第266話 そういうのは嫌なんだ

 避けられるのは悲しい。

 だから、少しでも関わっていたいから、仕方ないんだ。


 アラタの部屋をノックしても返事が無い。

 クリス曰く、昨日夜遅くに帰ってきた彼はまだ寝ているのだろう。

 ノエルは今日も銀貨を握り締めていた。

 これを渡せばアラタと話す機会を持つことが出来るから。

 最近の彼が相手では、それ以外にノエルが接点を持つことは出来なくなっていた。

 今日もギルドの指名クエストが入っているノエルは、リーゼ、クリスと共にダンジョンに潜らなければならない。

 だからアラタに構っている時間はないのだ。

 ノエルは封筒の中に銀貨を数枚入れて、それをドアの隙間に差そうとする。

 ここ最近、アラタが出てこないときにやっていることだった。

 ドアを少し開けて、封筒を挟もうとするその手を掴んだのは、しなやかな女性の指だった。


「ノエル、こんなのやめてください」


「リーゼ……離して」


「アラタにお金渡すのやめるならいいですよ」


 一目見て怒っていると分かる表情をしているリーゼの背後には、クリスが無表情で立っていた。

 彼女はノエルがアラタに貢いでいることを知っていて、恐らくそこから情報が漏れたのだろう。

 ただ、ノエルの頑固さは筋金入りだ。


「やだ」


「アラタのためになりませんよ」


「アラタは今傷ついているんだ。だから好きなことをさせてあげたい」


「それではアラタがずっとあのままですよ」


「そんなことないもん。時間が経てばアラタだって元に戻るはずだ」


「ノエル」


 リーゼの力が強まった。

 ノエルは無理矢理ドアの前から引き剥がされる。


「あなたはアラタを甘やかしているだけで、足を引っ張っています」


「違う。私がいないとアラタに優しくしてくれる人がいなくなっちゃう」


「それでも、ノエルのやり方は間違っています」


「だって……他にやり方なんて知らない」


「立ち直るということは、現実から目を背けては成り立たないんです。どんなに辛くても、悲しくても、それを受け入れて前に進む覚悟を持たなければ、アラタはずっと止まったままなんです」


「悲しそうなアラタはもう見たくないよ」


「それはノエルのエゴです。その時は良くっても、現実から目を逸らし続けていれば一生前に進めません。一生ノエルの隣には来てくれませんよ」


 リーゼの腕から力が抜けた。

 ノエルの反抗が止まったから、彼女も力を抜いたのだ。


「どうしたらいい? 私にはそれが分からないんだ」


 ノエルの手から封筒を取り、彼女の懐にしまう。

 リーゼは彼女の両手を握って、力強く導く。


「今日のクエストを急いで終わらせて、夜アラタと話をしましょう」


 そして一行はクエストを終え、屋敷に帰ってきた。

 そこにアラタはおらず、外に出ている彼を探しに出た。

 すぐに見つかるようなことは無くても、聞き込みを進めていけばいつかぶつかる。

 そうして辿り着いた先で彼女たちが目にしたのは、見たことない女性の腰に手を回して談笑している彼の姿だった。

 クリスはエリザベスのことを思って目が据わり、リーゼもノエルのことを考えたら目から光が消えた。

 唯一ノエルだけは、バーから出てきた彼を見たことで、自分の渡していた金が何に使われていたのか理解する。

 そんなつもりで渡してきたわけじゃないのに、こんなことに使われるために渡したわけじゃないのに、そう思うと涙が溢れてきた。

 気づいた時には走り出していた。

 そして、彼の名前を呼ぶ。


「アラタ!」


 振り返った彼の不健康そうな顔は、一生忘れることが出来ないだろう。


※※※※※※※※※※※※※※※


 タイミング悪すぎ。


 偶然出くわしてしまったと考えたアラタは、まず初めにそう思った。

 これからレイとしっぽりいこうという時に、なんで見つかるのかなと運の無さを恨んだ。

 だが、少し変だということに気づいた。

 ノエル、リーゼ、クリスの格好を見たとき、彼女たちは鎧などを脱いだ軽装で荷物も持っていない。

 クエスト帰りの格好ではなかった。

 そう考えると彼女たちは一度家に帰り、荷物を置いてここに来たと考えるのが妥当だ。

 外食するにしても違和感が残る。

 そうか、自分の所に来たのだとアラタが理解した時には、ノエルは既に泣きじゃくっていた。


「なに」


 ぶっきらぼうな声で問いただした。

 ノエル相手では話にならないことは分かっているから、後ろの2人に聞いたつもりだ。


「見て分かりませんか?」


「クビにしにきたのか」


 レイの腰から手を離し、アラタは彼女たちの方を向く。


「はぁ、どうしてそうなるんですか。とりあえず……クリス」


「分かった」


 リーゼに指示された彼女はアラタとレイの方に近づいてきた。

 アラタは彼女の気の短さを熟知していて、下手したら斬られかねないということを分かっていた。

 だからまず初めに武装の確認。

 両手剣は腰に差されていて、いつでも抜けるようになっている。

 対して彼の武器は袋に入れて肩にかけている。

 万が一に備えてアラタは肩の荷を下ろした。

 不意打ちで死ぬのはごめんだから。

 だが結果として、クリスは剣を抜くことも拳を叩きこむこともしなかった。

 ただ2人の方、正確にはレイに近づいてそっと金貨を握らせる。


「こいつは人から金を借りてそれで遊び歩くろくでなしだ。ちょっかいを掛けたことに関しては今度謝罪に向かわせる。とりあえず今日の所は引き下がってくれないか」


 要するに、アラタからは手を引いてほしいという申し出だった。

 金で解決するのはいかがなものかと思うかもしれないが、金はほぼすべてを解決する。

 確かに金で解決できない問題も多いが、双方が納得して受け入れたのなら外野がとやかく言うものではない。

 レイは金貨を財布に入れると、無言で背中を向けた。


「ちょ、レイ。どこ行くんだよ」


「帰る」


「俺は?」


「ヒモは嫌」


「そんなぁ」


 アラタの引き留めを意に介さず、レイは家の方に消えてしまった。

 せっかくいい感じだったのにと、アラタは唇を噛む。

 至近距離のクリスとは今にも殺し合いそうなほど険悪なムードを漂わせている。


「邪魔すんなよ」


「人の金で遊ぶお前が悪い」


「説教すんなブス」


 NGワードに反応してクリスのグーパンチが飛び出したが、アラタはそれを左手で受け止める。

 右手を開けていたのはそう、刀を抜くためだ。


「引き返せなくなるぞ」


「うっせえな。知るかよ」


「2人ともやめなさい!」


 クラス【聖騎士】の能力を使いながら、リーゼは2人を止めに入った。

 クリスから引き剥がされたアラタはタバコの吸い殻が詰まったどぶのような目をしている。


「ノエルに謝りなさい」


「お前には関係ないだろ」


「ありますよ。私たちは仲間なんですから」


「仲間仲間うっせーな。たかが数か月一緒にいただけで気取るんじゃねえよ」


「……もういいです。あとはノエルと話してください」


 流石のリーゼも今のアラタは手に余る。

 近づくものすべてを傷つけかねない彼の言動と行動は、彼の周囲から人を減らしてしまう。

 ただしそんな中でも、自分が傷つこうとも近づかずにはいられない奇特な人間も中にはいるのだが。


「ひっく、ぐすっ、ひっひっ、アラタ、何でこんなことするの?」


「別に関係ないだろ」


「嫌だよ。なんでか分からないけど、嫌なんだ。ひっく、だから、うぅ、ズズッ、やめてよ。お願い」


「誰と遊ぼうが俺の勝手だろ」


 拭いても拭っても、次から次へと涙が溢れてきてノエルは泣き止みそうにない。


「グスッ、寂しいなら私が埋めるから、悲しいなら私が慰めるから。だから……お願い。うぅ、スン、スンッ、こういうことはもうしないで」


「金返せばいいんだろ。帰ったら倍にして返すから。それで終わりだ」


「違うよ、そうじゃない。ひっく、ひっく、一緒に冒険者しようよ、もうクエストも受けられるから」


「何が悲しくて冒険者なんてしなきゃいけないんだ。ハブられて、危険で、悪いけど付き合いきれんわ」


「ヤダ!」


 ノエルはアラタに抱き着いて縋り付く。


「おい、しつけえよ」


「ヤダ! ヤダ!」


「そんなに執着すんなよ。俺がいなくても2人がいるだろ」


「私たちは誰も欠けちゃダメなんだ! 放っておけないんだ!」


「ほっとけよ!」


「嫌だ!」


 アラタは【身体強化】まで起動して無理矢理ノエルを引き剥がした。

 彼の胸元は涙で少し濡れている。


「ヒモで、クエストも受けないで、周りに迷惑ばっかかけてんだから、もう見捨ててくれよ。関わらないでくれよ。これ以上、俺に期待しないでくれ」


 イライラがピークに達している彼はポケットから煙草を取り出そうと中を探る。

 しかしさっきまであったはずのそれが無い。

 失くした覚えもないのに、と前を向くと、クリスの手に箱が握られていた。


「盗っ人……マジふざけんなよ」


「アラタ…………」


「大体なぁ、こんなやつ捨てて、誰か役に立つやつを連れてけよ。俺はもう面倒ごとは嫌なんだ」


「グスッ、ねえ」


「触んな」


「前にも言ったじゃないか。迷惑だなんて思っていないって」


「ウソだ。俺はお前らの邪魔ばかりしてる」


「話を聞いて」


「うるせえ」


「アラタが、その……ああいったところに行くのは、何か嫌なんだ。それくらい分かってよ」


「関係ねーだろ。個人の自由だ」


「でも嫌なんだ。お願い、わがままを聞くと思って許してよ」


「俺は……」


「してほしいことがあるなら言って。ダメなこともあるけど、出来ることは頑張るから」


 ニコチンが切れてきたアラタは指をトントンと叩いている。

 かなりストレスが溜まっているみたいだ。


「お前にレイの代わりは無理だろ」


「寂しくないように傍に居るだけじゃだめかな」


 いつぞやの地下訓練場の時のように、ノエルはアラタに近づいていく。


「こうやって抱き締めるだけじゃだめかな」


「離れろよ。そういうのはいらない」


「こんなことくらいしかできないけど、夜遊びはほどほどにしてよ。アラタがそういうことするの、なんか嫌なんだ」


 下から見上げてきたノエルの目を見て、【身体強化】がかかりっぱなしの目には自分の姿が映った。

 酷い顔をしている。

 汚い、かっこ悪い、不潔、とにかく酷い。


 ダセえ、そう思った。

 もっと他にやり方はあったはずだと、アラタは恥じる。

 元々大した動機で遊んでいたわけではないのだから、やめるときにもそれは必要ない。


「…………ったよ。やめるよ」


「本当?」


 先ほどまで泣いていたというのに、ノエルの顔がパァッと明るくなる。


「働けばいいんだろ。今まで悪かったって」


「エヘヘ、私は分かったから、2人にも言って。あとでシルにも謝ってね」


「分かってるよ。離れろ」


 ノエルが離れると、アラタは2人に向かって深々と頭を下げた。


「ごめん。迷惑かけた。ちゃんと働くし、金もたからない」


「当たり前ですよ。しっかりしてください」


「反省してる」


「私はまだ許してないからな。行動で見せてもらう」


「頑張るよ」


「まずは煙草をやめるところからですね」


「関係ないだろ」


「臭いのは嫌です」


「消臭するから」


「ダメ」


「…………分かったよ。やめればいいんだろ」


「はい、これにて一件落着!」


 パン、とリーゼが手を叩き、この話は終わりになる。

 本当に人騒がせなことこの上ないが、彼の境遇を考えれば同情できなくもない。

 苦しくて苦しくて、その先にはまた次の苦しみが待っている。

 少しくらい道を外れたくなっても、外野が責められるものでもない。

 ただ、責任を追及することはしなくても、寄り添って元の道に手を引くことは出来る。

 今までの彼と違うところはそこだろう。

 道を踏み間違えても、正しい道に連れ戻してくれる仲間が出来たことが、彼が転生して得たただ一つのギフトかもしれない。

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