第69話 友達でしょ

「ぼくが行く!」

「私が!」

「いいやおれだ!」

「何言ってるんだお前達。どう考えても俺だろ?」


 という三匹と一人の声をすべて却下し、コンビニまでの道のりを、慶次郎さんと並んで歩く。少なくとも、どう考えたってお前ではない。


「本当にこれアイスで良かったんですか?」

「良いよ。何で? そんなにあたしの下着が買いたかったわけ?」


 このエロ陰陽師め、とわざと意地悪く言ってやると、彼は面白いくらいに狼狽えた。


「け、決して、僕は、そんな!」

「あーはいはい、わかってるって。冗談冗談。アイスで十分だよ。だって、あたし達、まだ友達でしょ?」


 、という言葉は、ほんの少しだけ強く言ったつもりだ。


 たぶん、そう遠くない未来の話、あたしと慶次郎さんの星が重なる時が来る。そうしたら、きっと慶次郎さんは仕掛けてくるはずなのだ。何せ、その星が重なる日、つまり『好機』は陰陽師である慶次郎さんにしかわからないのだから。


 だけど、その、何だ。

 月の満ち欠けがどうたらこうたらで、人体に及ぼす影響が云々で、その辺のことはよくわからないけど、ものすごく誰かを求める時が来たりするものらしいから、もしかしたらあたしから動く可能性だってあるかもしれないけど。


 でも、出来れば。

 向こうから来てほしい、と思う。


 これまで好いた男から好かれたことのなかったあたしである。昔から、何か変なやつに好かれてしまうのだ。もふもふ達と歓太郎さんが良い例だと思う。それを言ったら、まぁ慶次郎さんも十分に『変なやつ』カテゴリではあるんだけど。 

 とにかく、そのあたしが、初めて『ちょっと気になる相手』からアプローチされるかもしれないのである。ほんの少し、期待してしまってもバチはあたらないだろう。


 このヘタレとしか言いようのない慶次郎さんは、どう動くのだろう。シンプルに好きだと告げて来るだろうか。耳まで真っ赤にして、あたしの手を取ったりなんかして。ああでもこの人、手は案外ナチュラルに握って来たりするんだよなぁ。


 そんなことを考えていると、慶次郎さんが妙な動きをしていることに気が付いた。両手を半端な位置で泳がせながら、「ええと、その」と繰り返している。


「どしたの」


 まさかさっきの『まだ』に反応したのだろうか。

 早くも意識しちゃったりするんだろうか。

 そう思ってソワソワする。


「と、友達って、いま」

「え、ああ、そうね」


 そっちかーい、と心の中でずっこける。


「人間の友達ははっちゃんが初めてです」


 にこにこと嬉しそうに言って、笑みを隠すように頬を押さえる。真実なのだろう。じゃなかったら、式神を『友達』として呼び出したりしないはずだ。彼にとっては「友達になろう」と一歩踏み出すより、ホンワカパッパと呪文を唱えて式神を呼び出すことの方が簡単だったのだ。


「そんじゃさ、明日にでも、のあたしとハンバーガー食べに行こうか」

「良いんですか」

「当たり前よ。友達でしょ。専属太陽なんて堅苦しい肩書はやめやめ。友達だよ、あたし達」

「わかりました」


 何だかすとんと肩の力が抜ける。あたしばかり意識しちゃってちょっと馬鹿みたいだ。あんなことがあったばかりだというのに。


 ふぅ、と息を吐いて空を見上げれば、満天の星である。

 柄にもなく、ちょっと気持ちがしんみりする。昔の人――それこそ平安時代のお貴族様なんかは、こんな星空を見て、歌を詠んだりしたのだろう。そんなことを考えた。


「慶次郎さん、何か一句詠んでよ」

「えぇっ!? なぜ急に」

「平安時代の人ってそういうのするじゃん」

「僕は令和に生きているんですが。それに平成生まれですし」

「でも陰陽師じゃん」

「陰陽師ですけど」

「陰陽師ってそういうなんか雅なことするんじゃないの?」

「その時代の陰陽師はそうだったかもしれませんけど」


 なぁんだ、そういう雅な部分も含めて陰陽師なのかと思ったのに。何ていうか、嗜み的な?


 少し残念な気持ちで歩く。相変わらず人通りの少ない夜道で、ちょっと気になる人と二人きりで。少しだけそういう雰囲気に浸りたかったのだろう。


 と。

 

「思へども なほぞあやしき 逢ふことの なかりし昔 いかでへつらむ」


 ぽつりと慶次郎さんが言った。


「うん? ううん? 詠んだ?! すげぇ、それっぽいやつ詠んだじゃん! 詠めるんじゃん、やっぱり!」

「あの、僕の句ではないです」

「へぇ、じゃあ誰の句なの?」

「村上天皇という方です」

「村上天皇……聞いたことないな。それで? どんな意味?」

「その……、恋の歌、ですね。好きな人が出来て、それで、その人のことを思っていると、そういう感情を持つ前は、一体自分はどんな気持ちで日々を過ごしていたんだろう、みたいな」

「わかる! めっちゃわかるわそれ!」

「――うわぁ!」


 思わず慶次郎さんの両手をぎゅっと握る。


 わかる。

 わかるわー。

 マジで共感しかないわー。

 恋ってそういうものなんだよねぇ。

 何ていうの? 世界がまるきり違って見える感じっていうのかな。

 世界がキラキラして見えるっていうのかな。何を食べても美味しかったり、何を見てもワクワクしたり。だけどその人の前だと何を食べても味がしなかったりして。

 何も変わっていないはずなのに、変わったのはあたしの心だけなのに。

 それだけのはずなのに、それ以前の自分を思い出せない感じっていうの?


 休みの日はどうして過ごしてたんだっけ。

 先輩からの連絡を待っていなかった頃は、この時間をどう過ごしていたんだっけ、と捲し立てる。


「わ、わかっていただけますか」

「わかる! 恋ってそういうものなのよ! っはー、良いこと言うじゃん、えっと、紫式部?」

「惜しい、『むら』は合ってます。村上天皇です」

「うんうん、昔の人も案外同じなのねぇ。なんか一気に親近感湧いちゃったかも」

「それは……良かったです。ええと、その、はっちゃん?」


 て、手が、と慶次郎さんは見てて面白いくらいに動揺している。恐らく耳まで真っ赤になっているだろう。


「何? ああ、ごめんごめん、なんか熱くなっちゃって」


 パッと手を離し、その代わりにと、慶次郎さんの腕に下げられているコンビニ袋から買ったばかりのアイスを抜き取った。


「もう食べながら帰ろっか」

「……そうですね」


 何だかちょっとばつの悪そうな顔をして、彼もまたコンビニ袋からアイスを取り出す。今日もあたしは24ニーヨンパーラーの果物ごろごろバーで、慶次郎さんはゴリゴリ君だ。ただ今日はソーダ味じゃなくて白桃味だったけど。


「もう『食べ歩きは~』とか言わないんだ、優等生」

「ですから僕は別に優等生というわけでは」

「どうかね。の影響でも受けたんじゃない?」

「……かもしれません」

「いやー、星がきれいだね。これなら明日も晴れるかな」


 あたしのその言葉に慶次郎さんも空を見上げる。そして、ちょっと苦笑混じりに袋を破り、薄桃色のアイスの角をやっぱり控えめに齧って、ぽつりと言うのだ。 


「はっちゃん、月がきれいですね」と。


 月明かりに――というか、ぶっちゃけそれは街灯だったけど――照らされた慶次郎さんは、いつものクソダサいTシャツ姿だったけど、その分を差し引いてもやっぱり完璧な美男子である。ちなみに今回は『鬼に学ぼう』というロゴと、「やんのか?」と凄んでいるヘタウマな赤オニが描かれたやつだ。鬼と何をやるんだ。やらねぇよ。ていうか、着てんの陰陽師なんだから、やられんのはお前だよ。


 で、そんなクソダサTに負けない、ほぼほぼ完璧ともいえる顔面がちらりとこちらを向く。何やら下唇を噛んで、むぐむぐさせて。何、アイスってそんなにしっかり噛むものだった? そんなに溶けないやつなの、それ?


 だからあたしも言ってやった。


「は? 月? いや、あたし星がきれいって言ったんだけど。確かにね? 月はきれいだよ? だけどさ、話の流れ的には星がきれいだね、って言ったんだからさ、そうですね、って返した方が良くない? それかもしくは、月きれいですね、って言わなくちゃ」


 と眉を下げて。首を傾げて。


 慶次郎さんは、あぁ、まぁ、と小さくため息をついて、再びアイスを齧った。


 ちょっともうしっかりしてよね、慶次郎さん。まずね、会話のキャッチボールってのが~……、とアイスを齧りながら言うと、彼は何やら困ったように眉を寄せて、はい、はい……、と力なく頷いていた。



 平安時代の陰陽師様なら、全然会話が嚙み合わなくても、鬼やらあやかしやらを退治していればヒーローだったのだ。けれども令和の陰陽師はそれ系の活躍の場がない。


 この世に鬼やあやかしがいないのなら、この令和の時代に、(ファンタジー方面に)ガチな陰陽師は必要ないのかもしれない。


 だけれども、このかなりヘタレなガチ陰陽師はたぶんあたしには必要な人なんだろう。


 またも脈絡もなく「はっちゃんは夏目漱石とかあまり存じ上げない感じですか」と力なく問いかけてくるしょんぼりイケメンを見て、そう思った。


 は? 夏目漱石? あれでしょ? 昔の千円の人でしょ? 知ってる知ってる。でもそれが何?

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