第116話 黒装束の男
「アラタ、ちょっと来なさい」
レイフォード家から命からがら逃げだしてきたアラタは、とにかく物がなかった。
金も無ければ換金性の高いモノもほぼない。
言ってしまえば一文無し、そのものだった。
しかも炎槍を受けて自慢の黒装束はボロボロ、これでは特配課を見張るように言われても隠密行動なんてできやしない。
家で一日ジッとしていた彼をドレイクが呼んだのは、2日後の昼下がりだった。
冬が本格化する前、11月であれば気温が最も高くなる昼過ぎは過ごしやすく、ポカポカと気持ちの良い陽気がカナン全体に広がっている。
「これを使いなさい」
「これは……黒装束ですか!?」
頷くドレイクに対して、アラタは驚きを隠せなかった。
魔術回路を組み込み、魔力を流している際の防御力を大幅に引き上げる魔道具の一種、更に隠密効果まで付与されているのだ、いくらするのか想像すらしたくない。
「金貨200枚じゃ。頑張って返せ」
「にひゃっ、まあ、それくらいしますよね」
2000万円の服、考えるだけでも震えが止まらないレベル。
日本で彼が来ていた服の中で、正装を除いて最も高いものでも数万円、もう一万円札をペタペタ貼り付けている服と大差ないのだ。
下着までは黒装束ではないが、インナーシャツ、上に着る半そでのシャツ、腕を保護する手甲、ズボン、ブーツ、腰上あたりまであるポンチョ。
「先生、何でマントじゃないんですか?」
「材料が足りんかった。それで我慢せい」
「手作り!?」
「そうじゃ。オーダーメイド、ワンオフの世界に一着しかない装備、大切に使え」
「あ、ありがとう、ございます……」
金貨200枚の重みはさらに増し、アラタが装備を身につける動きは慎重そのものだった。
今までなら家に帰ってきて、椅子にマントを掛け、手甲やブーツは脱ぎっぱなし、汚れたシャツはゴシゴシと水洗いしていた。
もうそんなことできない、汚れが付かないように細心の注意を払い、使い終わったら鍵付きの厳重な保管庫にしまっておくくらい高価なものであると気づいてしまったのだ。
もたもたしながら着替えている弟子を見て、彼が何を考えているのか丸わかりな師匠は無視して昨日の地下訓練場に降りていった。
土棘の応用で地面の土を操作し、水弾を使う要領で混ぜ合わせ、泥にする。
風と火属性の魔術で温度と湿度を管理しながら、形を整え、磨き上げる。
一度も手を触れることなく泥団子を完成させる、そんな暇つぶしをすること15分ほど、ようやく着替え終えたのかアラタが下に降りてきた。
「遅いぞ」
「いや、値段聞いたらまともに動けないですよ」
「所詮は消耗品じゃ、気にするな」
「そんな無茶な」
先ほどまで作っていた泥団子にはもう興味がないのか、ドレイクは土塊を捨て、地面に落ちた衝撃で団子は割れてしまった。
懐から菜箸くらいの長さを持つ杖を取り出し、一振りする。
するとどこからともなく現れるアイテムの数々、自分の使っている魔術とは一線を画すそれを目にしてアラタはただ固まることしかできない。
スキルを併用しているのだろう、それにしても、せいぜい敵を焼くか、斬るか、潰すか程度にしか転用できない彼の貧弱な魔術に比べ、ドレイクのそれはまさに神業だった。
「お前にくれてやる。全て装備しておけ」
片刃の短剣、医療キット、ポーション。
先の戦闘で彼が失ったものばかりだ。
折り畳み式の望遠鏡、これは持っていなかったもの。
アラタはそれを手に取り、引き延ばし、そして覗いてみる。
丸く拡大された視界は縁取りが暗くなっていて、はっきりと像を結んでいるのはせいぜい中心付近のみ。
それでもかなりの倍率が実現されているようで、アラタの右目には拡大されすぎてぼやけている訓練場の壁がある。
見張りをするのなら感知されない程遠くからこれを使え、そう言う指示だ。
「何から何までありがとうございます。俺はここにいるべきですか? それともどこか別の場所に?」
「そうさのお、フリードマン家の屋敷跡地に隠れ家がある。そこを自由に使いなさい」
「マジっすか、分かりました」
望遠鏡を畳み、専用のケースの中にしまう。
革で作られたそれはベルトを通すための穴がついていて、腰元につけることも出来る。
もっとも、アラタは最近増えつつある持ち物をブラブラとぶら下げることがあまり好きではないようで、まとめて背負い袋の中にしまっておくことにした。
やるべきことは一通り終え、訓練場にいる2人は流れで軽く稽古をすることになった。
久しぶりの授業、この空白の時間の中でアラタの魔術の腕前は別人のように上がり、教える側にも気合が入る。
魔力を練る際のロス、魔術起動の際のロス、効率的な魔術回路の構築、魔術の種類によって使い分ける回路構成。
教えられる方の頭はパンク寸前だったが、教師は情け容赦なく知識を流し込む。
複数同時使用する際の注意点、ポーションによって一時的に底上げされた魔力をコントロールする術、ハイレベルな講義はアラタが限界を迎えたところで終了した。
訓練場を後にして、リビングに戻った2人。
2人とも靴を脱いでいて、ドレイクはスリッパに履き直しているがアラタは裸足でペタペタ歩いている。
装備を脱ぎ、薄着になったアラタはこの時期に見合っていないが、家の中は暖かいし彼も筋肉の鎧を装備して基礎代謝が高い、そこまで寒く感じていないのだろう。
飽きもせずまた紅茶を淹れて来たドレイク、弟子はそれを見て無性にトイレに行きたくなり席を立つ。
用を足している間、今度会ったら聞こうとしていたことがあることを思い出し、部屋に戻ると茶菓子を用意している彼に聞いてみることにした。
「先生はエクストラスキルを持っていますか?」
「何故?」
「俺、もっているんですけど使い方が分からなくて」
「そうか」
生返事を返す老人は今、エクストラスキルがどうとか考えている余裕はない。
丁度パンケーキが焼きあがるところなのだ、彼の声はノイズでしかない。
「うむ」
完璧な焼き上がり、そこに入手が難しい蜂蜜をこれでもかと投入し、極めつけに苺や桃など好きな果物を好きなだけ乗せていく。
乗せたそばからパンケーキの僅かな傾斜で滑り落ち、皿の外周に散らばってしまうのだが、彼は気にしていないように見える。
席に座り、一枚丸ごとパンケーキを独り占めし、大きく切り分けで一口で頬張る姿はとても老人には思えない、どこかのスイーツ好きな女子高生だ。
「固有スキルか」
パンケーキにナイフを入れ、散りばめられた果物と合わせて口に入れる。
生地の甘味、蜂蜜の甘味、生クリームの甘味、果物の甘味、それぞれが相互作用し織りなす味はまさしく筆舌に尽くしがたい。
午後のティータイムを楽しみながらドレイクはそう言った。
固有スキル、それがエクストラスキルの古い呼び方である。
「何が固有なんですか?」
「同じエクストラスキルは同時に1つしか存在しない。だから固有、だから特殊、だから優れておる」
この世界にエクストラスキルの重複の有無を調べる方法、そんなものは存在しない。
親子のDNA鑑定における一致率100%が存在しないように、スキル保持者もまた、絶対に重複していないことを証明することはできない。
しかし、長い人類史の中で、ドレイクがそう言い切るのにも理由があった。
反例を提示できたことが無いのだ。
重複がないことは照明が出来ない、しかし、重複を確認できたことがないのも、また事実なのだ。
アラタ風に考えるとするならば、この世界は『そういう風にできている』ということだ。
「スキルの名は?」
「【
「効果は?」
「分かりません。起動できないんです」
彼の悩みを聞き終えると、ドレイクは渋い顔をする。
どう答えたものか、そんな風にも見えるし、このバカをどうしてやるべきか思案しているようにも見える。
結果、正解していたのは後者だった。
「お主、本物の馬鹿じゃな」
「え? バカ? 自分がですか?」
「左様。自らの能力を軽々しく明らかにする愚か者、痴れ者、うつけ者、世界に存在する言葉に今のお主を言い表すことのできるものは存在しない」
「そ、そこまで言わなくてもよくないですか?」
自分の魔術の師にさえ能力を隠すなど、アラタからすれば土台無理な話だった。
出来ることと出来ないことを知ってもらわなくては効率よく教えを受けることなんてできないじゃないか、というのがアラタの意見だ。
ただ、アラタのスキルを知っている者がもう1人いる。
その事実を踏まえれば、アラタの行動は少し軽率だったと言わざるを得ない。
「能力のこと、他に誰に話した?」
「いや、あー、エリー、エリザベスに話しました」
「この愚か者が」
この後ひとしきりお叱りの言葉を頂いたアラタは、隠れ家に移動する為に家を出ようとする。
新しい黒装束に身を包み、仮面を被り、そして玄関の扉を開いた。
「尾行がないようなら報告は自分から伺います」
「うむ。しっかりな」
靴を履いてから、隠れ家生活を送る為の荷物を背負い立ち上がったその姿は、スパイや隠密任務に従事する人間というより、週末の登山客の様ないで立ちである。
「ああ、それと」
「なんです?」
「ノエル様を見たか?」
「いえ、どっか行ったんですか?」
ノエルのことだ、またどこかにフラフラ行ってしまったのだろうとアラタは予想したが、そう言う意味ではなかった。
「気をつけるのじゃ。剣聖の人格がお主に執着しているのは恐らく、お主を殺した心の隙に主導権を握る為じゃ」
「マジっすか」
「十分気をつけよ。出くわしてすぐ斬りかかって来るやもしれん」
「分かりました、気をつけます」
アトラの城壁内部にある旧フリードマン邸に向かっている最中、アラタは気が気ではなかった。
目が合ったら殺しに来る奴がいると言われたのだ、びくびくしたくもなる。
流れでパーティーを出ていった後ろめたさもあり、気まずい。
何かの拍子で話さなければならなくなった時、以前のように普通に接することが出来るのか。
「無理だな」
段々と狭まっていく自分の選択肢、何もしなくても、何もしないからこそ徐々に逃げ道がなくなる感覚、黒装束の男は嫌な予感を感じつつ、夕暮れの市街地を歩いて行った。
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