第163話 天炎百雷

「アラタアラタ」


「はいはいアラタさんです」


「いました」


「…………らしくなってきたな」


 2人は今、貴族院前で行われている政治デモを監視している。

 内容はともかく、参加者の数は中々馬鹿に出来ないほど膨れ上がっていた。

 一般大衆からすれば耳障りのいいレイフォード派閥の方向性は、やがてこの国を亡国へと誘う。

 それが陰謀論ならまだ笑い話になるが、アラタは既にエリザベスがウル帝国に下っている証拠を目にしている。

 アラタには目の前にいる彼らが酷く愚かに見えた。

 ただ、それも仕方のないことなのかもしれないとも思う。

 帝国の傘下に入ると言っても、一般人が虐殺されることは無いだろうし、むしろ今まで通りの生活が続くだろう。

 だったら強国の仲間入りを果たす方が国民の利益に適う気がするのだ。

 だがそれは、事情を何も知らない無辜むこの民のみが抱くことを許される考えだろう。

 彼は、彼らは知ってしまったのだ。

 もう後には引けない。

 エリザベスが勝てば貴族院は解体、それに伴って貴族の爵位もほぼ全面的に没収、彼らの庇護のもと成長してきた産業たちもダメージを受ける。

 当然一部は帝国の支援を受けて継続されるだろうが、決して少なくない数の事業がどさくさに紛れて消えてしまうのだろう。

 それに、アラタは剣聖ノエルを見捨てることが出来なかった。

 暗殺計画まで飛び出た要人と、アラタは無関係ではいられない。

 多くの私情と、それを後押しする大義名分、そして何より最愛の人がその渦中にて自らを生贄にしようとして、させられているのを許すことは到底できない。

 これは彼の、アラタ・チバのエゴだ。

 彼が千葉新だった頃からの縁なのだ。

 この世界でたった一つの、唯一の元の世界を感じることのできる存在、それがエリザベス・フォン・レイフォード。


 アラタがらしくなってきたなと言いながら、リャンの案内で影からデモ隊に近づく。

 先ほどの俯瞰していた場所からさらに近づき、数歩前に出れば広場に出る、そんな場所まで接近した2人。


「ほら、あの小柄な白髪の」


 彼の指さす方には一際大きな声で騒ぎ立てている、プラカードを手に持った女性がいた。

 リャンの言う通り小柄で、幼そうな外見をしているが、歳は見た目ほどではなさそうだ。

 童顔だから幼く見えるが、歳はアラタよりもリャンよりも上、そう考察する。


「知ってる顔?」


「ウル帝国軍、統合作戦本部所属、情報分析分室ですね」


「統ご……何だって?」


 酷く長ったらしい肩書にアラタは思わず聞き返したが、重要なのはそこではない。

 大事なのは肩書のはじめ、ウル帝国軍、ここまでだ。


「名前は知りませんけど、所属は確かです」


「何で知ってんの?」


「私が公国を勉強する為の情報は分室から貰ったんですよ」


「裏切り者さまさまだな」


 アラタは自分がそうさせたとはいえ、リャンの掌の返しっぷりに感心する。

 不誠実なタイプには見えないが、簡単に裏切りを実行する彼には注意が必要だと留意する。

 しかし、特大のブーメランが自分にも突き刺さり、アラタは心に10のダメージを負った。

 観衆の中でぴょんぴょん飛び跳ねながらデモに参加している彼女は、人波に揉まれて時折消えそうになりながら熱心に活動中だ。

 飲まれて見えなくなりそうでありつつ、声が枯れるほど叫び続けている彼女は結構目立つ。

 あれだけ熱中していればこちらに勘付くことは無いだろうと、2人は距離を取るために元の位置に戻った。

 一度見つけてしまえば人混みの中でも案外見失わないものだ。


「これからどうしますか」


「そうだなあ」


 ドレイクからは見回りに行ってこい、そう言われている。

 リャンがデモに敵国のスパイが紛れているだろうから釣りに行きましょうと言われてついてきたが、いざどうするかと聞かれると答えに困る。


 攫って尋問するか。

 それとも放置して泳がすか。

 捕まえて国外退去させるか。

 …………………めんどいな。


「取り敢えず放置しよう。ハルツさんたちに共有するかは先生に聞く。今は他に仲間がいないか探すんだ」


「そうですね。それが良いと思います」


 こうして難を逃れた白髪女性は、冬だというのに汗をかきながらデモ活動に勤しみ続けていた。

 彼女のことを知っていたように、ウル帝国内にもそれなりに詳しいリャンはその後も仲間がいないか探し続ける。

 しかし、あっさりと見つかった彼女以外はさっぱりで、彼女を囮にして潜伏しているのか、それとも本当にいないのか判断がつかない。

 アラタは他の人間と接触するまで監視を続けるか迷う。

 一方リャンは、もし潜伏しているのがAランク相当の人間だった場合太刀打ちできないと撤退を勧める。

 アラタからすればAランクの想像があまり掴めないが、分からないものには慎重に、彼は帰ることにした。

 敵国の人間がこんな町の往来でおっぱじめるとも思えないが、リャンの真剣さを尊重しての判断である。


※※※※※※※※※※※※※※※


「ふむ、分かった。この件は別の者に引き継がせる。取り敢えずお主は……下に来なさい」


「もう夜ですよ?」


 ドレイクはアラタの反応にまるで興味がないようで、さっさと自分は地下訓練場へと降りていった。

 この自分勝手さがアラタは非常に嫌いだが、嫌いだからと言って関係を切ることが出来るような相手でもない。

 きっとどんなことをしても彼がアラタを必要とする限り、どこまで行っても連れ戻されるのだろうと常日頃から思っていた。

 リャンとキィは保険として炸薬を埋め込まれているが、ある種それと同じような窮屈さを感じながら、アラタは階段を一段一段降りていく。

 木製の建材が多く使われている地上の建物と違い、地下は石、それにモルタルも使われているように見える。

 がちがちに固められた壁はひんやりしていて、夏は気持ちいいのだろうが今は近寄るだけで寒い。

 アラタが訓練場に着いたときには既にドレイクは準備万端の様で、魔術師には見えない格好をしていた。

 ジャージ、それ以外の何ものでもない。

 賢者はジャージを着て待っていた。

 老人にジャージはそこまでミスマッチではないが、アラタは2,3ツッコみたくなった。

 まず、なぜ赤色?

 目が痛くなるような赤色、わざわざその色に服を染めたということになるが、意味が分からない。

 まあいい、その次は、名札が付いていることだ。

 しかも読めないが、『アラン』とも『ドレイク』とも書いていない所を見るに、そのジャージは彼のものではないのだ。

 最後に、


「先生、サイズが合っていません」


 アラタは抑えきれずにそう口にした。

 男のジャージはパツパツだったから、誰かが言わなければ彼はずっとはち切れそうなジャージを着ていただろうから、これは弟子の優しさと思いやりだ。

 賢者は自慢の肉体のフォルムがはっきりとわかるようなサイズ感の服を身につけている。

 大胸筋が隆起し、大腿直筋が布地を引っ張っている。

 上半身も凄いが、特に下半身はヤバい。

 踏ん張って筋肥大すればたちまち破けてしまいそうなタイトな仕様。

 アラタもいい身体をしているが、師匠には及ばない。

 ドレイクは魔術師らしからぬ魔術師だ。

 確かに遠距離系の魔術師も体を鍛える。

 剣も弓も、魔術も体術も、人並に扱えてこそ一人前だ。

 だが、彼はやりすぎだ。

 齢いくつになるか未だに知らぬアラタだが、年相応という言葉が当てはまらないことは分かる。

 弟子が師の肉体に若干引いている所から、2人の授業が始まった。


「腕を出しなさい」


 そう言われるがままに左腕を差し出したアラタに対し、ドレイクは少し太めの注射針を刺した。

 はっきりと針の穴が見えるくらい、つまり採血用の注射針だ。

 管を変えながら5本分、大した量ではないが採血が苦手な人は少し気分が悪くなるだろうか。

 異世界で出血することなどザラにあるアラタは、痛覚軽減すら起動していない。

 ガーゼを押し当てて圧迫している間、ドレイクは例によって何やら彼の血を検査している。

 かなり前、アラタの魔術適正や魔力量を調べる際と同じ流れなので、今回もそうなのだろうとアラタは思いながら結果を待つ。

 事実、今回の採血の目的は彼の魔術的能力を測るためのものだったのだが、結果は予想とは少し違った。

 彼の魔力は人並み、これ以上爆発的に増加することは無いだろうと言われていたから。


「良い知らせと悪い知らせ、どちらから聞きたい?」


「じゃあ良い知らせから」


 注射針の代わりに杖を持っている所を見るに、これから2人は実戦寄りの訓練をするのだろう。

 その前に、まずアラタは良いニュースから聞くことにした。


「良い知らせというのは、お主の魔力量が伸びておる。それもとびきりな」


「じゃあ悪い知らせは?」


「……まぁ、なんじゃ。寿命が少し短くなるじゃろう」


 少しショック。

 それが彼の感想だった。

 余命宣告されたわけでもなければ、確実にそうなると決まったわけではない。

 ただ、ドレイク曰く、身体に見合わない魔力の増大は一種の病気と同じだというのだ。

 魔力は万能ではない。

 無理に使えば体を傷つけるし、空になるような毎日を過ごしていれば体は摩耗していく。


「じゃからこれからワシのすることは倫理に反しているのじゃろう」


「何をいまさら。何をするんです?」


 寿命が縮む。

 そう言われて、良い思いを抱く人間はそう多くないだろう。

 だが、仮にそうだとして、寿命を延ばすことはできない。

 なら、精一杯、彼はそう言う人間だ。

 ドレイクはよく見ているように言うと、杖を正面に構えて口ずさむ。


「我は熟慮する、真実を映し出す円鏡かがみを前に。が為に雷霆を鍛える不義理を、が為に炎威を借りる粗陋そろうさを。託された篝火を我が物として振舞うこと許さざれど、一視同仁に心扶翼されたのなら願う。扉は既に開かれた。幽世から狙いを定め、我が身体を触媒に、天炎百雷敵を穿て、炎雷」


 詠唱魔術のメリットは聞いていた。

 覚えやすく、再現しやすい。

 ただ、アラタが目にしたそれはどこか違った。

 そう言う目的の為ではないと、決して楽をするための詠唱ではないと、そう本能に訴えかけるだけの確かな力が、そこにはあった。

 堅苦しく、長ったらしい長文詠唱に見合うだけの魔術的効果。

 炎は大地を奔り、雷は真上から敵を穿つ。

 そんな術を地下でぶっ放したドレイクはとんでもない大バカ者で、それに巻き込まれたアラタは堪ったものではない。

 その日、アラタは落ちてくる瓦礫と薄くなる酸素、そして室内なのに落ちてくる雷に危うく殺されかけた。

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