第379話 信じますよ(レイクタウン攻囲戦4)

「真新しい情報が何一つないな」


「あはは、まあ、そうっすね」


 街の中央にある司令部に赴いたアラタは、ただ苦笑いを浮かべる。

 集団行動を半ば無視した独断専行。

 それによって得られた結果がこれ。

 中将以下指揮官連中の目線は厳しいものがあった。

 前司令官アイザック・アボット大将が死亡してから、アラタと司令部の間の仲は良好ではない。

 つい先日も意見の食い違いからぶつかったばかりで、ギスギスとした空気が充満している。


「まあ、結果的に敵軍は一度下がったわけですから、それでよしとしましょう」


 そうアラタを擁護するのはピーター・バーカー准将。

 苗字を持っているが貴族ではなく、関わりも希薄。

 旧士官候補生選抜試験を突破してキャリアを積み上げてきた、いわゆる秀才だ。


「准将閣下、甘やかしては困りますよ」


「その通り。咎めるほどではないとはいえ、彼には命令違反の気がある」


「いやぁ、そんなことはありませんよ」


「そのヘラヘラとした笑いを今すぐにやめたまえ」


 ピーターとは逆に、アラタに厳しい態度で接しているのはティボールド・ネルソン大佐。

 元々はアラタに対して何とも思って無さそうな印象だったが、アイザックが無くなってから刺々しさが目に付くようになった。

 司令官の死は、良くも悪くも多くの人に影響を与えている。


「みなさん、その辺で」


 司令部がアラタへの接し方で二分されそうな気配を察知したのか、司令官を引き継いだマイケル・ガルシア中将がその場を諫めた。

 彼もアラタのことはそこまで好きではないが、軍の不和になるくらいならそれなりの態度で接するくらいの知能は残されている。


「アラタ中隊長、報告ご苦労。貴官や206のハルツ中隊長に訊きたいのは、例の本国からやって来たという武官についてだ」


「はぁ」


「心当たりはあるかね?」


 当然、心当たりはあるしその手の質問が来ることは想定していた。

 しかし、どう報告したものかとアラタは思案する。

 剣聖らを一通り列挙したとして、なぜ殺しておかなかったと文句を言われるのではないか。

 そんなの無理だし状況が違うと言っても、何か嫌がらせをされるのではないか。

 そんな不安が彼の中に渦巻いている。

 アイザックがいた頃の司令部はそこまで苦手ではなかったのに、1人いないだけでこうも変わるのかと嘆息する。

 アラタは迷った挙句、最終的に包み隠さず全て明かすことにした。

 こういう時は、シンプルな行動が一番良い。


「自分が知っている中で、コートランド川で先行していたと考えられるのは2人。剣聖オーウェン・ブラックと、ディラン・ウォーカーという人間です。実際には他にも冒険者等級でAランク相当の人間もいるらしいのですが、何せ流動的過ぎて……」


「Aランカーはその性質上、帝国由来の者だけではないからな。まあいい」


「そんな感じなので、まあこの2人の内どちらか、それかまあそれクラスの相手かなと」


「なるほど、よくわかった。誰か質問は?」


「閣下、いいですか?」


「大佐か。なんだ」


 ガルシア中将から大佐と呼ばれた男、タッド・ロペスはアラタに2、3質問を投げかける。


「正確である必要は無いが、君と彼らが戦えばどちらが勝つ?」


「向こうですね」


「じゃあもう1つ。ミラで剣聖と戦ったのは本当かな?」


「です。まあ普通に負けましたけど」


「じゃあ……何人いれば彼らを仕留めることが可能かな」


「それは……」


 中々に難しい質問に、アラタはつい答えかねる。

 1万人くらい当てれば多分殺せるだろうが、その前に逃げ切られる気もする。

 じゃあ少数精鋭で行けばいいかと聞かれると、それも答えとしては適切ではない気がする。


「憶測や予想でいい。君はどう考える?」


「俺は——」


※※※※※※※※※※※※※※※


 初日の夜、レイクタウン城壁内部は作業に追われている。

 西と北の城壁は進まない稟議や資金不足の影響で工事が止まっている状況だった。

 それをここに来て再開しているのだから、作業は夜通し行われる。

 町に住んでいた男手を動員してみたものの、数が足りず作業者のほとんどは公国軍の兵士だ。

 1192小隊は作業を免除されているのだが、残る301中隊の人間はこちらに駆り出されている。

 寝る前に一度そちらの進捗を見つつ、部下の状態把握と労いをしなければとアラタは城壁へ向かっていた。

 高いところから街を見下ろすための鐘楼を壊す音や、轟々と粘土を焼いてレンガにする音が聞こえてくる。

 その割には、生活音が極端に少ない。

 戦場であればまあそういうこともあるだろうが、街中がそんな状況になっているのはどこか違和感を覚える光景である。

 そんな夜道を1人で歩く不用心なアラタの元に、ある人が現れた。


「ハルツさんは一緒じゃないんですか」


「ダメ?」


「いえ、特に」


 アラタより少し年上、背は彼より低く160cmと少し。

 ハルツ・クラークのパーティーメンバーで206中隊所属の冒険者、治癒魔術師タリアが立っていた。

 仲間なので警戒は必要ないが、アラタはふと【暗視】と【感知】を起動した。

 それはもはや癖のようなもので、相手が誰であろうと関係ない。

 しかしそれに気づいたのか、タリアは不服そうな顔をしている。


「出会い頭にスキル使うって、少し失礼じゃない?」


「すんません、癖で」


「まあいっか。ねえ、少しいい?」


「西門に行きながらなら」


「それでいいわよ」


 1人が2人になった。

 そして、アラタは共に歩く人間のことを警戒していた。

 彼女は自分の秘密に限りなく近づいている。

 この世界に転生した直後の彼は知らずとも無理からぬ情報だったが、異世界転生者、転移者、まあ平たく言えば異世界人はカナン公国で捕縛……保護の対象となる。

 ノエルとリーゼがそれを破っていたことはまあ置いておくとして、もし今のような場面に遭遇することがあったらどうするか、アラタは1つ決めていることがあった。


 ——周りに知れ渡るようなら、殺す。


 それが彼の処世術。

 このくそったれた世界でも、まだアラタはやることが残っている。

 その為なら、多少、いやかなりの犠牲は許容する。

 それがアラタの心に秘めた決め事だった。

 タリアという女性は心の中を読めるのか、また不機嫌そうな表情を彼に見せた。


「私、言いふらしたりしないから」


「そうですか。それはそれは」


「あなたに殺されるのは嫌だから」


「はは、そんなことしないですよ」


「ウソつき」


「はぁ」


 秘密を知られるというのは、こんなにも気分の悪いことだったのかと、アラタは今更気が付いた。

 例の2人やクリス、アラン・ドレイク、それからレイテ村の一部の住民。

 アラタが異世界人であることを知るのはそれが全て。

 初めの方に知られてしまうことが多かったが、それ以来は安定していた。

 クリスには自分から打ち明けたし、あくまで能動的なアクションだ。

 相手の方から嘘を見破られたのはアラン・ドレイク以来。

 胸の奥がモヤモヤしているアラタの隣で、タリアはただ彼のことを見つめていた。


「言わない」


「はい?」


「だから、このことは誰にも言わない」


「そうですか」


「信じられない?」


「えぇ、まあ」


「それもそうよね」


 【暗視】のスキル越しに少し気落ちしたように見えるタリアを見て、彼の中に少しの罪悪感が生まれた。

 レイテ村の出身なら、知る権利があるのではないか。

 あの村の人たちがいなければ、彼は早々に異世界から退場していたから。

 その恩が、少しだけ彼の感情を揺さぶり、心を締めるヒモを緩めようとする。


「信じますよ」


「あ、そう。良かった」


「タリアさんが信じてなくないですか?」


「私は信じてる。私を信じられないのはあなたの方でしょ?」


「俺も信じますよ。そう言ったじゃないですか」


「…………ふふっ」


「あはははは! あなた変よ!」


「いやいや、タリアさんも大概でしょ!」


 2人は突然、堰を切ったように吹き出した。

 信じる信じないがこんがらがって、訳が分からなくなって、可笑しくて笑った。

 夜、ほぼ無人と化した街の中に、男女の笑い声が染み渡る。


「アラタ、国語苦手でしょ」


「いやいや、メチャ得意です」


「また嘘」


「またって何ですか。俺嘘ついたことないですよ」


「ほら」


「あー、まあこれは流石に嘘ですね」


「そんなに色々隠して、疲れない?」


 ふとタリアは心配そうな顔をした。

 意図が分からないアラタは、直球で返す。


「疲れないです。考えた事もない」


「やっぱり変よ」


「そうかなぁ」


「そうよ」


「でも、タリアさんだって人に言えないことの1つや2つあるでしょ?」


「あなたのそれとはレベルが違うわよ。君は重すぎ」


「そうかなぁ」


 アラタの性質は、元々嘘つきだ。

 日本ではそこまで酷くなかったが、異世界ではそうもいかない。

 身分を、出自を、考えを、何もかも隠さねばならない生活が続けば、人間こんな風になる。

 それは彼がどうこういう話ではない、環境要因による必然的な変化だ。

 首をひねる彼の横顔を、タリアは少し低い位置から見上げていた。

 顔には傷がほとんどなくても、その首筋には2本、深い傷跡が残っている。

 その内片方はタリアが治療した。

 魔力が枯渇して治療が中途半端に終了したせいで、痕がくっきりと残ってしまった。

 治ったから良し、そう簡単に割り切れるものでもない。


「苦しくない?」


「苦しくないです」


「辛くない?」


「特に」


「痛くない?」


「痛くないです。っていうか、何がそんなに気になるんですか。俺は別に何とも——」


 何ともない、そう言いかけた彼の服の裾を、タリアはめくりあげた。

 露になった腹部には、痣や切り傷、火傷の痕などが所狭しと並べられている。

 ケロイドになって残ったそれらは、そう簡単に消えることは無い。


「セ、セクハラ!」


「違うわよ! 私は…………!」


「タリアさんは?」


「私はただ、あなたにこれ以上傷ついてほしくなくて……」


 彼女の手が少し下がり、アラタの素肌は服に隠れた。

 シャツの裾を掴んだ彼女の手は、少し震えていて、その振動が彼に伝播する。


「こんなに心配してくれて、有難い話です」


 そう言いながら、アラタはタリアの手を握った。

 優しくほぐし、服から手を離させた。


「治癒魔術師も大変ですね」


「ホントよ。ポンポン使っちゃって」


「最近、俺の周りの人が妙に気を遣ったり、優しくしてくれたりするんです。タリアさんもそう。どうしてですか?」


「知らないわよ。自分で考えなさい」


「考えたんだけどなぁ。まあ俺には分からなかったわけで、教えてくれないですか?」


「あなたが秘密を喋ったら考えなくはないわ」


「じゃあ無理だ」


「あまり無茶し過ぎないようにね」


「善処します」


「私はもう寝るわ。おやすみ」


「俺はもう少しやることがあるので。おやすみです」


 ハルツさんも変な人だけど、周りの人も似たようなもんだな。


 アラタの抱いた思いは、その程度のものだった。

 相手の気持ちがどうとか、そこまで深く考えることは無い。

 昔は確かに考えていたし、何となく察することが出来ていた。

 しかし、人間は変わる。

 タリアが考えていたことを、彼が知る日は来るのだろうか。

 戦場の夜が更けていく。

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