第357話 戦端を支える者たち

 コートランド川から西に1kmほど。

 周囲を丘や山に囲まれた平地は、まるで球場のフィールドのようだった。

 アルプススタンドからは、カナン公国軍がウル帝国軍を見下ろしており、彼らを滅ぼそうと扇状に取り囲んでいた。

 まだ囲まれていないのは自分たちが通って来た道だけ。

 退却するのならここから逃げるほかない訳で、実際に脱走兵たちがちらほらと離脱しつつある。

 しかしそれも、ある時を境にピタリと止んだ。

 帝国軍の将校たちが、正面突破を試みる宣言をした時からである。

 我先にと逃げ出していた兵士の首を刎ね、逃走経路を遮断したのは、公国軍ではなかった。

 友軍の帝国兵、その中でも中央軍に所属する根っからの職業軍人たちだった。

 彼らにとって、命令は絶対。

 命令違反もさることながら、命令されていないことをしようとする輩も成敗する。

 彼らによって、帝国軍の退路は断たれた。

 では、前を向くとして、どこから攻めるが上策か。


「エミル少佐殿、敵が動き始めました」


「見えている。十分に引き付けてから斉射しろ」


「はっ」


 ここは公国軍左翼、包囲の端だ。

 500人からなる大隊を率いるのは、エミル少佐。

 佐官にしては珍しく、苗字を持っていない。

 生まれたときに苗字を持っていなくとも、少佐に至るまでの間に、誰かと結婚するなり名を与えられるなり、勝手に名乗るなりして姓と名を得ることが一般的とされている。

 従って、ある程度の階級の士官は皆一様に苗字を持っているはずだった。

 しかし、彼はそうではないらしい。

 少佐殿はただのエミル、それは同僚からは嘲笑の対象でも、部下からは案外好評のようだった。

 彼の指示で、大隊がうねりを上げて動き始めた。

 端から順に削ろうという帝国軍の考えは至極当然の物なので、それに対する備えに抜かりはない。

 まずは高低差を活かして射撃戦を展開、それから白兵戦ですり潰す。

 命令の通りに弓を引き、キリキリと弦の緊張が高まっていく。

 あとは各小隊長の指示で斉射するだけだ。

 敵は近く、ほぼ確実に当たるはず。

 時は満ちた。


「撃てぇ!」


 雨あられとはまさにこのこと、帝国軍の正面から異常な量の矢が発射された。

 帝国兵は盾を構えて応戦しようとしたが、いかんせん数が多すぎる。

 大型のシールドで防ごうにも、角度をつけて左右からも矢が飛んでくるものだから、流石に全てはカバーしきれない。

 そうなると装備の薄い順に兵士は死んでいく。

 全方位防御を持つ人間や、運がよかった者、装備の分厚い人間だけが生き残る。

 残りは少なからず矢を受けてしまい、動くことが出来ない。

 これが事前準備の差だ。


「吶喊!」


「「「おおおぉぉぉおおお!」」」


公国軍200名、突撃。

 左翼の中でもさらに左端を受け持つ大隊500名のうち4割を出撃させた。

 彼らのさらに川側には小高い丘が座しており、敵は大きく迂回することは出来ない。

 数こそ少ないものの、丘の上にもしっかりと公国軍が陣取っているから。

 エミル大隊を抜くしか、彼らを皮切りに徐々に端から崩していくしか帝国軍の勝機は無さそうに思える。

 その上、矢の一斉射撃から間を空けずに突撃、戦いなれている様子が見て取れる。

 これを相手にする帝国軍は厳しい戦いを強いられそうだ。


「被害は?」


 帝国軍の大隊長が訊く。

 彼の部隊は450名からなる集団だった。


「射撃と衝突で2個小隊ほどが壊滅しました」


「そうか」


 その内、早くも50名弱を失ったとの報告。

 これには指揮官も苦虫を噛み潰したような顔しかできない。

 歯がゆい話だが、敵の射撃をかいくぐって敵深くに斬り込めるような都合の良い人材を持っているはずもなかった。

 帝国軍においてそういう人間や部隊は、必ず司令部の管理下に置かれており、切り札的に投入されるのが慣例である。

 確かに包囲の両端が戦術的に大きな意味を持つことに疑いの余地は無い。

 ただ、それはこの270°の包囲陣形に対してどの担当箇所にも言えることだった。

 どこか一つでいいから、敵の包囲網を突き崩せ。

 現場の最高責任者は敵の弱いところを探ってから特記戦力を投入するつもりでいた。

 要するに、戦場の端っこのこんなところにジョーカーを送ってくれるはずがなかった。

 帝国軍にとって厳しい戦いが続いていく。


「重装歩兵を出せ。力負けしていてはいずれ包囲が完成してしまう」


「さっきの衝突で半壊しています」


「いいから動かせ。前線が死んでしまう」


「は」


 全ての戦いが、全ての死にざまがドラマチックとは限らない。

 圧倒的な力の前に成す術もなく、特に逆転劇も何もなく、ただ順当に負けるだけ。

 それだって立派な戦争の結果の一つだ。

 いくら指揮官が出来る人間だったとしても、手負いのガラクタを携えて見れる夢には限度がある。

 力及ばず、大隊長が天を仰いだその時だった。


「お困りですか?」


 動きにくそうなローブ。

 これ見よがしなとんがり帽子。

 槍のように長く、こん棒のように先が丸まっている杖。

 運動性能第一の戦場において、こんな奇抜な格好をするイカれた連中は帝国軍と言えども両手の指で数え足りる。

 20名弱からなる、小隊規模の特殊部隊。

 指揮官は彼らが何者であるか確信すると、つい頬を緩ませて笑った。


「えぇ、大変困っております」


「それは大変ですな」


「お助けいただけますか?」


「勿論。我ら第008小隊にお任せあれ」


 部隊の概要は知っていた指揮官だったが、通し番号を聞いて驚いた。


一桁シングル小隊の方でしたか」


 此度の公国遠征、主体は帝国軍西部方面隊、そこにいくらかの中央軍、彼らがミックスされるにあたり、部隊の通し番号に整理がなされた。

 そこで、中央軍参謀の眼にとまった部隊は、再編成の後に一桁の部隊番号を賜った。

 分隊、小隊、中隊まで、選り抜きの精鋭たちにはそういった識別方法があった。

 一桁シングルの話をすると小隊を率いる中尉はあからさまに喜んで見せた。

 元は西部方面隊の出身でありながら大抜擢された事実が誇らしくて仕方がないのだろう。


「いかにも、008小隊を任されているヤン・バトラー中尉であります。以後よろしく」


「よろしく。そこで時間がないのだが……」


「分かっています。まずは少し休憩できるようにしましょう。友軍には少しでも休息が必要です」


 ヤンは後ろに控えていた部下と思しき人物に目で合図した。

 最も彼に近い兵士が杖を振りかざすと、それに従って残りの隊員も杖を取り出す。

 杖の大きさや形は千差万別で、ペンくらいの小さなものもあれば、ハルバードを思わせる物理武器と魔術杖のハイブリッド装備もあった。

 中でも最も多かったのは、やはり天然の木を思わせるうねった杖だろう。

 魔術は専門外な指揮官には理解できないが、この形が魔術師に好かれているらしい。

 そして第008小隊の隊員たちが、魔術を行使した。

 トン、と杖を地面に突いたかと思うと、これだけの人口密度の中一つたりとも魔術回路の制御を違えることなく土属性魔術を展開し終える。

 こんな適当な環境でそれを成功させるのも凄いことだが、さらに驚くべきは魔術のキレ。

 あっという間に敵と味方を分断する大小さまざまなバリケードを生成し、敵の侵入を躊躇わせた。

 もしかしたら行けるかも、なんて考えた公国兵は、無残にも曲がり角で敵軍の攻撃に遭い、散っていく。

 この遮蔽物の生成は、以前アラタが冒険者ギルドの試験で使っていたものに非常に似通っている。

 遠距離攻撃手段を有している敵に対して、長い槍など間合いの広い敵に対して、刀を扱う彼が不利を潰すために行使した魔術戦闘法。

 008小隊は自分たちが最前線に立つことはせず、ひたすらに援護に徹する。

 公国軍に飲み込まれそうな箇所を見つけては魔術で援護、その内容は先ほどのような土壁、初級レベルの雷撃、そして果てには十数発の炎槍と、威力の強弱も属性の振れ幅も非常に大きなものだった。


 瞬く間に、戦況が塗り替えられていく。

 戦意を削ぎ、勢いを削ぎ、確かに敵に対して誇っていたはずの有利が、徐々に消えていく。

 公国軍からしてみれば、たった20人の兵士に戦いの流れを持っていかれてしまいそうになっているのだから、本気で笑えない。

 エミル少佐は声を嗄らして絶叫した。


「あの引きこもりの魔術師共を早く仕留めろぉ!」


 そんな無茶を言われても、と部下たちも困惑の色を隠せない。

 それくらい、詰みに近い状況だった。

 後方に位置する魔術師によって戦況がコントロールされている状態下で、出来ることと言えばせいぜい流れに従いつつ順当に勝ちを拾うほかない。

 それが出来たら苦労しない、とエミル少佐は怒鳴りそうな気がする。

 そして時間の経過とともに、徐々に戦況は推移していく。

 このままでいいのか、勝てるのか、負けてしまうのではないか、そんな不安が渦巻いていく。

 こんな時、銀星十字勲章を受勲した例の冒険者率いる部隊が来てくれたら、そんなことを考えている時点でエミル少佐の状況は限界に近い。

 あとは決壊するが先か、敵主力を葬り去るのが先か、勝敗を懸けた時間稼ぎが開始された。


「弓兵を下げろ! 重装歩兵を前へ!」


「敵魔術師部隊止まりません!」


「魔術キャンセラー系のスキルホルダーは!」


「いるならとっくに使ってます!」


「くっそ……手詰まりか」


 少佐は左手の親指の爪を噛みながら、眼下に広がる景色を目に焼き付けていた。

 辛うじて横一列を維持している横陣の最前列、隙間が目立つ後続、上級魔術を撃ち込まれて大混乱に陥る部隊、およそ人に向けていい威力ではない雷槍の破壊力。

 機先を制してすり潰す算段が、魔術師のせいで滅茶苦茶だ。

 だから属人性の強い組織は好かんのだと、男は魔術師たちを憎んだ。

 憎み、妬み、それから…………


「俺の兜を」


 エミル少佐は、椅子に立てかけていた剣を腰に提げ、持ってきてもらった兜を被って緒を結ぶ。

 そしてその手に握られたのは、身の丈以上に大きな戦槌。


「最後の賭けだ。皆、ついてきてくれるか」


 先に投入した大隊の戦力は500名中200名。

 残りを使ってしまえば、新手が出てきた時に対応のしようがない。

 ただ、順当に戦いを進めている他の包囲網の様子を見て、少佐は覚悟と決意を胸に抱く。

 命を燃やすは今。

 死力を尽くすは今。

 彼の周りに控えていた腹心の部下たちも、皆一様に武器を持つ。


「大隊、総攻撃! 行くぞ!」


 太陽が真上へと昇り、これから暑さはさらに増していく。

 むせ返るような血の匂いの中で、公国軍左翼は最後の勝負に出たのだった。

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