第312話 部隊育成計画

 カロンのアラタに対する見解が良い方向に変わった頃から、時間は少し巻き戻る。

 部隊の訓練を第2分隊長のアーキムに任せて彼が向かったのは、第32特別大隊の会議だ。

 大隊長レイヒム・トロンボーンをはじめ、ハルツたち各中隊長、そして数名の小隊長が参加する。

 アラタはハルツの部下としての参加になる。


「ハルツさん」


「おう、来たか」


 輜重隊として、大隊の中では先行していた第206中隊、その中でもアラタは特に先頭を歩いていた。

 会議が行われる大隊本部はもう少し後方にある。

 レイヒム直下の第1中隊の人間に馬を任せて、アラタは会議が行われる会場に到着した。

 会場と言っても、大したものは何一つない。

 むしろ足りないものが多すぎる。

 まず、椅子が足りない。

 次に、資料が足りない。

 そして、会議場には天井が無い。

 まあそんなものが無くても現場レベルの打ち合わせは可能な訳で、アラタは椅子に座っているハルツの後ろに立った。


「今日の議題ですか?」


 覗き込みながらアラタが訊く。


「そうだ。目を通しておけ」


 数枚の紙をハルツから受け取ると、アラタは右から左へ目を流していく。

 連絡体制の再確認や、物資の横流しを許さない意味での再検査、後ろ向きな理由が垣間見える議題がずらりと並んでいた。

 ただ、その中で彼の目を引くものが一つ。


「ハルツさん、育成計画立案って何のことですか?」


「あぁ。それについてはこれから話があるから待ってろ」


「はぁ」


 彼は何か知っているようだったが、アラタはそれ以上踏み込むことも無く書類を返却した。

 周囲に集まっているのは第32特別大隊、通称冒険者大隊の人間ばかりなのだから、当然面識のある者同士。

 到着した人がいればほぼ確実に知っている人で、あいさつしないわけにもいかない。

 世間話や挨拶回りで場ががやがやしている中、一同が静まり返った。

 指示されたわけではないが、察した。

 会場中央に置かれた背の高い机、その前に大隊長が立ったから。

 アラタも元の立ち位置に戻り、姿勢を正す。


「お気遣い感謝する。第32特別大隊長のレイヒムだ。それでは会議を始めよう」


 トップの言葉で、会議が開始された。


「で、あるからして——」


 なんで偉くなると『で、あるからして』っていうのかな。


 開始早々に集中力の切れてしまったアラタは、レイヒムの言葉遣いにばかり気を取られている。

 立場に相応しい言葉遣いが求められる場面というのは確かにあって、厳格さなどを追い求めると辿り着く先は皆同じだった、という話はよく聞く。

 物資量がどうとか、不足分を補うための方策がとか、貴族院に請求したとして到着がいつごろになりそうだとか、事務方の情報交換は彼には難しい。

 適材適所で物事を考えるのなら、今の時点でアラタがここにいる意味はない。

 彼はともかく、ハルツもあまりピンと来ていないようで、さっきから関係ない書類のページを行ったり来たりしている。

 それなりのポジションにいるのだから、それなりの働きをしなければならないのが仕事というものだが、中々そうもいっていられない。


「以上で、中期消耗品に関する議題を終了します。報告ありがとうございました」


 何の話をしていたのかさっぱりだが、一応拍手だけはしておく2人。

 そして、彼らにとってはここからが本番だ。

 大隊長のレイヒムが再び中央に立った。


「えー本日の会議はこれで終了する。第206中隊所属の人間は残るように」


「あれっ」


「えっ」


 2人とも、育成計画立案に関する項目が無かったことに驚いた。

 ハルツが貰った書類には確かにその項目が検討事項として書かれていて、今までそれについて触れた記憶は無かった。

 ひょっとしたら彼らがぼーっとしている間に行われていた可能性は否定できないが、206の人間は残れと言われている時点でそういうことなのだろう。

 ハルツ、それからアラタは居残りという事だ。


「レイヒムさん」


「アラタ、いや、アラタ小隊長かな」


「何でもいいですけど、これから何するんですか?」


「まあ待て。もう少ししたら人が揃う」


 大隊長である彼以外に待つべき人間がいるとは思えない。

 部隊の人間なら初めから呼んでおけばいいから。

 そこまで思考が回るのだが、その先にたどり着けないのがアラタの残念なところ。

 待っているのは部隊の人間ではない、そういうことだ。


「げ」


 ハルツが車に轢かれた蛙のような顔をして嫌悪感を滲ませた。

 それも無理からぬ話だ、なにせもう軍に関わることは無いとタンカを切っておいて、こうして戦場に向かう一団の中にいるのだから。

 それも相手が少佐から中佐に昇進しているとなると、なおさらである。


「や、ハルツ。アラタ君も久しぶり」


「トランプ中佐、ご無沙汰しています」


「気を遣う必要は無い。悪いが時間がない、本題に入ろう」


 彼らの前に現れた茶髪壮年の男性は、リーバイ・トランプ中佐、第2連隊隊長である。

 レイヒム率いる第32特別大隊も第2連隊に所属しているため、彼にとってリーバイは直属の上司という事になる。

 レイヒムは畏まった様子で机の上に地図を広げた。

 リーバイはそれを見ながら説明を始める。


「我々の現在地がここ、ドラールの街を通り過ぎたところだな。主戦場はミラ丘陵地からさらに南に延線すると予測されていて、軍もそのつもりで動いている。ここまではいいな?」


「リーバイ、俺たちはどこに配置されるんだ?」


 旧友のハルツは中佐相手でも敬語を使おうとしない。

 リーバイはなぜか嬉しそうだ。


「左翼に展開する。丘陵地帯の入り組んだ地形をカバーし、防御に比重を置いて戦いを展開する」


「平地で迎え撃つ気か?」


「いや、何とも言えない」


「それは機密的に?」


「いや、これに関してはまだ結論が出ていないんだ。本部でも意見が割れている」


 中隊長と中佐によるフランクな会話が展開されていて、アラタはなんだか羨ましくなった。

 昔からの付き合いであることが一目瞭然で、高校までの仲間たちの顔が浮かんだから。


「ハルツさん、逸れてます」


「あぁ、すまん。続けてくれ」


「というわけで、我々が属している第1師団ではこちらから攻勢に出ることはしばらくないだろう。そこで特別大隊、1192小隊には別任務を与えて運用することとなった」


「俺たちだけですか?」


「そうだ、八咫烏の後継に当たる小隊を組織させたのはただの道楽ではない」


「……なるほど」


 アラタにとって、激戦地に送られること自体は問題ない。

 初陣も経験していない彼にとって問題ないことは無いのだが、まあ彼にとってはどうでもいいことなのだ。

 ただ、懸念すべきは個ではなく集団としての練度。

 アラタが1192小隊を組織してから、まだ数日しか経過していない。


「ちなみに任務開始までの期間は?」


「あと4日ほどを想定している」


「無理です。部隊が全滅します」


「そうならないように鍛えてくれ」


「本当に全滅しますよ」


 ジョークを言ったつもりは無いと、アラタは真剣な眼差し。

 しかし、リーバイも冗談でこんなことは言わない。


「中佐、流石に4日ではアラタもやりようがありませんよ」


 レイヒムが横から割って入るが、中佐の顔色は変わらない。


「4日でやれ。これは命令だ」


「理由を聞いても?」


 まずはアラタが一つ折れた。

 話を聞くだけだと会話を前に進める。


「4日後とは、開戦と目されている日付のこと。そして敵はまず初動でこちらを飲み込もうとしてくる。そこで後手に回れば戦が終わる。分かるな?」


「戦略は理解しました」


「君もハルツから聞いているだろう。敵は間違いなくAランク相当の敵を投入してくる。それも複数同時にな。対応できる部隊が必要だ」


 アラタの脳裏に浮かぶのは、ウル帝国で一敗地に塗れた戦いの記憶。

 Aランク冒険者相当の実力を持つとされる剣聖、オーウェン・ブラック。

 そしてもう一人、こちらは記憶ではなく情報として知っている。

 先の動乱において、ハルツたちが倒したAランク冒険者ワイアット・レンジ。

 話を聞く限り両者の実力にはかなりの差があって、必ずしも剣聖と戦わなければならないというわけでもない。

 彼の中で、答えが固まっていく。

 悩んだとしても、結局辿り着く先は決まっている、そんな感じ。


「俺たちが相手にする敵の数はどれくらいになりますか?」


「同時にAランク相当を2名。2個分隊で1人受け持ち、1分隊が予備戦力として動く計算だ」


「…………分かりました。任務を受けます」


「そう言ってくれると思っていた」


 中佐はそう言うと、アラタの肩をポンポンと叩いた。

 連隊長と言えば1人で2,500名のも命を預かる責任ある立場。

 時にはこうして厳しい仕事を振らなければならないときもある。

 だから、信頼ある冒険者部隊の、理解ある旧友の下で働く、力ある若者に託したのだ。


「アラタ小隊長、これより貴官に小隊の訓練を命じる。4日以内に特記戦力と戦えるように鍛え上げろ」


「了解!」


「うむ、いい返事だ。君はいい軍人になる」


 リーバイは軍帽を目深にかぶり直すと、数名の部下を伴って去っていった。

 その瞳には不思議な魔力があった。

 異世界のエネルギーとしての魔力ではなく、何か人を惹きつけるような力という意味だ。

 どこか魅力のある人物だから、こうして中佐にまで登ることが出来たのかもしれない。


「アラタ、本当にいけるのか?」


 大隊長のレイヒムは心配そうな面持ちで訊く。

 常識的に考えて、3年あってもおかしくない訓練レベルだ。

 Aランカーと渡り合うなんて、出来ない奴には何年やらせても出来ないに決まっている。

 4日という期限のカウントダウンはもう始まっていた。


「出来るかどうかは分かりませんが、出来なければ第1師団が崩れるかもしれませんから」


 アラタは心の中で、戦争という催しごとのスケールの大きさを痛感する。

 自分が訓練すれば、強くなればなんとかなるわけではないと、開戦前から思い知らされたのだ。

 この戦乱の先に何が待っているのか、彼はまだ知らない。

 そして、八咫烏強化計画は始動した。

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