第188話 思い残す事の無いように

 アラタたちが首都の外側で足止めを食っている間、いつも通りの日常がアトラには流れていた。

 彼らが外で何をしていようと、大公選にどんな影響があろうと、人々の暮らしはそこにあって、回り続ける。

 仕事はあるし、魔物は暴れるし、犯罪は起こるし、クエストは受注される。

 だが、冒険者の数は以前に比べて激減していた。

 冒険者ギルドアトラ支部支部長イーデン・トレスが討ち取られた時からだろうか。

 この国のギルドの威光は失墜し、多くの冒険者が国や街を去った。

 さらには国を二分する論調。

 ウル帝国との融和を図るべきとの意見と帝国の侵攻を断固として許さない意見。

 それらは今回の大公選の派閥とぴったり当てはまり、連日双方のデモが活発化する始末。

 それの鎮圧に動員されるはずの警邏機構の動きは鈍く、クレスト家派閥は冒険者ギルドに臨時のクエストを依頼して冒険者を動員した。

 その先頭に立って働き続けたのは公爵家当主シャノン・クレストの娘、ノエル・クレスト。

 過労で倒れるのは時間の問題だった。


「とまあ、こんな感じじゃ」


 ティータイムは終わりを告げ、2人は地下訓練場に移動しながら話を続けていた。

 ドレイクの家のどの部分も久しぶりなアラタは、訓練場においてある木剣を手に取り、2,3度素振りをする。

 その様子を見たドレイクは、上着を脱いで丁寧にたたむと、ベンチの上に置いた。


「稽古つけてくれるんですか?」


「少しだけじゃぞ。今日もやることは山積みじゃからの」


 アラタは頷き、木剣を構えた。

 石弾を15発。

 意図を持って打ち出された魔術は一直線に彼に襲い掛かる。


「ほい」


 ドレイクが木剣の先を地面につけると、畳をひっくり返したように地面がせりあがり、アラタの石弾を防御した。

 これは今までになかった類の対処法だ。


「それやっちゃ意味ないんですよ」


「隠し弾なんぞ覚えおって。ほれっ」


 ちゃぶ台返しされた地面から、ポツポツと土が隆起する。

 その数20以上、先ほどのアラタの攻撃に対する意趣返しだろう。


「石弾、防いでみせよ」


「遅いっすよ」


 大地に手をついて、魔力を流し込む。

 木剣を使うことによって生じるロスを嫌っての直接供給。

 魔術、結界術の構成自体はいつもと同じ。

 風陣だ。

 風を模した魔力障壁は物理、魔術的攻撃を減衰させ、受け流し、術者を守る。

 発射された石の塊が壁に到達しても、この練度なら抑え込めるはず。


「チッ」


 はずだったアラタは舌打ちとともに風陣を解除、横へ飛びのいた。


 防いだと思ったんだけどな。

 回転、回転、ジャイロ回転か。


 風の壁に抉り込むように潜り込んできた石の弾丸。

 通常の石弾に回転は付与されていない。

 だから射程は短いし、アラタも変化球を放ちたいときは発射せずに自分の手で投球する。

 師匠は弾丸と同じ回転をかけて空気抵抗を下げ、貫通力を上げる。

 しかし、


「同じ術でここまで変わんのかよ」


「ほっほ、ほれ、今度は雷槍じゃよ」


「我は熟慮する、真実を…………」


 アラタは距離を取りつつ、魔術詠唱を口ずさむ。

 炎雷を撃つ気だ。

 放たれた雷槍には目もくれず、最大限距離を取り走り回る。

 身体強化に注がれる魔力の量も増えていて、彼がここで決める気であることは明白だ。


「託された篝火を我が物として振舞うこと許さざれど、一視同仁に心扶翼されたのなら……」


「炎槍」


 外れた雷槍に続き、賢者は炎槍を放った。

 今度は先ほどの攻撃より速く、狙いも正確。

 これは刺さる、両者そう直感で理解した。


「扉は既に開かれた。幽世から狙いを定め……」


 木剣には武器が自壊するギリギリの魔力が注がれていて、あと一振りできるかどうかというレベルにまで耐久度が下がっている。

 そんな武器とドレイクの魔術がぶつかり、あたりに衝撃をまき散らした。

 炭化した木剣は真ん中から折れて使えなくなる。

 少し火傷して皮膚も一部爛れた男は【痛覚軽減】でごり押しするつもりだ。

 右手を前に広げ、左手は右腕に添えられている。


「我が身体を触媒に、天炎百雷敵を穿て、炎雷えんらい!」


 以前同じ場所、地下訓練場でドレイクがこの技を放った時、天井が一部崩落してアラタは死にかけた。

 それと比べるとやはり劣化版と言わざるを得ないが、それでも数十本の雷の柱と燃え広がる炎は炎雷を名乗るにふさわしい出来栄えだった。


「水陣、土壁、風陣、雷撃」


 授業とは違い、これは人に、ドレイクに向けて放たれている。

 対処しなければいくら賢者といえどただでは済まない。

 木剣を一振り、二振り、そしてきっさきを地面に刺す。

 いくつかの属性を同時に使用した防御結界と、彼に襲い掛かる魔力の塊を迎撃するための雷撃。

 さらに安全策として土の壁を出現させる。

 轟々とけたたましい音を立てて、訓練場の酸素濃度は急激に低下する。

 炎を燃焼させるのに酸素を使ってしまっているのだ、この場は火事の現場と大差ない。

 両者水弾で濡らした布で口元を覆っている。


「まだやるか」


 アラタは首を横に振った。

 炎の向こうにいる弟子の姿が光の屈折で歪んで見える。


「やれやれ」


 火事が起きたのなら、当然消火活動。

 生成された水で炎をかき消すと、あたりには蒸気が蔓延する。

 しばらくの間動けない時間が続いたが、霧が晴れた時には室内の温度は安全域まで低下していた。


「まだまだじゃな」


「はい」


「ただ詠唱すれば良いという物でもない。まぁ分かっておりそうじゃな」


 そう言われたアラタは頷きながら使っていた木剣の残骸を拾い上げ、ごみ集積所に放り投げた。

 炭化した部分を丁寧に拾い上げ、手に煤がつく。


「ご指導ありがとうございました」


「うむ」


「この後なんですけど、少し時間いいですか?」


「なんじゃ?」


「クリスに竜玉を使わせました。その副作用を見てほしいです」


 彼の言葉を聞き、ドレイクは少し驚いたようだった。

 それは竜玉を使わせたという表現に驚いたのか、竜玉を使ったこと自体に驚いたのか、それとも竜玉を彼女が使って生きていることに驚いているのか。


「わかった。そちらはわしに任せておけ。おぬしは護衛を連れてハルツ殿の家に向かえ」


「分かりました」


 地下訓練場の階段を上がる足が重たい。

 炎雷を使った反動か、魔力がほぼ空っぽになっている。

 【身体強化】も碌に動かない状態だ。


「精進が足らぬの」


「頑張ります」


 1階に上がり、リャンとキィを準備させている間にアラタはポーションを摂取する。

 クリスから教わった特殊配達課特製ポーションだ。

 いわゆる精力剤に近いもので、蝮や蛙や魔物のバイタル部位を使用して煮詰めたそれは醜悪な香りと見た目をしている。

 ドロドロと体に悪そうな液体を飲み干すと、苦み、酸味、甘味、それらが千変万化して押し寄せてくる。

 刻一刻と変化する味と、鼻を通り抜ける不快極まりない風味に思わず顔をしかめる。

 これが似非ポーションだったのならこんなもの飲んでいられるかと地面にたたきつけてしまえばいいのだが、厄介なのは効果だけは保証できるという点だ。

 多少魔力が戻ったが、精神力をごっそり持っていかれたアラタは、口をすすいでから出発する。


「なんでしょうかね」


「俺たちも用があるからな。ちょうどよかった」


 黒装束を起動しているアラタたちは、いつものように堂々と街の中を闊歩する。

 まあこの3人はすでに死んでいるはずなので、黒装束の効果を切ったところでどうってことはないのだが。

 午後3時、少し気温が下がり始めた頃に彼らはハルツの屋敷に到着した。

 正面入り口からではなく、使用人らのための通用口から取り次いでもらう。


「これを」


「まあ。お入りください」


 ドレイクからハルツに宛てた書状が一種の符号のようなものになっている。

 使用人にそれを渡すと、その場で中身を確認して中へと通される。

 そして客人は寄り道をすることなく屋敷の主、ハルツ・クラークの元へ、いつもの流れだ。


「おぉ! 来たか!」


「ご無沙汰しております」


「そんな他人行儀な……まあ掛けてくれ」


 3人が椅子に腰かけた所で、打ち合わせは始まる。

 打ち合わせといっても、彼らの仕事はドレイクの名代なので話はほとんど書状で片が付く。

 レイフォード家不正の証拠を大量に確保したこと、大公選でクレスト家が勝てば敵は実力行使に出るだろうこと。

 軍と冒険者にはその対応を頼みたいこと。

 ハルツの疑問点にアラタが知りうる範囲で答え、分からないことは持ち帰り後日報告する。

 特にこれといってイレギュラーの無い面会が終了したのは、午後4時過ぎのことだった。


「アラタ、少し来てくれないか」


「はぁ」


 客間にリャンとキィを残し、ハルツとアラタは廊下を歩く。

 金の掛け方ではコラリスの屋敷やキングストン商会の建物は下回るが、住みやすさ的にはこっちの方がいいだろうな、と眺めている。

 絨毯は管理が大変だろうから、掃除しやすい石材の床が良心的で、壁も複雑な構成にはしていない。

 ただ、1人や2人で住むには広すぎるとも思った。

 アラタはただ、エリザベスと一緒に暮らしていければそれで満足だったから。

 きっとクリスがついてきたり、もしかしたらシルも来たりして、まさかまさかリャンやキィも、そうなると少し考える必要が出てくるが、別に同じ家に、建物に住まなければならないわけではない。

 そう考えると、やっぱり2,3LDKの家で十分すぎるのかな、そうアラタは思った。


「ノエル様のこと、ドレイク殿から聞いているな?」


「まぁ……一応」


「今は寝ておられる。せめて顔だけでも見てやってはくれないか」


「……分かりました」


 2階に上がると、同じ間隔で部屋があった。

 中の造りまでは入ってみないと分からない部分もあるが、外見はどの部屋も同じ。

 慣れないと隣の部屋に入ってしまいそうだと、隣の教室に間違えて入ったことのあるアラタは感じた。

 奥から2番目の部屋の扉をノックする。

 しかし応答はなく、ハルツは勝手に扉を開ける。

 ノエルの部屋に入ったアラタの第一印象は、『片づけたのはリーゼかな』だった。

 きれいに整頓された荷物、服、武器、その他。

 同じ屋敷に住んでいた時とは比べ物にならないくらい片付いている。

 多分ノエルが倒れてから、一度整理整頓したのだろうと、彼はそう結論付けた。


「私は外で待っている。目を覚ましたら教えてくれ。そうでなければ少し見守ってやってくれ」


「………………うす」


 2人だけになった部屋で、アラタは寝ているノエルの顔を見る。

 顔色は問題なし、過労で倒れたようにはとても見えない。

 だからこそ、多分無理をして隠し続けてきたのだろうと考えた。

 クラスの補助があるのなら、多少の無茶は簡単に出来る、出来てしまう。

 剣星なんて燃費の悪いクラスを搭載しているノエルにとって、気力を燃料に戦う彼女にとって、体の摩耗より精神の摩耗の方がきついのだ。

 静かに寝ているノエルに、アラタは小さな声で話しかけた。


「Bランクになったんだってな。おめでとう」


 穿った見方をすれば、ノエルに負荷をかけるために肩書をかぶせたのだろう。

 Bランクになれば通例的により厳しいクエストを指名されることも増えるし、クエスト消化件数も上昇する。

 となると、初めからこの昇格は決まっていた節がある。

 それでも、本人は嬉しかったのだろう、喜んだのだろうとアラタは彼女が笑う姿を想像した。


「これから大公の娘になるんだ、体には気をつけろ」


 そう言うと、アラタにはノエルの表情が少し明るくなったように見えた。

 お前本当は起きているんじゃないか、そう思えるくらいに。

 無邪気な笑顔が記憶によみがえる。

 苦しくも楽しい日々だった、冒険者だったあの頃が。


「リーゼの言うことを聞くんだぞ」


 そして、アラタは部屋を出た。


「もういいのか」


「話すこともないですし、寝ていますし」


「それもそうか。…………なあアラタ」


「戻ることは無いですよ」


 アラタはあらかじめ釘を刺しておく。

 顔を見ても、気持ちは特に変わらないと。


「……そうか」


 念押しされてしまったハルツはかなり悲しそうというか、寂しそうだったが、その思いがアラタに届くことは無かった。


明々後日しあさってが大公選ですよ。気合い入れていきましょう」


「そうだな。どちらにせよ、3日後にすべてが決まる」


 全部出し尽くす。


 それがアラタの決意だ。

 未練も、心残りも、思い残すことも、何もない。

 異世界なんていう頭のおかしい場所に来て、ただ一つの願いがあった。

 エリザベスと一緒にいたい。

 生きてほしい、笑ってほしい、出来れば自分の隣で。

 大公選まで残り3日。

 多くの人々の人生を左右する日が、間近に迫る。


※※※※※※※※※※※※※※※


「ん…………」


「ノエル、気分はどうですか?」


 日が落ちてから、ノエルは目を覚ました。

 疲労感は体にとどまり続けているが、それでも幾分かは楽になった。


「お腹空いた」


「もうすぐ夕ご飯ですから。今のうちに着替えちゃいましょう」


「ねえリーゼ」


「何です?」


 ——おめでとう、体に気をつけろ。


「へへへ、何でもない」


 ノエルは何かを秘めるように、少しだけ笑った。

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