第166話 良い子にして待っているから
「組織名は
三つ足の烏、それが八咫烏だ。
古くは古事記や日本書紀で記述が見られ、古代中国の影響を受ける文化圏では類似した伝承が多くある。
それがシルクロードを通じてヨーロッパにまで到達していたというのだから、知識や概念が伝わる力とは馬鹿に出来ないものだ。
組織名を命名し、リーダーにアラタを据えたところでひと段落着き、結成式は終了した。
これから相応の準備期間の後、彼らは別々の、あるいは同じ任務に向かう。
その行先は様々で、北のタリキャス王国、南東のエリン共和国、そして最強最悪の隣国ウル帝国。
個別に小隊長はドレイクの元に呼び出されて任務の内容を知る。
それを隊員に周知し、準備を命じた後隊長たちは再集合する。
部隊の共通事項を共有しておくためだ。
情報伝達手段、ハンドサイン、緊急集合場所、などなど。
黒装束のそれらはアラタとクリスが特配課出身であることからほぼ同じものが使われている。
しかし様々な組織出身の者で構成される八咫烏ではそうはいかない。
ある程度共通している部分はそのまま、食い違う所は折り合いと効率を鑑みて判断される。
ハンドサインは特配課のものではなく、少し情報量を落として簡素化したものに変更。
情報伝達手段の落書きや煙草の吸殻に見せかけた紙はそのまま。
こうして次々と新部隊のルールが整備されていくわけだが、中でも一番の変更点は緊急集合場所だった。
ドレイクの家が第1候補であることは変わらないが、シンプルに数が増えた。
出身組織が多い分、使える場所も多くなる。
特殊配達課の遺した隠れ家、ドレイクの家、クラーク家の所有する無人の不動産、冒険者ギルド所有の建物、個人所有している家、特務警邏御用達の宿屋。
他にも様々な場所が提案され、ひとまず全てキープするという方向性に定まった。
逃げ場はあればあるほどいいから。
しかし、それがこと国外となると皆一様に黙りこくってしまう。
当然だ、どの組織も国外活動を想定しているわけではないのだから。
辛うじて軍部出身の小隊長が他国の情勢を耳にしている程度で、それ以外は素人に毛が生えたくらいのものしかない。
総じて、国外拠点など一つもなかった。
困ったことだが、無いものは無い。
とにかく会議はそれで終了、バラバラに解散し、各小隊は任務を開始した。
こんなに多くの怪しい人間を入れて大丈夫なのかという心配がアラタの中にはあったが、彼らが一様に黒装束を身につけていることや、このドレイク邸には彼がまだ知らない通路があるらしく、その辺は抜かりない。
同日、屍のように廊下に転がっていたメイソン・マリルボーンの姿があり、アラタは事情を察する。
ハイパーブラックスタイルで部屋に閉じ込められて黒装束を作らされていたのだろうと。
アラタはメイソンを介抱して食事を取らせた後、ドレイクの元へと向かった。
彼は今休憩中で、紅茶で一服している。
茶葉には詳しくないが、ドレイクの淹れる紅茶の香りはアラタの鼻腔を通りながら彼の気持ちを和らげていく。
少し柑橘系のフレーバーも入っているのか、アラタは無性にミカンが食べたくなった。
ただ、オレンジはあってもミカンはまだお目にかかったことが無く、ウル帝国に行くのなら本気で探してみようかと密かに考えているアラタ。
「先生」
「なんじゃ、お主も食べるか?」
そう言いつつ彼の指さす先にはアルベルト・モーガンの所から貰っているクッキーがある。
シナモンの香りが食欲を誘うそれを見て、近いうちに報告に行かなければとアラタは思った。
そしてそれは置いておき、アラタは1つ、大事なことを聞く。
「大公選後、エリーを国外に逃がす許可をください」
ドレイクの様子に変化はない。
湯気の上るティーカップを口に付け、紅茶を一口飲み、そして置く。
「なぜワシに許可を取ろうとする?」
「先生が許してくれないなら、俺は先生を越えなければならないからです」
この青年には人並外れた能力がある。
それは決してスキルや魔術、クラス由来の者ではなく、本人の資質によるところが大きい。
だが、そんな彼を以てしても師匠、アラン・ドレイクには遠く及ばない。
ドレイクはクッキーを一つ口に放り込むと、ゆっくりと噛み、飲み込み終えてから口を開いた。
「構わぬよ。お主も共に行きたいというのならそれも認める。どうせ八咫烏も大公選期間中だけのものじゃし」
「ありがとうございます。じゃあ俺は準備があるので失礼します」
「うむ」
こうして少し先の見通しが立ったアラタの気持ちは晴れやかだ。
まだ何一つ実現していないが、ゴールへの道筋は着実に舗装されつつあるから。
彼が退出した後、ドレイクは1人ダイニングで茶菓子と紅茶を口にし続ける。
ブラウンシュガーのほろ苦さが、何かを思い出させる気がしたが年のせいだろうか、頭の片隅に浮かんできたぼんやりとした空気の塊は知らないうちに霧散していて、その内何かを思い出しそうだったことも忘れた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「それでは明日の出発に向けて確認をする」
八咫烏の発足から数日後。
大人3人子供1人、それが大荷物を居間で広げて邪魔くさいこと山のごとし。
だが彼らの他にこの家にいるのはドレイクとメイソンだけであり、もうすぐその2人だけになるのだから我慢してほしいとアラタは言った。
老人一人が住むには明らかに広すぎる間取り、リビングも当然大きく確保されていて、先日の任務の時と同じくらいの荷物を床に広げてもまだ少し余裕がある。
「黒装束一式」
「「「よし」」」
アラタが装備を読み上げ、3人がそれに続く。
順番に持ち物を確認しては登山用のリュックと同じくらいの容量を持つそれに詰めていく。
1人1人の収納がパンパンになるくらいの重装備だが、これで必要最低限だというのだから車が欲しい。
治癒魔術の適性よりさらに希少だが、空間系のスキルには物を出し入れする物もあるらしい。
ギルド支部長、故イーデン・トレスは【第4袋】というスキルで武器を大量に隠し持っていたが、彼がこの場にいたらほぼ手ぶらで旅を楽しむことが出来ただろう。
だがこれもいないものはいない。
持ち物確認が終了し、後は明朝旅立つだけだ。
「明日は朝早いからな。3時半起床、4時半出発だ。まあ寝坊した奴がいたら起こしてやれ、解散」
前日までにあらかた準備は完了、下調べも済んでいる。
後は明日に備えて早く寝るだけ。
だが、いつもと違うスケジュールの時は、大抵何か邪魔が入って思い通りにいかないものだ。
「アラタ、黒装束を身につけてきなさい」
「……分かりました」
渋々仮面以外黒一色の装備に身を包み、玄関で待っていたドレイクと共に外に出る。
外は先日降った雪が積もっていて、陽の光で溶けた後、夜の寒さでもう一度凍り付いていく。
もはや雪というより氷の塊だ。
メインストリートは行政が、それ以外は地域住民が雪かきをした道は、雑なところが少し凍っていて危ない。
【暗視】を起動して到着した所は、ハルツ・クラークの家だった。
屋敷の明かりが地面を照らしているところまで来るとアラタはスキルを切り、暗い視界に戻る。
中庭に通され、そこで待っているように言いつけられたアラタは家の中に上がることも許されないまま真冬の外で待機中だ。
酷いとは思いつつも、黒装束に魔力を流しておけばそこまで寒くないのでアラタはただ待つ。
それから数分後、中庭に面した勝手口が開き、ようやくアラタは中に入れてもらえるのかと思い、扉に向かって歩き始めた。
が、すぐにその足は止まることになる。
きょろきょろとあたりを見渡しながら出てきたのは小柄な金髪の少女だ。
仮面の奥でツゥッと汗が流れたような気がした。
アラタはそれくらいこの少女に対して後ろめたい気持ちを持っている。
何せこの少女、シルはアラタの生み出したシルキーという妖精なのだから。
「……アラタ、どこ?」
見た目通りの子供の声。
か細くて、不安そうで、寂しそうで、見ているだけで悪いことをしている気持にさせられる罪な声。
アラタは考える。
ドレイクがここに自分を連れてきたのだから、姿を現すべきなのか。
それとも関係なく、シルキーの力で自分の事を感じて探しに来たのか。
どちらだとしても、今からウル帝国に行く自分が姿をさらすことは許されるのか。
そんな葛藤、迷いがぐるぐると渦巻く。
「早うせい」
「……はい」
いつの間にか背後に立っていたドレイクに背中を押され、アラタは一歩ずつ近づいていく。
その歩みを進める度に、自分の甲斐性の無さが、親としていかに落第的であるかが突き刺さる。
今の季節と同じ、真冬の風のように肌に刺さるそれは酷く苦しくて、同じ苦しみをシルにずっと与えていたことを考えると一層足が重くなる。
フードを取ることも考えたが、この屋敷にノエルやリーゼもいるかもしれないと考えると避けるべきだと判断する。
仮面だけ外し、面を通さずにシルを見た。
次の瞬間には目の前までシルが走り寄ってきていて、その次の瞬間には足元に抱き着かれていた。
声を押し殺して泣いていて、それが周りに気付かれない為だと分かってから、一層自分の情けなさが嫌になった。
「ごめんな。ずっと放っておいて」
「シル待ってた。いい子にしてずっと待ってた。でも、アラタはいつまでも迎えに来てくれない」
鼻水だらけになったズボンの裾を見て、今から洗濯したら間に合うかどうか考えている自分を𠮟りつけてしゃがみ込んだ。
2人の身長差は埋まり、アラタの顔の正面に彼の面影など少しもない娘の顔が来る。
「俺、これからまた出かけなくちゃいけないんだ。だから待っていて欲しい」
「また? いつ帰ってくる?」
「分からない。でも4月……5月くらいにはシルの事を迎えに来れたらいいなと思っている」
「本当? 約束できる?」
約束。
その言葉に一瞬詰まったが、成功していればその頃には迎えに来れるだろうと、退路を断つ意味も込める。
「約束できる、するよ」
「……じゃあ待ってる。いい子にして待ってるから、だからお仕事頑張って」
ゴシゴシと目を擦ったせいでシルの眼の周りは赤く腫れて、眼球も少し充血している。
クラーク家の使用人制服に身を包んだ彼女の頭についているフリルが少し曲がっていたのでそれを直しながら別れの言葉を伝えた。
「行ってくる」
「うん。なるべく早くしてね」
そして再び仮面を着けた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ただいま!」
「今帰りました~」
夜遅く、ノエルとリーゼはクエストから帰ってきた。
ノエルの復活によりギルドでの指名依頼が急増した結果だ。
もっとも、これは彼女だけの問題ではなく、最近妙に冒険者の数が減ったことも関係している。
「シル、どうしたんだ?」
他の使用人と共に2人を玄関まで迎えに来たシルに対し、ノエルの勘が働いた。
無神経な女だが、こういう時は妙なところに気が付く。
内心びっくりなシルだが、それを表に出すことは我慢して平静を装う。
「あの、さっき転んじゃって……」
「大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます」
シルはアラタの分身とも言える。
彼の思考を少し読み取ることも出来るし、精神構造もどことなく似通っていたのだ。
彼女は気付いていた。
アラタが自分と約束してくれたことに対し、ノエルとリーゼについて言及しなかった意味を。
前は2人を頼むと言って出ていったのに、今はそのことに触れなかったことも。
短い棘がシルの心に刺さっている。
恐らくアラタは、この2人とはもう関わらないつもりなのだと。
※※※※※※※※※※※※※※※
「3人とも忘れ物は無いな?」
「大丈夫です」
「うん」
「問題ない」
八咫烏第1小隊、出立の時間だ。
「それじゃあ先生、行ってきます」
「うむ。心してかかれ」
「はい。皆、春までには帰って来よう」
午前4時25分、アラタ・チバを小隊長とした4人編成の黒装束は、アトラの街を出て隣国のウル帝国首都、グランヴァイン目指して移動を開始した。
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