第252話 目的の為なら

 ギルド職員として働くニーアルの朝は早い。

 人前に出る仕事をしているのだから、身だしなみには特に気を遣わなければならないからだ。

 そして、冒険者ギルドは朝の7時から開いている。

 6時半にはギルドに到着して、仕事を始めなければならない。

 その代わり終わりは早いのだが、だからと言って早起きの面倒くささは変わらない。

 彼女は、いつもより遅く起きて、いつもより時間をかけて外に出る準備をしていた。

 身だしなみを整えるという点ではいつもと変りなく、その内容は少し変わっていた。

 ほぼノーメイクに、これ見よがしに包帯を巻く。

 右頬にガーゼを貼り、ついでに右手を包帯でぐるぐる巻きにすれば、今日のおめかしは完了だ。


 アパートメントの鍵をかけ、歩き出す。

 いつもはまだ低い位置でたむろしている太陽は、もうこんなにも高く上がっている。

 歩き慣れた道はどこか頼りなく、そして違って見える。

 ニーアルがそこに到着すると、守衛が門を開けてくれた。

 確認を取るまでもなく、今日彼女がここに来ることは周知されていたらしい。

 門をくぐり、建物までの長い庭園を歩く。

 馬を使う距離ではないが、不便さを感じなくもないほどの距離感。

 扉は一人でに開き、中へと迎え入れられる。


「ご足労おかけして申し訳ございません。自ら足を運んでいただき大変感謝しております」


 初老の執事らしき男性が、深々と頭を下げた。

 使用人の立場と言っても、彼とニーアルとでは身分が違う。

 クレスト家に仕えているが、彼もまた貴族家に名を連ねる者。

 クラーク家の人間同様、大貴族の世話は貴族がするものなのだ。


「足は傷つけられなかったから平気よ」


 そう、足はね。

 そう嫌味を言ったように聞こえる。

 男は表情を変えぬまま、ガイドを務めるべく歩き出した。

 すれ違う使用人がいちいち立ち止まってこちらにお辞儀をしてくるのは気持ちがいいと、彼女は少し高揚していた。

 普段は自分よりも学も常識も金もない連中相手にぺこぺこ生活をしている彼女にとって、ここはまさに別世界だった。

 故にニーアルは理解できない。

 こんな黄金郷のような世界に生まれておいて、自分の所にクエストを受けに来るあの女の思考回路が。

 この前もそうだった。

 汚れ仕事をしてきたような薄汚い人間をかばって、彼女はニーアルに拳を振り下ろした。

 私がノエル・クレストなら、冒険者なんて下賤な職業には関わりたくすらないと、心の中で考える。


「では、ここから先私はご一緒することが出来ませんので」


「この先にいるのね?」


「はい」


「そう、ならいいわ」


 ニーアルは執事に礼を言うどころか、一瞥すらくれずに進んでいく。

 先ほど、もし自分が貴族だったらという妄想を垂れ流していた彼女だが、こんな様子では無理だろう。

 要するに、器ではないのだ。

 彼女を見送った執事の瞳には、それがありありと浮かんでいた。


「…………すごいわ」


 ニーアルはまず、感嘆した。

 公爵家は、大公とはここまでの物なのかと、部屋を見渡して息を漏らした。

 建物も、調度品も、そこに立つ大公も、どれもこれも神々しく輝いて見える。

 憧れというフィルターがかかっていることは否定できなくとも、これはすごいと誰もが言うことだろう。

 それくらい、彼女は場違いだった。

 シャノンは席から立ち上がり、気さくに話しかける。


「呼び立ててすまない。安全上の理由だ、分かってほしい」


 本当ですねと、ニーアルは鼻を鳴らした。


「ギルドから特別有給を頂いたので問題ありません」


「それはそれは。さて、単刀直入に入ろうと思うが、いいかい?」


「えぇ、その方が助かります」


「ノエルをここへ」


 家主の命で、娘が召喚された。

 いつもの装いとは異なるが、ニーアルに配慮したのか華美さは無い。

 その辺にいる一般人と言われても通じるくらいの服装だ。


「まずは謝罪を。愚かな娘が取り返しのつかないことをした」


「申し訳ありませんでした」


 シャノンに続いて、ノエルが頭を下げた。

 一応彼女も謝る気はあるみたいで、特に反抗的でもなければ含みを持った言い方もしていない。

 それを見て、ニーアルは勝ち誇った気持ちになりつつ、それを表に出さないように努める。

 被害者は被害者らしく、そう考えてこの場に臨んだ。


「気持ちは分かりましたが……こうして体に被害が出ている以上、私は仕事の方も休まねばなりません。この補償はどのように償ってくださるつもりですか?」


「それはもちろん、出来る限りの献身をさせてもらう。これからその話し合いをしようと思うのだが……ノエルは必要かい?」


 ニーアルは頭を上げてこちらを見ているこの小娘が心底憎たらしかった。

 大げさなふりをしていても、実際頬は痛むし髪は少し抜けてしまったから。

 どちらも完治までそこまで時間はかからなくても、彼女のプライドが元に戻るまで時間はかかる。

 しかし、ここは欲をかくところではないと、踏みとどまった。


「いいえ。大公殿下のように話の分かる御方がいてくだされば十分です」


「そうか。ではノエルは下がりなさい」


「失礼しました」


 忌々しい女、そう彼女はノエルを見送った。

 そしてすぐに気持ちを切り替えて、金の話に移る。

 彼女にとってはここからが本番に等しい。


「治療はもう行ったようだね」


「ええ。ですがもう少し時間がかかるみたいで、その、お金の方も」


「とりあえず見舞金として金貨10枚、それと治療費を別枠お支払いさせていただきたいのだが、どうかな」


 流石大公、スケールが一般人とは違うと、ニーアルは舌を巻く。

 だが、初めから限度額を提示してくる人間なんて存在しないことを彼女は分かっている。

 もう少し粘れる、そう判断した。


「お見舞金の方はありがたくいただきたいのですが、治療中のお給料もギルドから出続けるかどうか……そのあたりも出来れば」


 申し訳なさそうに言っている彼女だが、内容は全然遠慮がない。

 足りないからもっと寄越せ、そう言っている。

 シャノンは、『そうか』と相槌を打つと、さらに上乗せしてくる。


「では、休んでいた分の3倍、こちらの気持ちとして補填させていただこう。ずっとというわけにはいかないが、最低でも半年分は支払わせていただけるかな」


 金額が一気に膨らむ。

 この膨張が、彼女の欲望に火をつけた。

 大公は娘の不祥事をよほどここで抑えたくて、そのためには努力を惜しまないつもりなのだと、そう思い至った。

 欲望は、判断を誤らせる。


「そうですね、出来ればギルドの方に働きかけて特別休暇を延長してもらえると……」


 それも飲む、当然その言葉が出るものと思っていた。

 要求としてはそこまで無茶なものでもないし、逆鱗に触れるようなものでは無い。

 ニーアルは、そこまで責められるようなことを言ったわけではない。

 だが、政治の世界とは得てしてそういう物だ。

 何のことは無い言葉の端をピンセットでつまみ上げ、鬼の首を取ったかのように晒し上げる。

 普段下々の者がそうやって来ているのだから、逆のことが起こっても何ら不思議ではない。


「ギルドが私の言うことを聞くのかな」


「それはもう、大公殿下のお口添えがあれば——」


「この前はそうしなかったのに?」


 空気が変わる。

 シャノンの両脇を固める護衛も、それを感じ取って警戒レベルを引き上げた。


「どのことかわかりませんが」


「私はギルドに、冒険者の適正な評価と待遇を求める書簡を送っている。もちろん公的な文書だ。だが、君たちはこれを受け入れなかった」


「わ、私はただの事務員ですので、そういった内容に関しては分かりかねますわ」


「知らなかったから、そのような対応を取ったことがあると認めたわけかい?」


「い、いいえ! 決してそんな意味ではなく!」


「そもそもこれは1321年に締結された公国とギルドの協定や、ギルド職員倫理規範にも記されている内容だ。ギルド側はその立場を利用して故意に冒険者に不利益を被らせてはならない」


「アラタさんの件をおっしゃっているようであれば、それは誤解です。ギルドでは彼の周囲に及ぼす影響に関して何度も検討した結果、あのような結論に達したのです」


「突然出てきたBランク相当の冒険者、それも出身は貴族院系の特殊部隊。普通なら諸手を挙げて歓迎するところを、君たちはそうしなかったどころか迫害までした」


「それは……彼の行った行為によって不幸になった同僚がいたので……」


「誰の事を話しているのかな」


「メ、メイ・トレスさんです。あの人の夫は彼によって殺されたんですよ」


 ニーアルの頭の中からは既に金の事なんて吹き飛んでいた。

 そんなことよりも、この場を切り抜けることが優先事項になったから。

 間違った選択肢を選んだわけではないはずなのに、ずるずるとまずい方向へ転がっていく。

 まずいと思い、彼女はトレスのことを口に出した。

 それがチェックメイトだとも知らずに。


「イーデン・トレスの討伐命令は貴族院で承認されたれっきとした正式討伐任務だ。彼はそれを遂行したに過ぎない」


「し、しかし……」


「言い方を変えよう。彼女の夫を殺したのは私や他の貴族だ。それを理由にアラタ君に対する君たちの行動が正当化されることはあり得ない」


「それではメイさんの気持ちは!」


「それにね、彼が任務に従事していたことは極秘事項のはずだ。もちろん彼が自らそれを明かしたことは聞き及んでいる。しかしギルド内部ではその前からその情報を掴んでいた。君たちは認識の有無に関係なく重要性の高い情報に触れている」


「それは噂で」


「君は噂で冒険者を冷遇するのか」


「いえ、それは……」


「話を変えよう、君は法律をどう捉えている?」


 ギリギリまで追い詰められていたニーアルは、久しぶりに息を吸った気がした。

 呼吸が浅く、動悸が収まらない。

 極度の緊張状態の中、予断を許さない状況は続く。


「えぇーと、その、人を守る為にあるかと」


 なるほど、とシャノンは頷く。


「私はね、社会を回す為にあると思っている。しかし君の言っていることも間違いではないだろう」


「あ、ありがとうございます」


「要するに、法律は何らかの目的を満たすための手段なわけだ。これも分かるかな?」


「はい、勿論です」


「公平性を担保する、金を稼ぐ、安全を保障する、いざこざの価値判断をする、そして社会を回す。それらの目的の為に、法律は存在していると私は思っている」


 何の話をしているのか、ニーアルには見えてこない。

 自分がピンチであることは理解できても、どう話を繋げてくるのか分からない。


「私は大公だから、国民を守らなければならない。つまり、ギルドの連中のように、帝国になびいて国益を蔑ろにする人間を見逃すことは無いわけだ」


「そ、それは……私たちそんなつもりじゃ!」


「私は目的の為なら、法律だって捻じ曲げるよ。それは目的を達成するための手段でしかないわけだからね、邪魔になるなら斬り捨てるさ。おい、連れていけ」


「「はっ」」


 護衛が動く。

 拘束具と武器を携帯していて、ギルドの職員でしかない彼女が抗えるはずもなかった。


「大公殿下! こんなこと許されませんよ! 私は!」


「君がウル帝国からの工作員で、ギルドに流言を飛ばしたことは調べがついている。相応の取り調べと報いを受けてもらうよ」


「知りません! 私は無実だ!」


「リャン・グエルとキィという名前を知っているね」


 ニーアルは愕然とした。

 どうしてその名前を、そう思いながら、彼らが大公選期間中に死んだことを思い出していた。


「欲を出し過ぎたね。煽られただけにしては少々熱が入っていたよ」


「この……西の田舎者がぁ! 必ずや帝国が手中に収めてみせるぞ!」


「田舎なら放っておけばいいのに。あ、金は要らないようだから回収しておくね」


「シャノン・クレスト! 必ず皇帝陛下の御前に跪かせてみせるからな!」


 ニーアルは、決意と怨嗟の絶叫を上げながら奥へと引きずり込まれていった。

 国に仇なす人間がどんな末路を辿るのか、その凄惨さは想像すらしたくない。

 シャノンは一仕事終えたという様子で、近くに控えていた男に声を掛けた。


「ハルツ・クラークに使いを」

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