鏡の水、雨の中 伍
雛子への土産に洋菓子を買った。
いつか彼女が食べたいと言った、ジャムを薄くのせたビスケットだ。ロシアケーキというらしい。赤いイチゴジャムがつやつやと光って、紙箱にきちんと詰められた様子はなかなか見栄えがして、これなら喜ばれるだろうと思った。店員に勧められて、紅茶の葉も買ってゆく。急須と湯を借りて注いでやると、真っ黒な瞳をますます丸くして、湯呑を満たす赤茶色を見つめていた。
「不思議な匂い、これもお茶なのね」
「紅茶は初めてですか? 砂糖を入れるのもいいですよ」
お茶にお砂糖を入れるの、と驚く。
白い皿に並べたロシアケーキを嬉しそうに齧る。菓子の欠片がぽろぽろと高価そうな着物にこぼれるので、見かねてつまみ取ってやる。絹の着物にくるまれた薄っぺらい身体に極力触れないよう気を付けて、のけた菓子屑を庭に落とす。
「そういえば、さっき前に来たお客さんを見ましたよ」
雛子は二つめのロシアケーキをつまみ、お客さん、と首をかしげる。
「水をもらいに来ていた女の子のこと? 折り紙で百合の花が作れるの。雛子にも教えてくれたよ。ユキちゃんにも折ってあげようか」
「ありがとうございます。またあとで。――そう、あのお客さんなんですけど、」
作り物のようにきれいな顔立ちがものを食べるときはわずかに崩れる。なめらかな頬が膨らんだりへこんだり、赤い唇を割って小さな歯や舌がちらちらする。この子も生きているのだなあと、当たり前のことに感心する。あんまり整って、青白く華奢で、幽霊が触れるならこんなふうではないかと思う。
「歌いながら往来を歩いているのを見ました。手に大きな木の枝を持って」
「きっと楽しいのね。望みが叶ったのだもの」
「周りに人が集まって、何かと話しかけていましたが、彼女はみんな無視していました。そうしたら不意に真上を指差して、『雨が来る! 虹が来る!』と言うんです。そうしたらね、驚きましたよ、みるみるうちに空が曇って、急な通り雨が降ったんです。みんな蜘蛛の子を散らすように逃げていって、彼女もどこかへ行きました。どこへ行ったかは知りません」
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