第90話 しがらみと亀裂
「ノエル」
彼がその名を呼んだのは随分と久しぶりな気がする。
盗賊の惨殺があったのが一昨日、つまり実際にはそこまでの時間的開きはなかったが、同じ屋敷で生活していて同じ仕事をしている2人が一日何も言葉を交わさないというのは少々珍しい。
アラタが彼女の名前を呼ぶ声は随分とぎこちなかったが、それに反応したノエルもどこか気まずそうというか違和感があった。
「な、なに?」
「その……この前はごめん。少し言い過ぎた」
この前、エリザベス絡みで2人がぶつかった時のことを言っている。
要領を得ないノエルの発言や態度にも問題があるが、エリザベスのことになると少し冷静さを欠くアラタにも非はあった。
つまるところお互い様、それでこの話は終わりだ。
「私もごめん、無神経だった」
それだけ言い終わると、何も話さない無言の時間が流れる。
場所は屋敷の廊下、この場には2人しかいないからリーゼが間を取り持ってくれることはない。
アラタは聞くかかなり迷ったが、どちらにせよアクションを起こさなければならないと意を決して聞く。
「ノエル、お前のことをある程度調べた。しんどいなら休め、無理してクエストに出るな」
「あ、いや、力を使わないと段々と圧迫されて……だからすまない」
「そうか。それなら仕方がない」
ノエルの力は強力だが、万能ではない。
溢れんばかりの力は外に向けて発散させなければ徐々に自分を苦しめてしまうもので、クエストと言う縛りはないが何らかの形で力を行使してガス抜きする必要がある。
クレスト家派閥はノエルと言う爆弾を抱えた状態で大公選を進めていく必要があり、彼女の中に巣食う存在の機嫌を損ねないようにノエル自体を少し自由にしておくことしかできなかった。
しかし自由にし過ぎても今度はコントロール不能になる可能性があり、匙加減は現場に託されていた。
だが、いつもリーゼが側にいるわけにもいかないし、ハルツや他の冒険者もこの時期は忙しい。
そして彼女の側にいるのはただ一人となった。
そんな彼も……
「アラタ、お前は敵か?」
何の脈絡もない言葉を浴びせられ、一瞬思考が止まるアラタ。
彼は反射的に答える。
「いや、味方だけど」
「じゃあなんでレイフォードと仲良くするんだ」
「だから、それとこれは別の――」
「私たちの事なんてもうどうでもいいんだ! だからアラタはレイフォードと仲良くするんだ!」
「あのさぁ、何をどう考えたらそんな考えに……どうすればいいんだよ」
「私の側にいて、手を握って、離れないで、独りにしないで」
ここ最近感じる違和感。
アラタが異世界にやってきて、2人と出会い今まで過ごしてきた時間、その時間の中で形成されたノエルと言う人物に対するイメージ。
わがままで、言うことを聞かなくて、適当な人間で、明るくて、いつも楽しそうで、そして剣の腕は超一流。
そんな彼女からは想像できない姿がアラタの目の前にはあった。
アラタは一歩前に出ると、ノエルの両肩を掴む。
「お前誰だ。ノエルの振りをしても誤魔化せねえぞ」
彼の問いかけている相手は間違いなくノエル・クレストである。
だが、彼女の中には2人の人格が同居している。
彼は今目の前にいるこいつはノエルではないと判断した。
その判断は当たっていた、当たっていたのだが、
「……中々思い通りにはいかないものだな。でもアラタ」
「うっ!」
両手を振り払われ、腕を開いた状態で無防備な状態のアラタの首根っこを押さえた。
そのまま側面の壁に押し付け、自分より遥かに大きな男性の身体を押し上げる。
アラタは苦しそうにジタバタするが、首を掴んでいる手は万力のような力が込められていて脱出できない。
屋敷の中で始めるわけにもいかず、最悪雷撃でノエルの動きを止める、その為に魔力を練る準備をしていた。
「私に勝てないのに、2人きりでその話をするのは悪手じゃないか?」
やべ……頸動脈が、仕方ないか。
暗い廊下に一筋の光が流れた。
ノエルの脇腹に雷撃を打ち込み、ノエルの手が緩むとアラタは床に下ろされた。
「ゲホッゲホッ、ウゥッ……」
結構強めに打ち込んだはずなのに、こいつ……何かスキルを使っているのか?
俺の雷撃の威力が半減した、多分臨戦態勢だ。
アラタは【剣聖の間合い】を知らない。
スキルが発動していても雷撃はきちんと動作した点を考慮すると、アラタはかなり強めに魔術を行使したことになる。
確かに彼の行動は少し軽率だったかもしれない。
しかし自分の住んでいる屋敷で、自分の仲間に攻撃されることまで想像しろと言うのは少し酷な話である。
アラタの息が整うまで、ノエルは何もしなかった。
意図は測りかねるが、その後の言葉は聞くものが聞けば重要なカギになったのかもしれない。
「また会おうね。次にお話しできるのを楽しみにしてる」
※※※※※※※※※※※※※※※
ノエルがおかしくなったのは俺に出会ってから、それに先生に言われた、家を出る準備をしておけと。
俺のせいなのか?
もしかしたら俺の存在が引き金になって、ノエルの人格に悪影響を及ぼし始めたのか。
そんなことを考えるようになり、どこか屋敷に居づらくなったアラタは授業日ではない日に学校に向かった。
アラタは少し期待していたのだ。
彼女なら自分がいてほしい時に必ずそこに現れて自分の味方をしてくれると信じていたのだ。
「どうしたのアラタ。こんな時間に来ても授業はないわよ?」
やっぱり来てくれた。
エリザベスはすべてお見通しで、俺がここに来ることも分かっていた。
理事長室に俺を通すと、自分でお茶を入れてくれて話を聞いてくれた。
仲間の様子がおかしくて、その原因はもしかしたら自分にあるのかもしれなくて、そんな話を文句ひとつ言わずにずっと聞いてくれた。
やがて溜め込んだものを全て吐き終わり落ち着いたころ、エリザベスはゆっくりと立ち上がる。
「アラタのそういう所、私は好きだけどそんなに悩む必要ないんじゃないかな」
「でも、俺は……」
「アラタが助けてあげればいい、それだけじゃない?」
「まあ、そうなんだけど」
「ノエルさんが間違えたと、苦しんでいると思ったらアラタが助けてあげなきゃ。仲間なんでしょ」
「そう、だけどさ。俺に出来るかな」
俺に出来るか分からないと言いつつ、アラタは『君なら出来るよ』と言う答えを期待していたのだろう、彼女ならそう言ってくれると思っていたのだ。
「アラタなら出来るよ。もし駄目だったらまた私に相談すればいい」
この子は俺の求めていたことを何でも言ってくれる。
こんなに俺のことを理解してくれていて、優しくて、綺麗で、非の打ち所がないと思うのは贔屓目で見過ぎなのだろうか。
もう戻れない世界の思い出が被って正常な判断が下せていないのだろうか。
少しおかしくなっていることを自覚しつつもアラタはこの甘美な幻想から抜け出そうとはしなかった。
他人を本当の意味で理解できることなどそうあることではないというのに、自分はそれが出来ると根拠のない自信で自己を正当化していたことにすら気付かない。
だが与えられた幻想でも、それが生きる糧になれば問題ない。
人は誰しも多かれ少なかれ、現実に幻想を重ね合わせて生きているのだから。
※※※※※※※※※※※※※※※
「だからもうあいつには会うな!」
「なんでそんなに……分かったよ、もう会わないから」
学校から帰ると、アラタを待っていたのはノエルの癇癪だった。
レイフォードと会っていたことを言及され、手が付けられないのだ。
ノエルがエリザベスのことが嫌いなのは知っている、それは仕方がない。
合う合わないは誰にだってあるし、大人の事情が絡んでいるのなら尚のこと仕方がない。
でも、そんなに怒る必要も俺の行動を制限する必要はないじゃないか。
感覚でわかる、今のノエルは元々の人格の方だ。
俺の首を絞めた方ではない、今まで俺が接してきた方の人格だ。
彼女の怒りはしばらく収まらないようだったが、アラタが言われるがままにしているとやがて落ち着いたようで最後に『ごめん』とだけ言って自室に戻っていった。
アラタは屋敷の庭で刀を振っている。
夜、庭には照明がなく月明りだけが彼を照らしている。
暗視のスキルを持つアラタにとって視界の明暗など大した意味を持たないが、そんな彼は自分の中にある新しい力を認知していた。
敵意を察知する、と言えばいいのかな。
カイルの持っている、【敵感知】に似ている気がするから、このスキルも敵感知と名付けてしまおう。
強くなることは悪いことじゃないけど、きっかけが仲間の異変っていうのは皮肉だな。
ノエルの人格がどちらにあるのか気にするようになってから、怒っている時のノエルが俺に向ける感情がより鮮明に分かるようになってきた気がする。
あの子はどんなふうに笑っていたのだろうか?
俺はどんなふうに笑っていたのだろうか?
考えるな、迷うな。
余裕がなくなれば人間あんなもんだ。
ノエルは今苦しんでいる、だから仕方がないんだ。
俺よりもノエルの方が苦しい、だから助けてあげなきゃいけない。
そこに疑いの余地はない、仲間だろ。
エリザベスに接触したことがノエルに知れたら、あいつはまた不安定になる。
裏切られたとでも思っているのか、誤解を解く必要もあるけど今は控えるしかない。
……本当は俺だって、元の世界に帰りたいのに、それが無理ならエリザベスには申し訳ないけど、遥香の面影を感じる彼女と仲良くなりたいのに。
いや、思考がループしているぞ俺。
大変なのはノエルの方だ、俺はまだ我慢できる。
「……はぁぁぁあああ。…………はぁぁぁぁぁあああああ。俺が頑張れば、俺はまだ頑張れる」
大丈夫、俺なら出来る。
エリザベスもそう言ってくれた、俺なら出来る、出来るんだ。
俺はあいつに何度も命を救われた、俺が何とかしなければ。
決意を胸に青年は剣を振る。
例え走り続けたその先が袋小路だろうと、行き止まりだろうと打ち破ってみせる。
そんな覚悟を持つ彼の背中は、たとえ戦う場所が変わろうともエースのそれだった。
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