第342話 The biggest risk is not taking any risk

「あー不安だ。これ以上なく不安だ」


 今日もウル帝国軍は攻めてこず、念のため河川敷の土手の上から監視任務に当たっている第1192小隊において、アラタは原っぱに腰を下ろしてこれ見よがしに不安がってみせた。

 リャンは少し呆れながら彼をたしなめる。

 少しは働いてくださいと。


「もう私たちに出来ることは無いですよ。あとは軍議参加者の皆さんに託しましょうよ」


「それしかねえけどさぁ、どっちに転んでも俺たちは最激戦区だよきっと」


「覚悟の上じゃないですか」


「だとしても、ここにいる全員が生きて帰れるわけじゃねえ。そうなったのは俺の判断だ」


 どれだけ背負い込めば気が済むのか、リャンは目の前の男が少し不憫になった。

 彼はきっと、思い出の品を一つ残らず収集して、一つたりとも捨てることが出来ないような人間なのだ。


「死んだ後のことよりも、生きている今の方が大事じゃないですか」


「名言だな」


「茶化さないでくださいよ。名言だって思うなら少しは今を楽しんでください」


「はいはい」


 アラタは渋々腰を上げると、横に置いていた刀を腰に差した。

 川の対岸には何の敵影も見えず、ヒマなものだ。


「このまま帰ってくれねえかなぁ」


 あまりに現実的でない彼の願いは、そのまま空に吸い上げられるように霧散したのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「中将殿、いまなんとおっしゃったのか、聞こえなかったのでもう一度お願いしたい」


 司令官アイザック・アボットの声が重々しく天幕に伝播した。

 この閉鎖空間で、ガヤガヤと騒がしい訳でもない。

 むしろ発言者の一挙手一投足に注目が集められているような状況下だ。

 第3師団長ブレア・ラトレイア中将の放った言葉が耳に届かないはずがない。

 彼の低くよく通る声が聞こえなかったのなら、難聴を疑った方が良い。

 つまり、到底容認できるものではないから貫くつもりがあるのならもう一回言ってみろと言ったのだ。

 そんなアボットに臆することなく、ブレア中将は繰り返し言う。


「司令官殿の立てた作戦は現実的な勝利への道の上には無い。別の案を立てるべきだ」


 今年50歳になる壮年の指揮官は、はっきりとそう言ってのけた。

 初めからそう言っていて、繰り返し同じことを言ってのけた。

 天幕の中の雰囲気がさらに悪くなる。

 しかし、この最悪な雰囲気に押されているのはこの中の1/3もいない。

 残る2/3の人間はこうなることが分かっていて、覚悟の上でこの場に参加している。

 特に今回から参加が認められた大佐級の人間たちは軒並み目に強い光を宿している。

 彼らは本気だ。


「川を挟み、尚且つ防衛という好条件を捨ててどのように敵と戦うというのかな?」


 ブレア中将以下派閥の人間に対して、アイザック大将は問うた。

 訊かれた方の中将は部下に用意させた書類を広げ、懇々と語り始めた。


「先日の河川中流にて発生した敵の桟橋渡河作戦。これを排除するために1割以上の損失と、虎の子の特殊部隊を複数投入しました。しかし敵の作戦規模としては局地作戦に過ぎず、また同じようなことを仕掛けてくる可能性は大いにあります」


 そう言うと部下が広げた地図の上に、円錐型の積み木をいくつか置いた。


「先日攻められた箇所がここ、そして似通った条件の地形をこれだけ発見しました。全部で4つ、最大距離は2.8km、到底カバーしきれる領域ではない」


「少々よろしいか」


「どうぞ」


「マット・ルイス、階級は少将だ。確かにこれだけ広範な領域をカバーしきるのはなかなか難しいだろう。しかし先日の戦闘における最大の失敗は桟橋をかけるのに必要と考えられた5時間もの間味方が気付かずにこちらの眼を欺かれたことにあったはずだ」


「その通りです」


「であるならば桟橋による渡河を警戒するために24時間の監視と即時迎撃を徹底すれば良いのでは? 本作戦の内容が覆されるほどのことでもないと考えるが」


 言い分的にはもっともに聞こえるかもしれない彼の言説。

 しかし、現場の兵士にそれを実行させるのに一体どれだけの負担を強いるのか全く想像が出来ていない。

 戦闘がなければ休めるとでも思っているのか、そうブレアは頭の中で罵った。


「同時多発的に起これば対処しかねる可能性があると先ほど言ったわけですが」


「敵だって決して少なくない損害を出している。こちらも無傷というわけにはいかずとも足止めと戦闘の停滞には成功するはずだ」


「それはこの消耗見込み書にある計算式に従った結果ですか?」


「いかにも」


 ブレアが掲げたのは、元々の作戦が立案された段階で関係者に共有された極秘資料。

 この中には、どの程度の戦闘が予想されてその度にどれだけの兵士が死傷するのか予測がしっかりと立てられている。

 これだけの損耗率なら何とか本国からの支援と組み合わせて戦い抜けるはずだという考えだ。

 従軍した専門家がきちんと計算して弾き出した結論で、それなりに信頼性もある。

 だからこそ、反対派はこの書類を未だに崩せずにいた。

 付け入る隙があるとすれば、この書類の中で戦う兵士と現実に戦う兵士との間にある乖離だろう。

 ブレアは書類を掲げた。


「ここに記された内容は、読み物としては一級品ですが、残念なことに現実に即していない」


「なんだと!」


「過去の記録から導かれた信頼性のある結果だ!」


「撤回を要求する! これを完成させるまでに一体どれだけ苦労したと——」


「どれだけ苦労したんですか?」


「2か月に渡る長時間労働に匹敵する内容だ! それに過去の研鑽も含めれば数十年の重みがある!」


「なるほど。確かに後世に語り継ぐべき書物であることは確かだ。ただ、この書類に描かれている兵士はこの戦場に数えるほどしか存在しない。おい、アレを」


 ブレアの傍に控えていたティボールド・ネルソン大佐は、十数枚からなる人名のリストを手渡した。


「ここに記されているのは、非戦闘時にも関わらず行方知れずになった兵士たちだ。端的に言おう、この者たちは脱走者だ!」


 ブレアは力に任せて紙を机に叩きつけた。

 その途中で紙は四方に散って、数枚が地面にひらひらと舞い降りた。

 ほとんどが一兵卒で名前も知らないような人間ばかりだが、確かに軍に在籍していた人間である。


「あなた方の試算にある脱走兵の数の既に4倍以上、これからも含めればもっとそんな連中が増えるだろう。その中でこの計算が破綻していないという具体的かつ説得力のある根拠を示していただきたい!」


 計算に携わった者たちは、ぐうの音も出なかった。

 この予測は非常に優れていたのだ。

 書類が策定されたのがあと10年早ければという条件が付くのだが。

 十年という決して短くない期間の中で、兵士の気質にも変化が訪れた。

 国のために戦って死ぬなんてまっぴらごめんだという人間も随分と増えた。

 臨時で徴収された兵士ならともかく、それを仕事として生計を立てている職業軍人でさえ。

 年月をかけて研鑽を積み上げ、推敲を重ね、何度も修正し、時には一からやり直して、やっと完成した戦場における戦闘状況と損耗の黄金比。

 聖杯はとっくの昔に腐り落ちてしまっていたのだ。

 同じ規模の戦いでも、今はもっと消耗が激しく、長時間戦えず、脱走者が増える。

 だからこの書類は根拠足りえないのだ。

 まず一枚、皮を剥いだ。


「それでも現行の作戦が最も適切なことは会議の中で明らかになったはずだ」


 そう言いだしたのは第2師団長マイケル・ガルシア中将。

 彼はブレア中将と違って司令官側に立っていた。


「それはもっともな意見だ」


「であるなら、ラトレイア中将殿は代替案をお持ちという事でよろしいか?」


「もちろん」


「私が提案するのは、撤退のふりをして敵をこちらの陣地に誘い込み、反転撃滅するという手法です」


 そう言いながら、ブレア中将は自ら地図の上に駒を配置していく。


「まず、敵を誘い出すためにこちらから攻撃を仕掛けます。攻撃は失敗に終わり、こちらが退却しますがその際にわざと味方の集まっているところに戻り隊形を乱します。勝機をちらつかせて敵を誘引した後は、所定の位置まで撤退したのち反転攻勢に出ることで敵を川に追い落とし撃滅する。我らが勝つにはこれしかない」


 そう力説する中将を尊敬の眼差しで見ているのが少しと、冷めた目で見ているのが少し。

 残りの大部分は彼が提案したことを理解するので必死だ。


「はっ」


 そんな中で、彼の言葉を鼻で笑ったのはマイケル・ガルシア中将。


「先ほどラトレイア殿が言ったではないか。我が軍に細かな戦術を実行するだけの能力がないことを貴殿が指摘したのは思い違いだったか?」


「だから本気で騙すのだ。指揮官や一部の戦力を除いて、味方ごと敵を欺くのだ」


「…………軍が崩壊するぞ」


「それだけの賭けに出なければ、当方に勝利は無い」


「そんな博打で敗北したら貴様一人の命では賄いきれぬぞ!」


「そんなこと百も承知!」


「承知できていないから言っているのだ!」


「双方静まれ」


「小官は納得しかねる!」


「このわからずやが……いい加減」


「静まれと言っている!」


 既定路線派と新手法派が一触即発までヒートアップしていた時、場は司令官アイザックの怒号で静まり返った。

 まさに水を打ったような静寂。

 作戦の質はともかく、人の上に立つには場を御せるだけの声と貫禄が必要だと彼は示した。


「ラトレイア中将殿、確かにハマれば敵を一網打尽にし、公国軍の勝利を決定づけるだけの破壊力があることは認めよう。しかし、あまりに果敢、それは蛮勇とも呼べてしまう代物だ」


「分かったうえで申し上げています」


「貴殿はリスクを理解していても、失敗した時何も知らずに散っていく兵士たちをどう思う」


「あの世で何度でも腹を切るつもりです」


「それでは皆が納得しない」


「しかし…………」


「貴殿の言った通り、作戦の見直しは確かに必要だと認める。だが根本から覆すには至らぬ。そのあたりが現実的な落としどころだと思う」


 万事休したか、出せるカードをすべて切り、それでもなお考えを改めさせるには至らなかった自分の無力さをブレアが恨んだその時だった。


「大変失礼かと存じますが、申し上げたいことがあります」


「貴官は?」


「タッド・ロペス大佐です」


 ロペス家といえば東部を治める地方貴族の一つで、先の東部動乱の折りにはメトロドスキー子爵の誘いを跳ねのけて静観していた家だ。


「男爵家の者か、何かな」


「私は東部の出です。先の十四次戦役にも従軍しました。私はあの時の作戦が間違っていたとは……反転攻勢に出たあの作戦が間違いだったとは思っておりません。リスクを取らざるを得ないからそうした。そして失敗した。それだけのことでした」


「貴官、それ以上は今後の立場を悪くするぞ」


「構いません。司令官殿、いや、十四次戦役における公国軍参謀本部所属戦術分析官殿。リスクを取らないことが、いつか大きなリスクとなる。貴方の好きだった言葉です」


 戦術、戦略において、100点満点の回答は存在しない。

 常に大なり小なり失敗のリスクを背負い、抱え込み、その上で前に進むしか道はない。

 時には失敗するだろう、間違えるだろう、必要のないリスクまで持ち込むこともあるだろう。

 それでも、唯一失敗が保証されている戦略は、リスクを取らないことなのだ。

 司令部、特に古株の幹部たちは、今度こそ間違えるわけにはいかないと思っている。

 16年前の戦いで失敗した自らの魂に刻み込んだ誓いがそうさせるのだ。

 ただ、何事もやりすぎは良くない。

 失敗を恐れるあまり、守りに入りすぎれば勝機を失う。

 戦場という変化の速い場所において、変わらないという選択肢は殺してくれと言っているようなものだ。

 アイザック・アボットは、人生の岐路に立たされている。


 ——今度失敗すれば、間違いなく公国は滅びる。

 二度と間違えないとあの日誓いを立てた。

 また私は知らず知らずのうちに袋小路に迷い込んでいたのか。

 ……これは、確かめる必要があるな。


「……作戦を練り直そう。今日からしばらく徹夜だ」


「司令官殿!?」


「可能性を狭めるのは、全ての検討を正しく終えてからでも遅くはない」


「ネルソン大佐、外に伝えてきてくれ」


「はっ!」


 時代が変わる、ネルソンはそう感じていた。

 いや、自分たちが時代を、運命を変えてみせると、彼は一目散に天幕の外へと駆けだした。

 苦しくも、勝利に向かって歩き始めた瞬間だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る