第332話 近づけない

「場所を空けろ! そこ、近づくな!」


「中尉殿、どうしますか」


「補給を挟みつつ攻撃を続けろ。弓の射程内ならこちらから魔術を使う必要は無い」


「了解。弓兵を1分隊借りてきます」


 ここは戦場に架かった橋の上。

 木、岩で組み上げられた土台の上に、土属性の魔術でコーティングを施した特別製の大橋。

 欄干と呼べるほどの柵はなく、脛の真ん中くらいの高さのガードがあるだけ。

 少し押されてバランスを崩せばたちまち川にドボンだろう。

 もっとも、仮に落水したとしてもすぐに装備を脱ぎ捨ててしまえば十分助かる。

 何せこの橋の下までしっかりウル帝国軍の支配下に置かれているから。


 中尉殿と呼ばれた男は、橋の上から川の上流、自分たちから見て右側を見渡した。

 川を泳いで数名の敵が近づいてきた時は少し焦ったものの、訓練通り対処することが出来て一安心である。

 敵は現在、自力で作り出した中洲のような場所で体勢を整えているが、こちらから弓が届く。

 部下が連れてきた一般の弓兵が、横一列になって矢をつがえた。


「放てーっ!」


 数度の風切り音と共に、細長い殺傷道具が空を駆けた。

 狙いは悪くない、今はほぼ無風で風の影響を考慮する必要もない。

 水の壁が噴きあがり、矢を防がれた。

 それ相応の使い手がいるものと見て間違いなさそうだと中尉は判断した。

 先ほど発動した雷槍が防がれた時もそうだった。

 向こうも雷槍を以て応戦、魔術で魔術を撃ち落とす難易度は非常に高いわけだが、相手は空中で放射状に雷槍の形を崩すことで攻撃を絡めとった。

 発想自体は確かにあるし、魔術の組成をわざと崩せばいいのだから技術としてもさほど難しくはない。

 しかし、水にぬれた状態、足元にも水、雷属性が本当に電荷を付与されているわけではないとはいえ、こんな状態で選択する技ではなかった。

 それだけ相手の魔術の腕前は高く、しっかりと本番で決める胆力もあるということだ。

 橋の維持に常に5名を割かなければならないこの状況において、あまり嬉しくない情報だった。

 メンテナンス要員を除けば、戦えるのは彼を含めて8名。

 単騎としての強さは間違いなく敵方の彼に軍配が上がるとして、彼の傍に3名控えているようにもっと多くの手練れがいるはず。


「前方はどうなっている?」


 中尉は一般兵の人流を制御している部下に尋ねた。


「滞りなく流れてはいますが、ここからでは占拠地域が増えているようには見えません」


「つまりは削られているということか」


「恐らくは」


 神妙な面持ちで答えた部下は、すぐに通行していく兵士たちの方へ意識を戻した。

 後ろからやってくるから仕方のない部分もあるが、彼らは少々邪魔に感じる。

 橋の上で砲台として動いているのだから、もう少し気を遣って避けてほしいと願う。

 ただ、これから生きるか死ぬかの興奮状態にある彼らに何を言っても言うことを聞いてくれそうにない。

 交通誘導係に出来ることと言えば、自分が盾になって出来る限り攻撃部隊の方々に迷惑が掛からないようにすることだけだった。


 そんな中、中尉の視線はなおも右前方を向いている。

 攻撃らしい攻撃は先ほどの雷槍のみで、それ以上こちらを崩そうとはしてこない。

 魔力切れを起こしたようにも見えず、ただのらりくらりと戦っているにしては少し前掛かり。

 単に時間が稼ぎたいだけならもっと距離を取ってこちらの射程圏ギリギリに位置取りするだろうから。

 つまり彼らがあの場にとどまっているのには理由があると、そう男は判断した。


 それはなぜか。


「…………各員に通達。これより味方の射程角度を広角に確保するための足場作りに入れ。3人一組を基本とし、防御魔術の展開を怠るな、以上」


「中尉殿」


「なんだ」


「足場の方に敵が詰めてきた時の対処を教えてください」


「その時は下がるように合図をする。我々橋の上にいる隊員が側面と背後から攻撃を仕掛ける」


「分かりました。失礼します」


「うむ」


 彼ら魔術師部隊の下には、彼らが最大限力を発揮できるように彼らの要望に応える人員が用意されている。

 一般兵科の部隊が2個小隊、土木工事などを得意とする工兵が3個分隊、迅速な命令の伝達を任務とする連絡騎兵が1個分隊。

 彼らはバタバタと慌ただしく動き始め、その様子はアラタ達の方からも良く見えた。


「何か仕掛けようとしてるな」


「攻めてくるんじゃないですか?」


「それならそれでいいや。引きずり出して近接で削った方が簡単だ」


「確かに」


 彼の考えにウォーレンも賛成のようだ。

 確かにこのメンバーなら、というか第1192小隊全体がそうなのだが、遠距離より近距離の方が強いから。

 オールラウンドにそつなくこなすアラタが珍しいだけで、基本的に冒険者やそれに準じた傭兵や私兵、自警団のような連中たちは総じて近接戦闘の方が得意である。

 街中や狭いダンジョン上層で戦うことが多い彼らは、どうしても敵の発見は遅いし距離は近い。

 それゆえ【感知】系統のスキルホルダーが重宝されるのだがそれはまた別の話。

 生存に必要なスキルセットとして、遠距離より近距離の方に比重が偏るのは仕方のないことだ。

 それ故に、戦場で魔術師部隊は躍動した。

 普通の兵士という肉の壁が自分たちを護ってくれるのだから、心おきなく高威力の遠距離魔術をポンポン使用することが可能だ。

 それに回復薬の類も兵站が機能しているうちは実質使い放題、彼らの魔力は枯渇という二文字を知らないようだった。


「あぁ~、うぜぇなぁ」


 一番堪え性の無いカイが痺れを切らし始めた。

 矢、魔術でちまちま攻撃してくるのが気に食わないらしい。

 特に防御しなくても避けれるくらいの攻撃、たまに来る濃い弾幕もアラタが水陣を行使すれば大抵防ぐことが出来る。

 そうしている間にも敵は何か仕掛けようとしているのだから、こちらも何か策を講じたいと考えるのが感情だ。


「隊長」


「ダメだ」


「まだ何も言ってないっすよ」


「距離を詰めたいだろ? 普通の兵士の数が多すぎる。突っ込むなら味方があのあたりまで敵を押し返してからだ」


「無理ですよ。それならとっくに河川敷の防衛が終わってますって」


「けどなぁ、あんなとこに突っ込んだら確実に死ぬぞ」


「それはそうですけど」


 有効打を考え付かぬまま、時間だけが過ぎていく。

 敵の魔術偏重部隊の眼が正面の攻防に向かないように、最低限彼らの攻撃射程圏内に居続ける必要がある。

 だからアラタ達4名はこちらから攻撃することはほとんどなく、ただ耐える時間が続く。

 その均衡を崩したのは、ウル帝国軍だった。


「……まずいな」


 ウォーレンが何かに気づいた。


「アラタさん、敵がワイドに広がり始めました」


「数は?」


「大体50くらいです」


「それは大変だ」


「引きましょう。日中では分が悪いです」


「………………」


「アラタさん!」


 アラタは断続的に橋の中央付近から飛んでくる攻撃を捌きながら、橋の周囲に目をやった。

 確かにウォーレンのいう通り、何やら敵が足場のようなものを作ろうとしているのが見える。

 このままでは足場からも攻撃が飛んできて、4人の対処能力を上回るかもしれない。

 自分たちが落ちれば、この戦場で橋を抜ける者はいなくなるし、虎の子の第1192小隊も早々に壊滅してしまう。


 撤退の二文字が彼の頭にちらついた。


「…………もう少し戦うぞ。3人とも付き合え」


「しかし!」


「橋を抜くのにあの足場たちは邪魔だ。こっちのプレッシャーが甘かったからかな、このままだと他の戦域でも同じことをしてくる。あいつらはここでしっかり沈めておきたい」


 ウォーレンはアラタの言葉に納得しかねていたが、確かに敵を野放しにしておくのも良くないと分かっていた。

 彼は渋々アラタの意見に同意する。


「どうやりますか」


「そりゃあ、泳いで渡って斬り込むしかないだろ」


「無茶ですよ」


「やるしかない」


「俺たちだけでは無理です」


 正しい献策を続けるウォーレンの言葉に、アラタは作戦の可否を考える。

 確かに無理がある、ただやろうとして出来ないようには思えない。

 アラタは今、戦闘に当てられている。

 非日常の殺し合いの中で、脳内に興奮物質が噴き出していて、何とも言えない全能感に支配されている。

 このような現象はしばしばみられるのだが、この状態が終わるときはきっと死ぬときなのだろう。

 ウォーレンがいなかったら、アラタも危なかったかもしれない。


「よし、小隊を全員呼び戻せ。攻略はそれからやる」


「了解です」


 行動が決定し、彼らが足場から徐々に退いていく。

 やがて水の中に飛び込んで、橋上からの射程圏内から離脱した。


「中尉殿、敵が撤退しました」


「警戒を怠るな。足場の工事も急がせろ」


「はっ」


 彼の読みでは、というか誰でもそう思うだろうが、これから体勢を整えてもう一度攻撃してくるだろう、そう考えている。

 まだ河川敷を奪い合う激戦は続いていて、カナン公国軍からすれば戦況の打破に橋の崩落は必須条件だからだ。

 中央の参謀本部の人間にいいように使われるのは癪だった中尉だが、元の無能な指揮官の下で飼い殺しにされるよりは幾分かマシな軍人人生である。

 中将だかウルメル家だか、西部方面隊である彼にはさほど関わりのないこと。

 彼のような人間はただ、理解のある有能な上官の下で戦いたいだけなのだ。

 そう言った上官に出会うことが出来た幸運を喜びつつ、それに見合う働きをしたいと彼らは奮起する。

 魔術師部隊は、堅牢だ。


「無理です」


「自分もそう思います」


「私も反対です」


「右に同じく」


「…………そんなに無理かなぁ」


 自分以外の分隊長4名が全員反対を表明したところで、アラタの作戦は中止となった。

 元々深く、流れが速く、それ故にさほど重視されていなかったのだから、そんなところを敵の攻撃をかいくぐりながら泳いで渡り、新たに着手した足場を無力化しつつ橋脚を破壊するなんて無理筋にもほどがある。


「でもあの橋を落とすのは至上命令だ。他に案があるやつは?」


「普通に橋の攻防に参加して押し返すのはどうです?」


「こっちは魔術が碌に使えない状態で戦って、向こうはなんでか知らんけどポンポン撃ってくる。勝てる気がしないわ」


「ではやはり、闇夜に紛れて上流から下り、強襲するほかありませんね」


 そう言いだしたのは第5分隊のギャビンだった。

 メトロドスキー子爵家の私兵で、東部の地形にはそれなりに詳しい。


「川下りって言っても結局泳ぐんだろ?」


 ハリスが横から口を挟む。


「最終的にはそうなるでしょうが、途中までは船で行けるはずです。ただ……」


「問題は夜になるまでこの戦場が持つかどうかということだな」


 第2分隊長のアーキムがもっとも根本的な問題を口にした。

 彼らの任務はこの橋を落として河川敷を防衛することだが、橋脚を落とすまでの時間は無制限ではない。

 味方がギリギリ持ちこたえている状況で、何とか起死回生の一発として彼らはこの場に呼ばれたのだ。

 ちんたら夜を待っていては先にこの辺り一帯が陥落する。


「隊長、判断を」


 隊員たちの眼がアラタの方を向く。

 決断するのは指揮官の仕事だ。


「……まぁ、ギャビンの案で行こうと思う。ただこのままじゃ先に陣地が落ちる。だから俺たちはこれから河川敷の戦いに参戦する。いいな」


「了解です」


 リャンは短くそう言った。

 それに続いて他の面々も同意する。

 他に有効な対策もないから。


「番号順に2個分隊がフロントを張る。時間か隊員の様子を見て分隊長が入れ替わりを判断して、次の分隊にローテーションする形だ。俺も混ざるから、全体の指揮はテッドが執れ」


「了解!」


「まずは夜までもたせるぞ!」


「「「おぉ!!!」」」


 後手に回り続ける公国軍に対して、常に先手先手で有利に戦況を進める帝国軍。

 まずは夜までこの戦場を延命すること。

 第1192小隊は、足場の悪い河川敷で繰り広げられる死闘の真っただ中に身を投じた。

 時刻はただいま午後2時半。

 夜はまだ遠い。

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