第205話 母で、姉で、妹で、そして

 初め、こいつは嘘つきだと思った。

 だって、こいつはウチの家族じゃないから。

 初めから血が繋がっていないから、家族じゃない。


 それが、クリスという少女の数少ない常識の一つだった。

 自分の家族はあの頭のイカれた母親だけ。

 大切だとか、そういうんじゃなく、ただ血縁関係という事実を見ただけ。

 その時はまだ、彼女は自分にとって家族とは何なのかということを、知りもしなければ考えもしなかったのだ。


「ウチは飯食った」


「ちがぁう! 私はご飯をいただいた!」


「あーしはご飯食った」


「あーし禁止! わたし!」


「あーし」


「私!」


「まあまあ、エリザベス様も落ち着いて」


 ウル帝国北部の町を離れ、クリスがカナン公国にやってきてから1年。

 エリザベスが15歳になるまで、相談役たちが後見人になって家を回している間、エリザベスは暇を見つけてはクリス達元奴隷たちと関わり、一緒に成長していった。

 食事を共にし、時にはエリザベスの勉強に巻き込まれ、運動が苦手な彼女をからかって大目玉を食らったり、家から抜け出して遊んだり、それは近所の子供以上、姉妹未満といった様子だった。


 そんな風に日々を過ごしていく中でも、時には苦しかったり悲しいこともあったりする。

 クリスが10歳になった時、レイフォード家に一つの部署が出来た。

 正式名称は当主護衛部隊だが、通称武装メイドと呼ばれる一団が組織されたのだ。

 拾い集めた奴隷を養子としてレイフォード本家に迎え入れ、戦闘、教養訓練を課したのちに当主エリザベス・フォン・レイフォードの護衛任務に就ける。

 当時まだ派閥内の統制も満足に取れていなかったレイフォード家にとって、分家は権力争いの相手でしかなく、抗争は激化の一途を辿った。

 表向き貴族同士が傷つけることは暗黙の了解で禁じられていたが、養子で元奴隷の彼らは違う。

 ノーカン、だった。

 エリザベスの精神を削るために、彼らを襲撃する事件が多発、レイフォード本家は自衛のすべを身に着けさせるために武装メイドを考案したのだ。

 日々傷ついていく仲間たち。

 彼らが傷つくたびにエリザベスの心はどす黒く染まっていく。

 それが嫌でクリスは地獄のような訓練を耐え忍んだ。

 そして、武装メイドの数は発足当時の3分の1程度まで減った頃、ついにその時が来た。


「おめでとうございます。貴方のクラスは【商人】です」


 エリザベス15歳の誕生日、発現したクラスはまあまあ見る【商人】だった。

 希少性こそないものの、実務的で役に立つクラス。

 暗算などの機能補助から派生して頭の回転が速くなり、加えて人を見る目も補助が付く。

 何となくではあるが、嘘をつきそうな人間や信用できない人間を見分けることも出来る。

 そして、彼女のクラスが発言したことを機に、エリザベスは正式にレイフォード家当主に就任、公爵となる。

 後見人たちはその役割を終え、ただの相談役に戻る。

 そして、武装メイドにも転機が訪れようとしていた。


「派閥の平定も済んだ。これからは攻めに転じるわ。まず初めに、新部隊を組織します」


 その組織の名前は、レイフォード物流事業部特殊配達課。

 またの名前をティンダロスの猟犬。

 2つ名は彼らのうわさがまことしやかに囁かれるようになってから生まれたものだが、彼女はこの名前を案外気に入っていた。

 ティンダロスの王に使える猟犬、この国を変える一振りの剣。

 5年近くの歳月をかけて、彼女たちは裏社会で暗躍した。


 当時からエリザベスはきっと、カナン公国をぶっ潰してやるつもりで彼らを登用したのだろう。

 その構想は武装メイドの辺りからあったのかもしれない。

 もしかしたらその前から、クリス達奴隷をウル帝国で大量に買い付ける前からの計画なのかもしれない。

 ただ、クリス達からすれば彼女は自分たちをごみ溜めの中から救ってくれた命の恩人そのものだし、例え利用されているとしてもそれはそれでよかった。


 パンの味を知ることが出来た。

 温かい食事の味も。

 清潔で寒くならない寝床も。

 金を使って何かを買うということも。

 剣を取り、何かの為に戦うことも。

 血は繋がっていなくても、家族という物を知ることが出来た。

 彼女たち元奴隷は、それで満足だった。


「クリスちゃん」


「ルカ」


 特配課は基本的に、奴隷上がりかレイフォード家生え抜きの2択で構成される。

 課長兼隊長、ノイマン・レイフォードみたいな元々レイフォード家にゆかりある家に生まれた者や、クリスやルカ、オレティスたちのような奴隷上がり。

 そんな中、どちらでもない人間が入ってきたら目に付くし、話題にもなる。


「アラタ君ともう話した?」


「私の分隊だからな。一応」


 クリスは新しい仲間が増えた程度にしか思っていなかった。

 しかし、同じB分隊のルカはそうでもないらしい。

 彼女は目を輝かせて彼のことを知りたがった。


「エリちゃんのこと何か言ってた?」


 クリスは昔からそっけなく、ルカはルカ、オレティスはオレティスと呼んでいる。

 しかし例外として、エリザベスだけは長いからエリと呼んでいた。

 ベスと呼ばないのは単に他と差別化したかったからに他ならない。

 そんな彼女の呼び方をまねて、武装メイドたちはエリザベスのことをエリと呼んだ。

 ルカのエリちゃん呼びはその名残だ。


「いいや、別に何も」


 直属の部下について、クリスはノイマンからそれとなく素性を聞いていた。

 クレスト家派閥に所属していて、喧嘩別れした後当主に拾われたと。

 そして彼女の傍付きを務めた後、筆頭執事バトラーによって特配課に飛ばされた。

 あいつの口からは聞いていない、そういった意味を込めて、クリスはNoと答えた。


「へへ、じゃあ今から言うのは私たちだけの秘密だよ」


 お前が他の誰かにペラペラしゃべらなければ秘密のままだな、とクリスは耳を貸す。


「アラタ君ね、エリちゃんと付き合ってるみたいなの!」


「へぇ」


 意外だった。

 2人が恋仲になっているというよりも、エリが誰かを受け入れたという事実が、意外だった。

 彼女とて一人の女で、誰かを好きになることくらいあるはず。

 しかし、20を超えるまで何もなかったのに、いきなりそんな話が出てくるとびっくりする。

 まあ、驚いただけでそれ自体は素直にうれしいことではあった。


「反応うっす! 青だよ~春なんだよ~?」


「なんだそれは」


「青春って言うの! いいなぁ、私も恋したいな~」


 ちょっと夢見がちなんじゃないか、とクリスは彼女を見て思っていた。

 例の母親を見て育った彼女にとって、誰かを好きになることはあってもその先を考えることは難しかったから。

 仲良くなりたいと思える人はいる。

 特配課の皆も、レイフォード家の人も、街の人も、いい人ばかりだ。

 だが、ずっと一緒にいたいかと問われれば、それは違う。

 ましてや恋だ愛だなんて、考えられない。

 アラタという男は、クリスの身近に現れた、よく分からない人間だった。

 エリの恋人で、一般社会で何不自由なく暮らしていたはずなのに特配課にやってきて、飲み込みが異常に早くて、すぐに周りの信頼を勝ち取って、強くて、一見バカだが頭が回って、それでいて一途だった。


「エリーを止めたいんだ。クリス、お前の力が必要だ」


 奴の言葉には不思議な力がある。

 語彙力があるわけでもなく、文章力が高いわけでもない。

 でも、頼まれると、頼られると、私にもできるかもしれないと、手伝ってやってもいいかなと、そう思える。

 あくまでも目的が一致した場合だけだが、あいつの為にやっているわけではないのだが、今の自分にはできないようなことでも、不思議と出来る気がする。

 そんな所に、エリも惹かれたのかもしれない。


※※※※※※※※※※※※※※※


「エリ」


「ん?」


「エリはアラタのどこが好きなんだ」


 木の燃える音と2人の声以外、何も聞こえない。

 風も吹いていないし、虫も鳴かない。

 火の周囲3メートルの範囲内だけの時間が動いている。


「そうね……」


 エリザベスは火を背にして寝ているアラタの方をちらりと見て、それから物思いにふける。

 今まで思い出話に花を咲かせていたが、その内容とアラタはまた違うエピソードだ。


「目が好きなの」


 そう吐露するエリザベスの横顔は、クリスが今まで見たことない表情をしていた。


「一所懸命だったり、嬉しそうだったりする目が好き。照れると赤くなる耳が好き。言いにくいことがあるとモゴモゴしちゃう口が好き。割れた腹筋が好き。マメだらけの大きな手が好き」


「見た目が好きなのか?」


 好きな体のパーツを説明していくエリザベスを見て、クリスはそう言った。

 なんかこう、さっきまでの話と違うと、そう思ったから。

 エリザベスは手を首を横に振りながらそれを否定した。

 そういうことじゃないの、それもあるんだけど、とモゴモゴとくちを動かしている。


「アラタはね、優しいの」


「そうか?」


「仕事を半分に分けようって言った時には、必ず半分より多く持っていくの。でもね、ケーキを半分にしようって時には、必ず私に選ばせてくれる。それで私が小さい方を取って、大きい方をアラタにあげると、『気を遣わせたかも』って顔をするの。それがいじらしくて、可愛くて……好きなの」


「そうなのか」


 クリスからすればいまいちピンとこないみたいだが、彼女の言いたいことは伝わったらしい。

 とりあえず、お幸せに、ということだ。

 2人がそれでいいのなら、外野の自分がとやかく言うことではない、そう考えている。


「もっとお話ししようよ」


 時刻は深夜2時を回り、エリザベスの就寝時間はとうに過ぎていた。

 見張りの仕事も一番眠くなる時間帯、話し相手が欲しかったのもある。

 だが何より、次またいつ離れ離れになるか分からない主を、母を、姉を、妹を、友を前にして、一瞬も時間を無駄にしたくなかった。


「少しだけだ」


 それから2人はまた話し始めた。

 特配課が消え、ルカやオレティスが死んでしまったことを話した。

 アラタが助けてくれて、黒装束として細々と活動していたことも話した。

 やがて組織は八咫烏と名乗るようになり、人数も増えたことを話した。

 その間、アラタはずっとエリザベスと会いたがっていたことも、一応話しておいてやった。

 それからそれから、アラタの料理が旨いとか、私が台所にいるとドレイクの眼が厳しいとか、アラタが風呂で寝ていたせいで裸で遭遇したとか、他愛のない話をした。

 エリザベスはみんながいなくなってから寂しかったと言い、仕事が忙しくて碌に休みも取れなかったと愚痴をこぼした。

 レイフォード家の人間は私のこと魔道具か何かだと思っているのかと、そう言った。

 女子の会話に自動終了機能は存在しない。

 何かの拍子に強制終了をかけなければ、半永久的に言葉を吐き出し続ける。

 少し辺りが明るくなってきた頃、一行は目を覚ます。


「エリーおはよ、早起きだね。クリスはお疲れ様」


「おはよう。私も夜の番していたのよ」


「え? じゃあ寝てないの?」


「勿論」


 自慢げに語る彼女を見て、それからアラタはクリスの方を見た。

 寝かせろよ、そうメッセージを送ってきている。

 【以心伝心】が使えなくなっても、スキルなど使わなくても理解できる。


「そういう日もある」


 苦し紛れに吐き出した言葉はどこか頼りない。

 今更寝かせるわけにもいかないので、アラタは諦めて朝食の準備に取り掛かる。

 干し肉を水で戻して、スープに入れる。

 他にもそこら辺に生えている野草と持ってきた具材を少し入れて、薄いが朝食の完成だ。

 硬いパンも添えられていて、それを齧るクリスの表情はひたすらに暗い。


「保存食なんだからしょうがないだろ。こっち見んな」


 恨めしそうにアラタの方を見るクリスを見て、エリザベスが噴き出した。


「エリー!?」


「あははっ、ふふっ、みんな仲良しだね!」


「そんなわけないだろう」


「僕たち仲間だからね!」


 アラタにお代わりをよそってもらっているキィは元気にそう言った。

 彼の過去は未知な部分が多いが、リャン以外に心を開く相手を得たのは久しぶりなのだろう。


「ですね」


 一足先に朝食を終えたリャンはタバコに火をつけている。

 彼にとってはこっちの方が食事のような気もする。


「セーフティーハウスに着いたら、それなりに物資はあるから、それまでの辛抱だ」


 そう言いながらキィにお代わりを手渡すと、アラタは硬いパンを一齧りして、先ほどのクリスと同じような顔をした。

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