第236話 陽はまた昇る(第3章最終話)
「迎えが来ましたよ」
「リーゼ、私の髪留め知らない?」
「知りませんよ。どうせ向こうで用意されてるんですから、行きますよ!」
朝からハルツの屋敷は騒々しい。
というのも、今日は大公就任式。
大公選が終わり、見事? 当選したシャノン・クレストが大公の座に就く大事な行事だ。
娘のノエルも式典に参加するのは至極当然で、彼女は朝から貴族院に入り、化粧やらプログラムの確認やらに追われる。
リーゼ、ハルツ、そのパーティーは護衛を務めるため、同時刻に家を出る。
当初の予定より随分と遅れてしまったが、結果的に天候はばっちり快晴、雲一つない。
カナン公国の新しい門出の日として、これほど良い天気も中々ないだろう。
少し風が吹いているのが気になっても、寒さを感じるほどではない。
むしろ暖かい空気が運ばれてきて、多少の薄着ならなんてことない。
「いい天気になりそうだ」
「そうですね」
馬車に乗り込むと、ゆっくりと動き出す。
仲にはノエルとリーゼが、その外をハルツたちが固める。
その外側にも信頼できる警邏の部隊が控えていて、厳戒態勢での移動だ。
大公選を前に、アトラの街では犯罪組織に対する大規模な取り締まりがあり、治安が劇的に改善している。
でも、万が一ということを考えればやりすぎということは無い。
ここまで来てまだ諦めていない連中というのは、何をするのか分かったものでは無いから。
「ハルツ」
「なんだ」
「就任式で敵が来ると思うか?」
「さあ。ただ……」
ルークとしては、襲撃なんてあるわけないんだから楽してこうぜ、という意味の質問だった。
だからそういう時こそ気を引き締めろ、そう言われて終わりだと思っていた。
「これ以上は何もない気がする」
そんな彼の言葉は意外そのもので、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
「何だ、その通りだろう」
「い、いや。そうなんだけどさ」
「万が一何か仕掛けてくるとしたら、その時は手に負えないレベルの相手が出てくるぞ」
「そりゃあ、この警備の内容を知っていて仕掛けてくるんだからな」
ルークは辺りをぐるりと見渡す。
Bランクパーティー、聖騎士、そしてターゲット自身が剣聖。
大公や大公妃には、もっとえげつない陣容の警備がついている。
この警備網をかいくぐるのは、それこそ戦争の準備でもしないと無理だ。
そして、それほどの規模の戦力を動員したら、流石にこちらも気づく。
つまり、この時点で平和な式典は半ば約束されたようなものだった。
「あるとすれば、Aランク相当の敵だな」
「Aランクなんて、世界に3桁もいないんだろ?」
「そうだ。だからこそ俺は怖い。何せ見たことが無いんだからな」
「見えないものを怖がってもしょうがねえよ。とりあえず、めでたい日を祝おうぜ」
そう言うと、ルークは馬車の先の方へと行ってしまった。
2人の乗っている馬車に横付けする形で移動するハルツは、腰元の剣を見た。
例えばアラタが襲撃した時、自分は勝てるのだろうか。
この国最高ランクの冒険者という自負も自信もあるが、こればかりはやってみないと分からない。
あれと戦うとなると、それなりに覚悟を決める必要があるから。
「敵になってくれるなよ……」
苦労が絶えない聖騎士は、様々な悩みの種を抱えつつ、馬を歩かせていった。
※※※※※※※※※※※※※※※
4月19日、時刻は正午。
カナン公国首都アトラ、貴族院大広間。
継承権を持つ貴族家の代表たちで構成された、公国の意思決定機関、貴族院。
彼らの力が非常に大きなものであることに変わりはないが、それとたった一人で拮抗しようかという権力者が、今日、この場で、誕生しようとしていた。
粛々と式は進行し、選挙管理委員会委員長を務めたイクラシオン・ボールドウィンがここでも司会を務めている。
「シャノン・クレスト公爵、前へ」
先代大公の急逝からもう2年半。
その家の現在の当主がシャノンの前に立っている。
その両手には、大公の証たる盃があった。
大公は王ではなく、貴族諸侯の調停役である。
その考えは今も継承され続けていて、それゆえに王冠などはない。
このちっぽけな盃が、彼を大公であることを示す唯一無二の
「貴殿を、カナン公国第23代大公として認める。民の為に、果てぬ献身を期待する」
「ありがたく」
ウル帝国を除いた、各国来賓も来ている目の前で、シャノンは盃を受け取った。
空のそれに、何を詰めるのかは彼次第。
飽くなき欲望で満たすのか、民衆の願いでいっぱいにするのか、それは彼の自由だ。
ただ、その外側には、盃の中に入ることが出来なかったものが散らばっている。
流血の果てに手にした大公の座、生半可なことは出来ない。
エリザベスが、彼女に追従した貴族たちが、先日謎の死を遂げた彼女らが見ている。
興味津々で、命を懸けたその先にある物を、楽しみにしている。
「これより、貴族院前広場で一般演説に移ります」
厳かな式はここまで。
ここからは、民衆に向けて新大公の顔をお披露目しつつ、貴族院の中では祝賀パーティーが開催される。
シャノンを応援してきた者も、そうでない者も、これが楽しみだった。
クラーク家のような譜代の連中からすれば面白い世が待っていて、すでに恭順が決まっている元反対派閥の連中も気が楽だ。
未だに強情を貫いている芯の通った彼らは、そもそも式典に出席していない。
貴族の面々が準備された宴会場に通されていく中、シャノンはその場を後にする。
彼も向こうに行きたかったが、やるべきことが残っているから。
「あなた」
「父上」
「行こう。国民が待ってくれている」
誘導されるまま廊下を通り抜け、3階バルコニーに出た。
貴族院にも2階はあるが、1階の天井が高く、正面入り口に面した部分は省略されている。
したがってバルコニーは3階なのだ。
割れんばかりの歓声。
広場に溢れ返る人。
人の海は波打ち、大きなうねりを起こしている。
もう大混乱で、死傷者が出ないか心配になってくる。
「静粛に! 静粛に! 静まれぇ!!!」
会場係が大声で叫び、喉を嗄らしているが効果が無い。
この場に詰めかけた観衆がいったいどれだけいるというのだ、押さえきれるわけがない。
シャノンは、肺に目一杯の空気をため込んだ。
「シャノン! クレストォ! 公爵である!!!」
いい声だ、と広場に詰めていたハルツは顔をほころばせた。
よく聞こえる、よく通っている、よい声質だ。
そのような素養も、人の上に立つうえでは欠かせないのだろう。
彼の眼から見て、それらしい行動を起こそうとしている人間もいない。
彼同様警備は大人数で行われていて、就任式を邪魔するような存在は一人もいなかった。
「私は新大公として、この国を豊かにする! 肥沃な大地に、健やかな国民、これを何としても守り、より一層発展させていく! 私は第23代大公、シャノン・クレストである! 公国に繁栄あれ!」
一瞬の静寂の後、再び湧き上がる観衆。
はっきりと聞き取れたのは、せいぜい前の方だけだろう。
後方に至っては、流石に声も届いていないかもしれない。
だが、それでいいのだ。
大事なのは言葉ではなく、雰囲気。
彼が大公として国を引っ張っていく、その決意。
それが伝われば、あとは何もいらない。
就任式は、大成功だった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「すごい歓声だな」
貴族院から離れたこの場所までも、国民の叫び声は届いている。
それだけ多くの人が詰めかけ、新たな大公の誕生を祝っている。
孤児院の敷地の中にある林。
その奥にあるシャーロット秘密の場所に、アラタは一人で立っていた。
墓前に供える花束と、一通の手紙。
差出人の名前は千葉新。
日本語で書かれたそれは、白い封筒の中に入れられていて、中身が見えないようになっている。
花束を置くと、アラタは腰を下ろした。
刀の鞘尻が地面に押されて、少し前に押し出される。
「警備はもういいんだ。きっと何もない」
文句を言いながらも、クリスはアラタの分の警備を引き受けてくれた。
そうまでして、このタイミングでアラタがここに来た理由。
「みんな就任式に行って、一人は寂しいもんな」
一人語りかけ、アラタは酒の瓶を開けた。
エリザベスと酒を酌み交わしたのはほんの2,3回だけ。
それもまだ彼が側仕えとしてレイフォード家にいたときの話。
彼は特配課に飛ばされ、やがて家出した。
彼女の好みなんて把握していないし、クリスに聞いたらワインなんて言い始めた。
墓にワインを供えてどうする、と。
別に故人の好物ならワインだろうと何だろうと、汚さないように供えるのはありだが、彼の中で墓前にワインは無いらしい。
結局持ってきたのはウイスキーボトル、ワインがダメでウイスキーがありな理由が分からない。
「もっと一緒だったら、何を持ってきたらいいのか分かったのかな」
アラタはウイスキーボトルの下に手紙を挟み込み、遠くに聞こえる歓声に耳を傾ける。
甲子園の観客が思い起こされて、少し気分が悪くなる。
聖地での思い出は、彼の中ではトラウマと同じだ。
「
供えたボトルに手を付け、ラッパ飲みする。
アルコールが喉を焼き、頭が少し揺れる。
「あいつ性格悪いから、次はミジンコとかに転生しちゃうかもね。そうなったらまたすぐに転生だ」
風で手紙が飛ばされないように、もう一度ボトルを上に置く。
「この世界は大変だから、今度も日本に生まれることを願っているよ」
好きな人には、例え生まれ変わって別人になったとしても幸せになってほしいから。
「エリーが男になるかもしれないのは何だか変だけど、何でもいいや。普通の家に生まれて、今度は親が早くに亡くならないで、愛されて、成長して、好きな人が出来て、いつか誰かと結婚して…………」
握り締められたアラタの手には、小さなブレスレットのようなものが光っていた。
貴金属や宝石のような美しい光沢ではない。
安物のプラスチックが光を反射しているだけ。
どこのおもちゃコーナーにあったのか、これがエリザベスの持つ唯一の日本人の証拠。
元の世界で調べればわかることだが、きっとどこかの子供向けのアクセサリーなのだろう。
どんな使い方をするのか、アラタには分からない。
ただ、これを持つような年齢の子供が一人異世界に放り出されて、寂しくなかったはずがない。
親の生死も理解できぬまま、この地獄のような世界で生き抜いて、最後は最愛の人の手で散った。
彼女の推察したように、もし彼女の人生を一つの物語とするなら、バッドエンドもいいところだ。
その最後に現れたアラタは、さぞかし読者のヘイトを買ってしまうことだろう。
でも、それでも、彼は彼女を愛していた。
「今度は、幸せな人生を全うできますように。おやすみ、エリー」
アラタは立ち上がると、後ろに着いた土を払った。
草原の上と言っても、これだけしっかりと腰を下ろせば汚れてしまう。
「エリーがいない世界は寂しいよ」
上を見上げる彼の瞳からは、耐えきれずに涙が零れ落ちている。
空を見上げて我慢しても、我慢できるものでは無い。
【
時間が解決するのを待つこと3分ほど。
袖で残った水滴を拭い、男はエリザベスの眠る墓に向き直った。
「生きる理由はまだ分からないけど、俺がいないと寂しいって言ってくれる子がいるんだ。他にも俺のことを必要としてくれる、俺が必要としている仲間がいるんだ。だから、俺はもう少しだけ、この世界で生きてみることにする」
人の死がどれだけ悲しくても、それで自分が死んでいては世界が壊れてしまう。
悲しくとも、死にたくとも、絶望に打ちひしがれても、それでも人は生き続けなければならない。
生きていれば、いつかきっといいことがあると信じて。
絶望ではなく、希望を胸に、人は前を向く。
何度希望の陽が潰えても、陽はまた昇るから。
アラタはこの世界でもう少しだけ、生きてみることにした。
第3章 大公選編 完
第4章 灼眼虎狼編 毎日更新予定
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