第161話 離れた君を想うよ

 魔力が迸り、レーキで引いた線の上を奔った。

 砂利と岩だけの中庭に、静かな水面が姿を現す。

 リーゼとカーターは自らの眼を疑った。

 魔術で水陣を使ったわけではない。

 それなら砂利や岩はその場に残るはずだから。

 リーゼは術の正体を看破しようと【見切り】の使用を考え、そしてやめた。

 どれほどデリケートなものか分からないスキルに余計なことをするものではない。

 キヨコが準備した道具は全部で3つ。

 一つ目と二つ目は彼女の手元にある。

 つるぎぎょく

 そしてもう一つ、それはノエルの真下に、彼女を支えているものだった。

 鏡、転じて鑑。

 止水で形作られた、明鏡。

 明鏡止水は心境を表す言葉だが、それを具現化するとこうなるのだろう。


「ニニ、起きてちょうだい」


「それは私の事か?」


 キヨコは剣と玉に手をかざしたまま頷く。

 ノエルは布団から出て、立ち上がった。


「……ん? さっきまで私は」


 ノエルが寝転がっていたゴザが、被っていた布団が消えている。

 いつ消えたのかも分からない、それくらい自然に、光景から、意識から一瞬にして消えたのだ。

 無くなったことは分かるから忘れたのではない。

 ノエルはいつの間にか玄関で脱いだはずの靴を履いており、帯剣していた。

 柄に手をやってみるが、まごうことなき本物の感触。

 腰の剣に視線を落としたとき、その先にノエルは見た。

 リーゼやカーターからも見えている。

 鑑の中にいる、常ならざる者。

 鏡とは違い、正確に物理的な像を結んではいない。

 そこにあったのはもう一人のノエル、しかし、拘束されていた。

 砂利が数珠のように結び連なって、彼女の身体をきつく縛り上げ、身動き一つ許さない。

 それに縛られているノエルは武装していない、鎧を外した下に着込んでいる布地だけだ。


「お前は何も傷つけられはしない。誰も傷つけられはしない。全ては我が意のままに、仮初の姿のまま顕現せよ」


 もう十分驚き終えたと思っていました。

 でも、これはいくら何でも、白昼夢か何かでしょうか。

 どうせなら私もノエルみたいにお布団で寝ていたかったです。


 リーゼの目の前で、水面からもう一人のノエル・クレストが出てきた。

 水中にいたというのに全く濡れていない、乾いたままだ。

 砂利の数珠にも、服にも、髪にも水滴1つついていない。

 アラタがこれを見たらなんて言っただろうか。

 『すっげー』しか言えなくなっただろうか。

 それともこの典型的な日本家屋、キヨコという名前に何かを感じたのだろうか。

 彼は今、レイク村からレイテ村への道中で魔物と戦闘中だ。


 手足を縛られ、気をつけの体勢で拘束されているノエルは、もう1人の、本当のノエルの方を見て何を思ったのか薄笑いを浮かべていた。


「何がおかしい」


「別に」


 プイッとそっぽを向かれたノエルはムッとする。

 自分の姿をしている分憎たらしさが倍増しているのだ。

 しかし、そんなことでいちいち目くじら立てていては全く前に進めない。

 今この瞬間、ちょっとだけ大人になったノエルは対話を続ける。


わたしにはもう、おまえは必要ない。契約を破棄させてもらう」


「断る」


「は?」


 これは余談だが、キヨコが使用している【召喚術】はあくまで異形を召喚するだけのものである。

 そこからの契約は自分次第だし、場合によっては召喚した対象に殺されることもあり得る。

 彼女がどうやってそのリスクに備えていたかは不明だが、契約を一方的に破棄できないことを彼女は知っていた。

 スキルではなく、クラス【召喚術師】レベルになると話はまた違ってくるのだが、それはいいだろう。

 リーゼも同じく、一般常識から契約破棄が簡単ではないことを予期していた。

 カーターも一人の大人として当然、である。

 その場でノエルだけが青筋を浮かべて聞き返していたが、剣聖の人格は飄々とした態度だ。


「約束を破るのならそれ相応の代償を支払え。当然だ」


「…………むぅ」


「ノエル頑張って!」


 完全に言い負かされているノエルを外野は応援する。

 それを見て拘束されている方のノエルはリーゼを睨みつけるが、これだけ厳重に押さえつけられていては鋭い眼光も効果が薄い。

 かと言って、ノエル本人が剣聖の人格に対して契約を破棄するのは難しい。

 なにせ彼女はもう一人のノエルなのだから。

 本物を陣の中心に、偽物は彼女に向かい合うように中心から少しずれて立つ。

 口をへの字にしてどうしようか考えている本物は、腕組みをしたまま自分を睨みつけている。

 契約の一方的な破棄が出来ないと言われ、どうしたものかと悩んでいるのだ。


 破棄、解除、そうしたいのなら何をするべきか。

 …………そうか。


「おい、おまえの目的は何だ」


 本物による、偽物に対する面接が開始された。


「お前を乗っ取り、私が本物に成り代わることだ」


「違う」


 違うもなにも、本人がそう答えたのだ、そうでしかない。

 リーゼはそんなことを考えているのだろうが、ノエルの考えは少し違った。


「それは手段であって目的ではない。お前は私に成り代わり、その上で何を望む?」


 そう言われると、剣聖の表情が少し曇り、嫌そうな顔をする。

 ノエルにしては中々いいところを突いたみたいだ。


「私が思うに、お前は私のことが羨ましいんだ。剣聖の人格は生まれた時から囚われの身、外に出たくても制限が付き纏う。お前は私が疎ましくて羨ましくて耐えられないんだ。違うか?」


「違う!」


 もう一人のノエルが、今度はさっきより強く、否定した。

 拒絶し、否定し、遠ざけるような語気だ。

 唇を噛みしめ、そんなのではないと、その程度の想いなどでは断じてないと、そう剣聖の眼は語っている。


「私は……! 貴様のせいで! 貴様は、お前は、お前のせいで……! あいつがお前を認めても、あの人がお前を受け入れても、わたしおまえを絶対に認めない!」


 途中から支離滅裂になりかけている言葉を紡ぎ、剣聖は叫んだ。

 お前ではないと、私の方が……と。

 だが要領を得ない発言は本物を困惑させるだけで、特に契約に関して有効ではない。

 ノエルは自分の知らない何かがあるのだと、そう感じたが、だからといって主導権を譲るつもりはない。


「お前が何を求めているのか、正直興味はない。だから、私は契約を書き換える」


 契約更改の時間だ。


「どんな契約でも私は認めない! どんな契約でもだ!」


「剣聖の力の代償が気力だというのなら、契約の変更も気力で行う。私は求める、お前が何人たりとも二度と人を傷つけないと。私が許可すれば出してやる、だからお前はただ一つ誓え。私も、リーゼも、ハルツ殿も、他の皆も、そしてアラタも。もう誰も傷つけたりしないと。この禁を破れば、わたしおまえを滅殺する」


「嫌だ! そんなの認めない! 契約は変えない、変えるもんか! お前の好きになんて絶対に、うっ…………!」


 騒ぎ立て、暴れようとする剣聖に鎖は一層食い込み、動きをせき止める。

 キヨコが拘束を強めたのだ。


「お前サマの負けよ。大人しくしていなさい」


 向かい合う2人は、互いに互いの顔を見る。

 片方は相手を睨みつけ、涙しながら怨嗟の念を流す。

 もう片方は憐れむように、自分の現身うつしみを見て、自らの醜さを見つめる。

 両者の違いは主導権の違いではない。

 違いはただ、拠り所の違い。

 心は脆い。

 どんなに鍛えても不意の一撃で簡単に壊れてしまう。

 だからそれを包み込む箱庭を、布を、繋ぎとめるえにしを、人は求め、愛するのだ。

 剣聖の人格にはそれがない。

 縁は一方通行では成り立たないから。


「契約は更改した。さよなら、私」


「嫌いだ! おまえなんて嫌いだ!」


 最後まで恨み言を吐き続けた剣聖は、水面が砂利に戻るのと一緒に姿を消してしまった。

 全ては元に戻り、ノエルの腰からは剣が消えている。

 裸足で中庭に立つと、砂利が足を冷やす。


「ノエル…………」


 リーゼが中庭に降りた。

 そして陣は彼女が立ち入ったことで乱れ、完全に消える。


「私…………勝ったみたいだ」


「良かった、良かった。本当に……良かった」


「ちょ、リーゼ!?」


 溢れ出した想いを受け止めてもらおうとリーゼはノエルに覆いかぶさるように抱き締めた。

 長かった、ここまでの道のりは、実に長かった。

 この村で自分を敵から守るためにノエルは契約を結び、以後それは呪いとなって猛威を振るった。

 その結果彼女は大いに傷つき、傷つけ、何度も挫けかけた。

 だが、今彼女は自我を保ち、大地に立っている。

 それで十分だ、出来すぎなくらいだ。

 ノエルはいつもと変わりない自分の身体を感じる。

 筋力や走力が上がったわけでも、ましてや頭が良くなったわけでもない。

 でも、今までとは違う。

 もう、剣聖が暴走することは無いのだ。

 契約を書き換えた今、リスク承知で力を行使することは出来なくなった。

 だが、それでいいのだ。

 それがあるべき姿だから、それが本当のクラスだから。


「雪だ」


「寒いですよね。温まって、それから魔物を討伐しましょう」


「……うん!」


※※※※※※※※※※※※※※※


「で、めでたしめでたしってわけですか」


 1月25日、カナン公国首都アトラ。

 ハルツの家にいるのは黒装束の2人、アラタとクリスだ。

 本隊から遅れて帰還後、結果報告をしに来た2人はノエルの治療結果を聞いたところである。

 何とか契約の変更に成功、今は剣聖の人格は大人しくしているようで、契約にうるさいクラスの人格なら交代しても暴れるようなことは無いだろうとハルツは言っていた。

 アラタはそれを聞いて、もう地方に魔物退治に行かなくて良かったと胸をなでおろす。

 風呂の無い生活はごめんだし、だからと言って作るのもごめんなのだ。


「時にアラタ」


 テーブルの向かい側に座るハルツは顔の前で両手を組み、本題に入る。


「何ですか?」


「ノエル様の元に戻る気はないか」


 当然とは言えないが、予想できた打診だ。

 処刑されたアラタは身分を持たない。

 だが、黒装束があれば元の居場所に戻ることが出来る。

 アラタがそうすると言えば、恐らくノエルもリーゼも歓迎するだろう。

 それは彼も、そしてハルツも分かっていた。

 何せその提案はリーゼを介してノエルが頼んだことだったのだから。


 アラタは無言のまま席を立ち、仮面を着ける。

 それに続いてクリスも席を立つ。


「待ってくれ、もう暴走の危険はない、だから」


「エリーを止める。そのためなら何でもする。それが今の俺です。ハルツさん、それじゃあまた」


 霧のように消えた2人を見送ると、ハルツは2人にどう報告したものかと頭を抱えるのだった。

 冬の寒さももうすぐ終わりが見えてくる。

 最後にもう一段階寒くなったかと思えば、いよいよ次は春が近づいてくる。

 大公選は4月。

 アラタの決意は変わらない。


 ——エリーの為に、エリーを引きずり下ろす。


 ただ一途に。

 ただ愛を。

 思い描いた未来を、大切な人の隣で過ごすために。

 アラタは今日も仮面をつける。

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