第147話 リャン・グエルの西方見聞録

「雪だ」


「雪だな」


「雪ですね」


「積もるかなー?」


 夜11時、アトラの空に雪が舞った。

 地面に落ちては溶けてしまうくらいの降雪量。

 明日にはきっと消えてしまっているだろう。

 年末近く、この時期に雪が舞うのなら1月2月は積もることもあるのかとアラタは思った。

 人通りはほぼなく、黒装束は闇夜に紛れてアトラ西門へと移動していく。

 全員身元を保証するものがないので、リャンとキィが潜入する際に使った業者を利用することになった。

 金さえ払えば地下から街の内外を取り次いでくれる便利な業者だが、当然違法だ。

 怪しいところを調べればすぐに摘発できそうなものだけど、そう考えたアラタだったがすぐに考えを改める。


 今から俺たちが使うじゃん、それなら偉い人たちも黙認するわな。


 彼の考えた通り、密入国の類は消えない。

 その仕組みを残すだけのメリットが確かに存在するからだ。

 彼らはドレイクの命令下にあり、彼は貴族からの頼みを聞いている。

 実働部隊であるアラタ達に偽の身分を用意する方法もあるが、この方が関係性がバレるリスクは少なく済む。

 これだけ人通りが少なく、誰も自分たちを監視していないのならとアラタは仮面を外す許可を出した。

 白い吐息が出る代わりに仮面の中が結露して不快なのだ。

 ついてしまった水滴をマントでぬぐい取ると、仮面を腰にぶら下げる。

 馬に乗るまでは自分たちで荷物を運搬しなければならず、その間ずっと身体強化を使用したままだ。

 やがて西門から数百メートル離れた壁に到着、集合時間を待つ。

 気配遮断を使えるのはアラタとクリスだけだが、黒装束があれば問題ない。

 時刻は11時半、闇の向こうから一人の男が歩いてくる。

 お互いの顔を知らない為、簡単な合図を交わして取引相手であることを確認、ついてくるように促された4人は男の後ろを歩く。

 壁からほど近い建物の中に入る。

 扉を開くと、灯りのついていない暗い室内が待っていた。

 アラタは【暗視】をつけたまま中に入ると、一応警戒する為に【敵感知】を起動した。

 結局杞憂に終わり、無反応の敵感知をオフにすると、奥の部屋へと通される。

 その間誰も声を発することは無い。

 昼間のように見えている彼の視界に、それらしい床下収納の取っ手口が映った。


「ここだ」


 男が床板を剥がすように扉を開けると、真っ暗な中さらに真っ暗な闇がぽっかりと口を開けて4人を飲み込もうとしていた。

 まあアラタとクリス、そしてキィには特に問題なく見えているので3人は普通に通過していく。

 リャンは暗視を持っていないのでキィに手を引かれながらの通過だ。

 代金と引き換えに受け取った割符を持ってアラタは進んでいく。

 地下通路は地面がむき出しで、狭く、取り敢えず人が通ることが出来ればいいと思って作られたことがはっきりとわかる。

 荷物の多い一行が通り抜けると、背中の荷物や彼らの方や足が壁に擦れて零れた砂が落ちていく。

 それらは土埃となって舞い上がり、彼らに土の匂いを届けると共にハウスダストのような不快感を与える。


「アラタ、まだですか」


「もう少しだ。出口っぽいのは見えてる」


 最後尾のリャンが最も被害を被っていて、珍しく音を上げていた。

 埃が舞うのが本当に嫌だったのか、仮面まで付け始める始末だ。

 そんな閉所恐怖症が卒倒するような行軍を開始しておよそ20分、上へと続くスロープに到着した。


「一応戦闘準備して待機」


 そう言うとアラタは荷物を降ろして身軽になり、下から木製の天井を叩いた。

 出口以外は天井も当然土である。

 彼が天井をノックすると衝撃で土が零れてきて、3人の上に降り注ぐ。

 フードを被っているのでそこまで問題ではないが、彼らの不快感は頂点に達しそうだ。


 扉が開いた。

 今日は新月ではないが月は出ていない、雪が降るほどの雲に覆い隠されているのだろう。

 真っ暗な中、差し出される手、【敵感知】に反応も無し。

 手を取り引っ張り上げられたアラタが出たのはこれまたどこかの家の中。

 出入り口はほぼ同じ構造になっているようで、出るときは入る時の逆の手順を踏むだけ。


 暗闇の中、クリスに合図をすると彼女は2人分の荷物を持って出てきて、片方をアラタに戻した。

 そして頭からかぶった埃を払い、バサリとフードを取った。

 仮面は付けているから、そんな考えなのだが特徴的な毛先がはねた髪型は隠せていない。

 まあ唯一無二というほどのものでもないので、それだけでは個人情報足り得ない。


「これからもよろしく」


 全員地上に出たことを確認すると、手引き役の男に金貨数枚を握らせ別れを告げた。

 ここはもうカナン公国の首都アトラではない。

 黒装束では初めての出張任務になる。

 そこから先はクリスの手引きで駅舎に向かい、馬を借りる。

 借りたが果たして返す気があるのか不安だが、各自乗馬準備を進めていく。

 荷物を積み込み、アラタ、クリスは1人で、リャンとキィは2人で乗馬する。

 特配課の乗馬訓練では馬とコミュニケーションを取るのに難航していたアラタだが、今回の相手は大丈夫みたいだ。


「K、この馬なんて種類?」


 クリッとした目に茶色い体毛。

 たてがみ、足、尾は黒。

 穏やかな性格なのか乗馬に不安がある彼が上に乗っても全く動じず、余裕すら感じる。


「アングロアラブだ」


 アングロアラブはサラブレッド種とアラブ種を掛け合わせた品種だが、当然ながらアラタはそんなこと知らない。

 ただ、サラブレッドという言葉が通じることを彼は確認しており、それ即ちアングロアラブも元の世界に存在する品種であるという想像はつく。

 この世界の言葉は一体どうやって成立しているのか、彼の脳内に未だ解決できない謎がしこりのように居座っている。

 そもそも、非日本語が語源の言葉が通じるのだ、そしてアラタは今のところこの世界特有の言い回しというものに出会ったことが無い。

 しかし謎は今日も謎のまま、一行は出発した。


 夜の街道を往く。

 馬は夜行性ではない為、少し行ったところで横道に逸れて休息を取る。

 本格的に移動を開始するのは明日以降だ。

 馬を黒装束で隠すわけにはいかず、ある程度姿を見られてしまうことは覚悟している。

 それでも検問をすり抜け、出来る限り静かに出発したかったからこその出発時間。

 真冬の夜、彼らは火を焚くことも許されず床に就いた。

 魔道具で暖を取るのだが、それには魔力がいる。

 一番魔力の多いアラタが魔道具に力を籠め、4人分となると少しぐったりする。


「アラタ、ちょっといいですか」


「いいよ。どうした?」


 警戒する必要などほとんどないが、一応アラタとリャンは即応できるように寝ずの番だ。

 横にはならず腰には刀を差し、常に【敵感知】を起動して警戒している。

 そんな夜は暇になるもので、話し相手がいなければ気が狂ってしまいそうだ。


 リャンはアラタの隣に位置を移動すると、敷物を敷き直し腰を下ろす。


「アラタには好きな人がいると聞きました。夜は長いんです、お話してくださいよ」


「……クリスか。おしゃべりな野郎だな」


「まあまあ。で、誰なんです?」


 修学旅行の番は恋バナと相場が決まっているわけで、それは野宿でも例外ではない、修学旅行なんて生易しいものではないが。

 暇なのはアラタも同じで、それなら別にいいかと話し始めた。


「俺が好きなのはエリー、エリザベス・フォン・レイフォードだ」


「え」


 リャンが硬直した、当然の反応だ。

 彼女がどんな地位にいる人物なのかリャンも知っている。

 アラタが彼女の暗殺未遂と称して処刑されたことも。

 これは想像以上に重そうな話が来たぞ、と彼は困ったような表情を見せるが、反対にアラタは楽しそうだ。


「びびった? しかもさ、両想いだよ?」


「りょっ! …………という妄想ですか?」


「違うっつうの。手紙だってあるんだぜ」


 アラタはそう言うと、一通の手紙を渡した。

 暗がりでは見えないので、魔術で光を灯して。


 —そう遠くない未来で、貴方の隣に立てますように、そう願い、それを心の支えにして頑張ります。待たせてしまってごめんなさい、必ず迎えに行きます。

 エリザベス・フォン・レイフォード—


「これ、本物ですか……?」


「リャン、お前意外と失礼な奴だな」


「ふふ、すみません。ただあまりにも非現実的なので」


 笑いをこらえるリャンの隣でアラタは確かに、といいつつ首飾りを握った。


「まあ色々あって離れることになって、メモには殺してほしいって書いてあった」


「それはまた物騒な話ですね」


「でも、それは燃やしちゃった。俺はエリーを殺すために離れたわけじゃないから」


 曇天の夜、月も星もほとんど見えない。

 風は冷たく、地面は凍るんじゃないかと思うくらいだ。

 明日の朝には霜柱が立っているかもしれないほどの冷え込み、キャンプなんてするもんじゃない。

 寝ずの番ともなれば一晩中その寒さと付き合わなければならない。


 リャン・グエルから見て、異国の地で出会ったアラタという男はブレない男だった。

 強くなることに、自己研鑽に貪欲で、リーダーシップがあるわけではないが物事の中心に顔を出す人物。

 同性を愛する趣味は無い彼だが、アラタが誰かと両想いであることを疑いはしなかった。

 その相手があの・・エリザベス・フォン・レイフォードだというのは少し、いやかなり驚いたが、家柄を抜きにして考えればない話ではないのかなとさえ思える。


 帝国の外に出たからこそ見えることがある。

 私が敵だ鬼だと教わってきたカナンの人々も、ただの人間だった。

 起きて、食事を摂って、働いて、愛し、憎み、怒り、悲しみ、笑い、そして死ぬときは一瞬で死ぬ。

 見聞を広めるとはよく言ったもので、実際にやることは殺しの類でしかないと思っていたが、なるほどこれはそう単純な話でもないと今更分かった。


 アラタは自己完結しているリャンの隣で彼の事を不思議そうに見ている。

 彼の端から零れている笑みの理由が分からないのだ。


「公爵と一緒になれるといいですね」


「…………ああ、そうだな」


 やがて夜は明け、クリスとキィを起こし行動を開始する。

 アラタによってドバイと名付けられたアングロアラブ種の馬は彼をうまいことサポートして街道を進んでいく。

 馬からしたらジョギングくらいのペースだろうか、馬上では随分と速く感じる速度で道を駆けていく。

 小休止を挟みながら走る事2日、一行は最初の目的地、エリン男爵家の領地が1つ、サヌル村を眼下に望む台地に到着した。

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