第168話 隠したい物はここにある
「僕はディラン。ディラン・ウォーカーさ。よろしくね」
赤髪赤眼の優男はそう言うと、爽やかな笑みを浮かべた。
それがどこか非現実的というか、浮世離れしていてアラタはどこか近寄りがたい印象を受けた。
何より、あれだけ近くにいて勝てる気がしない。
今は好意的に接してくれているが、彼がその気になれば自分なんて一太刀で死ぬ。
それなりに戦歴を積み重ねてきたアラタの直感にはそれなりの説得力があった。
警戒するアラタを前に、ディランと名乗った男はさらに距離を詰める。
「追手は撒けたみたいだし、ひとまず歩かないか?」
「あ…………はい」
優しくしてくれている内が華だとアラタは素直に従う。
もしこの先に牢屋が待っていたとしても、自分にはどうしようもない。
文字通りこの男の掌の上、しかし他に選択肢は無かった。
アラタはディランの隣を馬を引きながら歩く。
並んで歩くとわかるが、この男も中々背が高い。
185cmのアラタと大差ない身長、恐らく180cm以上はある。
高校野球では180cm超えの選手はそこまで珍しくない。
それこそチームに1人はいるだろうし、彼の母校横浜明応高校ともなれば毎年数名は必ずいる。
あくまで身長は一つのパラメータでしかない。
ディランという男に関して、身長以上に特筆すべきことはいくつかあるが、その中でアラタが気になったことが1つ。
体幹……いや、左右のバランス、か?
アラタもそうだが、利き手側に筋力が偏ることがある。
意識的に均等に鍛えようとしても、どうしても差が出るものなのだ。
そうした体のバランスは無意識のうちに外に現れる。
身体の軸、腕の太さ、足の太さ、歩幅、股関節の開き、等々。
アラタはそう言った違いに気付くことが出来る人間だ。
ただ、彼からはそう言ったある種特徴のようなものがまるで感じられなかった。
無味無臭。
それが彼のディランに対する印象だ。
途方もないほど強いはずで、抵抗すら出来ずに殺されると直感が叫んでいる。
この男は危険だと、今すぐ離れるべきだと。
そう言った危険信号はこの得体の知れなさから来ているのかもしれない。
「俺に何の用?」
意を決して切り出したアラタに対して、ディランは待っていたと言わんばかりに口を開いた。
「僕さ、ちょっと野暮用で外に出ていて、帝都に入りたいんだけど外にいたことをバレたくないんだ。そんな時に君たちを見てさ、これしかないって思ったよね」
「何の事だ?」
「僕の顔も変装して欲しいなって」
「警備にバレないか? この街の入城審査は厳重過ぎる」
話に乗る様子を見せて情報を引き出す。
そんなアラタの考えに乗せられたのか、それとも分かったうえで乗ったのか、ディランは彼の欲しい答えをくれた。
「カナン公国から連絡があったんだ。鼠が入り込むかもしれないから隙間を埋めておくように、ってね」
そう言うとディランはアラタの仮面の穴から中を覗き込もうとする。
視界を確保する為の穴には光が差し込んでいるが、その先には赤い眼がある。
その
得体の知れなさと底の知れなさが今まで出会った人間の中でぶっちぎりの男に、アラタの警戒心はマックスまで上昇した。
「離れろよ、お前マジで」
そう言いながらディランの手をはねのける。
邪件に扱われているというのに彼は楽しそうだ。
「まあそう言わないで。頼むよ」
「…………分かった」
怪しさ満点の優男が潜入に加わることとなった。
そして2人と1頭は集合地点へ。
逃げ出した城門から西へ、つまり元来た方角へ5km。
トスカ郊外の林の中が集合地点だ。
ここに来る途中に設定した第3集合地点に全員が集合したのは城門での騒ぎから2時間後のことだった。
そして当然アラタは問い詰められる。
そこにいる赤髪は誰だと。
一通り事の次第を説明し、意外とすんなり納得してもらうことに成功した。
終始ニコニコしているディランが薄気味悪かったのもあるし、アラタが口封じにその場で殺さなかったというのもある。
それくらい、3人も彼から何かを感じ取っていたのだ。
「で、変装した所でバレたら終わりなんだけど。お前は何か策があるのか?」
アラタの言葉の端には、自分から来たんだから何かあるんだよな、あるなら早く出せと言った一種の催促のようなものが含まれていた。
「まあまあ落ち着いて。ちょっとお話でもしない?」
「「「「しない」」」」
4人から断られたディランはがっくりと肩を落とす。
それがアラタにはわざとらしく思えて、どうやっても彼の中で好感度は上がらなそうだ。
ディランもそれは分かったのか、観念したみたいだ。
「東西南北ある門の中で、一番緩いのは南門なんだ。あそこはかな~り緩い。そしてグエル族の君がいれば……身分証ある?」
「ないです」
嘘である。
リャンは一応まだウル帝国の諜報員として身分を保証されており、その中にはグエル族としての証明証も含まれている。
もっとも、死亡扱いなのでそれが有効なのかは分からない。
末端まで情報の更新が行き届いていなければ良いが、もしお尋ね者扱いならその場で捕まる。
ディランは残念、と口をとがらせながら第2案を提示する。
「じゃあ、空を飛ぼう」
※※※※※※※※※※※※※※※
ただいまウル帝国、帝都グランヴァイン南門前。
時刻は3時45分。
4人の黒装束、4頭の馬、そして赤髪の不審者が1人。
「クリス、【十面相】を」
「分かっている」
クリスが顔を撫でると、掌が通過した場所から顔が書き換わる。
中国の変面のように一瞬とはいかないが、ゆっくり、尚且つ種も仕掛けもない分一層不思議に見える。
アラタは少し老けたおじさん、クリスは長い茶髪の特徴的な女性、リャンは髪と目の色を変え、キィは赤いランドセルを背負ってそうな女の子だ。
「わぁー」
4人の変装が終わり、残るはディラン1人。
クリスが手をかざすと、彼の顔も書き換わる。
目立つ赤髪は消え、アラタや変装前のクリスと同じ黒髪になる。
眼はそのままだが、顔は少し輪郭をふっくらさせた。
「すごいなぁ。質感も再現している」
素直にスキルを褒められたクリスは嬉しそうだが、アラタは先を促す。
「じゃあ始めるよ。なんまんだぶなんまんだぶ、開けゴマ。星霜結界」
何とも適当な詠唱と共に、午前中にアラタを包み込んだ柔らかい空気が5人と4頭を包んだ。
馬は目をかっぴらいて驚いていたが、
「風神」
アラタ達が受動的に宙を舞うのはモーガン子爵家との模擬戦以来だ。
風陣と同じ響きの魔術を発動させたかと思うと、全員の身体が浮き上がる。
日本にいたら、元の世界にいたら恐らくこんな体験をすることは無かっただろう。
ジェットパックなる発明品が元の世界には存在するが、それだって背中に動力を搭載しなければならない、タケコプター程コンパクトな製品ではないのだ。
それを彼らは今、元の恰好のまま浮遊している。
何なら寝泊まりする為の大きな荷物や馬まで。
姿勢制御などは自分に制御権がないので完全なまでに他人任せ、ディラン任せだ。
高高度まで飛ばされた後術を切られたら4人は間違いなく死ぬ。
そのリスクを承知で彼らはこの案に乗った。
ディランの醸し出す、アラタですら抵抗を諦めたほどの強さを秘めていると推測される彼に逆らえなかったというのもあるだろう。
それでも今、彼ら4人は空を飛んでいる。
砲弾代わりに発射されるのではなく、自由落下するのでもなく、確かにプカプカ浮いていた。
そんなことをしたら目立って目立って仕方がないが、そこは黒装束の出番である。
魔術を使えば居場所がバレる。
そう指摘したアラタのすぐ隣にはディランがくっついている。
「くっつき過ぎだ。離れろ」
「そんなこと言わないでよ。このマントは僕にはないんだから」
この男、黒装束の内側に入っているのだが、それでもやはり特異な存在だった。
アラタがケープの下で雷撃を発動すれば黒装束の効果はほぼ消える。
他の人間も同様に、黒装束の機能には制限があるのだ。
しかし、ディランの魔術はそうではなかった。
それだけで彼が4人とは一線を画す魔術の使い手であることが分かる。
20m強の高さの壁を軽々と超えた。
上には警備の兵士たちがたむろしていて上から入城管理の列を眺めたり、雑談したり、暇を潰したりしている。
そのさらに上を超えている最中、アラタは不思議な感覚だった。
自分が見下ろしていると思っているよりさらに上から見下ろされている、そのさらに上が…………
アラタはおもむろに上を向く。
なんだか見下ろされている気がしたから。
だが、肉眼で見える範囲に生物の姿は一つもなく、今まで通り眼下に広がる光景に視線を落としたところで一行は降下を開始した。
「どう? 中々楽しいでしょ」
今度の笑顔は普通だった。
言葉通りの意味しか、それしか含まれていない純粋な笑みだ。
楽しいか楽しくないか、そう問われれば当然彼とて。
「楽しいな」
「喜んでくれて嬉しいよ」
こうしてアラタ達の空の旅は終わった。
着地したのは城門の中、入り口から100mは離れた閑静な住宅地だ。
同じような造りの家が立ち並び、人通りは皆無。
この時間帯、道に出て立ち話をする主婦でもいなければ静かなものだ。
「この顔はいつまで
「アリシャ?」
「解除しなければ私の体力の続く限りだ。あと2時間くらいなら問題ない」
「じゃあ1時間このままでいてくれない? お願い」
「それくらいなら」
十面相の継続時間について話がついたところで、いよいよお別れの時間だ。
感動など微塵もないが、4人では恐らく検問を突破することはできなかっただろう。
現に今、彼らが起こした騒ぎのせいで全入口で非常に厳しい検査が行われている。
「またね。えっと」
「マッシュだ。じゃあな」
その言葉が出た時、ディランはアラタに一歩近づき、アラタは一歩下がった。
そしてアラタが2歩、3歩と下がるより速くディランが距離を詰める。
決して速くないが、どこか避けづらい足運び。
「またね、アラタ」
「おま……何」
「お互い知らない方がいいこともあるよ。次は正門から入って来てね」
「あ、おい…………」
そう言うとディランはさっさと去っていった。
一陣の風のように、サッと来てサッと行ってしまった。
「不思議な人でしたね」
「リャ……レンヤはあいつのこと知ってるか?」
リャンと言いかけたが、『レンヤ』に対して聞き直す。
リャンとキィが知らなければそれまで、ディラン・ウォーカーという男について2人は何も知らなかった。
「今はどうでもいいことだ。それより任務を始めるぞ」
「そうだな。レイフォード家が検問の強化に噛んでるのは確定だとして、隠したいことがあるんだろうな」
そして歩き出そうとしたアラタは、刀の横に紙が挟まれていることに気付いた。
状況的に差出人は1人しかいない。
「人の……店の名前かな」
こうして一行は帝都グランヴァインに潜入、大公選前最後の任務が始まった。
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