第267話 もう謝らないで
「シル、今までごめんな。俺これからはちゃんと働くよ」
「アラタが働かなくてもシルお金持ってるもん」
「そうなの?」
「アラタがダメすぎてシルがしっかり育ったの!」
「あはは、それは頼もしいな」
「もっと父親らしくしてね」
「分かった。約束する」
玄関で待っていたシルに謝ったアラタは、そのまま部屋に戻ろうとした。
しかしそれをクリスとリーゼが引き留め、リビングに連行する。
あの場では近所迷惑も考えて一件落着と言ったが、彼女たちはもう少し話すことが残っているらしい。
「ノエルはお風呂にでも入ってきてください」
「え、でも」
「入ってきてください」
「……分かった」
笑顔だが有無を言わせぬ圧を発しているリーゼの言葉に、ノエルは素直に従って風呂に向かった。
居間に残った3人に気まずい空気が流れる。
アラタからして、ノエルは適当に言いくるめればいいと思っている節が無いことも無いが、この二人は少々厄介に感じている。
いい訳が通じないというか、そもそも話し合いの通じる相手ではないというか、頑固さを練り固めたような融通の利かなさというか、とにかくはぐらかすことが通じない。
「アラタが2人のこと石頭って考えてるー!」
隣の台所からシルの声が響いた。
それを聞いてアラタを睨む2人に、委縮する男。
向き合うことから逃げ続けていた男は、正面に対峙してしまえば随分と小さく見えた。
過度な期待が無かったと言えば嘘になる、リーゼはそう考える。
聖騎士という優れたクラスを持つ自分にとって、ノエルの護衛として彼女が果たすべき責任というのは非常に大きい。
だからアラタが加入した時、その負担を半分も明け渡したのは少し酷い話でもあった。
能力に応じて負荷を考えるのなら、当時のアラタはむしろ庇護の対象になる。
だから、リーゼも反省している。
一方クリスも、リーゼと似たようなことを考えていた。
彼女の聖騎士ほどではないがクリスも【盗賊】という便利なクラスに恵まれた才能ある人間だ。
出自こそ同情の余地があっても、人より恵まれているというのも確かな人生を歩んでいる。
そこに現れたクラスすら持たない人間。
毎日のように死線を潜り抜け、必死についてきて、いつしか抜かれた。
だが、それ故に忘れていた。
彼はまだ剣を握ってから1年も経っていない、いわば初心者なのだ。
それがどうだろう、数日で人を殺し、自身も死にかけ、挙句死亡し、それからも彼の受難は続いた。
クリスも激動の日々の中で忘れ去っていたのだ。
親も恋人も友達も、今まで持っていたすべての関係から切り離された青年は、寂しかっただろうと。
会いたかっただろう、帰りたかっただろう、また母の作る食事が食べたかっただろう。
学校にも通いたかったはずだし、恋人との日常も欲していたはずだった。
その全てを諦めさせられて、夜遊びもするなとは酷な話だ。
ノエルの金を使ってさえいなければ。
彼とて山のように反省しなければならないが、少し追い詰めすぎたと、クリスも自省した。
「何であんなことしちゃったんですか」
シルが淹れたコーヒーを飲みながら、リーゼは切り出した。
カップを手にしたアラタは答えに詰まる。
「何でだろうな」
「脳の代わりに海綿体が詰まっているのだから、何を聞いても無駄だ」
「酷くない?」
「自分的にはどう考えるんですか」
どうしても答えが聞きたいと、それはノエルがいない今の方が話しやすいだろうとリーゼはこのタイミングで聞いた。
アラタはコーヒーを一口飲むと、カップから手を離して手を組む。
少し考えると、ゆっくりと口を開いた。
「荒れ方が分からないんだ」
「荒れ方?」
「ほら、俺って真面目だし働き者じゃん?」
「全力で否定します」
「私もだ」
「聞けよ。酒も飲んだし、煙草も吸った。夜の店で散財もした。でも、それ以外にどうしたらいいかなんて、俺には思いつかなかった」
「それとノエルからお金を巻き上げることに何の関係が?」
「
「クリス、この男酷くないですか?」
「知ってる」
何を今更、そう彼女は言っていた。
確かに素行は悪くもないが、特段良くもない。
規範意識の低さが時折こうして悪さすることもあるのが彼だ。
「アラタも同じ事されたら嫌でしょ。反省してください」
「反省してる」
「だといいがな」
「してるよ。本当に」
目を伏せてコーヒーカップに目を落としているアラタを見ていると、なんだかこっちが悪者みたいに思えてくる。
だからリーゼは質問を変えた。
「レイフォード卿がいないのは寂しいですか」
アラタの握るカップが揺れて、中身が零れそうになった。
そのさざ波が落ち着くのを待って、アラタは答える。
「今まで経験したことないくらい、寂しいよ」
「その、一緒に過ごしたことはあるんですか。その……あの……」
直接口に出すことを躊躇する彼女の問いを、アラタはそれとなく解した。
要するに、彼女と寝たことはあるのか聞きたいらしい。
それが好奇心から来ているのか、何か重要な意味があるのか分からないアラタは、ありのままの真実を答える。
「無いよ。後悔してる」
「似たような人を指名していたのはそういう理由ですか?」
2人には隠し事は出来ないらしい。
アラタがなびく女性の好みまで把握されているとなると、文句も言いたくなる。
「おま…………マジでさぁ、プライバシー」
「あんなことするアラタが悪いです」
「それはそうだけどさ。そうだな、俺が悪かった。でも、少しくらい許してくれてもいいでしょ。もう二度と会えないんだから、少しくらいいいだろ」
「まぁ、私はいいですけど」
「私も興味ない」
「じゃあいいだろ。ほっといてくれよ」
「そうはいきません。ノエルが嫌がってますから」
なんでそこでその名前が出るんだ、とアラタはコーヒーを口にしようとして、すでにカップの中身が空になっていることに今気づいた。
「過保護すぎる」
「ヤリチンは私も好きじゃないです」
「はぁ、窮屈で苦しいよ」
「苦しいのはノエルの方ですよ。良かれと思って渡してたお金で女遊びですから」
「だから反省してるって」
「ノエルは見た目まんま寂しがり屋なんです。それに普通の学校にも通ってませんから、友達も少ないんですよ」
「それは俺のせいじゃないだろ」
「でも仲間です。分かってあげてください」
「遊んでいてもいいじゃん。俺は気にしない」
シルがお代わりを淹れている間にも話はヒートアップする。
アラタもだいぶ調子が出てきた。
「それは男の論理ですよ。私は結構気にします。知らない人と体を重ねているなんてショックじゃないですか」
「知ってる方がショックだろ」
確かに、と頷いているクリスはもう役に立ちそうにないので、リーゼは一人で戦うことにした。
目の前のこの男は本当に、さっきまであんなにボロカスに怒られていたのにすぐこれだ。
話題の切り替えがうまいというか、話がすぐ脱線するというか、とにかく肩透かしを食らっている気分になる。
「本当に反省してます?」
「してるって言ってんだろ」
「じゃあ言葉にしてください」
「は?」
「何を反省して、どうするのか。ノエルのことをどう思っているのか、ここで言ってください」
「意味わかんね」
「いいから」
命令口調の嫌な金髪巨乳だと、アラタはリーゼの顔を一瞥してすぐにまた目を逸らした。
アラタは真っ直ぐ見つめられることが苦手になりつつある。
正面から向き合うことが怖くなりつつある。
それでも、考えを口にしなければならないときはある。
今みたいに。
「貰った金で遊んで悪かったよ、反省してる。これからは控えるし冒険者頑張るよ。ノエルは……そうだな、裕福な家庭で、剣聖なんてクラスに恵まれて、親から愛されてて、仲間に囲まれてて、いつも楽しそうで、それが少し羨ましかった。俺は、あいつに嫉妬してたのかもしれない。あいつは俺の持っていないものを、失くしたものを全部持ってたから。だから少し意地悪してやろうって……反省してる」
口に出してみると、いくらか胸のあたりが軽くなったことに彼は驚いた。
そんな風に思ってたのかと自分にびっくりさせられるような言葉も出て、己を見失っていたことに今更気づく。
それを一言一句逃さず聞いたリーゼはにっこりと笑って、彼ではなくその後ろに声を飛ばした。
「だそうですよ」
ドアの外には、いつの間にかノエルが立っていた。
警戒を怠ったアラタのミスだし、彼女が風呂に立ってから随分と時間も経過している。
こうなったのは必然だったのかもしれない。
バツが悪そうにアラタは後ろを向いた。
「聞くなよ」
風呂上がりのノエルは石鹸のような匂いを振りまきながら、アラタの頬に手を当てる。
そっと添えるように、優しく触れる。
生きていることを確かめるように、マメだらけの手を当てた。
「私の周りにいてくれる仲間にはアラタもいるんだよ。いつも楽しそうに見えたのなら、それはアラタが戻って来てくれたからだよ。それくらい分かってよ、仲間でしょ」
「……ごめん」
「こうしてギュッとすると、アラタの体温が伝わってくる。アラタも私の体温が分かるだろう?」
「まあ、一応」
風呂上がりのノエルはアラタよりもポカポカしていて温度が高い。
「私は剣聖だから、もう少し色んなことが分かる。例えばその人の強さとか、何を考えているとか、他にもいろいろ。アラタは私が何考えているかわかる?」
「全然わからん」
「もうっ。私はね、アラタに笑ってほしいと思っているんだ。確かにその……あぁいったのもダメじゃないけど、それは違うじゃないか。普通に生きて、ふと楽しいことがあって、ここに居てよかったって思って、満たされて笑ってほしい」
アラタはそう言い終わったノエルを引き剥がし、少し考える。
石鹸の香りが鼻につく。
いい匂いのはずなのに、それが鼻につく。
「怖えーよ。俺には無理だ。いなくなったらって考えたら、そんなの無理だ」
「私はいなくならないから、恐れないで。近づくことから逃げないで。私だってアラタに避けられたら悲しいよ」
「ごめん」
「謝ってばっかり」
「仕方ないだろ。謝る事したんだから」
台所で洗い物をしている音が居間まで聞こえてくる。
水を流している音は不規則で、テレビを見ていたなら不快に思うかもしれない。
ただ今は、会話の声とそれ以外に音は流れていない。
食器を見つめているシルは、もうそこまで心配していなかった。
ノエルがアラタをハグした後から、彼の心に暖かい小さな玉みたいなものが見えたから。
それは誰の心にもあるけど、ふとしたことで消えてしまう脆い光。
でも、消えてしまったらまた人から分けてもらえばいいだけの話だ。
彼はもう一人ではないのだから。
「もう謝らないで。代わりに何々をするって約束して」
「何かってなんだよ」
「それは……ご飯を一緒に食べるとか、遊びに行くとか、クエストに行くとか、もっと小さなことでもいい。お風呂洗ってくれるとか、ご飯作ってくれるとか、部屋片づけてくれるとか」
「自分でやれ」
「ダメ。埋め合わせなんだから少しは譲歩して」
随分と弱くなった己の立ち位置を悲観して、屋敷の持ち主を溜息をつく。
「はぁ、分かったよ」
「そしたらね、今後は私がお返しするの」
「は? それじゃ意味ないだろ」
「ううん、意味はあるよ。そうやって誰かのために何かをする事で、心が満たされるんだ。空いた穴が塞がっていくの」
「ほんとかよ」
「ほんとだよ。だから騙されたと思って試して。もし嘘だったらその時は怒っていいよ。そしたら怒ったアラタをなだめて、もっと幸せでいっぱいにするから。そしたらまた今度返してくれればいいから」
「……分かった。今度からやってみるよ」
「今からやって。とりあえず私に何か返して」
「とりあえずこれで」
そう言ってアラタは自身の財布をノエルに渡した。
そういうことじゃないのにな、とクリス、リーゼ、シルは頭を抑える。
「そういうことじゃないのに。まあいいや」
一応中身を確認するノエル。
もし自分が貸していた額よりオーバーしていたら、流石に受け取る気になれないのが彼女のいいところだ。
そんなノエルの手が止まった。
「ねえアラタ、私いくら貸したっけ?」
「トータルで金貨1枚くらい?」
「金貨2枚、銀貨4枚、銅貨22枚だ」
「足りた?」
「銅貨しか入っていないじゃないか! 一体いくら使ったんだ!」
「あはは、ノエルのくれたお金なんて全然残ってないよ。全部使っちゃった」
普通に生きて、ふと楽しいことがあって、満たされて笑ったアラタの首元にノエルの剛腕が迫る。
だが、アラタも随分と変わった。
ひらりと身をかわして部屋を後にしようとする。
「お風呂入る。風呂場にまで追っかけてきたらセクハラで訴えるからな」
「あっ待て! もぉぉおお!」
せっかくいい感じで終われそうだったのにとクリスは呆れた目で見送った。
リーゼも、シルも同様で、このどうしようもないボンクラ男が本当に反省しているのか疑念の目で見送った。
それでも、少しは変わったのだろうと、逃げ去るアラタの横顔を見て3人とも願うことにした。
そうでなければノエルが報われないから。
「もー。本当に分かったのかなぁ」
そう言いつつもノエルの顔は笑っていて、これからいいことが待っていることを予感させるには十分なものだった。
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