嵐の夜 2

 ホテルの部屋に入った健司は大きくため息をついた。

「大丈夫ですよ」

 言葉ではそう言っていたが、美紀は今にも泣きだしそうな顔をしていた。

──嫌われたな。

 各務にちょっとした意地を張ってみたせいで、完全にセクハラ行為をしてしまった。

 美紀の性格だから、嫌でも振り払うことは出来なかっただろう。

──好きでもない男に肩を組まれたら、嫌だよな。

 それでも嫌だと言わないのは、これからも仕事上コンビを組まないといけないからだ。

 少なくとも、神崎の件が片付くまでは、健司の相棒は美紀のままだろう。健司に守られる必要もなく、健司をサポートできる人材はそうはいない。

 だからこそ、健司は自分の中にある感情にふたをし続けてきた。

──彼女は俺の相棒バディだ。

 仕事をするうえでもっとも信頼できる人間だからこそ、恋愛感情を抱いてはいけなかった相手である。

 とはいえ。

 健司は、相棒となるまえから美紀に惹かれていたのだ。

 その気持ちを捨ててしまうには、あまりにも距離が近くて、あまりにも美紀は魅力的だった。

──馬鹿だな、俺。

 近くにいるからこそ、相棒でいるための距離は保つべきなのだ。怒らなかったから、彼女が怒っていないわけじゃない。

 ルームサービスを頼むと美紀には言ったものの食欲を感じなかった。

 窓の外の雨は激しくまるで滝のようだ。

──ん?

 携帯のバイブ音に気づいた。メールが入っている。仕事のメールだ。

『相田が神崎と接触』

 どこでとも、出動せよとも入っていない。

 とりあえず泳がせるということなのだろうか。

 なんにせよ一度、美紀と相談するべきだ。

 そう思った時。コツンと何かが戸を叩いた。

 ノックにしては弱々しく、何かが触れただけのような音。誰かがたまたまぶつかったにしては、足音もしていない。

 怪訝に思って、健司は戸を開けた。

「八坂?!」

 自分の部屋の扉の前で美紀が倒れている。

「八坂!」

「か……神崎……が」

 抱き起した健司に気づいたのか、美紀は苦しそうにそう告げた。どうやら神崎の攻撃を受けているらしい。

「わかった」

 健司は美紀を抱き上げると、自分の部屋のベッドの上に寝かせる。

 そして釘を構えた。

「かけまくもかしこき熱田大神あつたおおかみ

 釘は健司の言葉に答えて、眩しい光を放ち始める。

 健司は目を閉じる。美紀に向かって流れてくる強い神崎の力を探る。

「悪しき力を断ち切れ 叢雲むらくも!」

 健司の言葉に答えて、形代の剣がまばゆい光を放つ。

 窓の外で、雷鳴がとどろく。

 健司は剣にさらに念を込めた。世界が真っ白になるほどの光。

 全てが終わったあと、激しい雨音だけが響いていた。



 美紀の呼吸が落ち着いたのを確認して、健司はほっとした。

 まだ顔色が悪い。外傷は全くないが、あまりよい状態ではないだろう。

 健司は美紀の額に唇をあてた。


 ひ ふ み よ い む な や ここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ


 布瑠の言ふるのことをとなえ、霊気をゆっくりと流す。健司の霊気は攻撃に向いているため、こうした治療はあまり得意ではない。

 唇から気を流すのは、微妙な力を加減できて都合がいい。

 もっとも、二人きりの部屋でベッドに横たわる美紀の額にキスをしているのは、どうにも罪深いことだと健司は自嘲する。

「んっ」

 美紀が小さく声をあげたのに気づいて、健司は慌てて身体を離した。治療とはいえ、今回のは立派にセクハラと言われても仕方ない。

「草野……さん?」

 美紀がゆっくりと目を開いた。

「私?」

「うん。廊下で倒れていた。神崎に攻撃されていたみたいだ。大丈夫?」

「ええ。気を流してくださったのですか?」

 美紀は身体をゆっくりとおこした。

「俺、あまり得意じゃないから、あまりうまくいかなくてごめん」

「いえ。おかげで、頭痛もなくなりました。もとはといえば、私が油断してしまったからなので」

 美紀は申し訳なさそうに俯く。

「神崎を探知するために作った符を神崎に利用されました。つながりを作った以上、用心しておくのは当然のことなのに、本当にすみません」

「謝らなくていい。油断はお互いさまだ。あと、身体は平気? 医者に診せなくて大丈夫か?」

「はい。そもそも外傷はありませんし」

「それはそうだが」

 霊力による攻撃の治療は、霊力で緩和するのが一番ではある。

「俺の治療じゃ、心もとないだろう?」

「草野さん以上の、術者なんて存在しませんよ」

 くすりと美紀が笑う。

「君は俺を買いかぶりすぎだ」

 健司は小さく首を振った。

「もう少し休んで。俺は、支部長と少し話すから」

「平気です、私はあなたの役に立ちたいのです」

 今にも立ち上がろうとする美紀を抱きしめ、健司はその唇にキスをした。

 目を見開いた美紀に、健司はごめん、と頭を下げる。

「草野さん」

「君は役に立っている。だから無理をするな。セクハラで訴えるなら、この仕事の後に」

 健司は携帯電話に手をのばした。


 

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