第112話 部隊再編
レイフォード物流事業部、特殊配達課、人事記録によると、ウル帝国歴1580年、同課は大きな損失を被った。
B分隊、オレティス。
C分隊、シーツ、ヴァル。
D分隊、ロン。
E分隊、ドア、トム、メイ
F分隊、ピコ
G分隊、フィン。
以上9名が違法薬物流通に関する取り締まり作戦で殉職。
A分隊、フレディ。
C分隊、ドット。
両名は腕の欠損など大きな後遺症を持ち、同課を退職、レイフォード家の使用人へと異動した。
多くの死者を出した作戦は成功、ギルド支部長イーデン・トレスを始めとして、大物の捕縛や処刑、殺害をもって事件は収束した。
薬物の売人など、末端まで数えれば相当な規模の捕縛劇であり、生きて収監された者たちだけでも刑務所は収容率100%をゆうに超える事態になった。
こうして特配課は立て直しを余儀なくされることとなり、新たな戦力を求めることとなる。
しかし、その機密性の高さから公に人員募集をするわけにもいかず、結局新規採用をすることは見送られた。
現時点での戦力は18名。
2名の分隊長を喪い、それ以上の隊員を喪った同部隊は再編成を行う運びとなった。
「A分隊、兼特殊配達課課長、ノイマン・レイフォード」
「は、謹んでお受けいたします」
「B分隊、クリス。C分隊、コーニ―。D分隊、アラタ」
「「「は、謹んで」」」
特配課の事務所がある大型の倉庫内で、新編成の分隊長を任命する為にエリザベス・フォン・レイフォードはやってきた。
黒い髪、白いシャツ、紺のパンツはOLを想起させるが、彼女の立ち居振る舞いはそんなものではない。
王、これからこの国を背負う大公にならんとする、人の上に立つ姿をしていた。
彼女から激励の言葉を受け、任命式は終了する。
これほどまでに大掛かりな作戦はもうない可能性が高いが、これからも特配課は裏で動き続ける。
エリザベスがその場を去ると彼らは通常業務に戻る。
喪に服す時間などない。
休むことは、止まることは許されないのだ。
アラタがD分隊の分隊長になった日、彼は詰め所に赴き一人剣を振っていた。
今日の業務は特に変化なく、これと言って特筆すべきことも無かった。
あれだけの作戦を実行して、流石に他の組織も慎重になったのだろう。
この事件を契機に、警邏、特に特務警邏の凄まじさは評判になり、正体不明の黒装束の存在もまことしやかに噂されるようになった。
ティンダロスの猟犬、それが特務警邏と協力していたと。
今回の黒装束がティンダロスの猟犬であるという意見、それとは別物の特殊部隊であるという憶測、猟犬を模倣した偽物であるという噂。
それぞれが人々の間を駆け巡り、混ざり、分かれ、ドロドロに溶けあって、そして噂は噂として風に乗って消えていく。
『死とは落差だ』
あれは言葉遊びだったのだろうか。
死は死だ。
他になんて例えようとも、死が本当に落差と同義であることにはならない。
じゃあなんで、イーデンさんは俺にあんなことを言ったんだろう。
数えきれないくらい、そもそも数えてなどいないがアラタは刀を振ってきた。
元は野球で名を上げた身、彼の一振り一振りは極めて質が高く、そして本数も多い。
常に見えない相手を見て刀を振る。
イメージトレーニングの一環、敵の攻撃を想像して、現実的な対応をして、そこに自分の空想を少し上乗せする。
するといつか、今の自分よりも少し凄い自分の姿がイメージできるようになる。
小さい頃から変わらない、彼の心構えだった。
死ぬことに、殺すことについて考えて、考えて考えて考えて、結果辿り着いた答えなんだろう。
イーデンさんは、きっと自分で自分の事を許せなくなったのだと思う。
死を身近に感じて、それについて死ぬほど考えて、元の自分を失ってしまったんだと思う。
逆に言えば、それくらいあの人にとって、死は特別で、拒否反応を示してしまうようなものだったんだ。
刀を振る。
この刀で斬り殺した。
この指で眼球を抉った。
この刀で突き殺した。
「…………大丈夫さ、もう慣れたよ」
心を鎧で覆えば、傷つかないように隠しておけば、俺は俺でいられる。
死は何も特別なことじゃない、そこら中に溢れかえっている。
俺が歩くだけで微生物は死ぬんだろうし、俺料理を作ればしこたま死に絶える。
俺が刀を振れば人が死ぬし、俺が魔術を撃てばそれでも人は死ぬ。
納刀し、パチンと鯉口と鍔が鳴った。
冬に入りかけた、冷たい夜。
吹く風に夏特有の生暖かさを感じることは無くなり、代わりに刺すような冷たい風が吹くようになった。
木々は葉を落とし始め、少しずつ景色は寂しく、灰色になっていく。
薪を使って暖を取る家庭では薪割りをして冬に備え、魔石を使う富裕層に向けて魔力結晶の価格は高騰する。
防寒性も備えている黒装束を身につけ、レイフォード家に居候して廊下まで暖房が行き届いている屋敷に住まうアラタには関係ない話だった。
冒険者稼業をしていた間、住んでいた屋敷を出ても相変わらず風呂に入ることが出来て、食事はリクエストがあれば基本的に聞き入れられ、洗濯や部屋の掃除まで頼めばやってもらえる。
以前よりも遥かに自分の時間を確保することが容易になり、その分彼は自己の研鑽に努めた。
特配課の活動に精を出すこともそう、それが終わってからも一人訓練に明け暮れることもそう、今そうしているように、ドレイクから渡された本を解読しようとすることもその一環だ。
物凄く広いわけではないが、家具一式を置いた状態で素振りが出来るほどの空間、それがアラタに与えられた部屋の広さだ。
椅子に腰かけ、1人本を読みふける姿は非常に知的に映る。
が、彼の頭の中に有意義な情報は一欠けらも入っていないのは極めて残念である。
「読めねえなぁ」
普通に読む、逆さにして読む、横向きにして読む、光に透かして読む。
思い浮かぶ限りありとあらゆる方法を使って本に、文字に歩み寄り、お願いですから何が書かれているのか俺に教えてください、と頼み込んでみても本が返事を返すことは無い。
仕事には慣れた。
人を傷つけることにも慣れた。
死にも慣れた。
大丈夫、俺はまだ俺でいられている。
職場でうまくやり、向上心を保ち続け、それでもうまくいかないとき、人は心のよりどころを求める。
黒装束に身を包む、刀を差す、そして仮面を着ける。
扉を開き、音もなく廊下を歩き、そうして彼の姿は徐々に景色と同化していき、薄まり、やがて眼に見えなくなった。
……スラスラと筆を走らせる音、紙をめくる音が空間を占める。
時折聞こえる『ふぅ』という声がアクセントになっているが、声の主はあまり元気ではないようだ。
彼女は事務作業に忙殺されており、扉が開き、閉まったことに気付いていない。
絨毯が敷かれた部屋、靴の音は非常に聞き取りにくい。
しかし、彼女の勘の鋭さは特配課隊長のノイマンお墨付きだ。
「……誰かいるの?」
彼女が筆を止めると部屋に音はなくなる。
「気のせいか」
彼女が再び筆を動かすと、その分だけ音が生まれる。
小気味良いリズムは彼女の能力の高さというか、集中力を表現しているようにも聞こえるが、そんな人をもってしても減るどころかむしろ増えていく作業はもうどうしようもないくらいにまで膨れ上がっているのだ。
それでも出来る限り効率よく、迅速に、正確に仕事をしなければならないレイフォード家当主。
一度作業を始めたら止めるのは避けるべきだし、それが何度もあるとなると無視できないロスになっていく。
しかし、彼女は再度筆を止めた。
席を立ち、部屋の中を左回りにぐるぐると回ると、壁に向かって手を突き、少し上を向いてこう言った。
「いるんでしょ。出てきなさい」
「……………………はぃ」
そこにあるけど何もないように見える。
見えているけど見えていないように感じる、見えていないという感覚すら感じることは無い。
そんな効果を持つ仮面を外すと、バツの悪そうな顔をしたいい男がそこにいた。
モデルなどの芸能人として生きていくには少々凡庸な顔だが、スポーツが異常にできるというポイントを合わせれば合コン受けは間違いなく良いはず、つまりそこそこのイケメンだ。
他人にひがまれることもなく、かと言って自分の顔が嫌いになることはない、そんな彼は壁ドンをされて非常に困っている、というか委縮している。
不法? に異性の部屋に侵入したうえ、勘の良い彼女の問いかけを無視してかくれんぼに興じていたのだ、怒られると誰もが思う。
「私が何を言いたいか、アラタなら分かるよね?」
微笑を浮かべて聞いてくるエリザベスに、彼はただ頷くばかりで具体的な回答を避ける。
何が正解か分からないというのも勿論だが、この場合正解できないというより大不正解を引き当ててしまう方が怖い。
つまり、沈黙すれば正解できないが、地雷を踏み抜くこともない、そう言った算段だ。
ただ、そんな彼の魂胆に気付かない彼女ではなく、答えるまでこのままだぞとメッセージを送るご当主の視線は刃物のように鋭い。
耐えきれるはずもなく、たまらずアラタは苦し紛れに一つ、答えを出す。
「え~、あ……いや、俺はエリーに会いたかったから、その……君も同じだと嬉しいかなー、なんて」
思考回路がショートして、まともな神経が残っていなかったとしか思えない返しをしたアラタ。
これはしまったのかもしれない、彼が恥ずか死してしまうくらい恥ずかしい自信の言動を振り返り、心の中でのたうち回っている時、我に返ったのは彼女がハグしてきたからだった。
「正解よ。遠ざけてごめんね、避けてごめんね、辛いことさせてごめんね」
外したかに思えた回答、しかし、曲がりなりにも彼氏、相手に対する理解度は思いのほか高かったようだ。
おしとやかな性格とは裏腹に、彼女の自己主張の強い胸部はしっかりとアラタに押し付けられ、時間経過とともに彼に固定ダメージを与えていく。
やがて彼の残機が底をつき、完全敗北を認めたアラタは外套を脱ぎ、椅子の背もたれにそれを掛けた。
机の上には青い紋様の入った仮面を置き、彼は今、何一つ偽ることないただのアラタとしてそこにいる。
相変わらず時間はないが、そんな中丁寧に彼の為に紅茶を淹れる想い人の表情は柔らかく、嬉々とした感情が読み取れる。
その間、アラタは彼女の仕事を一部受け取り、『こんなものまで回して来るなよ、一緒にいる時間が減っちゃうだろ』と惚気文句を零しながら仕事を捌いた。
結局深夜まで続いた彼女の作業、しかし、元々徹夜で完遂できるかどうかと言った所を深夜で終わらせたのだ、彼も多少は役に立てたようで良かったとアラタは笑った。
元々警備を騙してここまで侵入していた身、軽い口づけと共にまた来ると約束を交わし、2人は別々の床に就く。
彼らが共に人生を歩む日はまだ遠く、しかし一歩一歩確かに近づきつつあった。
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