第204話 あっちの幼馴染、こっちの幼馴染

 夕食の後、特にすることも無い一行は寝る。

 彼らがまだ八咫烏になる前から、夜は決まってこうしていた。

 見張りを立てて、それ以外は休息に努める。

 日陰者の彼らにとって、見つからない、捕まらないようにするために、ありとあらゆる工夫をすることは至極当然のライフワークだった。

 今日の番はクリスとアラタ。

 と行きたいところだったのだが、彼の足の怪我は思いのほか重く、代わりを立てることになった。

 しかし、リャンもキィも、連日の強行スケジュールが祟ってこのままでは消耗する一方だ。

 仕方なく一行は夜の番を一人にすることにした。

 クリスには申し訳ない話だが、彼女が一番消耗が少ない。


「気にするな。元気になったら代わってもらう」


 クリスはそう言い気前よく単独で夜の番を引き受けた。


 ——木の弾ける音が心地よい。


 気持ち良すぎて眠りに落ちてしまいそうになるたびに、彼女は自分の頬をつねった。

 大した効果はないけども、それでもこうでもしなければすぐに寝てしまいそうになるのだ。

 一番元気だと言っても、同じ行程をこなしているのだから疲労の蓄積は彼女にもある。

 女だからと言って負担を肩代わりしてくれるほど仲間は気が利かないし、彼女もそれは嫌だった。

 気を遣われるという事実自体が、自分の能力が足りていないことを示しているようで、クリスは自分が組織の中で特別扱いされることを嫌悪する。

 それでも健康体である彼女の体は月一で調子を崩すし、そうでなくても彼女の左目は明確な像を結ぶことが難しくなっている。

 眼帯の裏側を見続けているこの左目が、エリザベスを助けるために賭けた物。

 結局賭けに負けて代価を支払うことになってしまったが、勝負には勝ったのだから言うことは無い。

 クリスは黒い眼帯をさすると、再び気付けのために頬に手を伸ばした。


「ダーメ。つねったらほっぺが伸びちゃうわ」


 そこには、懐かしい顔があった。

 レイフォード家に、特配課にいたときは頻繁に見ていた。

 一度離れ離れになって、それから再開して、隣にいたのだから、見えないはずは無かった。

 でも、隣に立っていたとしても、彼女の反対側の隣側にはアラタがいた。

 だから、彼女はクリスの方を向いてはいなかったのだ。

 だから、久しぶりなんだ。


「……そうだな」


「よし、私がお話し相手になってあげよう!」


 倒れた巨木に腰かけているクリスの隣は空いていて、エリザベスはその隣に座った。

 木の中心より少し右側に座っていたクリスの隣に彼女が座ることで、違和感は消え、丁度いい2人分のベンチになる。


「何お話ししよっか」


「エリが決めてくれ」


「じゃあ、大人らしく昔話でも、する?」


「……あぁ」


※※※※※※※※※※※※※※※


 奴隷の子は奴隷。

 そんな価値観、考え方は古いと言われるようになってから30年以上が経過していた。

 しかし、ウル帝国では相変わらず奴隷の子は奴隷だった。

 奴隷の子として生まれた子供を奴隷として扱うことに何か合理的な理由などない。

 大工の子がパン屋になることは普通だし、農家の子が学校の先生になることもごくごく普通だ。

 何が言いたいかって?

 人間、例えその先に利益があったとしても、現状を変えようとは中々しないということだ。


 帝国では、一部の農村を除いて、子供達にはそれなりの教育を受けさせる。

 これは義務でもなければ権利でもない。

 強制でもないし、勉強しなかったところでどうということは無い。

 ただ、年頃の子供が友達と一緒に生活する場所、それが学校だ。

 そんな当たり前を、当たり前のように享受できない少女が1人。

 幼き日のクリス、その人だった。


 小学校に入る年齢だというのに、彼女は言葉を満足に操ることが出来ない。

 名前も書けない、あいさつも出来ない、体を洗えない、食事の仕方を知らない、他にもあれやこれや、年相応の子供が親から教えてもらったり、親の真似をして習得するほとんどのことを、少女は出来なかった。

 それも仕方のないことなのかもしれない。

 少女は今まで生きてこられたのが不思議なくらい、劣悪な環境で暮らしていたから。

 クリスには兄3人、姉4人、弟1人、妹2人がいた。

 いたというのは、彼女が6歳になるまでに全員が死んだから。

 兄姉は7人全員、クリスが生まれるより前に亡くなり、妹1人と唯一の弟は生まれてすぐ、残る妹は2歳になった頃姿を消していた。


 クリスが他の10人とは違ったのは、ひとえに運だ。

 たまたま浮浪者の老婆がいて、たまたま育児放棄されていた彼女を世話して、たまたま赤子の時を生き延びたに過ぎない。

 このまま老婆が彼女を育てていたら、クリスには別の生き方があったかもしれない。

 ただ、老婆はクリスが4歳になる前に、事故でこの世を去った。

 今となっては本当に事故だったのか疑わしいが、浮浪者の為に事件調査をする帝国の警察ではないし、そもそも彼女たちが住まうスラムに警察は足を運ぼうとしない。


 奴隷の母親は仕事をするか、男とまぐわうか、寝ているか、3択だ。

 いや、最近では怪しい薬物を摂取し始めたから4択だろうか。

 とにかく、そんな発育環境で世間一般におけるまともな人格形成がなされるはずもなく、クリスは悪事に手を染めた。

 悪事と言っても、生きる為に食べ物を盗むとか、金を盗むとか、そんなものだ。

 生産者の方には申し訳ないが、人の命を奪うわけでもないし、そんな力すらない。

 治安の悪いスラムで、クリスは生きる為に、盗みを覚えた。

 奴隷の子が奴隷の仕事を始めるのは8歳になってから。

 それまでは自由にしていて、その奔放さは生きるも死ぬも自由といったレベルだった。

 要するに、奴隷の子供が学校に通うことがない理由は、そこまで成長するまでに死ぬからである。

 宝くじの1等に当選するくらいの幸運に巡り合いでもしない限り、多くの奴隷の子は2歳まで生きられない。

 しかも運よく生き延びた子供は盗みしか知らないような人間以下の畜生ばかり。

 まともな教育を受けさせるには、そのために教育を施しておく必要があるのだ。


「おらぁ! てめぇ、ようやく捕まえたぞ!」


 か細く、薄汚れた腕。

 冬木の枝のように、力を籠めればポキッといきそうなそれは、これまた不潔な手に掴まれて悲鳴を上げていた。


「はらっせぇ! はらせ!」


「何言ってんのか分かんねえよ。まあ、とりあえず所有・・しとくか」


 奴隷は主人の所有物であり、その子供も同様だ。

 しかし、権利関係に対する規範意識が緩く、こうした人攫い紛いの人身売買は日常的に行われていた。

 もしかしたら、クリスの妹もこうして攫われた挙句どこかに売られてしまったのかもしれない。

 クリスはそう頭の中では分かっていた。

 しかし、彼女の中にそれを言語化する能力は無い。


 盗品を売買する業者に捕まり、自らも商品になってしまったクリスを待っていたのは、冷水による洗浄だった。

 スラムとはいえ、売り物を少しでも高値で売ろうとするのは当然。

 化粧したり病気を治したり、そこまでするのは面倒くさいが、せめて最低限商品棚に並べられるくらいには清潔にする必要があると、店の主人は判断したらしい。

 幸い夏だったのでクリスが風邪をひくことは無かったが、このくそ暑い日にどこからこんな冷たい水を用意できるのか彼女は疑問だった。

 ゴシゴシと雑に体を洗われ、濡れたまま放置。

 夏とはいっても寒くなる。

 日向に座らされていたとしても、彼女の唇は真っ青で、今にも倒れそうだった。

 だが、倒れれば土に汚れてしまう。

 汚れたら、また洗わなければならない。

 また洗わなければならないということは、店主の手間を増やす。

 手間を増やせば、その分彼と関わる時間が増えてしまう。

 それも飛び切り機嫌の悪くなったあの男とだ。

 空気を読むということすら知らなかったクリス少女は、腫れた目元と共にその重要性を刻み込まれていた。


 脱走しようとして殴られた。

 言うことを聞かなくて殴られた。

 近くに突っ立っていたから殴られた。

 今度は呼んだ時近くにいなかったから殴られた。

 とにかく殴られた、蹴られた。

 スラムで幾度となく盗みを繰り返してきた、ある意味才能を持っている少女と言っても、所詮はガキ。

 その気になった大人に太刀打ちできるものでは無い。

 店の仕事を手伝わされ、客が来たら呼ばれ、終わればまた仕事に戻る。

 その間彼女の首には鎖がついていて、少女が自由を得ることは叶わない。


「おい! ……おい! 来い!」


 それが怒りの感情と、自分を呼んでいることを彼女は知っていた。

 まだ大丈夫、今なら多くても2発殴られるくらいで収まるから。

 そんなことを考えながら、クリスはジャラジャラと音を立てて走る。

 相変わらず主人はいつ暴発するか分からない、まるで不発弾のような男だったが、客がいつもとは違った。

 スラムでは見たことないような人種。

 いや、老人の方は同じ人種だろうか。

 もうあまり覚えていないが、彼女を途中まで育ててくれた老婆に少し重なるところがあった。

 子供の方が、自分と同じくらい。

 当然今までの思考、全て言葉で考えられているわけではない。

 ほとんどがなんとなくの思考、なんとなくの雰囲気で感じ取って考えたものだし、彼女は雰囲気という言葉すら知らない。


 ただ、人生が変わると、彼女はそう感じた。

 もう顔すら覚えていない母親とは違う道が、そこから先に伸びていた。


「この子なんかどうじゃ? お前さんの遊び相手になりそうじゃろ?」


「……そうね。この子にするわ」


 玉を転がしたような、声だった。


 そのあと、育ちのよさそうな自分と同じくらいの女は店主と金のやり取りをしている間、他の奴隷を見せてくれないかと聞いていた。

 結局この店では自分一人しか女は買い物をせず、スラムを移動しながら奴隷を探し続けた。

 そうして様々な奴隷を買い集めること十数人。

 奴隷を引き連れた少女は、彼らの方を向いた。

 黒い髪に、黒い目。

 透き通るような白い肌に、赤い唇。

 土色の彼らとは大違い、一目見て次元が違うと理解させられた。

 だが、次の瞬間、彼女は異なことを口にする。


「あなたたちは、これから私の家族になってもらいます」

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