第141話 数億円の飴玉
ハルツ達が地面に降り立った時、建物を背に彼らは敵に囲まれていた。
当然だ、あんな目立つもので打ち出して、時間をかけて結界を突破したのだ。
敵は十重二十重に彼らを取り囲み、この場で叩き潰す強い意志を持っている。
「リャン、スキル起動。タリアは後ろに。レインは後ろで待機、前に出たら後ろをカバーしろ」
ハルツからの指示で陣形を構築すると、各々普段とは違う武器を手にする。
中でも一際目を引くのは、ハルツの剣だ。
この訓練のルールとして、刃を引いていない武器の使用は禁じられている。
だから敵も練習用の刃のついていない剣や木剣などを使っている。
だがハルツのそれは、剣であることには違いないのだが、剣というよりもはや鉄の棒だった。
長く、太く、黒く、幅広い。
殺しはご法度だが、こんなもので殴られた日には一撃で絶命しかねない攻撃力を持っている。
それをこの国の現役冒険者最高位に立つBランクの一角が持っているのだから、それは脅威度も上がるというものだ。
しかもハルツはこの試合に臨むにあたって、かなりモチベーションが高い。
目の前で兄を愚弄されたのだ、彼の心中を察せずとも彼がどんな行動に出るか分かる。
日頃温厚で抑えやツッコミ役に回ることの多い彼だが、伊達に荒くれ者ひしめく冒険者の世界でBランクまで登り詰めてはいない。
兄に踊らされているとも知らず、家族想いな弟は兄の敵を殲滅する心づもりだろう。
「戦闘開始」
まず1人、ハルツの剣の一振りで吹き飛ばされた。
それを皮切りに敵味方入り乱れての乱戦が展開されていく。
敵も子爵に雇われるほどの者たち、ハルツ達と比べると見劣りするが決して弱くはない。
だが、ハルツがリャンをこちらに残した判断は的中したと言える。
実質的に魔術なしの戦闘、しかもレギュレーションで飛び道具はほぼ禁止、となれば必然的に攻撃手段は近接格闘戦になるわけだが、それでは数の利を生かしきれず、逆に聖騎士のBランクがフロントを張るパーティーを崩せない。
表の戦闘は局所的に見ればクラーク家有利、それを数の力で五分まで戻しているのがモーガン家といった様相を呈している。
「ハルツさんキレてるなー」
「K2、こっから先はおしゃべり禁止だ」
「はーい」
屋根の上に降り立った3人は煙突から侵入する作戦だったが、クリスとキィが共にごねた為、4階の窓をこじ開けて侵入を試みている最中だ。
しかし、相手が易々とそれを許すはずもなく、悉く邪魔が入り屋根の上に釘付けになっている状態が続いている。
「だから煙突で行こうって言ったのに」
「うるさい。その分の埋め合わせはする」
仮面の奥でムッとしたクリスは四方を見渡し、2階のバルコニーに視線をやる。
4階の上、屋上から2.5階くらいの高さ。
身体強化アリなら問題ない……か微妙な高さ。
仕方ない、わがままを言っているのは私だ。
クリスは意を決して、取り出したロープを屋根に突き立て、外れないように固定する。
「A、魔石を一つくれ」
「おう」
アラタがポーチから取り出し、手渡したのは消しゴムサイズの魔力結晶。
このサイズの魔石が取れる魔物はそう多くない。
これは昔、ドレイクがダンジョン最奥で取ったと言っていたダンジョン第5層、フロアボス、竜の魔石。
赤く、少し濁ったように輝く魔石の中で今でもドラゴンの魔力が封入されていて、解き放たれる時を待っている。
価格にして金貨数万枚は下らない代物、それを受け取ったクリスは一切の躊躇なく口に放り込み、飴玉を嚙み砕くかのようにぼりぼり咀嚼した。
数億円の飴玉と考えれば分かりやすいだろうか。
それを惜しみなく使って見せたのだ、やはり彼女の金銭感覚は少々おかしいのかもしれない。
「いくぞ」
そう言うとクリスは屋根から飛び降り、2階バルコニーへ向けて自由落下した。
ロープは何のために下ろしたのか、そんなことを聞く時間はない。
かなりの高さから飛び降り、特に工夫もなく着地したクリスの身体は普通なら即死クラスのダメージを負っているはず。
身体強化をかけても負荷は解消しきれず、しばらく動けないだろう。
しかし彼女は床につく瞬間あろうことか勢いそのまま方向転換し、待ち構えていた敵に攻撃を仕掛けたのだ。
着地直前を狙っていた敵、動きが止まったところを仕留めようとしていた敵、それらは燃える木剣を振り回すクリスに圧倒されてなす術もなく敗北した。
彼女以外全員地に伏しているベランダで、彼女は屋根から垂れ下がっているロープを手にしようとする。
「触るなK1! 燃えるだろ!」
上からロープを辿って降りてくる最中のアラタが怒鳴り、クリスはその手を引っ込めたがどこかムッとしている。
「怒んなよ。ほんとに燃えるんだから。屋敷の中では魔力抑えろよ」
「……分かっている」
そう言いながらクリスはアラタの方へと手を伸ばす。
「うわっ! ちょっ、怖いから!」
燃えるような魔力を纏ったクリスは触れるものにその魔力を伝播させ、一定のラインを超えると発火しかねない程強力な力を宿している。
軽いおふざけもアラタからすれば命懸けだ。
「気を引き締めろよ。こっからは何があるかわかんねーぞ」
そう言いつつアラタが屋内に足を踏み入れた時だった。
カチッ。
「おいおいマジかよ」
床が抜け、アラタは抵抗できぬまま落下していった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ハルツ、いいか?」
「今忙しい。手短に」
「疲れた」
ルークは普段おチャラけているが、パーティーの士気に関わるようなことを簡単に言うような人間ではない。
彼がそう言ったのは軽口ではなく、文句なしで疲れて限界が近いことを意味している。
疲れたから治癒魔術で回復するか魔石を使わせてくれ、そう言っている。
だが、残念なことに持ち込んだ魔石は全て使い切ったし、後のことを考えるとタリアの魔力を傷以外に使うことは躊躇われた。
初期位置である建物の近くから移動し、戦っているうちに戦場を移動したハルツ達はどの門からも遠い位置に誘導されていた。
しかも遮蔽物の少ない平地、敵の数は増える一方で中々にしんどい。
殺すのは禁止である以上、命に関わるような傷を負うことはないだろう。
しかし、鉄や木の棒でタコ殴りにされるのもごめんな彼らは、ここで負けを認めるわけにはいかない。
そうでなくとも素行の悪いことで有名な彼らモーガン家の私兵のことだ、暴走して殺されましたでは文句を言うことも出来ない。
「離脱する」
ハルツが下した決断に、一同は耳を疑った。
アラタ達黒装束組は屋敷内の制圧を行っている最中だというのに、それを見捨てると言ったのだ。
当然反発するのはルーク、次いでジーン。
「勝てなかったらハルツのせいだぜ」
「それは無いわ。その命令は聞けない」
予想通りの反応ありがとうと言いながら、敵の攻撃を躱し、一撃入れるとハルツは小声で続ける。
「黒装束は侵入後すぐ起動して姿を眩ませた。なら見つけようとしてもそれなりに時間がかかるはずだ。俺たちは一度離脱し、外の仲間と合流して再度突破を試みる」
「だからそれが見捨てるって」
「兄上が連れてきたのはクラーク家傘下の有望な者たちで構成された『公国軍第101訓練中隊』だ。俺のクラスの力で鼓舞してやれば状況次第で……」
ハルツのクラス【聖騎士】は言葉に力を乗せてある程度行動を強制することが出来る。
対象が望んでいないことを強制するのは基準が厳しく、中々成功しないが、一方対象がそうしたいと望むことには非常に強い強制力を発動させることが可能だ。
彼はこの力を使って、正攻法で門を打ち破ると言っているのだ。
会議序盤で出て、黒装束組が孤立するリスクから却下された案をここに来て採用する。
却下されるに至ったリスクなど百も承知、それでも現状を鑑みてこれがベストだと彼は判断した。
こうしている間にも時間は流れ、状況は刻一刻と厳しさを増す。
先ほどからジーンとレインの場所が崩れかかっている。
全方位警戒型の陣形は一度決壊すれば立て直しが効かない。
ルーク、ジーンの最終的には同意して離脱に動く。
アラタから渡されたドレイク製の煙玉を3つ、一気に地面にたたきつける。
魔力で稼働するそれは、内部で生成された煙をこれでもかというくらい振り撒き、ホワイトアウトのような景色を作り出す。
「全員集合!」
元々密集陣形の一団はさらに密着し、各々の息遣いが聞こえるほどに距離を近づける。
全員いることを確認し、地面から突き出した土棘の勢いで一度包囲から離脱する。
そして門のあるところまで移動すると、もう一度密集、同様に魔術でカタパルトのように自らを撃ち出した。
本日何度目になるか分からない人間砲は門の上部にある僅かな結界の隙間をすり抜け外へ脱出する。
行きもこれで来ればよかったかと思ったレインだが、敵の正面からでは着地を刈り取られて終わりだっただろう。
いずれにせよ、ハルツ達パーティーとリャンは脱出に成功した。
しかし試合はまだ終わらず、アラタ達も中にいる。
「訓練中隊諸君! 傾注ー!!!」
ルークが大音量で叫ぶと、一瞬攻守双方の参加者の視線がそちらに向く。
静まり返った戦場で、ジーンの作った台の上でハルツは仁王立ちし、上から全員を眺め、檄を飛ばした。
「兄イーサン・クラークは諸君らに大いなる期待をしている! しかし将来のカナン公国軍の中枢を担う君たちを、こんなお遊びに参加させなければならなかったことを私は心の底から恥じる! なればこそ! 諸君が普段行っている訓練の方がより厳しいと、より苛烈で激烈であると私に示してほしい! これより5分のうちに、我々はこの正門を打ち破る! 覚悟は良いか貴様らぁ! このハルツ・クラークが誰よりも多くの敵を薙ぎ倒す! 我こそはと思うものは付いてこい! 吶喊!」
長く、それだけ多くの力を、体力を、気力を、魔力を注ぎ込んだ演説の効果はすさまじく、一種の集団催眠のように、狂ったようにその場の兵士たちは突撃を始めた。
その先頭に立つのはハルツ、彼は自身のスキルの効果を受けないはずだが、誰よりも鬼気迫る表情で敵を弾き飛ばしていったという。
※※※※※※※※※※※※※※※
「いってぇ。骨折れてないよな?」
2階の床が抜け、1階に落ちたかと思ったアラタを待ち受けていたのは、もう一つの穴だった。
1階をそのまま通り抜け、地下へと落ちていったアラタは身体強化を全力でかけ、その上で刀を壁に突き立ててスピードを殺し、それでようやく落下して骨折したかしなかったか、そんな有様だった。
上から滴る水滴が肩に当たり、跳ねた水分が頬に当たる。
不快極まりないそれをふき取ると、魔術を起動し灯りを確保した。
幸い彼の体に異常はないようで、問題なく走れるし刀も振れる。
ただし、出口がどこにあるのか分からない。
落ちてきた天井を破壊することも考えたアラタだが、それで地下そのものが崩落すれば流石に死んでしまうと、穏便に脱出する方法を探しに動く。
「こういうのはさっきみたいな隠しスイッチみたいのがあってね~」
独り言を呟きながら通路を歩いてく彼は、ふと足を止めた。
腰に差している木剣を袋に仕舞い、先ほど壁に突き刺した刀を鞘ごと腰に差す。
灯りを消し、暗視を起動する。
正面には何もいなく、けれども敵感知はアラートを発している。
人間じゃねえな。
振り返りざま、アラタは抜き打ちで斬りつけた。
しかし斬撃は空を斬り、右端に移った攻撃を躱すために後ろに飛びのいた。
暗視をつけている彼には、敵の姿がはっきり見えている。
「おいおい、動物愛護団体が黙ってなさそうな見た目だな」
彼の目の前には巨大な猫がイカ耳を立てて毛を逆立てて警戒していた。
魔物に詳しくないアラタにはこの生物が何か分からないが、カナンではケットシーと呼ばれる魔物がそこにいた。
猫のような風貌、2つに割れた尻尾。
そして何より、地球に生息するネコ科の生物のどれよりも大きな身体。
ケットシーと相対しているアラタだが、彼のスキル【敵感知】にある反応は一つではない。
「殺しNGのルールだよな」
この地下に審判はいない。
狙ってここに落とされたのか、はたまたただの不運な事故か。
もうルールなど気にしている場合ではない。
刀に魔力を流し、飛び道具の石弾の用意をする。
「でっけえ三味線にしてやるよ」
刀とケットシーの爪が交差し、真っ暗な地下に火花が散った。
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