救世の勇者よさらば ー歪んだ現代⇒歪んだ異世界/少年は、無数の世界を救う旅に出るー

戊 土矢

第1話

 少女は戦っていて、少年は死にかけていた。


「こんな、はずじゃ……」

 少年の呻き声があたりに響く。


 来月に大学入学を控えた高校男子の発するものとしては絶望の色が濃すぎるものだった。しかし、周囲の光景に合致したものではあった。


 凄惨と言うほかなかった。


 城跡を改装して作られた大きな公園には、数え切れない程の死体が転がっていて、その上に雪が降り積もり始めていた。石垣をライトアップするために設置された照明が死体とその血を夜闇から浮かび上がらせている。


 市民の憩いの地として親しまれてきた公園には似つかわしくない光景だった。赤と白で地獄を描き出した抽象画があるとするならばこうなるのかもしれない。


 少年は、この地獄絵図における小さな染みの一つだった。



 どんな些細な犯罪であっても必ず姿を見せる無人治安機ドローンの姿はない。いや、大量の死体が転がっているのだから、県警機甲課はもちろんのこと、郊外の駐屯地から自衛軍の即応班が出動してきていてもおかしくない事態の筈だった。


 そう、この30年間、〈超常現象〉に対抗するために強化され続けてきたこの国の物理的・電子的警戒網がまったく機能していないのだった。


 暦の上では春だったが、夕刻から降り始めた雪はあたりをくまなく覆っている。数か月にわたりこの街を支配していた厳しい冬はすでに去っていた。しかし、大陸東部に浮かぶこの島国の北部にあっては、思い出したように春の降雪が生じるのだった。気候不順が珍しくなくなった近年とあってはなおさらだった。


 地獄絵図の片隅。少年が石垣にもたれるように座り込んでいる。軍服めいた黒い服装で身を包んでいた。地球と呼ばれるこの惑星において、この時代、この国の学生としては一般的な衣装だった。



 少年は、今のところはこの不気味な絵画の数少ない鑑賞者と言えたが、近い将来、周囲の死体達の仲間入りをすることは明白なように思われた。

 その腹部からは絶え間なく血が流れている。傷口を押さえつけている左手は何の役にも立っていない。


 血で染まった学生服はほとんど白くなっている。この少年が動かなくなってから、少なくない時間が経っていることがわかる。春に降る雪は、夜であっても直ぐに溶けるものだった。


 少年は激痛を堪えながら顔を上げた。既に多くの血が失われたのだろう。その顔は青白く、目に力はない。



「おれは…… お前を……」

 少年は、質量を感じるほどの後悔をその顔に滲ませながら呟いた。


 彼の視線の先では、複数の影が公園の照明で微かに浮かび上がっては闇に消えていく。あたりに響くのは湿った雪を踏み抜く鈍い音ばかり。



 不意に、ひとつの影が地面を埋める死体の隙間を縫うように駆け抜け、並走していた影と交差する。その直後、影の片方が照明で作られた円の中心に飛び込んでくる。


 セーラー服を着た少女だった。


 刀を振り抜いた格好で光の円の中心で動きを止める。そして、残りの影はゆっくりと倒れ伏した。死体がまた一つ増える。右手に持った刀で、彼女の敵を斬り倒したのだった。


 彼女の纏うセーラー服はもともとの色が分からないほど赤く染まっていた。血濡れていなければその端正さに惹き込まれたであろうその顔は、闘争がもたらす狂気と疲労で歪んでいる。


 少女を中心とした明るい円の外側には、闇に溶けるように幾つもの人影が佇んでいる。

 倒すべき敵は多く残っている。荒い息を整えて刀を構えなおした。


「絶対に!絶対に助ける!!!」

 少女は叫んだ。


 その叫びを合図にしたかのように闇に潜んだ十数の影が少女に殺到する。


 凶器を携えた老若男女。誰も言葉を発していない。少女の歪んだ表情とは対照的に、彼らの顔には無表情が張り付いている。




 真っ先に飛び出てきたジャージの中年男が振り回す斧を躱し、少女は鋭くその男の懐に踏むこむ。刀を振りぬいた。握る力をなくしても保持し続けるためだろう、刀は布で手に縛り付けられている。


 疲労によるものか刀は空を切る。ジャージの男と入れ替わるように、和服の老女がチェンソーを唸らせて突進してくる。老人とは思えない速度だった。


 少女は刀を振りぬいた勢いを利用してチェンソーの進路上から外れ、左半身を無防備に晒す老女の腹部を裂く。老女が崩れ落ちるのを確認しないまま、少女は新たな敵に向かって駆けだす。


 少女が刀を振るうたび、影が減っていく。地面とセーラー服の白が、赤に塗り替わっていく。その赤は敵だけが流したものとは限らない。


 少女は照明が作り出す円の中で戦い続けている。




 どれだけ敵を斬り伏せたのか、少女にはもう分からなくなっている。


 あたりは静かになっていた。周囲に立つものはもう残っていない。しかし、少女は警戒を解いてはいない。敵がまだ残っていることを知っていた。肩で息をしながらも、刀の切っ先は目線の高さにある。


 突如、大きく黒い刃が少女に向かって高速で飛来する。巨人用の断頭台があるとするならば、設置された刃はこのように大きく薄いかもしれない。光を反射しない物質で構成されているかのようにその黒は暗がりに溶け込まず、かえって浮かび上がっているように見えた。


 少女が構える刀身が微かに虹色に輝いた。飛来する黒刃は虹色の光を纏う刀による防御によって無理やり軌道を変更され、高速で少女の背後に消えていった。石垣に突き立つ鈍い音がする。


 すぐさま、続けて暗闇から同じ物体が幾つも現れる。刀で防ぎきれないと判断した少女は姿勢を低くして駆け出した。寸前まで彼女がいた場所にいくつもの黒刃が突き立つ。




 闇より黒い刃が飛んできた方向から、空に浮かんだ白く明るく輝く輪が近づいてくる。王冠のようでも、天使の輪のようでもあった。


 ちょうど人の頭上の高さに浮いているその輪が少しずつ少女に近づくにつれ、仮面を被り高級そうなダブルのスーツを着込んだ男の姿があらわになる。


 仮面は、この国のどの地域どの縁日でも見かけることのできる口の曲がった赤ら顔の意匠だった。周囲には黒刃をいくつも従わせている。




 少女がひょっとこ面の男に斬りかかろうと踏み込んだその瞬間、彼女の背後を目にも留まらぬ速さで何かが通り過ぎた。


 その勢いで降り積もった雪と死体と共に少女は吹き飛ばされる。


 刀を地面に突き立てて少女は体勢を取り戻す。踏み込んでいなければ死んでいた。その事実に慄然としながら少女は動きを止め、新たに現れた敵の姿を確認する。




 安っぽい女給メイド服を着た女が背中を向けて佇んでいる。セーラー服の少女よりも更に小柄な女だった。その小柄さと、その体格に似合ったひらひらと可愛らしい服装が、不気味さを際立たせている。


 女給メイドの頭上にもやはり光る王冠が浮かんでいた。その姿は何重にもぶれて見える。振り返った。やはりお面を被っている。こちらは赤い鬼だった。




 セーラー服の少女、高級スーツの男、女給メイド服の女。


 この三者の誰が仕掛けたのかは判然としない。しかし、戦闘は再開された。


 この公園で数え切れない敵を斬り伏せてきた少女ではあったが、いや、だからこそかも知れない。消耗していたのは間違いない。まったく相手になっていなかった。


 光る王冠を浮かべた二人は、その配下である無表情な連中とはまったく違う存在だった。格が違った。


 無数の敵を切り倒してきた少女を上回る力強さで、素早さで動いた。そして、王冠の輝きを時折強めながら、ひょっとこ面の男は黒刃を飛ばして少女を切り裂き、鬼面の女は高速で突進し少女を吹き飛ばした。




 少年は、苦痛を堪えながら、少女の戦いを眺めている。この少女と行動を共にするようになった今日の昼からずっとそうしてきたように、彼女の戦いを見続けている。


 数秒か、数十秒か、数分か。朦朧とする少年の意識が浮上した時、戦闘は止まっていた。綺麗な正三角形の頂点にそれぞれが立っている。


 少女の刀は真ん中から折れていた。セーラー服は更に赤に染まっている。

 光る王冠を浮かべた二人には目立った傷はない。しかし、その呼吸は荒い。

 少年には戦闘の機微は分からないが、敵の二人が死に体の筈の少女を警戒していることだけは確かなようだった。


 敵に対峙する少女の視線が、ふと遠くで横たわる少年を捕らえた。


 少年と少女の視線が交差する。


 強張っていた少女の表情が緩んだ。




「本当に限界みたい」

 彼女はぽつりと言った。申し訳なさそうな笑顔を浮かべている。血濡れた少女が浮かべるにしては、死につつある少年に向けるにしては、無邪気で清廉すぎる表情だった。


「おまえは、悪くない……」

 消えかけの蠟燭のような声で少年は答えた。その顔は痛みで歪んでいる。


「……そうだね。悪いのはこの世界」

 少女はもう一度微笑むと表情を消す。

「でも、あなただけは助けてみせる」

 彼女は視線を敵に向けた。


 駆け出す。最後に残された力の全てを右手の武器に注ぎ込んだ。折れて短くなった刀身から虹色の光が伸び、刀を再形成する。再び戦いが始まった。


 少女は走る。躱す。刀の虹が幾重にも軌跡を描く。血が舞う。轟音だけを残し王冠の女が飛び回る。転ぶ。駆けだす。黒刃が襲い掛かる。


 自身と敵の血で、セーラー服の白が更に赤に染まっていく。



 少女が敵を追ったのか、敵が少女を追ったのかは分からない。闘争が段々と少年から遠ざかっていく。静寂があたりを支配した。

 しかし、それを知るための視力も聴力も、流血とともに少年から失われている。


 降り積もった雪で、自分が他の死体と見分けがつかなくなっていることも少年は気づいていない。


「どうして、こうなった」

 少年は呻いた。


 最早ここにはいない少女に向かって語り掛けているつもりなのだった。少年の命の灯は消えかけていたし、声は声になっていなかった。聞き届ける者はいない。


 少年のうめき声はどんどん小さくなり、しんしんと降り積もる雪に吸われて溶けていった。遠くで何かが爆発する音がしたと同時に、石垣の向こうが明るく光った。雪が紅い光を反射して少年の周囲を仄かに照らした。もう、呻き声すら聞こえない。


 少年は死んだ。


 しばらくして、少年だったものの表面を紅い光が再び照らした。爆発音はごく小さい。闘争は更に遠くに移っている。


 少女はまだ戦っているのだった。戦い抜いて死ぬだろう。


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