第5章-3


 くらやみが終わった後で見えたのは確かに不思議なものだった。それに、しゃがかかったようにぼうばくとしていた。大きな石。そこに置かれた物体――魚の頭部、キャベツのしん、動物のものらしい骨、大根の切れはし


 意味がわからない。しかし、それがこの女のかかえてる問題なのだ。それ以前に見えた半生はこういうものだった。ゆうふくな家庭。中学高校と女子校に通い、大学も女子大。見合いで今の夫と出会う。結婚したのは二十代後半のことで、つまりは五年ほどの結婚生活。ただ、子供は産まれない。にんりょう、神頼み。この女はもとからかなりしんしゅてきけいこうを持っていた(それは学生時代の経験からわかった)。しかし、それがかたくななまでに根づいたのは子供をさずかりたいという思いからなのかもしれない。


 すべてが消え去ると、彼は瞳を右上へ向けた。気になることが多かったのだ。――なぜ、あんなにぼんやりしてたんだろう? やっぱり見せないようにしてるとああなるのか? いや、これまでだって見えづらい相手はいた。しかし、この女は特別だ。


「なにか見えました?」


 女は唇をらしてる。蓮實淳はデスクの上で手を組み合わせた。


「ええ、まあ。――まず、確かにみょうなことが起こってますね。意味はわからないが、平たい石に乗せられた魚の頭や動物の骨なんかが見えました。それらは突然あらわれるんでしょう。違いますか? しかし、その前にあなたのことを話しましょう。あなたは少々神秘的に物事をとらえる性格のようだ。それは結婚され、お子さんがなかなか授かれない中でじょちょうされた。あらゆる神社へ行ってますね。だからを授けてくれるという神社はほぼ行きくした。はじめのうちはご主人やおしゅうとめさんと一緒に。しかし、そのうち一人で行くようになった。数珠じゅずふだを買うようになったのもその頃からなんでしょう」


 唇は引きまり、顎もかたくなった。怒りがそうさせたのだろうけど、それは彼へ向けられたものではないようだった。


「神秘主義。子供の頃からあなたにはそういう傾向があった。中学生のときには学校近くの神社でしきてきなことをしてますね。その、なんでしょうか? 大がかりなコックリさんみたいなことですよ。折れた桜の枝を使い、地面に○と×を書いたあなたは十人ほどの同級生の前でそれを行った。理由はわからない。私に見えるのは経験だけなんです。ただ、あなたはその後、りつした。似たような傾向を持つ友人もいたにはいたが、それ以外とは一線をかくすようになった。重ねて言いますが、私はなにを考えていたか見えません。しかし、あなたはこう思ったんじゃないですか? 自分と同じように物事を捉えられない人間と話す必要はない」


 すっくと立ち、女は強い視線で見下ろしてきた。


「どうしてそんなことまで知ってるんですか? いえ、どうやったらそこまで調べられるの?」


「調べたんじゃない。見えたんです。私にはあなたの経験したことがわかる」


 蓮實淳は指先を向けた。それから、デスクをながめ、あっ、と思った。立ち聞きされてるのはわかっていた。ブランドイメージをくずしてはいけない。バステト神像はオモチャじゃないのだ。


「バステト神のお導きで、私には見えるんですよ」


「はあ――」


 力なく座り、女は深く息をいた。瞳の色は薄くなっている。


「ほんとになんでもお見通しみたいですね。確かにそういうことがありました。なんでそうしたかはわかりません。子供だったのと、ひどく嫌な思いをさせられてたってくらいしか憶えてないんです。その後で私は孤立した。――孤立。そう言うのが一番しっくりしますね。いじめられたとかじゃないんです。みんながまるで私なんて初めからいなかったかのようにしてました。でも、その方が楽だった。そう、自分と同じように物事を見られない人と話すことなんてないんですから」


 そこまで言うと女は顔をあげた。彼はちゃんと聴いてますよといった表情をしてる。


「私、子供の頃から霊感があるんです。いろんなモノが見えるし、声も聞こえます。それはひどいことを言い、怖ろしい顔でにらんでくるんです。悪霊なんです」


 カンナは鼻を鳴らした。はいはい、悪霊ね。こういう子ってクラスに一人はいるもんよ。修学旅行のときなんかに突然霊感せんげんみたいのするの。まあ、きっとかまって欲しいんでしょうけど、「今日私たちが行ったお寺、あそこに大きなとうろうがあったでしょ? そこにいたの。女の子だった」とか言ったりすんのよ。――それにしたってえらいのが来たもんだわ。あの人も困ってるだろうな。


 しかし、カーテンの向こうからはこう聞こえてきた。


「で、あなたのお宅にも悪霊がいる。そういうことですか?」


「そうなんです。私の家には悪霊がいます」


 はい? とカンナは思った。なんなの、この会話。やだ、悪霊ってほんとにいるものなの?


「なるほど。魚の頭が置かれるのも悪霊のわざってことですか」


「だって、そうとしか考えられません」


 女は目を見ひらいている。表情にどのような変化があったか探ろうといった感じだ。


「ご主人はどう言っておられますか?」


「とりあってくれません。夫はまだ私の霊感を信じてる方なんですが、生まれた家に悪霊がいると認めたくないんでしょう。これに関しては聞いてくれません」


「お姑さんは?」


はもともとこういう話が好きじゃないんです」


「それで、あなたは家の各所にふだり、盛り塩をしてる」


「ええ。悪霊が原因であればそれくらいしか」


「でも、占い師や霊能力者に見てもらいはしたんですね? それはご主人やお姑さんもお認めになったのですか?」


「はい。怖いので無理に頼んだんです。だけど、みんなインチキでした。けんとうはずれなことばかり言って。ビデオカメラを置けばいいなんて言われたんですよ。そんなので悪霊が撮れるはずもないのに」


「しかし、仮に悪霊が原因でなかった場合、」


 そう言いかけると女は顔をき出してきた。


「いいえ、あれは悪霊の仕業です。そうとしか思えません」


「すこし聴いて下さい。悪霊が原因でない場合も考えた方がいい。これはあなたのためにもなるはずですよ。誰かが投げ入れてるとは思えませんか?」


 表情はあわれむようなものになった。彼は鼻に指をあて、目を閉じかけている。さっき見た映像を思い出そうとしたのだ。この女がいつも見てる家、高いへいと平たい石の位置。――そうか、同じ場所に重さの違うものを投げ入れるのは無理なんだ。


「いや、違うな。それは置かれてるんだ。いつも同じ場所に」


「そうです。塀の外からでは無理です」


「当然、まりはげんじゅうにしてるんですよね?」


「はい。毎晩、私がきちんと見てます」


 カンナは暗い外へ目を向けた。なんだかさむがしてきた。つまり、悪霊はいるってこと? ――そういえば私って占い師の助手だった。毎日不思議なことばかり経験してるんだっけ。だったら、悪霊がいてもいいってことになるんじゃない? やだ、ひとりでトイレ行けない。髪洗うとき目つむれない。


「一応だけお訊きしますが、それはお宅から出されるもの、その日の料理に使ったものではないんですね?」


 女は目を細めた。そう訊かれるのにれてるようだった。


「ええ、それは絶対に違います。もちろんゴミは出ますが、庭に置かれてるのは家のものじゃありません」


 蓮實淳は指先を向けた。ひたいには深くしわきざまれている。


「で、私にどうしろと?」


「一度見に来ていただけませんか? 家族がいるときに来て、全部見て欲しいんです」


「しかし、私には悪霊をはらうことなんてできませんよ」


「いいえ、きっとできます。私、これまでいろんな人に相談してきました。でも、何度も言うようですけど、みんなインチキで。ただ、先生ならできるって思うんです」


 そう言ったときも女はぼうっとしていた。しかし、初めに抱いた印象とは違うものを感じさせた。この女が神秘主義的なものの見方をしてるのはその通りだ。それでも、そこに多重な意味を持たせてるように思えた。言いがたいことを伝えるためそういう表現をしてる、あるいは、そのまま受けとめたくない事実をへんかんさせてるのかもしれない。


「そのためにはお宅にうかがう必要があるとおっしゃるんですね?」


「はい。――そう、そうなんです」


「それで解決するとあなたは考えておられる。そういうことでしょうか?」


 息をのむようにして女は顎を引いた。今の問いかけがじゅもんのようになんらかの影響をあたえたのだ。


「ええ。私はそれで解決できると信じてます」


 蓮實淳は仕切りのカーテンを見つめた。こういうパターンであればカンナがしゃしゃり出てくる頃と思ったのだ。しかし、布は動かない。彼は鼻先をたたきながら考えた。これはきっと簡単な問題なんだろう。この女は手助けが欲しいだけに思える。そして、たぶん、助けられるのは俺だけってわけだ。――うん、わかった。しょうがない。


「いいでしょう。悪霊が祓えるかわからないが、一度お宅に参ります」


 そう言って、彼はまた指先を向けた。

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