとも、安全ではない。あちらの家でどう言いくるめているのかは知らないが、話していないこともあるはずだ。全て知ったうえで役目を果たそうと志す娘がそうそういるとは思えないからね。訳も分からず依代にされて、身と心を変質させ、時期が来れば任を解かれる。すぐには影響が出なくとも、その後の暮らしにはいろいろと支障が出たらしいというのも知っている。私たちがやっているのはそういうことだ」

 彼女は黙して答えない。握りこぶしを膝の上に揃え、石のように固まって身じろぎもしない。

「それでも、それでもだ。これは人の役に立つ仕事だ。これまで雛子が吹き消した呪いで、ユキちゃんの頼みだからと叶えた願いで、何人が命を救われたと思う。どこも匙を投げるような代物であっても私たちはいつも勝ってきた。今更手放せるものではない。君が辞めたいと言うなら仕方ない、私たちは次を用意するだけだ。この家が何代もそうしてきたように」

 彼女はゆっくりと顔を上げた。男は再度彼女の名前を呼んだが、彼女は男をじっと見つけ返すばかりで、まるで反応をしなかった。

「私はユキちゃんです」

「違う、それは役割だ。あの娘の前以外で演じることはないんだ」

「私はユキちゃんです」

「いいや、違う」

 少女の顔にゆっくりと笑みが広がる。黒々とした目。赤い唇。

「私はユキちゃんです。雛ちゃんのおともだちです」

 もう駄目か、と呟くなり、伯父役の男はぱんと音高く手を鳴らした。

 彼女の背後から黒い腕が伸び、その両肩を乱暴に掴んだ。

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