第20話 敵に塩を売る
初老のおじさんはマフレッドと名乗った。仕方がないからこちらも名を名乗る。お姉さんからおじさんに担当が変更されたのは、俺の行動で何か不味い事があったのだろうか。スキルで出したサウナから取り出した“食用ではない塩”だとバレてしまったのだろうか。
「私もこれほどの品質の塩を取引するのは久々です。このような濁りのない真っ白な塩は昨今中々手に入らなくなりまして」
「はあ、そうですか」
じゃあどんな塩が取引されてるんだ。砂でも混じってるのか。話し相手がおじさんに変わったことで、花が咲きつつあった頭が冷えて正気に戻る。これは戦いなんだ。初老と初老の戦いなんだ。
「素晴らしい品質でございます。是非ともお持ちの量全てを買い取らせて頂きたいところですが、いかがでしょうか」
「それは価格次第ですね。今はこの袋を5つほど持参していますが、価格が低すぎる様でしたら他を当たります」
「これは手厳しい」
カウンターの上に2kgの塩入りの麻袋を一つ置く。この世界ではビニール袋はまだ普及していないそうで、塩は壺に入れて保管されるらしい。今回は壺が重かったので塩をそのまま麻袋にくるんできた。
中身を確認したマフレッドさんは目を細めて、狐を彷彿とさせる狡猾そうな表情を浮かべている。こんなところで獣人成分を感じたくなかった。
「こちらの中身はどちらでどのように入手されたのでしょうか?」
「トワール王国のとある伝手から仕入れましたが、細かな質問にはお答えしかねます。もちろん盗品ではありません」
「失礼致しました。旅商人が簡単に仕入先の情報を明かすわけはありませんね」
マフレッドさんは何食わぬ顔で秘密を聞き出そうとしていたようだ。このおじさんなかなか侮れない。どこかから取り出した天秤に麻袋を乗せ、慎重な手つきで重さを量っている。
「では価格のご相談ですが、こちらの袋ひとつで銀貨15枚でいかがでしょうか?」
「えっ? 銀貨15枚……?」
村で1kgの塩を買い取ってもらった時は大匙一杯が小銀貨1枚の計算で、全体で銀貨6枚と小銀貨6枚だった。今回はその倍の2kgだから、予想では銀貨12枚と小銀貨12枚で小銀貨は10進法で繰り上げて……この銀貨換算やめない? 素直にリブルで表現したほうが早いと思うんだが。
「少し安すぎましたか……。では銀貨16枚ではいかがでしょうか?」
「あっ、ではそれでお願いします!」
頭の中で銀貨の足し算をしていたら、価格が低すぎて渋っていると勘違いされて勝手に値上げしてくれた。リブル換算に戻すと、2kgで132,000リブルになると思っていたのに160,000リブルにもなったということか。塩サウナが100,000リブルで購入したものだから、背負っている塩をすべてここで売り払うと粗利は700,000リブルになる。……濡れ手に粟じゃないか。
マフレッドさんは俺の背負っている10kg全てを狙っているようだったが、商業ギルド以外の商店などでも直接取引できると聞いているので、とりあえず6kgだけ販売する事にした。
日本人の俺からしたら考えられないほど高額なのに、マフレッドさんはほくほく顔だ。ギルドの登録で手数料として銀貨1枚がかかるらしいので、それを引いてもらった額を受け取る。そして失礼を承知で質問をして見ることにした。
「残りを近くの商店で販売したいのですが、良識のある商店をご紹介頂けませんか?」
「ええ、それは構いませんが商業ギルドでの販売がどこよりも安心安全でございますよ? まあ交渉次第では個人商店のほうが儲けることは可能ですが。近頃は隣国へ続く商人たちの抜け道とされる販路に大型魔獣が出没するようになったそうで、塩や魚介類が高騰しております。こちらの品質の塩は所持しているだけで危険です。下手に個人店で販売しようとして、店員や周りの商人に目を付けられる可能性もあります」
「ではとりあえず教えてもらった店で小出しで交渉してみて、危険そうならこちらに戻ってきます」
マフレッドさんは俺の身の安全を心配してか、紹介するのをためらっているようだった。何度も考え直すように説明をしてくれている。しかしダメなら戻るという俺の言葉に少しは満足したのか、良店をいくつか教えてくれた。必ず戻って来るだろうという表情をしているのが、先ほどのマフレッドさんの言葉を裏付けているようで恐ろしい。
しかし俺はまだ諦めていない。今日のこの機会を逃すと、次に綺麗なお姉さんと会話できるのがいつになるのか分からないのだ。外から店の中を覗いてみて、美人のお姉さんがカウンターに座っていたら入ってみよう。
商業ギルドのマフレッドさんから教わった個人商店を目指して歩く。ギルドでの取引時に座れたから体力は少し回復したが、やはり慣れない雪道でヘトヘトだ。村長たちとは別行動をしているが、クラウスは疲れていても絶好調で理屈を並べ立てて値上げ交渉してるんだろうな。
「おっ、あった。ここの店だよな?」
商業ギルドから一番近い、良識のあるという商店を覗き込む。カウンターに座っているのは、青い髪をした中年のおばさんか。
うん。この店はやめておこう。気が乗らない。次の店は大通りを挟んだ向かい側だ。
「あれ? あの後姿はドミニクさんか?」
二軒目の商店の中には、明るい緑髪をした中年男性の後姿が見える。これは声をかけたほうがいいのか。
でも今の俺は初老の変装をしているし、なぜ初老の格好をしているかといえばドミニクさんに見つからないためだったような気がする。あれ、どうしてドミニクさんに見つかったらダメだったのか。そうそう、俺が森の中で暮らしているのに大量の塩を持っていることがおかしいんだったっけ。森の中で塩を大量に持っているのは明らかに怪しいから、悪い奴らが探りに来てエゴンさんの村に迷惑がかかると。
うん。この店もやめておこう。受付に座ってるのもおじさんだったし。
次の店に向かう途中に、マフレッドさんからは教わらなかった商店があった。良識のある店を教えてもらったのだから、この店は良くない店として認識されているのかもしれない。けれどこんな大通りに出店しているのだし、試しに覗いてみるくらいはいいだろう。
「えっ、受付の女の子めちゃかわいい! 金髪ツインテールなんて初めて見た! ほんとにいるんだなぁ……」
ファンタジー小説では定番の、金髪ツインテ女子が受付カウンターに座っていた。その隣のカウンターには銀髪ロングヘアーのクールビューティーが座っている。銀髪ロングのカウンターは商談中だったが、金髪ツインテのカウンターは偶然なのか空いていて女の子が暇そうにしている。
これはチャンスだ。運命に違いない。今しかない。俺は迷わず店に入り金髪ツインテの前に立った。
「ようこそお越しくださいました。どのような商品をお持ちでしょうか?」
「あの、えっと、物品の販売をその、お願いしたいのですが……」
しっかりしろ! 相手はどう見ても年下だぞ。どうして可愛い女の子を前にしたらどもってしまうんだ。日本で働いている時は、同僚女性がどんなに美人でも仕事と割り切って普通に接する事が出来たのに。プライベートになるとほんの少し下心が出ただけできょどってしまう。
「あ、その、この塩なんですけど……」
「え、これって!」
カウンターの上にお試しサイズの麻袋に入れた塩を置くと、金髪の女の子は目を見開いて塩を直接触り出した。商業ギルドの黒髪のお姉さんもマフレッドさんも、直接は触ってなかったような気がする。ペロッと舐めないだけマシだ。なんだ、いきなり雲行きが怪しくなってきた気がするぞ。
「これ、盗品ですよね?」
「…………は?」
「今の間、やっぱり盗品なんですね?!」
一気に殺気立つ金髪ツインテ女子。なんかよく分からんが怒らせてしまったらしい。そんなに怒ったら、せっかく可愛いのが台無しじゃないか。さっきみたいにもっと優しく微笑みかけて欲しい。
「いえ、盗品では……ないんですが……」
「こんな真っ白な塩、あなたみたいな薄汚れた旅商人が持っているわけがありません! 盗品でないと証明できるんですか?! 衛兵を呼びましょうか?!」
どうしたらいいんだ。なんかめっちゃ怒ってる。盗品ではないと証明するにはどうしたらいいのだろう。逆にこの子はこの塩が盗品だと証明できるんだろうか。それに人を見かけで判断しないで欲しい。俺はどこにでもいる健全な青年だ。あっ、そういえば初老の格好をしているんだった。
俺がオロオロとしていると、金髪ツインテはヒステリーを起こしたように金切り声で騒ぎ出してしまった。店内にいる他の商人が俺を胡散臭げな顔で睨んでくる。衛兵を呼ぶとか脅しに近い事を言ってくるが、俺の方が呼んで欲しいくらいだった。そして誤解が解けた後は金髪ツインテと連絡先を交換したい。
「あの、落ち着いてください……他の人の迷惑に……」
ああこれ面倒くさいやつだ。俺が何と声をかけようが金髪ツインテはもはや聞こえていないようで、鬼の形相で次々と酷い言葉を投げつけてくる。冷や汗が頬を伝う。これはまずい。見かけに騙されてハズレを引いてしまった。この女の子を落ち着かせる方法が全く分からない。
しばらく大声で罵倒され続けていたが、やがて俺の面倒くさいゲージは限界突破してしまった。無言で目の前のお試しサイズの塩をひっつかむと、背中の袋に素早く押し込んで急いで店を出た。
商業ギルドを目指して必死に歩く。カウンターの上に零れてしまった塩の事を気にしている場合ではない。疲れていたので足取りはヨボヨボだったが、後を追いかけて来る者はいなかった。
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