第398話 お前はお前のやりたいように

「結局何も起こらなかったですね」


「……あぁ」


 何か考え事をしていたのか、アラタの返事は上の空。

 リャンは現在、アーキムと共に小隊の隊長補佐を務める立場、アラタに許可や判断を仰ぐ役割でもある。


「みんなを呼び戻しても大丈夫ですよね?」


「そうだね。敵も下がったんだろ」


「じゃあそんな感じで」


「はーい」


 アラタの許可を得たリャンは、手綱を左に傾けて隊列を離れた。

 周囲の索敵に従事している1192小隊の人間を回収するためだ。

 元々、彼らに与えられていた任務は特にない。

 2千からなるミラ丘陵地帯への援軍の行軍には、別の部隊が護衛と索敵を担当していた。

 ただ、レイクタウン攻囲戦の前、マイケル・ガルシア中将らがミラに送った援軍要請の使者は、ついぞ帰ってくることは無かった。

 一時は脱走も疑われたものの、最終的に敵軍の情報封鎖によるものだと結論付けられた。

 ミラに至る道が帝国軍の管理下にある可能性がある。

 そう言った懸念から、ハルツの指示を受けてアラタたちが特別に警戒をしていた。


 こうして戦闘になることも想定されていたミラへの行軍は、何事もなく終了した。

 途中で1泊したがこれと言って特筆することも無し、そう行軍記録係の残した手記にもある。

 そんな彼らがミラに入り、まず何をしたかというと——


「まただ、まただよ。俺たちゃ工夫こうふじゃないっつーの」


「黙って手を動かせ」


 例によって、エルモが文句を垂れ、それをアーキムが叱る。

 この戦争の間に10回は見た光景だ。

 なおもブーブー文句を垂れ流すエルモに、アーキムはスコップで明後日の方向を指さした。


「アラタも作業しているんだ、文句を垂れるな」


「……中隊だったらな」


「お前、それ以上言ったら本当に怒るからな」


「へいへい」


 これ以上は冗談では済まなくなるという境界線を、彼はよく心得ていた。

 もっと手前でやめておけとアーキムはいつも思っていて、彼の中でストレスが溜まる。

 中隊だったらな、そこから先は口にしてはいけない。

 確かに301中隊だったら作業は分担できるし、

エルモあたりはサボることが出来る。

 中隊が解散したのは、これ以上人員を補充できなくなっているという事情と、アラタと司令部との仲の悪さが原因だ。

 エルモは別にアラタが悪いと言いたいわけではない。

 ただ、もう少し大人になってくれれば得られるメリットもあるのではないかと提案しているだけだった。

 まあアーキムはそれすらイライラの対象なわけで、エルモの愚痴を許さない。

 連敗が続いている軍の雰囲気は決して良いものでは無かった。


「キィ、そこの袋取って」


「あい」


「サンキュー」


 何の気なしに口にしたアラタの言葉は、本来英語のはず。

 日本語が通じるのはまだ許せる、というか都合が良いからスルーするとして、これは流石にいただけない。

 もっと言及すると、アルファベットが存在しない世界なのに、言葉としての『アルファベット』は通じる。

 これは非常に不思議な話で、アラタは最近こう考えていた。


 知らず知らずのうちに、翻訳機能が働いているのかもしれない。


 言語と文字の関係は非常に奥深いもののはずで、片方が欠けていては元の世界の常識が通用しないはず。

 にもかかわらず、日本語とこの世界独自の文字が共存しているという異常さ。

 そこに付け加えると、この世界には言語の多様性という状況がゼロに等しい。

 どういうことかというと、日本語と英語のような、多言語という考え方というか、存在がないのだ。

 カナン公国で使われている言語は、反対側、東の果てでも通じるという一般常識。

 これはどう考えてもおかしいとアラタですら分かっている。


 アラタたちは、206中隊の一員として、砦の堀を深くしたり山中に罠を仕掛ける作業中だ。

 ハルツ曰く、今のうちに出来ることはやっておきたいとのこと。

 スコップを使って土を掘り、袋に詰めて土嚢にする。

 そんな単純作業をしていると、アラタは時折頭の片隅に現れる難問に挑戦するのだ。


 言語に翻訳機能が働いていると仮定して、なぜ文字はそのままなのか。

 彼をこの世界に送った神が適当な存在だったからで話は終わってしまうとあんまりなので、合理的な理由を考察してみる。

 彼が考えるに、その方が都合が良かった、もしくはどうでもよかったという仮説がある。

 神を自称するあの存在が、もし複数回元の世界の住人を異世界に送っているのだとしたら、言語の壁は彼らの命を容易く奪ってしまう。

 それでは何のための異世界転生、ということで翻訳機能もしくは言語統一を行った。

 では文字は? となるが、文字は視覚情報のデザインという面で翻訳するのが非常に難しい。

 じゃあ世界規模で統一だけしておいて、後の学習は自分でしてね、と丸投げする姿が容易に想像できる。

 そんな彼の仮説が当たっているかどうかはこの際どうでもよくて、言語が通じ、文字を覚えたアラタはそこまで不自由していなかった。


「アラタ!」


 考え事をしながらもせっせと働いていたアラタの元に、上司のハルツがやって来た。


「はーい」


「来い! あと着替えろ!」


「はーい」


 1回目の返事より少し低いトーンで返事をしたのは、着替えるのが面倒だったから。

 作業を抜けられる喜びと、身だしなみを整える面倒臭さはトントン。

 小隊の仲間が羨ましそうな目で見てくるので、まあいいかという心境。


 黒鎧の下半分とタンクトップだけの薄着から、上下ともに公国軍の正式兵装に着替えた。

 カナン公国軍の鎧は自己調達なので、基本となる制服だけが統一されている。

 濃紺地なのは染めやすいから、あと汚れが目立ちにくいから。

 ところどころに入っている国や所属の紋章は安物感がぬぐえない。

 帝国はそうではないのだが、両国の国力の差はこんなところにも表れる。

 アラタが準備を終えたところで、ハルツと2人で歩き出した。


「大丈夫か」


 ハルツは唐突にそう切り出した。


「はい?」


「いや、分からないならいい」


「そうですね、まあ悩み事が無い訳では……」


「どんなだ?」


「1192は問題ないんですけど、公国の弓兵ってカリキュラム修了していますよね?」


「正規兵はそうだな」


「あいつら、当てる気あります?」


「…………無いかもな」


 彼も心当たりがあったのか同意した。

 相手を殺す気のない攻撃は、古今東西どの戦場でも見られた光景、いわば伝統芸能だ。


「味方がそんなだと困るんですよね」


「そうだな、何とかしたいな」


「えぇ、本当に」


 言いたいことが言えたと満足げな顔をしているアラタを尻目に、ハルツは少し心配になっていた。

 本当に聞きたかったのはそんなことではなかったというのに、という中隊長。

 彼の言った大丈夫かというのは、部隊が壊滅して病んでいないかとか、負けて落ち込んでいないかとか、事実上の降格を食らってやる気がなくなってないかとか、そういった類のことだ。

 アラタも人間、というか元来彼は非常に感情豊かなので、その辺りに関して何も感じていないはずがない。

 しかしそういった点に関して、戦争に入ってからのアラタはとことん無頓着だ。

 ハルツはそれが心配で、どうにかならないかと苦心していた。

 しかしどうにもならないものはどうにもならないので、今日も彼の苦労は続くのだ。


「第206中隊、ハルツ・クラーク、入ります」


「入りたまえ」


「は、失礼いたします」


 木組みのログハウス。

 その内部の最も大きな一室。

 そこは第1師団の司令部として使用されていて、木に煙の臭いが染みついていた。

 ハルツが扉を開くなり目に沁みる煙草の臭い、アラタは思わず顔をしかめた。


「久しぶりだね。コートランド川に向かって以来かな?」


 金髪が4人。

 その中で最年長の男がアラタに声をかけた。

 他の3人に比べて少し髪の色がくすんでいるように見えるのは、金色の中に白いものが混じっているせいだろう。


「はい、またよろしくお願いします」


「他人行儀にすることはない。気楽にしたまえ」


 アダム・クラーク中将はそう言いながら、煙草の火を揉み消した。

 火が消える直前に香る煙草の臭いは、やはりいつも以上に臭く感じる。

 この部屋にいるのは、アラタ以外全員クラーク家の人間だ。

 アダム・クラーク中将、ブレーバー・クラーク中尉、ケンジー・クラーク少尉、フェリックス・ベルサリオ少尉。

 フェリックスだけがクラーク姓を名乗っていないが、リーゼの許嫁なのだからまあいいだろう。

 気楽にしたまえという言葉が社交辞令であることはよく分かっているので、アラタは姿勢をそのままに保つ。


「ハルツ、作業はどうだ?」


「まあ、ぼちぼちです。気分転換にはちょうどいいかと」


「ふふ、それなら良かった。悪いがもう少し続く、現場の管理は任せたぞ」


「はっ」


「アラタ君」


 コーヒーの匂いを漂わせながら、アダム中将は次の葉に火を点ける。

 苦みと煙たさの奥にある透き通るような爽快感を、アラタは既に卒業していた。


「はい」


「君、クラーク家に入る気はないかね?」


「…………はい?」


「だから、伯爵家から誰か嫁に貰う気はないかと聞いている」


「閣下!」


 ハルツが止めに入ったが、老将はまるで聞く耳を持たない。


「まあいきなりとは言わん。まずは見合いから——」


「アダム・クラーク殿!!!」


 空気が振動し、カップの中の黒い液体が揺れた。

 ハルツは自身のクラス【聖騎士】の能力を行使してまで彼の口を噤ませた。

 アダムのクラスは調香師、何も対策を取っていない状態では抗いようもなく口を閉じる。


「アラタ、すまん。こんなつもりではなかった。今後の動きについて話を聞かせておきたかったのだが……軽率だった」


「い、いやぁ、俺は別に……」


「閣下、分家のあなたが強力な血を求めるのは理解しますが、アラタは貴族ではない。そちらの世界に巻き込むために呼んだわけではないことを理解して……いただきたかった」


 思わぬ展開となった顔合わせに、中将は固まるしかない。


「あ……すまんかったな」


 そう言うだけで精いっぱいだった。

 予定よりも大幅に時間を巻いて司令部を後にしたアラタとハルツ。

 それを見送りに来たのはクラーク家直系の2人と、そこに連なる予定のフェリックスだ。


「叔父上、あれは良くないと思います」


「うるさい。俺だってあんな話をすると知っていたらこいつを連れてきたりしなかった」


「でも、叔父上だって閣下が婿を探してることは知っていたでしょう?」


 リーゼの兄2人に窘められて、ハルツも少し落ち着いてきた。

 ここで一番かわいそうなのはアラタ、もしくはフェリックスだ。


「でも、悪い話じゃないと思いますよ? どっちにしろ——」


 弟のケンジーがそこまで言いかけたところで、兄のブレーバーが止めた。


「叔父上のいう通りだ。アラタ殿は貴族ではない」


「……すみません」


 ここに来てからというもの、いたたまれない気持ちだけが彼の中に山積していく。

 それを救ってくれるのは、境遇の似たハルツだ。


「閣下によく伝えておいてくれ。そういう話は好かんとな」


 そんな捨て台詞を残して、帰路に就くハルツとアラタ。

 こんなつもりではなかった、無神経だったと繰り返し謝罪を続ける彼に対して、アラタもあるところで止めた。


「気にしてませんから。それに、相手の子がめちゃめちゃ可愛かったらどうするんですか」


「結婚を考えるのか?」


「……いや、まあそれは」


「周りに合わせるな、流されなくていい。お前はお前のやりたいように生きればいいんだ」


「そっすね」


 裏表の無い感情は、受け取ると気持ちがいい。

 そこまで気分を害した訳でもないのに頑なに謝罪を繰り返す年上の人が、自分にこれでもかと気を遣ってくれているというのは、アラタにとって決して悪くないものだった。

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