第193話 毒入りの餌
「それでは、午後の投票前演説を開始します」
イクラシオン・ボールドウィン選挙管理委員会委員長の言葉で、議場での戦いが再開した。
「では、少し趣向を変えて、貴方の御息女についてお聞かせ願えますか?」
一応2人とも、形式上はこの場にいる誰とも平行な、横一線の立場にある。
彼と彼女が持つ票は1票のみ。
しかし、彼女の言葉が示しているように、この演説時間はもはやレイフォード家とクレスト家の独壇場と化していた。
事実、存在するはずの制限時間を大幅に過ぎても演説を強制終了させられることは無く、それどころか2人は自席で言葉を放ち始めている。
「ノエルがどうしたのかな」
「去年、ここアトラで執行された大規模な対薬物取締活動中、彼女は無抵抗の敵を斬った県議があります。相手は犯罪者で即時処断許可が下りていたことをいいことに、彼女は罪に問われることはありませんでした。しかし、剣聖というクラスを身に宿しながらそれを制御できなかった事実は重いのではないでしょうか」
「娘はすでにクラスの力をコントロールしている。今後暴走する危険性はない」
「では、それまでに傷つけた人のことも無かったことにできるというのですか」
話を聞いていて、アラタは背中がかゆくなる。
傷痕は今も残っていて、ケロイドとなって背中にのしかかっている。
アラタは、リーゼは割り切っていたが、ハルツの仲間は? 殺された敵の家族は? そんなことを考えなくもない。
執行許可が下りていたとはいえ、捕縛すれば懲役刑の後に釈放されたかもしれない人。
そいつが再犯する可能性を考慮しての即時執行だとノエルは言っていたが、それは本当に正しいことなのか、アラタは未だに分かりかねている。
将来的に罪を犯すかもしれないから、それでなく人がいるから今のうちに殺しておく。
それは違うのではないか、そんなことしたら、いつか自分にその番が巡ってくるのではないか、彼はそう思っている。
しかし、ノエルの父、シャノン・クレストの考えは違った。
「確かに、娘が自分の仲間を傷つけたこともあるのは事実だ、それは変わらない」
認めた。
この時点で、今後彼女の犯した過ちについて煙に巻くことは不可能となる。
「しかし、私は娘からこう聞いた。傷つけてしまった仲間は、自分にこう言ってくれたと。こんなこと大したことではない、何回でも止めてやる、そう言ってくれたと」
「それに何の意味が——」
「傷つけた事実は変わらない。だが、仲間が娘を信じてくれたように、娘もまたそれに応えようと努力した。その結果娘は剣聖としての力を我が物とすることに成功したのだ。今後、その力を人のために、傷つけてしまった人のために使うと娘は誓った。これ以上ない償いの形だ。この国の法律上、剣聖の呪いは即時抹殺許可が認められるほど危険視されている。紆余曲折あったとはいえ、娘はそれを制御下に置いてみせた。今後、娘が人のためにその力を使うというのなら、私は娘を何ら制限するつもりはない」
長々と、政治家の答弁らしい言葉がようやく出てきた。
つまるところ、今までのことを無かったことにはできないけど、今はもう制御できているわけだから問題ないだろうと。
その過程で傷つけてしまった人たちには、彼女自身がその力を以て償うから、それでいいだろうと。
彼は、父親はそう言っている。
当事者であるアラタはすでに頭がパンクして脳内処理がストップしている。
だが、シャノンの言っていることを彼が理解できたとしたら、特に反論することは無いはずだ。
それでいいんじゃね、きっとそういうだろう。
娘の責任を取らせる方向性で攻めようとしたレイフォード家だったが、思いのほかガードが高かった。
他にもノエルの傍若無人な暴れっぷりなどネタはいくつかあるが、それでは意味がないとカードを捨てる。
代わりにドローしたカードとは。
「では、黒装束。または八咫烏。この単語を知っていますね?」
「耳にしたことは何度か」
アラタは第1,3小隊に黒装束を起動するように指示、自身は【気配遮断】まで使用した。
これで多少は気配が薄まってこの場でつるし上げられる確率は下がる。
会場の雰囲気が変わった。
彼女は禁忌に手を出したから。
ここにいるレベルのハイソサイエティな方々なら、アラタたち組織のことくらい聞いたことはある。
まことしやかに囁かれる、クレスト家子飼いの隠密部隊。
亡霊の所属する組織。
それを飼っているのは、
死んだはずの人間が所属しているとか、失踪した仲間を見たとか、とにかく存在自体があやふやな都市伝説の類。
火のない所に煙は立たぬというが、陽炎のようにゆらゆらと揺れる虚像ではその実態を掴むには至らない。
レイフォード家はそこまで掴んでいるのか、そう期待した諸侯の注目が集まる。
「非合法活動で敵対勢力の調査、襲撃、様々な妨害工作を行っている可能性があります。アラン・ドレイクと言えばつい最近まで中立の立場をとる老人だったにもかかわらず、現在では頻繁にクレスト家派閥の屋敷に出入りしています。彼を召喚して話を聞くべきでは?」
隠密行動について追加訓練をする必要があるな、とアラタは思った。
ドレイクが彼の家に帰ることやクレスト家、クラーク家の屋敷に出入りすることは珍しくない。相手はおそらく八咫烏の構成員が潜伏していることを掴んでいるのだ。
でなければそんな言葉は出てこないから。
しかし、そんなことよりも…………
「勝ったな」
気配を消している最中にも関わらず、にやりと笑って口を開いたアラタを見て、クリスは正気を疑うような顔をした。
この男はここまで愚かだったのかと、そんな目をしている。
しかし、彼はそんな目も意に介していない。
彼のこぼしたように、準備はすべて整ったから。
勝利の方程式が、ここに完成したのだ。
彼女からの問いに答える立場のシャノンは、それまで自席で受け答えしていたのに変わり、今度はきちんと演説席まで向かう。
その足取りは自信に満ちていて、勝ち誇るような表情と振る舞いだった。
ゆっくりと台の前に立ち、会場を一望し、注目が集まるのを待って話し始めた。
「レイフォード卿の指摘したように、私には、賢者アラン・ドレイク殿に統括してもらっている組織がある」
会場の様子が荒れる。
部隊の存在を認めたからに他ならない。
「しかし、非合法活動? 彼らの活動はきちんと法と手続きに則った正式な任務であり、悪事を働いたことは一度もない」
「では証拠を示してください。まず彼らにはアトラの街を不正に出入りした嫌疑が掛けられています」
「貴方の配下にある軍に拘束されることを恐れての行動です。正当性は認められるかと」
「そのような言い訳が通るとお思いですか?」
「本来なら通らないでしょう。しかし、間違って拘束した一般人を中々酷い目にあわせたそうですね。証人としてここに呼びますか?」
シャノンが言っているのはアラタたちの身代わりとして警邏に拘束された男のことである。
金貨1枚に釣られた哀れな男は、さらにかわいそうなことに半ば拷問にも近い取り調べを受けた。
最終的に釈放されたが、彼を待っていたのはクレスト家の人間。
彼の身柄を安易に手放したことがこの件の勝敗を決した。
「……いいえ、そればかりに時間を割くわけにもいきませんから」
実質的にこの件の負けを認めたエリザベスに対し、シャノンは勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「先ほど、貴方は非合法活動と言いましたね」
「言いました」
「彼らの活動が法に則ったものである証拠を提示しましょう」
この瞬間、アラタは勝利を確信した。
他のお歴々がそれを喜ぶのはまだ先だが、彼らより多くの情報を持っていたアラタはすでに分かっているのだ。
ここからすべてを覆すのは不可能であると。
シャノンが取り出したのは先日アラタが持ち帰った書類の内、最上級に分類される重要性の高い公的文書。
秘密ではなく、公的なものだ。
「これはウル帝国議会上級議員、コラリス・キングストン殿の書面である。ここには彼の名前で売る帝国内での調査を認めるとともに、彼が調査部隊に法令を遵守させるという署名が綴られている」
貴族たちにどよめきが走った。
知っていたのは一部の人間のみ、残りはこの場で初めてそれを目にして、耳にしたから。
八咫烏の存在を知っている者、彼らが3国に赴いたことを知っている者、そこまでならいることにはいる。
ただし、そこから先、例えばコラリスの後ろ盾を得たことや、タリキャス王国がシャノン・クレストを支持することを知る人間はごく少数に限られる。
「これは…………いくら何でも」
「いや、本物である証拠が」
「魔道書式に従っているなら本物ではないのか!?」
「書類の審議よりも、ウル帝国側の反応の方が適切では……?」
「静粛に! 静粛に!」
カナンという小国にとって、ウル帝国の影響力は計り知れない。
レイフォード家が第1皇子バルゴ・ウルの力を使って大公選を勝ち抜こうとしたのに対して、こちらは帝国議会の重鎮コラリス・キングストンを使ったのだ。
図らずも、カナン公国大公選出選挙はウル帝国の政治闘争の場外乱闘の様相を呈してきた。
しかし、本人たちにとっては大公の座を勝ち取ることこそ至上命題。
選管委員長イクラシオンの呼びかけでやっと静かになった議場では、勝敗がつきかけていた。
レイフォード家の不正というカードを残しているクレスト家。
妨害により有用な切り札を持たぬまま当日を迎えたレイフォード家。
手持ちの駒の強さが勝敗を分けたのだ。
派閥の数はレイフォードの方が遥かに多いとは言え、これは確実に棄権票が出る。
もしかしたら寝返ってクレスト家に票を入れる末端貴族も出るかもしれない。
「帝国での調査身分を保証する証書の他にも、いくつか正式な書類がありますので、順に発表していこうと思います」
そして彼の手にアラタたちが集めた不正の証拠が握られたとき、議場の扉が音を立てて開いた。
「部外者の入室を許可した覚えは無いぞ!」
イクラシオンの怒声に入ってきた男は縮こまり、しまったと思ったが、それよりも大事なことが彼を前に動かす。
「ウル帝国で、第1皇子バルゴ・ウル様が訴追されました! カナン公国に対する過度の干渉行為についてです!」
敗北が確定的となったエリザベス・フォン・レイフォード。
その漆黒の瞳の奥に、彼女は何を見ていたのだろうか。
無表情な顔からは、アラタでさえ何も読み取ることは出来なかった。
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